#41 オープンカー@秋子の負い目
優愛ちゃんはわたし達が屋上に上がっていくのを見かけて、下りてくるのをずっと階段の踊り場で待っていたらしい。手には菓子パンの入っていた袋のゴミがあるということは、ここで昼休みを過ごしたってこと?
「俺たちが屋上にいたことを告発するつもりか?」
「そんなことしねえよ。チクってなんになる」
「わたし達になにか用があるの?」
優愛ちゃんはわたし達に一歩近づいて、ため息をついた。
「霧島、悪かった。このとおりだ」
「優愛ちゃん?」
「並木にも。酷い態度を取って悪かった」
「ん。俺は別に気にしてないぞ。むしろ、さっきサッカーで転ばせたことの罪のほうが大きいからな?」
「ちょっと、春輝、あれはわたしが勝手に」
「それは、あたしはなにもしてない……」
優愛ちゃんは、わたしと春輝に話すことのできるタイミングを見計らっていたらしい。学校が始まってもなかなかその機会が訪れず、今になってしまったのだとか。謝った理由はもちろん莉子ちゃんの一件だった。
「莉子の話を鵜呑みにして、中学のときに霧島が莉子をイジメていたと信じ込まされていた。きっかけは二年に上る前の春休みだ。あたしが村山と莉子と遊んだときに、たまたま霧島の話が出て」
「クラスが別になったって話?」
「いや。口にしたのは村山だ」
「村山くんが?」
「ああ。あいつが莉子とあたしの前で、条島四天王で誰が一番かわいいかって話をはじめたんだ」
誰がはじめに言いだしたのかは知らないけど、本当にくだらない称号だと思う。私は自分のことを可愛いとか綺麗だなんて思っていない。むしろ学校にはわたしよりも可愛い子が沢山いると思うし、実際にそう思っている人も多いはず。たとえば、ミホルラはわたしよりも遥かにかわいいと思う。見た目だけじゃなくて、中身も。
「それで、村山は霧島の名前を出したんだ。そしたら莉子が突然大激怒してさ。中学の時に自分をイジメていたんだ。だから、村山がなんとか霧島を落として、滅茶苦茶にしてやれって」
「陰険だな。もし莉子が麻友菜に恨みがあるなら、面と向かって本人が言えばいいだけの話だろ。第三者を巻き込んで事件を起こそうとするのは、性格が悪いとしか言いようがない」
「ああ。だからこうして謝ってる。本当に悪かった」
「もう気にしてないよ。優愛ちゃん頭上げて? ね?」
優愛ちゃんは顔を上げると再びため息をついた。
「それであのとき、霧島、あんたをラムダの前に呼び出したんだ。莉子のことを散々イジメてきたんだから罪を償う必要がある、なんて勝手に思い込んでチームの男に協力してもらったくらいにして。バカだろ、あたし」
「でも、そのおかげで春輝と出会えたんだから、むしろ感謝してるよ?」
「お前も大概なバカだな。それはそれ、これはこれだろ」
「ううん。そんなことない。優愛ちゃんは莉子ちゃんを大事に思ってるからこその行動だったんだよね。確かにやり方は過激だけど、思う心は理解できるから」
「コンテストで霧島を見て、あたし思ったんだ」
「え?」
「あたしも謝らなきゃって。これで水に流せとは言わない。だが、謝罪は受け入れてくれ、このとおりだ」
優愛ちゃんはまた深々と頭を下げて、しばらくそのままの体勢で「ごめん」って謝った。許すもなにも、コンテストの時点でわたしはすべてを吐き出しているし、もうなんとも思っていない。それにこれだけ罪悪感を持っているなら、『罪と罰』ではないが、すでに断罪はなされているのだと思う。
「分かったって。優愛ちゃん、じゃあわたしが許すのに一つ条件を付けるね」
「条件?」
「うん。優愛ちゃんを許す条件は一つ」
「なんだ?」
「わたしと友達になって」
「……は?」
「ほら、連絡先交換して」
「お前、バカだろ。絶対にバカだろ」
「馬鹿はお前だ。次に麻友菜を馬鹿扱いしてみろ。殺すぞ」
「……前から思ってたんだけど、なんでこんな怖えヤツと霧島は付き合えんの?」
それは優愛ちゃんが春輝のことをなにも知らないから。とろけるくらいに優しくて、強くてかっこいいことを知らないからそんな疑問を呈するんだ。でも、それでいい。本当の春輝はわたしだけが知っていればいいと思う。春輝は、わたし以外の前で優しい顔をしないでほしい。
「春輝だから」
「なんだそれ。ほら、QRコード」
「うんっ」
あれから莉子ちゃんは意気消沈して、村山からも縁を切られたらしい。昨年の文化祭のときの村山は割と紳士的で普通の男子だったし、モテる理由もそれなりに理解できたけど、林間学校での村山は別人のようだった。
それも莉子ちゃんの虚言のせいだと思うと納得できる。村山もわたしのことを、莉子ちゃんをイジメた酷いやつって思っていたのだから、当然だと思う。
莉子ちゃんは今ごろどうしているんだろう。莉子ちゃんは小学校の頃、イジメられていたって言っていた。なんとなくだけど、莉子ちゃんは寂しかったんじゃないかなって。そう思うと、可哀そうな気がしてならない。小学生の頃、わたしと一緒に同じスクールでダンスをしていたときはそんな感じはしなかったのに。辛いのに我慢して、無理やり笑顔を作っていたのかと思うと……。
なんだか自分と重なってしまう。
「なんで優愛と友だちになったんだ?」
「意味なんてないよ。優愛ちゃんって真っ直ぐな子なんだなって。友だちになれるかもって思っただけ」
「ん。そうか。麻友菜がそう思うならいいんじゃないか」
午後の授業を経てホームルームの時間となり、今日はいよいよ文化祭のクラス発表(出し物)を決める日だった。各自、案を出し合ってホワイトボードに記載していく。たこ焼き、パンケーキ、焼きそば、綿あめ、お化け屋敷、絵画展示……。
「コスプレ喫茶……却下だな」
「いや、偏見。並木、とりあえず書け」
「こんなの麻友菜にさせられるわけないだろ」
そんな春輝の反応をよそに、わたしがホワイトボードに“コスプレ喫茶”と大きく書いていく。春輝はため息をつきはしたものの、コスプレ喫茶の文字を消そうとはしなかった。だいたい案が出揃って投票に移ることに。各自、配った用紙にホワイトボードに書かれた案に票を投じる。
「……二十一票……まさかのコスプレ喫茶か」
「並木、諦めろ。女子のコスプレが見たいだろ」
「こんな絶好のチャンスもうないだろ」
男子がやる気なのはなんとなく分かるけど、女子も意外と乗り気で、何の衣装にしようかとガヤガヤと話していて収集がつかない状況になった。
「盛り上がっているところ申し訳ないが、次に決めることがある。タイムスケジュールだ。一時間ごとに交代をするのに、俺と麻友菜を抜いた五人一組の六チームに振り分けたいところだが、あえて四人ずつの八チームにする」
「? 九時から三時だから五人の六班でいいんじゃないの?」
わたしが訊くと春輝は、
「客が集中するのは間違いなく一一時から一三時の間の二時間だ。その時間だけ二チーム配置して、八人体勢にする。そうすることによって客を捌くのが楽になるし、苦情も出なくなる」
「なるほど。皆さん、春輝の案でどうでしょう?」
「二チームのコアタイムはともかく、その他の時間は四人体勢で回せる? もし予想が外れたら大変じゃない?」
ミホルラからそんな質問が投げられた。確かに一一時から一三時が混むことはあくまで予想で、別の時間帯が混み合う可能性も無きにしもあらず。
「俺は自分の担当時間以外にも待機して、いざとなればヘルプに入る。手の空いている奴は、そうやって助太刀してやってほしい」
「それなら賛成かな。コスプレ喫茶楽しそうじゃん」
「待て。並木、一つ問題があるぞ」
「なんだ?」
今度は三河くんが手を上げた。
「まゆっちだ」
「えっ? わたし?」
「まゆっちが接客したら、絶対にそこに客が集中するだろ。まゆっちと同じ班のやつは地獄を見る可能性があるってことだ」
「情報統制をしつつ、俺が麻友菜と同じ班になる。あとは俺たちと同じチームメンバーは砂川さんと高山は確定な。麻友菜が一番仲の良い友達を配置したほうが麻友菜もリラックスできるだろ」
「あたしはいいよ〜〜〜親友だもん。麻友菜だけに負担を強いるわけにはいかないっしょ。な、景虎
「え。……はい。分かりました」
「ミホルラ、景虎、ありがとう」
そうしてチーム決めが行われて、タイムスケジュールが完成した。わたし達のチームは一番の九時にしてもらった。まだ客足が伸びない時間で、その時間帯なら混み合うこともないだろうとみんなが気遣いをしてくれたのだった。あとは、衣装を何にするかだけ。
クラスのやる気の熱量が思いのほか半端なくて、安っぽい衣装にならないようにしようという話で持ち切りとなった。
ようやく放課後になって、今日も校門前に迎えが来てくれることになったけど、いつもの黒塗りのミニバンではなく、オシャレな外車の四人乗りのオープンカーが停まっていた。こんなオシャレな車はじめて見たかもしれない。ピカピカでタイヤが大きくて光っている。運転席にはサングラスを掛けた綺麗な髪の女の人——よく見たら秋子さんだった。
「母さん?」
「おかえり。たまには迎えに来ようかと思って」
「こんにちは」
「麻友菜ちゃん、こんにちは。ほら、乗って」
「は、はい」
わたしと春輝は後部座席に乗らせてもらって走り出す。風がすごく気持ちいい。
「なんでわざわざ母さんが来た?」
「ドライブにでも行かない?」
「ん? なんで?」
「たまには家族水入らずでいいじゃない」
「あ。ならわたし途中で降ります」
「なに言ってるの。家族水入らずって言ってるでしょ」
「えっ?」
「春輝にとっても、私にとっても大事な家族よ」
「……ありがとうございます!」
秋子さんにそんなふうに言ってもらえるなんて嬉しすぎて、泣きそうになった。首都高に乗って湾岸線に入ったらしく、大きな観覧車が見えてきた。千葉県との県境で海が広がっていて、まだ太陽は高い。
臨海公園が見えた。今度春輝と一緒に来たいな。
「麻友菜ちゃんのお母さんには連絡入れておいたから、安心して」
「えっ? うちのお母さんにですか?」
「ええ。挨拶させてもらったの」
「さすがに麻友菜を通せよ」
「いいじゃない。もう家族なんだから。夕飯はごちそうするって言ったら恐縮していたみたいだけど」
「よく連絡先分かりましたね?」
「霧島先生の奥様だもの」
「……もしかして麻友菜のお父さんが店の太客なのか?」
「それは守秘義務があるから言えないわよ」
「答え言ってるようなもんじゃないか?」
お父さんが秋子さんのお店に?
そういえばお母さんが嘆いていたことを思い出した。お父さんが医局を引き連れて、高級クラブ(ママさんがいるところ)に行っているみたいだって。秋子さんは二番街以外にも六本木やその他にもお店を持っているって春輝が言っていた気がする。
その後、湾岸線を走って千葉県に入り、海の見えるレストランに車をつける。会員制のレストランで、完全個室のプライバシーが約束されているらしく、羽目を外しても大丈夫だと秋子さんが笑いながら説明してくれた。
「なんだか申し訳ないです」
「気にするな。母さんの気まぐれだから」
「はい、好きなもの食べて」
秋子さんから手渡されたメニュー表を見てびっくり。牛ヒレステーキ二万円。サラダなんか八千円オーバー。ここで大盤振る舞いできる秋子さんって凄すぎる。春輝はサラダからお肉、デザートまでフルに頼むつもりらしい。ここで恐縮して、わたしが安い料理を頼むのも逆に失礼な気がする。
「美容にはサラダを食べないとダメよ」
「えっ、い、いや」
「シーザーでいい?」
「あ。はい、サラダまでありがとうございますっ!」
それにデザートにフルーツを頼んでくれて、わたしは恐れおののくしかなかった。総額にしたら十数万になるんじゃないかって思うと、秋子さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。わたしは一般的な家庭に生まれて(お父さんは病院の先生だとしても)、普通の生活を送ってきた一般ピープルだ。そんなわたしが、こんなセレブのお店で奢ってもらうなんて、震えるほど緊張する。
「ん。それで、なんで麻友菜を連れてきた?」
「一緒に食事したいからでしょう。なにもないわよ」
「本当に?」
「そうよ。高校生相手になにも企んじゃいないわよ。ただ、私は麻友菜ちゃんと仲良くなりたいだけ」
「そう思っていただけて嬉しいです。でも、わたしお返しとかできないので……」
「いらないわよ。ごちそうしたくらいでお返しなんて求めるわけないでしょう?」
食事中、秋子さんはただわたしと春輝の話を聞いてニコニコしている。わたしが春輝と仲良く話をしているところを見ていたいと口にしていた。食事が終わって、しばらく歓談しているときに気づいたことがある。それは、秋子さんが、
「春輝、変わったわね。本当に幸せそう。これで少しは肩の荷が降りたわ」
と言ったときだ。春輝は秋子さんが養子に迎え入れてくれたことに恩義を感じていて、秋子さんが負担になっているかもしれないし、自分の幸せ(これは秋子さんも吹雪さんも)を掴んでほしいと思い、一人暮らしを決心したと以前話してくれたことがあった。
でも、逆なんじゃないかって思った。
秋子さんは何かしら春輝に負い目があって、春輝には幸せになってほしいと思っていたんじゃないかって。春輝を引き取ったのは何かしらの理由があったんじゃないかって思う。秋子さんは血の繋がっていない春輝を可愛がっているのが、話しの端々で感じられるし、実際にそうなんだと思う。秋子さんだけじゃなくて吹雪さんもそんな様子だった。
「別に俺は変わってない。それに俺がどうであろうと俺は一人で大丈夫だから、そんなに目をかけてくれなくていい」
「一七年も一緒にいるんだから、さすがにここで放り出すわけないでしょう。でも、麻友菜ちゃんが一緒なら大丈夫なのかもねって意味よ。これからもたまに二人の様子を見させてもらっていい? こんな食事でいいなら、いくらでもご馳走するから」
「わたしは……むしろ秋子さんとたまにお話したいです」
「ん。まあ、そうだな。麻友菜がそう言うなら」
「よかった。これ、麻友菜ちゃん、お母さんとお父さんにお土産持っていって」
「えっ、家族にまで……本当になにからなにまで、ありがとうございます」
「春輝」
「ん?」
「もし、本当の母親が現れたらどう思う?」
「さあな。今さらだろ」
「そう」
その後、秋子さんは家まで送ってくれた。
その夜、春輝とラインで会話をして、再度春輝にもお礼を言った。
春輝と出会ってから、色んな人が優しくしてくれて、正直幸せが溢れ過ぎていると思う。
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