#56 ヘアピン@それぞれの夢



電子版とはいえ、週刊誌に載ってしまったクララのスキャンダルはまたたく間にネットを駆け抜けた。今回、吹雪さんは交渉しなかったのだろうか。今までも同じようなことがあったときには出版社側と交渉をして、なにかしらの解決法を取ってきたはずだ。



たとえば、別の話題に書き換えてもらうとか。具体的にいえば、クララのスキャンダルを出さないで、事務所側の用意した(でっち上げた)スキャンダルと交換してもらうのが最善かどうかは分からないが、今まではそうしてきたと言っていた。



週刊誌の写真のクララのとなりの男は俺だが、モザイクが掛けられているために、俺自身はダメージゼロ。だが、クララはそうもいかない。体調不良であったためにクララは俺に全体重を掛けていたことにより、どうみても恋人とイチャついているようにしか見えない。




「春輝大丈夫?」

「ん。あ、悪い。少し考え事をしてた」

「クララちゃんのこと?」

「……まあ、そうだな。本当に悪かった」

「謝らないでよ。わたしは気にしてないから。春輝の気持ちもよく分かるし」



せっかく麻友菜が泊まりに来てくれている日なのに、頭からクララのことが離れない。やはりこのままでは駄目だ。麻友菜を幸せにしてやりたいのに、この状態ではできそうにない。



「麻友菜、悪い。吹雪さんのところに行ってくる」

「うん。気をつけてね」

「一時間くらいで戻る。本当にすまない」

「いいよ。今はクララちゃんのために動いてあげて」



時刻は午後三時ちょうど。



吹雪さんの事務所は厳重にロックされていて、アポ無しで面会することは難しい。連絡も取りにくく、普通に予約をすれば一ヶ月以上待たされる。だが、俺とクララは別だ。もちろん母さんも。俺たち家族なら吹雪さんは誰と会っていようが、俺たちを優先させてくれる。血は繋がっていなくても、必ず会ってくれる。そういうふうに仁義を通す人だから誰からも慕われている。



「吹雪さん、春輝さんが来ました」



門番の黒服がインカムにそう告げると、大きな玄関の扉が開いた。東京の一等地にこれだけの屋敷兼事務所を持っているのだから、それなりの権力を持っていることは言うまでもない。灯籠の立つ中庭に面した外廊下を歩いていると参議院の代議士とすれ違う。吹雪さんは政界にも精通しているらしく、おそらく俺が来たところで追い返されたのだろう。俺は一直線に吹雪さんの執務室へ向かう。



「吹雪さん、クララの件で話したいことが」

「そろそろ来る頃だと思ってたら、ビンゴだったな」



デスクの前に座っていた吹雪さんは立ち上がり、応接セットのソファに座った。今日はしっかりとしたスーツを着込んでいて、ふらっと二番街に現れるときのラフな格好ではない。



「それで?」

「なんであの記事を通したのか聞きたい」

「なんでと言われてもな。撮られたのはクララの脇の甘さが原因だし、どうしようもないだろ」

「今まではちゃんとクララを守ってただろ。それをなんで今になって。あいつは、今大事な時期なのに」

「だろうな。だが、あいつは仕事よりも自分を優先して、転校しただろ」

「それはそうかもしれないが……それにしても少し非情すぎないか? あいつは身体を壊して」

「壊した理由も、自己管理がなっていないからだ。学校なんて行かずに、その時間を休養に使うべきだったな」



確かに吹雪さんの言う通りかもしれない。多忙で身体が追いつかないという懸念があったからこそ、芸能科という特殊なコースに通っていたのだ。クララが夢を諦めずに、がんばるという決心を尊重した結果が芸能科だったはず。それをクララは転校という選択で吹雪さんを裏切ってしまった。



だが、吹雪さんは反対しなかったという。本人の意思なら力になると言って、転校を勧めた。



「吹雪さんが転校を阻止すれば……」

「待て、春輝。それは義務教育までの話だ。もうお前らは大人だろ。なら意思と責任は自分自身にあるはずだ。クララにはそれが欠けていた。今回は良い勉強になったな」

「だが、ネットに流れた情報は一生残る」

「だが、それが戒めにもなる。若い頃の恋愛事情なんて、ないほうがおかしい。アイドルじゃなければ恋愛の一つや二つ経験すべきだ。それにクララはそんな安っぽいキャラで売り出していない。恋愛をしても仕事はきっちりやる。それがクララだ」

「だが、相手が俺じゃ駄目だろ。恋愛にもなっていない」

「本当にそうか? クララに訊いたのか?」



クララは俺に何度も告白をして、その都度玉砕をしている。俺はクララに優しく接したことなんてほとんどない。それなのにあいつは俺に好意を持っている。



「春輝には麻友菜ちゃんがいるから、無駄だろうがな」

「ん。それは間違いない」

「クララがここで潰れるならそれまでだ。だが、クララはそんなに弱くない」

「クララは今度、曲を出すんだろ」

「そうだな。意外にもクララはそっちの方面にも才能がある。試しにやってみてもいいだろ」

「クララをうまいように使っていないか?」

「事務所としては当然だろう。あらゆるチャンスを示して、本人に掴ませる。それでうまくいけば生き残れる道が増えるんだから、本人にとっても良いことじゃないか」

「わかった。その件はいい。話を戻すと、クララを擁護するつもりはないんだな?」

「これはクララ自身の問題だ。あいつがどうしてもと泣きついてきたら考えなくもない」



つまり、今回の件はクララの責任感の欠如という罪に対する罰というわけか。普通の人間は嫌でも学習する。今回の件はクララにその機会を与えて、反省を促すことを目的としているということ。それにしては代償が大きくないか?



「俺は……納得いかない」

「だろうな。顔に書いてある」

「クララは必死に夢を求めて、せっかくここまで這い上がってきたのに」

「まだ終わっちゃいないだろ。春輝、よく聞け」

「ん?」

「ここで挫けて消えるようなら、それはそれでクララのためだ。これで消えるようならホンモノじゃない。お前も含めて、俺達は死線をいくつもくぐらなきゃならねえんだ。そういう星の下で生まれたんだから仕方ねえだろ」

「……分かってる」



今まで蔑まれなかったのが不思議なくらいだった。麻友菜にしても麻友菜の両親にしても、俺を受け入れてくれた。俺は環境に恵まれている。だが、クララは違う。



「もっと大きな問題が控えている。クララの父親が……」

「その話はいい。吐き気がする」

「……まあいい。クララは俺の娘だ。血は繋がっていなくても俺の娘に代わりはない。甘やかして育てるつもりなんてない」

「じゃあ、俺がすることも自己責任だよな。俺がなにをしても」

「ああ。好きにしろ」

「分かった」



吹雪さんの考えていることはだいたい分かった。昔からそうだ。甘やかせて育てはしない。育てるときは徹底的にぶちのめして、それで伸ばす。けど、いつも最後は優しかった。目標まで到達できたときには、かならず褒めてくれた。それにいつでもかっこよかった。



だが、俺達ももう大人だ。だからそれを分からせるためにこうやって突き放したんだろう。クララがそれを理解しているかどうかは分からないが。



急いで家に帰ると、麻友菜はソファでスヤスヤと寝息を立てていた。戻るまでにきっちり一時間で約束を守ったが、申し訳ないことをしてしまった。



俺は麻友菜の横たわるとなりに座って、麻友菜にタオルケットを掛けた。まだ午後の四時を回ったところで、昼寝をするには少し遅い時間かもしれないが、寝るくらいしかすることもなかったのだろう。



シルクのような髪をいていると麻友菜は気持ちよさそうな顔をする。偽装交際をしているときより髪が伸びて、時が経つのを感じさせる。ヘアピンの数も増えた。みんなこうやって成長していくのかと思うと、吹雪さんの言葉を思い出してしまう。俺も麻友菜ももう少しで三年生になり、その先には卒業が待っている。そうなったときに、俺たちはどうなっているのか。今はまだ想像もつかない。



「うぅん……あ。おかえり」

「ん。ただいま。一人にして悪かったな」

「クララちゃんの件はどうだった?」

「吹雪さんの考えは分かった。あとは俺が動くだけだ」

「春輝が?」

「ん。麻友菜には苦労を掛けるかもしれないが」

「わたしは……大丈夫だよ。春輝のしたいようにして。それがクララちゃんのためになるんでしょ」

「分からない。だが、このまま真実とは違う情報でクララが傷つくのは……嫌なだけだ」

「うん。それはわたしも同じだから」



上半身を起こした麻友菜は両手を組んで伸びをし、そのまま俺に抱きついてきた。



「でも、一人にさせた分、いっぱい春輝エキス吸わせてもらわなくちゃ」

「分かった」

「えへへ。春輝、大好き」

「俺もだ」



麻友菜が大好きを言うときは、気持ちが高ぶったときと寂しかったときのどちらかだ。今は間違いなく後者で、俺は自戒しながら麻友菜の思う存分好きにさせようと思う。とはいえ、それはいつものことなのだが、麻友菜はソファの上で俺を押し倒して、四つん這いになる。そして、またキスをする。



「千年分の生気を吸わないと」

「サキュバスも大変だな」

「うん。でも誰でもいいってわけじゃないんだからね?」

「そうだったのか。初耳だ」

「イケメンで、優しくて、麻友菜ファーストで、それで妹思いの人じゃないと吸えないの」



それだと俺以外には存在しないな。イケメンで優しくて、妹思いかどうかは別として、麻友菜ファーストは俺だけだ。



「それとね、わたしの一番好きな人」

「ん。なら存分に吸っていいぞ」

「うん。そうさせてもらうね」



俺の胸に顔を付けて、しばらく温もりを楽しむかのように麻友菜は俺の心臓の鼓動を聞いた。「ドキドキしてる」と言って、不意打ちにくすぐってくる。



「それは、反則だぞ」

「え〜〜〜好きにしていいって言ったじゃん」

「くすぐるのはサキュバス規約に反しているからダメだ」

「じゃあサキュバスやめて、人間になる」



さらに首や脇の下までまさぐりはじめて、麻友菜は悪戯な瞳で笑みを浮かべる。これにはさすがに耐えきれなくて、俺は麻友菜の止まらない悪い手を掴み起き上がって、逆に押し倒した。



「きゃあっ!? ちょっと、わたしの好きにして良いっていったのに」

「イタズラが過ぎるからな。少しお仕置きしないと」



麻友菜の両手首を片手で掴んだまま拘束と解かずに、もう一方の手で脇の下から横腹にかけてくすぐる。意趣返しをすると、



「あははっ!! もうダメ、ダメだって、本当に」

「絶対に許さない。このまま千年間続けるからな」

「だ、だめ〜〜〜お願い」

「ダメだ」



麻友菜は悶えて身を捩りながら、なんとか脱出する方法を模索するがそんな方法はない。うるさい口をキスで塞いで、さらにくすぐっていく。最近知った麻友菜の一番の弱点は、



「そ、そこはらめ〜〜〜〜ほんとに」

「お仕置きだから仕方ない」

「イヤ〜〜〜〜っ!!」



太ももの裏と尻の付け根あたり。ここを責めると息の根が止まりそうになるらしく、今日もいつもどおり涙目になって許しを請うように、



「もうしませんからぁ〜〜〜〜〜」

「本当だな?」

「はい、本当です〜〜〜〜いやぁぁぁ」



拘束を解くと、麻友菜はぐったりした。



「麻友菜を責めるのは楽しいな」

「出た。そうやってわたしをイジメて。イジワル」

「悪い。だが、麻友菜の反応が可愛いから仕方ないだろ」

「かわいいって言えば済むと思ってるでしょ」

「実際に可愛いから仕方ない」

「なら許してあげるか」



またキスをして、そろそろ夕飯の準備をしようと二人で起き上がる。



「年越したらあっという間に三年生だね」

「……俺もさっき同じこと考えてた」

「だって、わたし達一心同体だもん。そうなるよね」

「違いないな」

「三年生も同じクラスになるといいなぁ〜〜〜」

「ん。そうだな」



条島高校では、クラス分けに際して学力の差はさほど判断材料にならないと言われている。クラス分けの基準は開示されていない。三年間、交友関係を広げてほしいという学校の考えがあるからこそランダムに割り振られて、三年間同じクラスメイトがいることは稀らしい。



そうなると、麻友菜と離れてしまう可能性もある。



「でも、クラスが別々になっても関係は変わらないよね?」

「ああ。なにも変わらない」

「うん。ならいいや」



それに将来どうするのか。卒業後の進路のほうも考えなくてはならない。麻友菜はあっけらかんとしているが、大学に進学するのか、それとも専門学校なのか。あるいは就職をするのか。そんな話は全然していない。だが、俺と一緒に勉強はかなりしていて、難関は難しいとしても、進学はできそうな感じではある。



「麻友菜は進学するのか?」

「……どうだろ。正直、将来したいことが分からないんだよね」

「そうか」

「春輝がわたしをもらってくれるならそれでいいんだけど」

「……俺はそれでも構わない。だが、それはこれだろ。やりたいことができたときに後悔しないか?」

「それは、そうなってみないと分からないかな」



俺は料理の勉強をしたい。それは母さんにも吹雪さんにも伝えていて、賛成してくれている。麻友菜の夢はまだ不明瞭で、なにがしたいのか分からないのだろう。クララは中学生のときにすでに明確な目標があって夢もあった。そのために芸能科のある学校も選んだのだろうし、努力もしてきたのを知っている。



そう考えると、吹雪さんの言っていたことは筋が通っている。



「麻友菜は未来永劫、俺と一緒にいろ」

「うん。そのつもり」

「だが、それとは別に夢を持ってほしい。今はなくても、きっとなにかしたいことが見つかるはずだからな。俺に縛られることなく、麻友菜の道を進んでほしいと思ってる」

「……そうだよね。そのときは春輝に遠慮なくそうさせてもらうね」

「ん。約束な」



だが、麻友菜は俺に抱きついてきた。



「でも、春輝と一緒にいられないような夢ならいらないかな」

「……麻友菜」



そう言った麻友菜は俺に抱きついたまま顔を見せようとしない。俺は野菜を切っていた包丁を置いて抱きしめ返した。



「俺は別に麻友菜に遠くに行けとは言っていないぞ」

「分かってるよ」

「ただ、麻友菜のしたいようにしてほしい。俺自身が麻友菜のかせになりたくないだけだ」

「それも分かってる。春輝は優しすぎるんだよ。もっとわたしを束縛してくれてもいいのに」



しばらくそのまま抱き合って、結局夕飯はいつもよりも一時間程度遅れてしまった。





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