#63 あの日の約束@純白【後編】



粉雪が舞い落ちるひどく寒い日だった。



葬儀を終えて、無言のまま帰る途中だった。指先の感覚がなくなるほど冷え込んでいたけれど、握ったパパの手が温かかったのを覚えている。記憶の中では、あたしは泣いていなかったと思う。あたしはまだ八歳という子どもで、人が死ぬということに対する実感が湧かずに、ただ呆然として現実を理解できなかったのだと思う。



パパはあたしをキャバクラのバックヤードに連れていき、好きなものを食べさせろとお姉さん達に命令をしてお店を後にした。いつも決まった場所の、いつも決まった席に春輝が座って漫画を読んでいた。春輝も葬式に参列していたはずだけど、どうやらあたしよりも先に戻ってきたらしい。



「春輝は寂しくないの?」

「ん。別に」

「そっか」



だけど、そう言った春輝の目は真っ赤だった。



強烈に覚えているのは鮮血の色。でも、見たのは一瞬で、あのとき咄嗟にパパが私を強く抱きしめて見せないようにしてくれた。あれは間違いなく血だった。そのせいで“大好きなあの人”は死んじゃった。



「クララ」

「うん?」

「お前は俺と一緒にいろ。俺が守ってやるから」

「一緒に?」

「ん。あいつが来たら、今度は俺が守る。だからずっと一緒にいろ」

「それってあたしと結婚したいってこと?」

「なんでそうなるんだよ」

「だって、漫画でナナミちゃんが言ってたもん」

「違う。でも俺が絶対にお前を守るから」

「パパがいるもん」

「吹雪さんがいてもだ。いつも吹雪さんがそばにいるわけじゃないだろ」

「うん。わかった。春輝とずっと一緒にいる」



窓の外は白い雪が舞っていて、空も地面も純白に染まっていく様子をじっと見ていた。



春輝がそういう意味で言ったんじゃないって、心のどこかで分かっていた。その頃から春輝のことが好きという気持ちは変わっていなくて、あたしは将来、春輝と結婚するものだと信じてやまなかった。小学生の戯言だとしても、当時の暗いあたしの気持ちを漂白するように、闇を払ってくれたのは間違いなく春輝だった。それからというもの、いつも春輝と一緒だった。



どこに行くにも一緒。買い物に行けば兄妹と間違われるような関係だったのだと思う。



はじまりはあの日だった。雪が舞い降りて、すべてを白く染め上げる“純白”の思い出。赤が色濃くなって、やがてどす黒い闇に染まった心を白く染めてくれた大切な言葉は、やがてあたしの一部となった。














純白。













この想いを伝えたかった。言葉では難しいし、恥ずかしいから。

歌詞を書かせてくれたパパに感謝して。



だから歌う。思いを乗せて。



まゆりんは完璧に振り付けを覚えていてくれて(まゆりんにすれば簡単だよね)、キレキレのダンスを披露している。ダンスに関しては、あたしよりも上手なんじゃないかって思う。



クリスマスパーティーのラストということもあって盛り上がりは最高潮を迎え、ステージ下でもみんな踊ってくれて、しかもあたしの名前を叫んでいて、本当に転校して良かったなって思った。



「まゆりん、気持ちいーねっ!」

「さいこーだねっ! クララちゃん」

「まゆりん大好き」

「わたしも」



歌い終わりにあたしはまゆりんと抱き合った。喜びを分かち合うようにしばらくそのまま汗だくで抱擁しあう。大歓声の中、サプライズイベントと題したあたし一曲限りのライブが終わって、ステージに幕が降ろされた。



「みんな、素敵な演奏ありがと〜〜〜っ! あたし、絶対今日のこと忘れない」

「クララちゃん、来てくれてほんとありがと!!」

「最高だった」

「こんなに盛り上がったのはじめて」

「クララちゃんこれからも応援するからねっ!」



そしてクリスマスパーティーは無事に終了し、後片付けの時間となった。



クララちゃんはなにもしなくていいから、と言われてもみんなと一緒になにかをしたくて、あたしも後片付けを手伝った。春輝もまゆりんも貴崎さんと一緒に椅子を片付けて、それからテーブルを倉庫にしまい、ツリーを箱に入れる作業をしてようやく解散となった。



「並木、おっつ」

「ん。高山もな」

「まゆっち、また来年もよろしく」

「ミホルラ〜〜〜愛してる」

「お、浮気かっ! 来年はまゆりんの骨の髄まで愛してやるからなー!!」

「望むところだーーーっ! ミホルラもな〜〜〜っ!!」



まゆりんは、ミホルラと呼ばれたお友達は抱き合って、その後笑いあっていた。

そうか。今日で今年も終わりで、次に会うのは年を越してからなんだ。



外に出るとすっかり真っ暗になっていて、冷たい風が吹き荒んでいる。隣を見るとちゃっかりまゆりんが春輝に抱きついていた。これだからバカップルは嫌なんだ。頭に来たから、反対側から春輝の腕にしがみついて、手を握ってやる。



「おい、クララ」

「いいじゃん。あたしは特別でしょ」

「麻友菜もなにか言ってやってくれ」

「クララちゃんは特別だから別にいいよ。兄妹にまで目くじら立てないって」

「……そうなのか?」



だって、一緒にいろって言ったのは春輝じゃんか。春輝には責任取ってもらわないとね。



「両手に花でいいですね、お兄ちゃん」

「麻友菜まで……全然良くないぞ。歩きにくいだろ」

「春輝は嬉しくないの? 女の子二人に挟まれて。特にこのクララちゃんに抱きついてもらえる男は世の中に二人だけだからな?」



春輝と、もう一人はパパ。



「……麻友菜だけで十分だ」



みんな帰った後の学校は暗くてシーンとしている。まるでいつもの学校じゃないみたいで、少し怖い。相手が人間だと対処する方法はあるけど、超常現象の類はどうすることもできないから恐怖しかないじゃんか。霊媒師とか本当に尊敬するわ。



迎えに来てもらうためにスマホを取り出そうとバッグを漁ると……ない。あるはずのスマホがないし、財布も見当たらない。



「あ。体育館に忘れ物しちゃった」

「なに忘れてきたんだ」

「お財布とスマホ」

「……クララ、お前、そんなことで大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。こうみえてしっかり者だからね」



というのは嘘だ。仕事のときはいつもマネージャーが忘れ物チェックしてくれている。今日はあたしの単独行動で、ついつい忘れ物の癖が出てしまった。仕事した後は、ついつい注意力散漫になってしまう。



「ちょっと取ってくるね」

「一緒に行くか?」

「学校の中だから大丈夫。二人とも寒いから先に帰ってて」

「クララちゃん危ないから一緒に帰ろう?」

「ヤダな〜〜〜、さすがに大丈夫だから」



あたしがいたら、二人ともイチャイチャできないじゃん。もう気づいているよ。二人があたしに気を使っているんだってことくらい。



春輝はまゆりんのことが大好き。

まゆりんも春輝のことが大好き。



その間を引き裂くことなんて、今のあたしにはできない。だって、二人とも大好きだから。あたしも春輝とまゆりんのことが大好き。だから春輝にもまゆりんにも幸せになってもらいたい。



「じゃあ、そういうことだから」

「待って、クララちゃん」



まゆりんは優しいから、あたしのことを案じてくれる。でも、あたしはそれを無視して、踵を返して体育館に走った。入口はまだ施錠はされていないようで、そーっと扉を開けて控室だった部屋に向かう。控室の電気をつけるとテーブルの上にあたしの財布とスマホが置いてあって、ホッとして回収し部屋を後にした。



少しだけ、体育館前の階段に座り込んで、空を見上げた。少しここで時間を潰そう。さすがに雪は降ってきそうにないけど、あのときと同じくらい寒い。寒いなぁ。あの日もこのくらい寒い夜だったな。



しばらくしてから、歩き出して正門を出ると人影があった。よく見ると男の人のようで、生徒にしては年を取っているみたいだし、学校の先生をはじめとした関係者ではないみたい。どこかで見たことのある気がするけど思い出せない。すごく気持ち悪い。絶対にどこかで会ったことがあるはずなのに、記憶から抜け落ちているような感じがする。



鞍楽くらら、久しぶりだな」

「……えっと」



ファンの人だろうか。いや、違う。ファンだとしてもヤバい感じがする。目つきが鋭く

、どこか狂気を帯びたような雰囲気を持っている。二番街でたまにいる、ヤク中のような、そんな近寄っちゃいけない雰囲気の人。



「覚えてないのか?」

「え……いや……」



無精髭は生やしているけど、優男のような顔をしていて甘い言葉で愛を囁く。そんな記憶。

ノイズとともにフラッシュバックする嫌な記憶。

思い出したくない風貌と声。



「ほら、もっとこっちにこい」

「いえ……」

「どうした? だろ」

「いや……近寄らないで」

「鞍楽、ずいぶんと稼いでいるんだろ」

「そんなこと……」



男はゆっくりとあたしの方に近づいてきて、手を伸ばしてくる。単に血がつながっているだけの赤の他人。今さらあたしに近づくなんて。それにいつ出所してきたんだろう。この男は間違いなく……殺人者。



西谷秀長にしたにひでなが



あの頃と何も変わっていない。思い出せないんじゃなくて、思い出したくなかったんだ。頭の中から抹消したかったこの男の記憶。あたしの父は山崎吹雪でこいつじゃない。なんで今さらあたしの前に現れるのよ。二度と見たくなかったし、声も聞きたくなかった。



「鞍楽、親子共々、仲良く一緒に暮らそう。な?」

「いや……」



西島に手首を強く掴まれて、引きずられそうになる。通りには「わ」ナンバーのレンタカーが路駐してあって、西谷はそのワンボックスカーの後部座席のドアを開いた。このままだと押し込まれて連れ去られる。でも、抵抗したくても震えて力が入らない。運転席にはもう一人男が乗っていて、こっちをいやらしい目つきで見ている。二対一の状況でどうすればいいの?



助けて。







パパ。







春輝。







「おい、てめえ、その汚い手を離せ。クソ野郎がッ!!」




振り返ると春輝が息を切らせて立っていた。約束……通り来てくれたんだ……。




“お前は俺と一緒にいろ。俺が守ってやるから。あいつが来たら、今度は俺が守る。だからずっと一緒にいろ”




一六年間生きてきて、こんな顔の春輝をあたしは見たことがない。あたしのために本気で怒っているんだ。やっぱり春輝のこと好き。




大好き。




「てめえ誰だ……?」

「誰でもいい」

「まさか彼氏か?」

「どうでもいいだろ。いいからクララから離れろ」

「俺達は親子だからな。他人にとやかく言われる筋合いなんてねえんだわ」

「親子? 俺が聞いたのは、血がつながってるだけのイカれた犯罪者のクソ野郎が出所したってことだけだが。お前がクララに父親なんて名乗れるのか?」

「あ? てめえ誰に口聞いてんのか分かってんのか?」



西谷はあたしの手を離して、春輝の胸ぐらに掴みかかった。その隙きにあたしは春輝の後ろに駆ける。



鮮血のトラウマが蘇り、手が震えてスマホが操作できない。はやくパパに電話をしなきゃ。このままだと春輝が、春輝が殺されちゃう。

春輝は一方的に殴られていた。仕返しができないでいるのか、まったくやり返す様子がない。やっぱり西島は危険だ。はやく春輝を助けて上げないと。



「もう、やめ……て……お願い、」



春輝は胸ぐらを掴まれたまま何発も、何発も殴られている。西谷の拳からも血が出ていて、春輝はやり返すことなく、何度も何度もしつこいくらいに殴られていて、このままだと春輝が死んじゃう。



「血、血が出てる、血が」



血を見た瞬間、過呼吸に陥って息ができなくなる。どうしようもないくらいに嫌な記憶が頭の中をかき乱す。



「クララちゃん!?」



まゆりんが息を切らして走ってきた。



「まゆりん……どうして?」

「遅くなってごめんね。クララちゃんが危ない目に遭ってるところを見ちゃって、春輝に言われて吹雪さんに連絡取っていたの」

「そう、だった……んだ……待って、まゆりん、春輝……がッ!!」

「もう大丈夫。だからクララちゃん安心して」



まゆりんがあたしを優しく抱擁してくれた。ステージの上で抱き合ったときは力強かったけど、今はすごく柔らかくて。



「春輝……死な……ない?」

「うん。死なない。ほら、見て。ね? だから安心して」

「よかったぁ……」



春輝を殴る西谷のもとに一人の男が近づいた。西谷の手が止まる。西谷は怯える様子で腰を抜かして、その場に座り込んだ。運転席でニヤニヤしていた男は車を急発進して逃げ出していく。



「俺の息子に手を出した落とし前、てめえはどう付けるつもりだ?」

「ふ、吹雪……」

「それとクララは俺の娘だ。そこんところ分かってやってんだろうな?」

「い、いや、鞍楽は俺の……」

「お前のなんだ? 西谷……てめえうちを破門されておいて、どのツラさげて俺の大事な家族に手ぇ出してんだ?」

「ち、違う、俺はだからただ……鞍楽と」

「おい、山下、三木、それから黒澤、こいつを事務所連れてけ」

「「「はい!」」」



ヤマさんとミーくん、クロさんの乗ってきたワゴン車に西谷は押し込まれた。そしてすぐに車は走り去る。



「春輝、よくやったな。言いつけ守って手を出さなかったんだろ」

「ん」



パパと春輝のもとに駆け寄ると、二人はそんな会話をしていた。



「どういうこと? 春輝はあえて反撃しなかったってこと?」

「そういうことだ」

「なんで? 殴られたら殴りっぱなしなの!?」

「偶然に足が当たるくらいならいいが、拳を使うことはダメだ」

「あんなに殴られても!?」

「そうだ。俺たちはヤクザだ。ヤクザがヤクザをぶん殴るのは構わない。だがな、春輝は違うだろ。春輝がヤクザになりたいなら別だが、そうじゃないなら暴力を使うのは絶対に駄目だ。どんな状況でも手を上げたものが負ける。それが社会だ」



それで春輝は殴らなかったの?



「命の危険がない限りはな」



春輝はあんなに殴られても顔は無事みたいで、痣にもなっていないし血も出ていない。



「だが、勘違いするなよ。春輝はケンカが強い」

「強くても殴られたら痛いじゃん。なに考えてんのよ。まゆりんもなにか言って」

「春輝は前にも殴られたことあって、そのときも傷一つなかったから……」

「ん。殴られ方も吹雪さん直伝だから」

「そういうことだ。よし、送っていくから車に乗れ」

「納得いかない」

「クララにはそういう教育をしてこなかったからな」

「あたしも習いたかった」



春輝ばっかり。あたしが蚊帳かやの外みたいじゃんか。



「クララにはそういう教育は必要ないと思っていたからな。それに、血を見るのは嫌だろ。そういう場面では春輝が守る。それでいいだろ」

「……うん。でも、

「そうか。じゃあ、休みの日には護身術を教えてやる」

「うん。パパありがと〜〜〜」

「ん。単純なヤツだな」

「春輝、うっさいッ!!」

「クララちゃんよかったね」



パパの乗ってきた車はヤマさんたちとは別で、路駐してあるSUVだった。全員で乗り込むとパパは車を発進させた。パパが珍しくにこやかに話してくれた。



車の中でパパはあたしに約束をしてくれた。



西谷秀長が今後あたしと春輝に近づくことは絶対にないことを。命にかけて約束すると言って、パパが頭を下げた。本当に申し訳なかったって。



あの山崎吹雪が、たかが高校生二人に頭を下げたのだ。あたしも春輝も、なにも言葉にすることができなかった。それくらいにパパの謝罪は圧巻だった。



「春輝」

「ん?」



車窓から外を眺める春輝に声を掛けた。



「来てくれてありがと」

「ん。約束したろ」

「……覚えていてくれたんだ?」

「当たり前だ」

「なになに? 約束?」

「ああ。クララは俺が守るって話だ」

「“俺が守るからずっと一緒にいろ”って。春輝は男前発言しちゃったんだよな〜〜〜。小学生のくせにマセガキじゃんか」

「あ、もしかして、それが前にクララちゃんが話してくれた結婚の約束?」

「いや、違うだろ」

「そうだよ。春輝が“俺のそばにいろ”って。どう考えてもプロポーズだって」

「……小学生の頃からそんなこと言ってたの? 春輝……」

「駄目なのか?」

「そういうこと言うのはもう禁止なんだからねっ! このダメ人間製造機」

「ダメ人間製造機……確かに! このダメ人間製造機〜〜〜」



人の人生をダメにしたのは間違いない。もう一六歳になるのに、未だに春輝のこと好きで忘れられない。本当にダメ人間製造機だ。




でも——“純白”の



でも、思い出だけならいいよね。



未だ、あたしの中の“純白”は……散り散りになろうとも、まだ粉雪とともに舞っている。












______________

ここからはあとがきになります。

第四章はここで終了です。

ありがとうございました。


恐縮でございますが、 ☆ を押していただけると幸いです。



近況に解説を入れてあります。

挿絵もあるのでチェックしてみてください。


いつも応援♡、コメントありがとうございます。

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