#44 二人の手作り弁当@カノジョの感謝



普段は憂鬱になることはないが、今日はまるで仕上げたシチューを不注意でひっくり返したときのように鬱屈した気分だ。月曜日という一週間で一番ダルい日だからという理由ではない。母さんのせいだ。今さらあんなことを言ってくるから。



世界史の授業はどうでもいい。教科書なり、参考書なりを読み込めば分かる。机の中から覗かせるスマホの画面にトークが受信した。



まゆっち>春輝大丈夫?

並木春輝>なにが?

まゆっち>顔が怖い

並木春輝>それはいつもだ

まゆっち>ちがうって

並木春輝>そうか?

まゆっち>お昼まであと10分なり

並木春輝>だな

まゆっち>お昼はわたしが癒やしてあげるね♡



別に凹んでいるわけでもないし、癒やしてもらわなくても大丈夫なんだが。窓際に座る麻友菜のほうを見ると、こちらを見て微笑んだ。笑顔が天使だな。可愛すぎる。たしかに麻友菜を見ていると他のことがどうでもよくなってくる。



秋雨前線の停滞により、今日は屋上のプールに行けないために教室で過ごすことに。窓際の席を付けて、麻友菜と向かい合う。林間学校を経て、別れたカップルが二組。くっついたカップルが二組。増減ゼロで、うちのクラスは未だに交際率が高い。俺と麻友菜が付き合っていることはクラスどころか学校全体で周知されているために、邪魔してくる生徒はほとんどいない。



「春輝くんには癒やしが必要なようですね〜〜〜」

「別に」

「気持ちは分かるけど、疲れちゃうよ」

「大丈夫だ」

「ほんとに?」



立ち上がった麻友菜は身を乗り出し、俺の肩を両手でがっちりホールドして耳元で、



(麻友菜が〜〜〜してあげよっかぁ〜〜〜?)



全身の毛が背伸びをしたようにザワッとして、この前の浴室での一件を思い出す。麻友菜を見たら「えへへ」と笑ってごまかそうとしていた。これはお仕置きが必要だ。立ち上がって麻友菜の背後から羽交い締めにして、弱点の脇の下をくすぐる。



「いやぁぁぁ〜〜〜ちょっとぉ〜〜〜ここ学校だって、らめぇ〜〜〜」

「悪い子にはお仕置きだ」

「きゃぁぁぁ〜〜〜助けてぇ〜〜〜もうしませんからっ!! 春輝さまぁ〜〜〜」



数十秒の刑期を終えて、無事に椅子に座った麻友菜はぐったりした。俺たちの様子を見ていた砂川さんが呆れ顔で近寄ってくる。



「仲良すぎ。っていうかうるさいからな?」

「ご、ごめん。つい」

「並木もクールなフリして、イチャイチャすんな」

「ん。悪い」



砂川さんに怒られた。だが、最近は毎日怒られている気がする。それは、麻友菜のテンションの高さによるところの理由が大きい。



自分を演じることをやめた麻友菜もはじめは緊張した様子だったが、今では素の麻友菜を全面に出していて、クラスメイトもそれを受け入れている。受け入れているといったら語弊があるが、そもそも誰も麻友菜のことを気にしていない。自分を演じる演じない以前に麻友菜は麻友菜で、誰からも好かれているのだ。



演じなくてもいつでも自然な笑顔でいる。



ますます麻友菜のことを可愛いと言っている男子が増えたと高山が言っていた。



「脇の下すり減った。春輝のせいで。春輝のせいで脇の下すり減った」

「悪かったな」

「治すのに春輝エキスが必要なんだけど」

「どんなエキスだ?」

「くんくん匂いを嗅ぐと回復すると思う。していい?」

「学校ではやめろ」

「えぇ〜〜〜今すぐ治さなきゃ、壊れちゃう。春輝は責任取れるの?」

「もちろんだ。もし麻友菜が壊れたら、俺が責任持って引き取る」

「ならいいか! ってよくない。くんくんしたいのぉ〜〜〜」



今日は宣言したとおり弁当を作ってきた。もちろん麻友菜の分もあるが量は少なめ。俺の作った弁当と麻友菜の持参した昼食をシェアしたいがためだ。



「じゃ〜〜〜ん。わたしもお弁当作ってきた」

「ん。すごいな。麻友菜、がんばったな」

「えへへ。撫でて〜〜〜」



わざわざ俺のとなりに椅子を移動させて、頭を差し出してきた。俺が撫でると麻友菜は嬉しそうに擦り寄せてきて、まるで子猫のように身体までスリスリしてくる。



麻友菜の作ってきた弁当は唐揚げに玉子焼き、レタスにプチトマト。俺の弁当はハンバーグにレンコン揚げ、半熟玉子にフライドポテトだ。見事に一品も被っていない。しかも俺も麻友菜もおかずが全部手作りという気合の入った弁当だ。



「唐揚げ作るの大変だっただろ」

「これ、この前春輝に教えてもらったやつだよ。お母さんも美味しいって喜んでくれたの」



一つ食べてみると、まさしく俺のレシピどおりだ。



「うまいな」

「春輝のハンバーグもおいしい〜〜〜っ!! もう幸せすぎて死ぬ」



箸を持ったまま、両手で頬を押さえながら本当に幸せで死にそうな顔をしている。そんなに美味そうな顔をしてくれるなら、早起きをして作った甲斐がある。たまたま横切った三河が、弁当を見て、



「うおッ!? お前らすげえな」

「でしょ。一つあげる」



三河は手づかみで麻友菜からもらった唐揚げを食べると、「すげえうまい」と感想を言って男友達の席に戻っていった。三河と一緒に食べている男子たちの羨ましそうな声がここまで届いてくる。霧島の手作り料理なら三千円出してもいい、などと言って盛り上がっていた。



昼休みが終わり、午後の授業をなんとか乗り越えて放課後になった。

相変わらずの送迎付きで、麻友菜と二人で俺の家に着いて勉強を始める。毎日のルーティンをこなしていくだけではなく、ちゃんと麻友菜の相手をしないといけない。



「はい、あ〜〜んして」

「ん……」



小腹が空いたらしく、皿に移したポテチを箸で摘んで(手が汚れて勉強に支障をきたさないように)俺の顔の前に持ってくる。それを食べてから、今度は俺が麻友菜に食べさせる。



「もっと太らせるのにチョコも混ぜてみるか。アーモンドも」

「ちょっと。餌付けじゃないんだから」

「違うのか?」



下校途中にコンビニに寄ってもらったのだ。そこで買ってきた板チョコと素焼きのアーモンドを皿に乗せる。まずは割ったチョコの一欠片を箸で摘み、麻友菜の口に入れる。



「おいし〜〜〜」

「放逐までもう少しだな」

「だから、ぶっ飛ばすからね?」



そんな会話をしていると、母さんからラインが入った。アプリを開かなくてもロック画面に移るプレビューで内容は理解できた。



「執着してるな」

「でも、邪険にもしてないじゃん。春輝の本当のところはどうなの?」



俺を生んだ人を母親と呼ぶには少し抵抗がある。俺の母親は並木秋子で間違いないし、それを否定するようなことはしたくない。それなのに今まで音沙汰なしだった血の繋がった女性と会わないかなんて。いったい母さんは何のつもりなのだろう。



話を聞いたのは一度だけ。話してくれたのは、俺が一人暮らしをする日の前日のことだった。突然、母さんは俺を産んだ女性のことを話した。どんな人で、何をしていたのか。



母さんと血がつながっていないことは物心ついた頃から聞かされていたこともあって、改めて話されてもなんの感情も湧かなかった。それだけ俺は母さんと吹雪さんに幸せに育てられたってことなのかもしれない。



「分からない」

「そっか。わたしが口出すことでもないんだけどね」

「ん? 別にいいぞ。麻友菜が思うことはむしろ聞きたい」

「うん。ありがとう。あのね」



ポテチを摘んでいた箸を置いて、お茶のペットボトルに口をつけてから麻友菜は再び口を開いた。



「もしかしたら秋子さんはなにか春輝に負い目を感じているんじゃないかって思うんだけど、違うかな?」

「負い目? 母さんが?」

「うん。それで春輝にその人を会わせることが、なにかしら秋子さんにとって必要なんじゃないかって……なんだかね、秋子さんに春輝を説得してほしいってお願いされているような気がして」

「麻友菜が?」

「うん。ああ、でも、あくまでも春輝の意志だから。わたしが口出すことじゃないんだけど。それに会うことで春輝が嫌な気持ちになるなら会わなくてもいいと思うし」

「……別に。俺は会ってもなにも思わないと思う」



俺を生んだ女性と母さんはだったと聞いた。その親友が俺を生んで、なぜ俺を手放したのか。手放すくらいなら産まなければよかったのに。そう思ったことは何度もある。



「なら、秋子さんがお願いするにはなにか理由があるんだろうし、お母さん孝行だと思って会ってあげたら?」

「……麻友菜が一緒に来てくれるなら」

「むしろ付いていっていいの?」



俺がなにも思わないと断定はできない。やり取りをするなかで、その人の言葉が俺の逆鱗に触れる可能性だってある。さすがに殴りはしないが、怒鳴ってしまうくらいのことはあると思う。俺の母親はあくまでも並木秋子だ。その並木秋子を蔑ろにして、母親ヅラをするなら……。



そんな俺を止めてほしい。俺がそんなふうに怒ることを、おそらく母さんは求めていない。あくまでも会うのは母さんが懇願するからだ。



「ああ。俺がおかしい行動をしたら止めてほしい」

「……うん。分かった」



それに、会ってなにを話せばいいのか分からない。会って、自分がなにを思うのかも。麻友菜が一緒にいてくれるなら、俺も少しだけ強くいられる。そんな気がした。



「麻友菜は……迷惑じゃないのか?」

「そんなわけないじゃん。でも、正直、わたしは……春輝の気持ちが分からないから、自分勝手に言うことしかできないけど、言っていい?」

「ん。麻友菜がなにを言おうが、俺は麻友菜の意志を尊重する」

「わたしはね……その人に感謝してるの」

「感謝?」

「秋子さんにも感謝しているよ。春輝をこんなに優しく、かっこよく、わたしの大好きな春輝に育ててくれたんだもん。感謝しかないよ」

「……まあ、そうか」

「それと同時にその人にも感謝したいの。もし、生んでくれなければ春輝は生まれてこなかったわけでしょ。もし生む選択をしていなければ、春輝とわたしは出会っていないもん。だから、わたしも会ったらお礼を言いたいなって。春輝を生んでくれてありがとうって。でも、春輝はきっと違う想いがあるんだと思う。だから、もしわたしの気持ちが気に障るようだったら、ごめんね」



そう言って麻友菜は俺に頭を下げた。謝ることじゃない。麻友菜は正しい。今まで正しくなかったことなんか一つもない。莉子の件も優愛の対処も。どんなに自分が危険な目に遭っても、嫌な気持ちになっても、最後は全員許してきた。優愛はそんな麻友菜だからこそ、認めたのだと思う。



そんな麻友菜だからこそ、誰からも好かれるのだ。

そんな麻友菜が間違っているわけがない。



「謝るな。麻友菜、俺も麻友菜と同じだ。だから、一緒に会いに行こう」

「うん。やっと見られた」

「ん?」

「優しい春輝の顔。ずっと仏頂面だったんだもん」

「悪かった」

「いいよ。キス一回で許してあげる」

「……分かった」



麻友菜にキスをして。一回では終わらず、数回してから母さんのラインに返信した。



俺は麻友菜がそばにいてくれて本当に良かったと思う。


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