#23 ドリッパー@義兄妹と義姉妹



けたたましくインターホンの音が鳴っている。



夢か……。



目を覚ますと春輝の顔が目の前にあって、昨晩自分が寝ぼけていたことを思い出して恥ずかしくなった。お姫様だっこをしてもらって、春輝の匂いをくんくんして、抱きしめているうちに寝てしまった。そして、今も春輝の腕枕で寝ていて……なにこれ。



幸せの極みじゃんっ!!



こういうのってフラグだよね。ほら、幸せいっぱいだったのに朝起きたら、街の人たちがゾンビ化している、とか。それくらいにこの幸せが怖すぎる。



普段の春輝も好きだけど、寝顔はとくに好き。普段の無愛想で防御力高めな顔からは想像もできないほど無防備で、この時間のこの顔だけは唯一わたしだけのもの。誰も春輝のこの顔を見ることはできないし、この寝顔は奪えない。



とりあえずほっぺたを指でつんつんしてみる。男の子らしい引き締まった肌で、わたしのイタズラに「うぅ〜〜〜」と反応してくれる。面白くて、今度は鼻の頭を撫でてみた。次は前髪を上げて、眉毛をなぞる。そして、おでこにキスをした。



なんて愛らしいんだろう。これって彼氏バカなのかな。なんて、春輝で遊んでいると、またインターホンのベルが鳴った。しかも、今回は連打で鳴って、春輝も流石に目が覚めてしまった。もう少し寝顔を見ていたかったなぁ。



「こんな時間からベルを連打するやつはクララか……」



ベッドから起き上がった春輝は、短くなって寝癖のつきやすくなった髪型を直しながら玄関に向かう。一人ベッドに残されたわたしは、春輝が戻ってくるのを待とうか、それとも起きて行動を起こそうか迷っていて、とりあえず今が何時か確認した。



「お前しつこいな。朝が早すぎてウザいぞ」

「ほら、やっぱりまゆりん泊まってんじゃん。このスニーカーまゆりんのでしょ」

「なんだ、まゆりんって」

「麻友菜だからまゆりんに決まってんじゃん」

「いいから帰れ」



そんな声が聞こえてくる。ああ、これは出ていかないほうがいいやつだ。クララさんのことは春輝に任せるとして、わたしはここでなにも聞こえなかったフリをしてやり過ごそう。そう思っていたら、寝室の扉が突然開いた。



「ったく。ヤることヤってんじゃん。まゆりんと寝たんでしょッ!?」

「してない。本当に」

「あたしが泊まっても、別室でエアベッドなのに」

「待って。クララさんも泊まってるってこと?」



それは聞き捨てならない。クララさんも泊まりに来るのなら、一言物申さなければならない。



「もちろん」

「中学の時な。高校に入ってからはないだろ」

「二人は……その……そういう関係になっちゃったってことは?」

「あるわけないだろ。麻友菜は自分に兄か弟がいたとして、そいつとそういう関係になりたいと思うか?」

「あー……。ないか。わたし一人っ子だけど、それは理解できる」



クララさんとは生まれたときから一緒で、春輝からすればクララさんは、兄妹のような関係だということは前に聞いた話だ。むしろ、クララさんの感情が特異なのかもしれない。でも、血は繋がっていないから、アリといえばアリなのかもしれないけど。



「幼馴染兼義妹兼初恋」

「……だから、俺はまったく興味がない。お前、ヤンデレだからな?」

「最強属性のはずなのに」

「それで、麻友菜に話があって来たんだろ」



とりあえず寝起きの顔を洗って、髪をかして、なんとか人前に出られるように整容してからダイニングテーブルに着いた。その短時間で春輝は朝食を用意していて、もはや『料理の神』以外の二つ名が思い浮かばないほど手際が良い。それにクララさんの分まで用意してあげるあたり、優しい兄の顔が見え隠れする。



「あたしさ。仕事で割りと高級なホテルとか泊まるんよ」

「ん。そうか」

「へぇ~~~クララさんってやっぱりトップモデルだけありますね」

「まゆりん。その敬語やめて。歳は一個下だかんね?」

「お前が敬語を使え」

「ああ~~~わたしはタメ口で大丈夫。そのままで。じゃあ、クララちゃんって呼んでいい?」

「いいわよ。あたしはまゆりんって呼ぶから。それでね、ホテルの朝食とか舐めてんの」



スクランブルエッグをフォークで刺しながら、クララちゃんは話す。



「なにが?」

「こういう美味しい朝食って出てきた試しがないなって」

「それって、春輝の料理が美味しすぎるってこと?」

「それな。ベーコン一つにしても味も焼き加減も塩味もまったく違う。やっぱり結婚するならこういう旦那よ」

「吹雪さん仕込みだからな。それは当然だ」

「あ〜〜〜パパならそれはそうだよね」



クララちゃんは吹雪さんに大切に育てられたから、パパなのか。春輝も吹雪さんを父だと慕っている。それって、やっぱり兄妹じゃん。



「あのさ。クララちゃん、わたしね、ずっと話したいと思っていたんだ」

「? なにを?」



以前、春輝には女目線でクララちゃん問題を考えると言ったまま、なにも手を打ってこなかった。クララちゃんが迫ってくることに辟易している様子を見せていた春輝だけど、自分ではヤンデレなクララちゃんを回避できないから、わたしがなんとかするしかないと思っていた。村山の件で助けてもらっているから、今回はわたしがなんとかするしかない。



「クララちゃんは春輝のことが好きって宣言しているけど、フラレているんだよね?」

「フラレてない」

「何度も断ってるだろ」

「聞きたいんだけど、春輝と結婚したい理由ってなに? 一緒にいたい? それとも恋人みたいにイチャイチャしたい?」

「そんなの……結婚すればずっと一緒にいられるじゃん」

「ごめんね。春輝はわたしの彼氏だから、イチャイチャはさせられないし、結婚も許すわけにはいかない。春輝はクララちゃんを妹のようだって言ってるでしょ。クララちゃんは春輝のことをお兄ちゃんとして見られない?」

「……もちろん、あたしの兄でもあるけど」

「なら、わたしはお姉ちゃんってことで」

「なんでそうなるん? おかしいじゃん」

「全然おかしくないよ。だから、その関係を理解してくれるなら、たまにみんなでご飯食べたり、遊んだりしようよ? ね?」

「俺もそれならいいぞ」

「……分かった。とりあえずそういうことにしておく。でも、諦めないから」



なかなか気持ちに整理はつかないだろうし、フラレたら距離をおいたほうが良いのも確かだと思う。もし、わたしもあのときフラレていたら、きっとそうしていたと思う。いつまでも春輝が近くにいたら辛いだけ。



でも、クララちゃんはそれができないから、諦めきれないから、いつまでも告白し続けているのだと思う。距離を取れといっても無理難題だ。ならば少しずつ、わたしと春輝の関係を理解してもらって、時間を掛けて解決していくしかない。否定するのは簡単だけど、それでは亀裂を生むだけだ。



わたしがクララさんの立場だったら、深刻すぎて血を吐くと思う。



「それで。クララ本題は?」

「あー。まゆりんのインスタバズってるでしょ」

「うん。結構前だけど」



春輝に撮ってもらったドライフラワーを持つ写真と、キャバクラの店内の写真がとくに人気で、未だにインスタのフォロワーが伸び続けている。



「それで、うちの事務所のスタッフが興味津々でさ」



クララさんの事務所のスタッフってことは、吹雪さんが経営している芸能関連の事務所ってこと?

そんな人たちがなんでわたしに?

混乱の極み過ぎて、現状が把握できない。



「待って。それどういうこと?」

「まゆりんはモデル向きだし、見た目は合格ってこと。ほら、何千人に一人とかそういう二つ名持つ人いるでしょ。そんな感じ」

「待って。いきなりすぎてよく分からないんだけど?」

「スカウトが目をつけたんだけど、契約金とか値切られる前にコンテストに出てみないかって話」

「契約金? コンテスト? クララお前、麻友菜を嵌めようとしてないよな?」

「そんなことしないって。ただ事務所に所属するだけじゃなくて、コンテストに出場して、実績を勝ち取ってからのほうが自分を高く売れるでしょ?」

「待って。わたしモデルとかできないよ?」


ちゃんとしたポートレートを撮ってもらったのも、春輝がはじめてだし、責任を伴う商用の写真となると自信がない。



「まゆりんって特技とかってないの?」

「うーん。中学一年まではダンスしてたけど」

「お。いいねっ! ダンスなら良いコンテストあるぞ」

「ん。クララ、お前はなんで麻友菜をそこまで推すんだ?」

「見たいから。あたしがモデルやってる理由は写真が好きだからって言ったでしょ。春輝の写真も好きだし、世界中の写真家の撮ったルックブックを眺めるのも好きなの」

「つまり、麻友菜の写真を見たいからか?」

「そ。まゆりんの着飾った写真ってなんだかワクワクするじゃん」

「お前のライバルになってもか?」

「それはそれでいいじゃん。業界に友達ができたら楽しいっしょ」



クララちゃんはトップモデルというだけあって、心の広さが桁外れなんだ。どことなく春輝に似ているような心のゆとりがあって、小さいことは考えず、損得勘定で動かないタイプの人間だからこそ、大物なのかもしれない。それに比べてわたしはなんて小さい人間なんだろう。



「考えさせてもらっていいかな?」

「いいよ。あ、まゆりん連絡先教えて。ラインでいいよ」

「あ、はい」



ラインを交換するとさっそくURLが送られてきた。優勝者はスポーツ飲料のCMに主演が決定する、かなり大きなコンテストらしい。



『青空青春コンテスト』



炎天下でスポーツをして汗をかき、そこにゴクゴクっとペットボトルを飲み干す女子高生のイメージ写真がサイトのトップ画面に飾られている。そして、審査にはダンスがあります、と書かれていた。



「ダンス経験者なら、それ狙えるかもね。優勝したらかなり目立つよ」

「分かった。話はそれだけか?」

「これだけ」

「じゃあ、帰れ。ほら、朝食食べたら帰れ」

「は? 鬼かよ。食後のコピ・ルアク淹れてよ。あれ好きなんだから」

「ない。全部飲んだ。インスタントでいいよな」

「え~~~」

「まあまあ。春輝、わたしがコーヒー淹れるから」

「いや。俺がやるよ」

「いいの。としての世話を焼かなきゃ」

「……ん。そうか。分かった」



コピ・ルアクはないけど、コナの豆があったはず。昨日料理を作っているときに発見したのを思い出した。それに春輝のコーヒーの淹れ方を見て覚えているから、おそらくわたしでも出来ると思う。見様見真似ではあるけど、そのとおりにコーヒーを淹れるとなかなか美味しそうな香りがする。



「どうぞ~~~」

「ん。豆挽いたのか?」

「うん。ダメだった?」

「ダメじゃない。それにステンレスドリッパーの場所分かったのか?」

「……うん。勝手に使ってごめん」

「謝るところじゃないだろ。完璧だ。よくできたな。俺の淹れるコーヒーよりもコクが合って美味い。淹れ方が丁寧だ」

「またはじまった。ダメ人間製造機」

「? ダメ人間? 製造機?」

「ああ~~~なんでもないよ。クララちゃん、お兄ちゃんのコーヒーよりも美味しくなくてごめんね~~~」

「あのさ」



クララちゃんはコーヒーカップを両手で掴みながらわたしを見据える。なにか気に触ることをしたのか。



「なにかな?」

「まゆりんってあたしに笑顔見せすぎ。それに謝りすぎ。そんなんじゃ疲れるよ?」

「……うん。ごめん」

「だから、それ。そんなに謝んなって話。あたしは妹なんでしょ。それなら遠慮なんていらないから」

「うん。ありがとう」



宣言どおりにクララちゃんはコーヒーを飲み干してタクシーを呼び、



「じゃね。コンテストの件考えといて」



と言い残し帰った。



「悪いな。クララに起こされたろ。あいつ朝活にうちに来るから」

「ううん。話せてよかった」

「そうか」



その後、スケジュール通りに勉強をして、休憩に入る。



「麻友菜はやはり良い奴だな」

「? 急にどうしたの?」

「麻友菜は俺のこと好きか?」



いきなりなにを訊いてくるんだろう。そんなの訊かなくても分かるじゃん。って思ったけど、言葉にすることの大切さを知ったばかりだから、



「好きだけど?」

「どれくらい?」

「すごく」

「ん。そうか。それでもウザがらないでクララを認めようとしてくれただろ」

「うん」

「あいつはヤンデレだが、妹のような存在でもあるからな。麻友菜が妹として認めてくれたことは……俺も嬉しい」

「物心ついたころから一緒なんでしょ? だからなんとなく春輝の気持ちも理解できたっていうか」

「ああ。俺は……麻友菜が彼女になってくれてよかった。俺も麻友菜のことが好きだ。麻友菜のそういう優しいところも、心の広いところもな。すべてひっくるめて好きだ」

「——っ!! もうっ!!」



そうやって人をおだてて、甘やかせて、ダメ人間にしていく。わたしはそんな大層なことをしたつもりはないし、どうやったらみんな幸せになれるか考えただけ。ギスギスするのは苦手だから、円満に解決できないかって勝手に話を進めてしまった。



「麻友菜、朝起きてからしようと思っていたことがあるんだ」

「……え?」

「クララに邪魔されたからな」



そう言って、ソファで横に座る春輝はわたしを抱き、引き寄せてキスをした。

優しく、いつもどおりの甘いキス。



「朝起きたらキスしたいって思ってたんだ」

「うん……」



キスから始まる一日——ではなかったけど、一日の活力をもらった気がした。



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