#49 金木犀の小枝@カレシの涙
文化祭当日。本祭は条島高校の威信をかけたお祭りとなっていて、一ヶ月掛けた宣伝効果(駅やバスのポスター)もあって外部からのお客さんもかなり多い。まず開会に際し三〇分間の式典が行われて、九時にようやく開場となる。スケジュール自体は昨日の前夜祭と同じだけど、外部のお客さんもいるとなると盛り上がり方がぜんぜん違う。
今日は校庭にキッチンカーや屋台も出店していて、朝早くから多くのお客さんで賑わっている。
「うあ〜〜緊張する。っていうか景虎戻ってこね〜〜〜」
「どこ行ったの?」
「あいつ、トイレ行ったまま戻ってこないんだよね。さては逃げたな」
今日はさすがに人で溢れると危険だからと先生からの指導が入って、入場方式を急遽整理券方式にした。お客さんに教室の外で待機してもらうのも禁止。整理券に書かれている指定された時間になってようやく案内されるシステムだ。
その他に家族券というのも発行していて、家族専用席という特別席を数席設けている。そこに家族専用予約席というカードを置いておくことで生徒の家族が来ても数組が被らない限り、待たせることはない。
その家族専用席の一番はじめのお客さんは秋子さんと小夜さんだった。朝早いほうが秋子さんも小夜さんも都合が良いらしい。それに比較的混まない時間帯のほうが車椅子では動きやすいのだとか。
「春輝、麻友菜ちゃん、おはよう」
「おはようございます。秋子さん、小夜さん」
「ん。おはよう」
直立しているように、真っ直ぐに身体を伸ばしたリクライニング車イスに乗る小夜さんと、その車椅子を押す秋子さんがわたし達を見つけて近づいてきた。
『オハヨウゴザイマス。ハルキクン、マユナチャン。イショウカワイイ』
小夜さんは意思伝達装置からの音声で挨拶をしてくれる。
「ありがとうございますっ! 小夜さん、ようこそ、わたし達のカフェに」
「母さん、小夜さんよく来たな」
春輝はこれまでと違って、小夜さんの前でも表情が柔らかい。秋子さんにメニューを手渡して、春輝は紳士的に振る舞う。
「春輝、小夜は……飲めないから」
「ん。分かってる。胃ろうの経管栄養なんだろ。だから、これを」
「春輝が用意したんです。せめて香りを楽しめればって」
『ハルキクン、スゴク、ステキデスネ』
小夜さんは
春輝がさっそく開花した金木犀の枝木を小夜さんの顔の前に近づける。
「春輝、麻友菜ちゃん、ちゃんと考えてくれてありがとう。ね、小夜。幸せね」
『ハイ、キテヨカッタデス』
接客の合間を見て、ミホルラと景虎が来てくれた。秋子さんは「春輝の母です」と自分と小夜さんを紹介して頭を下げる。
「友人の砂川美保です。並木……くんのお母さん? 二人……ともですか?」
「ん。そうだ。どっちも母親で、家族だ」
「高山景虎です。並木くんにはいつもお世話になっています」
ミホルラも景虎もそれ以上は春輝の家族関係に首を突っ込もうとはしなかった。それに、普段はうるさい二人が意外にも普通に挨拶をしてくれてびっくりする。もっとふざけるのかと思ったけど、全然そんなことはなかった。秋子さんと小夜さんと少し話しをして、二人は再び接客に戻っていった。実は、前もって春輝の家族が来ることは話している。
「私たちはそろそろ出るわ。邪魔しても悪いし」
「じゃあ、どこかで待っていてもらえませんか?」
「気にしなくていいわよ。私たちもあんまり長居はできないから」
「いえ。一〇時には終わるので」
秋子さんと小夜さんが退出してから、わたしと春輝は接客に入り、あっという間に一〇時になった。今日は生徒たちで溢れかえって囲まれることもなく、一般客と数枚記念撮影をして無事に役割を終えた。
教室を出て、休憩所になっている講堂に春輝と二人で向かうと秋子さんと小夜さんが待っていてくれた。小夜さんは久々の外出で少し疲れたらしく、心配をした秋子さんが休もうとここでゆっくりしていたところだったのだとか。周りには一年生の女子がいたけど、さすがに家族と一緒(それも車椅子の人と一緒)だと分かると声を掛けてこなかった。
「小夜がね、二人に渡したいものがあるみたいなの」
「えっ……?」
「ほら、自分で言いなさい」
『テガミヲカイテキマシタ。アトデヨンデクダサイ』
「俺と麻友菜に?」
小夜さんの代わりに、秋子さんがわたしと春輝にそれぞれ可愛い便箋に入った手紙を手渡してくれた。手書きは難しくパソコンから出力したもので、秋子さん曰く、相当な時間を掛けて書いたものらしい。
『ハイ』
「俺も小夜さんに言いたいことがある。今まで感じ悪くて悪かった」
『ソンナコトナイデスヨ』
「麻友菜に言われて気付いたんだ。育ての親とか生みの親とか、そういうわだかまりを捨てて、どっちも同じくらい大切なんだと思った。だから、改めて」
春輝はいつになく真剣な眼差しをしていたと思う。わたしには恥ずかしいセリフをあんなに言ってくれるのに、他人にはいつも塩対応。その春輝がはじめて、わたし以外の誰かに優しい顔をしている。もちろん、わたしは嫉妬なんてしない。むしろ春輝が二人の母親に対してそういう顔をすることが嬉しい。
「小夜さん……いや、母さん、俺を生んでくれてありがとう。母さんがいなければ、俺はもう一人の母さんの優しさを知らなかったし、麻友菜にも出会えなかった」
春輝はそう言って小夜さんに近づき、小夜さんの服の胸のあたりに金木犀の小枝を差した。さっきの金木犀よりも小ぶりで、ブローチのようにも見える。
『アリガトウ。ハルキクン。ジンセイデ、イチバンシアワセ』
「ん。そうか」
顔を背けた春輝は、きっと照れていたんだと思う。その後、秋子さんと小夜さんを正門前まで見送る。介護タクシーに乗った二人の姿が見えなくなってから、わたしは春輝を抱きしめた。素直にありがとうを言える春輝が好き。そして——、
素直に涙を流せる……春輝が好き。
「ずっと……悩んでいたんだよね」
「…………」
「誰もいないところに行こうか」
春輝ははじめて涙を見せた。
ずっとこらえていたのだと思う。今までがんばっていたんだよね。教室で小夜さんの顔を見てからずっと。春輝の手を繋いで校舎に戻り、階段を上がった。向かう先は二人きりになれるところ。
使われなくなった屋上のプールは、文化祭の本祭だろうと人はいなくて、わたし達だけの空間だった。もしかしたら、先生が備品を取りに来るかもしれないという危険は想定できたけど、見つかったら見つかったでわたし達も備品を取りに来たことにすればいいだけ。
「春輝、おいで」
「……ん」
今日のわたし達は立場が逆だ。わたしの膝に春輝の頭を乗せて膝枕をして、いつも春輝がしてくれるように頭を撫でる。まるで懐く大型犬のようで愛くるしい。来る途中で買ってきた三年生のクラスの名物焼きそばの入ったビニール袋を置いて、空いた手で春輝の背中を擦る。
そういえば小夜さんに手紙をもらったことを思い出して取り出したけど、「今は読まないでおこう」と春輝は言った。確かにわたしも今読んでしまったら、とめどなく感情が溢れ出しそうな気がして、そっとポケットの奥に仕舞い込んだ。
「麻友菜の両親は来ないのか?」
「うん。うち、土日に仕事が多いから」
「そうか」
「全然気にしてないよ。もう慣れっこだしね」
わたしのことはどうでもいい。確かにたまには来てほしいって気持ちもあるけれど、そんなことを言っても仕方がない。お母さんやお父さんにも事情があるから、わたしのワガママで振り回すわけにはいかない。
「カッコ悪いところ見せたな」
「そんなことないよ。むしろ春輝の人間らしいところ見られて嬉しいし、人並みに感情があるって分かって……今まで以上に愛おしくなった……かな」
「今まで俺をなんだと思っていたんだ?」
「うーん。完璧な人間」
「そんなヤツ、現実ではいないだろ」
「そうだね。でもね、完璧な人間よりも不完全な人間のほうがわたしは好き」
「? そうか?」
「うん。だって、泣けない人間って共感できないよ。春輝はさ、わたしが悲しくなったときに共感してくれたじゃん」
「そうだな。麻友菜は鏡みたいだな」
「鏡?」
「ん。俺の感情を汲み取って、自分も同じ気持ちになって、それをそのまま表現してくれる。麻友菜がいなければ心の整理がつかなかったかもな。だから、ありがとう」
「うん」
共感というよりも共鳴なのかもしれない。出会った頃は気づかなかったけど、わたしと春輝はすごく似ている。足りないものを互いに補完し合って互いに思いやる。春輝ははじめ、小夜さんに対して自分がどんな気持ちなのか分からないと言っていた。でも、春輝は逃げ出そうとはせずに、わたしの“声”を聞いてくれて、わたしの悲しみを感じ取ってくれた。そして、春輝自身の悲しみにも気づくことができた。
押しつけがましのかもしれないけど。
「さて、麻友菜を可愛がらないとな」
「え〜〜〜今日は、わたしが春輝をナデナデして甘えさせる日なの」
「もう十分だ。それよりも麻友菜を甘やかしたい」
「またダメ人間製造機になっちゃうんだ。あ〜〜あ、春輝はダメ人間製造機になって、わたしを延々と砂糖漬けにしちゃうんだ?」
「砂糖漬け?」
「甘々ってこと」
「よく分からないが」
立ち上がった春輝はなにをするのかと思ったら、急にお姫さまだっこをして、そのまま再びベンチに座る。まるで赤ちゃんみたいな格好になったわたしは、春輝の首の後ろに手を回して抱きつく。
「麻友菜、好きだ」
「急になに?」
「とくに今、すごく好きだって思った」
「うん……わたしも好き」
今度は春輝がわたしの髪を
春輝とわたしの心が落ち着いたところで、そろそろクラスの様子を見に行こうとしたとき、わたしのスマホが鳴った。となりのクラスの佐々木さんからだった。
「どうした?」
「え。佐々木さん、入院することになっちゃったって」
「ん? なにがあった?」
どうやら、お化け屋敷で絶叫している最中に驚いた客とぶつかって転んでしまったらしい。その際に割と強く頭を打ってしまい、保健室に行ったら病院に行ったほうがいいと勧められたのだとか、近くの病院に掛かったら、検査入院をすることになったとラインに書かれている。
「それで、なんで麻友菜にそれを伝えてきたんだ?」
「……午後のステージイベントで演劇する予定だったんだよね。それも主演」
「確かに、あの演技力ならそうなるな」
「去年はわたしも出てね、なんだか佐々木さんに認められちゃって」
「……代役を頼まれたのか?」
「うん……どうしよう」
台本も読んでなければ、どんな劇なのかも知らない。あと四時間ほどの猶予しかなくてできることは限られている。演劇部の他の子たちに頼もうとしても、すでに全員役が決まっていて、変えるのは難しいという。ちなみに、文化祭のステージは演劇部だけではなく、他の部活との共同制作になっている。
「麻友菜が出たら大騒ぎになるんじゃないのか?」
「……そうかも」
「なら、断ればいいんじゃないか?」
「でも、演劇部と出演者はこの日のために練習をしてきたんだし、可哀そうかなって」
だからといって、にわかのわたしが出演を果たして台無しにする可能性も大いにある。けれど、追加のラインが送られてきた。
そして、題目も。
「今、出演するメンバーで急遽台本の変更をしているって。できるだけセリフを少なくするからって。でも、この題目ならなんとかなるかも」
「いや、四時間でなんとかなるわけないだろ」
「主演はラストしかないの」
「ん? そんな劇あるのか?」
「幼少の王女は別の人だし、呪いをかけられたあとは寝ているだけだから」
そう、『眠りの古城 廻る運命』という題目の劇だった。
でも、キスシーンがある。
「春輝が騎士様やってくれるなら、やってもいいかも」
「…………」
そうして、午後のステージイベントに出演することになって、わたしと春輝はさっそくミーティングに参加することになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます