#34 ブラウスのボタン@擦り切れない言葉


うちの屋上は以前バーベキューをしたとおりのまま、冷蔵庫完備のパリピ仕様となっている。花火を見るにはうってつけの場所で、幸運なことに俺と麻友菜以外に誰も来なかった。クミさんをはじめとした風俗店の従業員が来るかと思っていたが、誰もいないところを見ると、夜になって店の営業を始めたのだろう。



アウトドアチェアーを用意して、俺と麻友菜は花火が打ち上がるのを待っている。その間にせっかくだからノンアルコールのカクテル(というかジュース)を作ってみることに。麻友菜が喜んでくれると俺も嬉しい。



「シャーリーテンプルを作ってみたぞ」

「うわっ! なにこれ、かわい〜〜〜この赤いのはなに?」

「ザクロの果汁と砂糖から作られるグレナデンシロップだ」



クラッシュアイスをグラスたっぷりに入れて、レモンとチェリー、それからミントの葉を乗せるとなかなか映える。ジンジャーエールの中でシロップが沈殿してグラデーションになり、見た目は最高に可愛いと思う。



麻友菜にグラスを手渡してから、ついでに自分の分も作る。



「うまっ!! やばし!」

「気に入ったか?」

「うんっ! ありがと〜〜〜!」

「喜んでもらえてなによりだ」



麻友菜と乾杯してグラスの音が弾ける。



「春輝、今日はお疲れ様でしたっ!」

「麻友菜もな」

「お祭り楽しかった。まさか屋台側の人になれるなんて、思ってもみなかったから新鮮だったな〜〜〜っ!!」

「こき使って悪かったな」

「ううん。すごく楽しかった。クロさんとかミー君、ヤマさんも話してみたら面白くて、見た目とのギャップに驚いちゃった」

「はじめは怖かったろ」

「まあね。でも、春輝がいたからそんなには怖くなかったよ」



アナウンスの後にいよいよ花火が上がる。麻友菜は花火を見ながら俺の手に触れる。俺は麻友菜の手を握り返す。



「こんな近くで花火を見たのははじめてかも。意外に首が疲れるね」

「真上だからな」

「ねえ、春輝」

「ん?」

「あっという間に夏休み終わっちゃうね」

「もう八月も半ばだからな」

「今年の夏休みは充実してて、楽しかったなぁ」

「去年はなにしてたんだ?」

「ずっと家だよ。漫画読んだり、映画観たり。たまにミホルラたちと遊んで。あとは……忘れた」

「俺もバイトしてるか、家で勉強してるか、あとは……忘れたな」

「去年は春輝も退屈だった?」

「そうだな。今年ほど充実はしていなかったな」



良かった、と言って麻友菜は笑った。屈託のない笑みを浮かべて、シャーリーテンプルに口をつける。俺はそんな麻友菜を撮りたくて、ストロボを光らせながらシャッターを切った。強めの光に麻友菜は驚きながらも、「もう一枚」と言ってポーズを撮る。



麻友菜はグラスを片手にピースサインをする。そして、今度は俺を撮るからとコンタックスを奪ってファインダーを覗き込んだ。



「ほら、春輝も笑顔〜〜〜〜」

「ん。それがなかなか」



強烈な光に目が眩む。麻友菜は椅子から身を乗り出して、俺の顔の横に自分の顔を並べて、アイフォンのインカメラで動画を撮りはじめた。



「春輝くん、インタビューしますっ! お祭りはどうでしたか?」

「ん。疲れたが楽しかったな」

「では、麻友菜ちゃんをどう思っていますか?」

「……動画で残すのか?」

「はい、撮りますよ。それで、どうですか?」

「好きだぞ」

「どれくらいですか?」

「その質問は困る。ずっと一緒にいたいくらい。そういえば前にも同じこと言ったな」

「なるほど〜〜〜。じゃあ、キスしてもいいですか?」

「……別にいいが」



アイフォンを掲げながら、麻友菜が俺の頬にキスをした。花火の音色が夏を彩る。キスを止めた麻友菜が正面を向くと、その瞳に映る花火がまるでアシタバの花弁のように弾ける。



「今日は動画か?」

「たまには動画で残したいなって」

「誰にも見せるなよ?」

「見せないよぉ〜〜〜多分」



麻友菜の笑顔が咲く。まるで大空に開く大輪の花火のように。



去年は想像し得なかった。これほどまでに大切な存在ができて、こうして一緒に花火を見ることになるなんて。

去年は想像し得なかった。これほどまでに気持ちが傾いて、一緒にいたい相手とともに過ごせる時間が尊く感じるなんて。



「では最後の質問です」

「ん。いいぞ」

「春輝くんは麻友菜ちゃんの今の気持ち分かりますか?」

「……それは難しいな」

「当ててみましょう~~」



麻友菜の今の気持ちか。



おそらく俺と同じ気持ちなんだろうが、それだけではない気がする。好きという言葉は、麻友菜も「耐性が付いちゃうじゃん」と言うくらいに伝えているし、麻友菜も擦り切れるほど使っている。そんな消耗した言葉ではなく、もっと真心を伝えたい。



ここで麻友菜がほしい言葉は。



「愛してる」

「——っ」

「って言葉が……聞きたかったんだろ?」



アイフォンの録画を止めて、麻友菜は抱きついてきた。



「なんで分かっちゃうのよ~~~もうバカっ!!」

「なんで怒られた?」

「バカなのっ!! そうやってまたダメ人間製造機になって。わたしの心を簡単に読まないでっ!」

「ダメだったか?」

「——ううん。好き……大好きっ!」



麻友菜は椅子から立ち上がり、俺の膝の上に座る。そして俺を抱きしめて、今まで以上に強い力で抱擁した。俺も抱きしめ返して、もう一度麻友菜の耳元で囁くように、



(麻友菜……愛してる)



すると、麻友菜の肌がザラザラして、鳥肌が立っていることに気づいた。麻友菜の肩を押し、わずかに離れて顔を覗き込むと、麻友菜は唇を噛み締めて、



「くすぐったいじゃん……ばかっ!!」



と怒る。けれど言動とは裏腹に俺の頬、鼻の頭、額に次々とキスをして、最後に唇に口づける。そして麻友菜は顔を離して俺の目を見つめる。



「春輝はわたしだけのものだからね?」

「なにを今さら?」

「だって、今日、かわいい子とかキレイな子とかたくさん春輝に話しかけてたじゃん」

「そうだな。悪かった」

「謝らなくていいよ。それが春輝だもん。でも、わたし以外にそんな顔しないでね?」

「……どんな顔だ?」

「……優しい顔。それに柔らかい声色。これはわたしだけのものだからね?」

「分かった」

「わたしも」

「なにが?」

「……してる」



打ち上げられた大きな花火の音に麻友菜の声がかき消された。だが、なにをつぶやいたのかは聞かなくても分かる。



「ん。麻友菜」

「なあに?」

「花火見ないと終わるぞ」

「……そうだね」



しかし離れたくないのか、麻友菜は一度立ち上がって横向になって再び俺の膝の上に座る。座ったままお姫様だっこをしているような感じで、確かにこれなら麻友菜は花火を見つつ、俺に密着していられる。



「重くない?」

「全然重くないぞ」

「辛くなったら言ってね」

「いつものことだろ。それに麻友菜は軽いから全然苦じゃない」



その体勢のまま、花火を見ながら雑談をした。さっき食べたばかりなのにもうお腹が空いたとか、暑いから冬のオーストラリアに行きたいとか、来年はフェスも行ってみたいだとか。話しても話し尽くせないほど話題が次から次へと湧き出てくる。



テーブルに置いた麻友菜のスマホのバイブが鳴った。お姫様だっこ状態でスマホに手が届かないために代わりに俺が取って、麻友菜に手渡す。



「えっ」

「どうした?」

「青空青春コンテスト第一次審査、三位通過だって」

「すごいな」

「うん。でも、今はどうでもいいや」



インスタのフォロワー数がうなぎのぼりに伸びていることや、クララに協力してもらってコンテストの順位がぐんぐん伸びていること、それからどこかの事務所からダイレクトメッセージでスカウトが来たことなど。それらのことは麻友菜にとって二の次らしく、関心はあまりないらしい。



青空青春コンテストの一次審査を通過することは目標にしているが、それに付随すること、インフルエンサーになりつつあることに興味がないらしく、俺との会話では話題にもならない。麻友菜はそういう性格ではない。承認欲求があまりないらしい。



花火が終わって祭りも終了となる。寂しい気もするがまた来年だ。それに今日は麻友菜が泊まっていく日だから、俺の中で今日という日はまだ続いていく。



部屋に入ってからは一緒にホイコーローと味噌汁を作って食べて、それから後片付けをしつつ、なにがきっかけか忘れたが、お互いにくすぐりあって笑った。



「よーし、お風呂掃除がんばっちゃう」

「待て。俺がやる。床がすべって危ないからな」

「じゃあ、一緒にやろうよ?」

「……分かった」



滑りそうな浴槽(うちのは丸くてデカいから意外と大変)の中は俺が洗い、麻友菜は浴槽の外の床をシャワーで流しながら掃除してくれる。



「なんか楽しいね」

「そうか?」

「うん。それに掃除行き届いているよね」

「麻友菜が入る風呂だからな」

「でもさ、お風呂掃除している春輝を想像したら、」

「……なんで笑ってる?」

「なんだか可笑しくて」



なにが面白いのか、麻友菜のツボに入ったらしく大笑いする。俺だって風呂掃除くらいするし、なんなら毎日ちゃんと洗っている。部屋の掃除も毎日とはいかなくても、三日に一度は掃除機を掛けている。



「あ~~~今日も笑ったぁ。でも、これからはちゃんとわたしも部屋のお掃除するね」

「別にいいぞ。俺がするからな」

「じゃあ、一緒にしよ?」

「……分かった」



それからシャワーを出して浴槽と床、それに壁を流していると、予想通り二人でふざけてしまい服がびしょびしょになってしまった。



「春輝、どうせならこのままお風呂沸かして入っちゃお?」



そう言って、麻友菜はブラウスのボタンを外しはじめた。






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