#21 杏仁豆腐@カノジョの過去



春輝と正式に付き合ってからの、はじめてのおうちデートの感想は……今までとあまりやっていることは変わらないかもしれない。水着とはいえ、一緒にお風呂に入ればなにかしらの進展があるかもしれないなんて、少し構えていたけど(その割にはメイドごっこをしてしまった)、別になにもなかった。



春輝に髪の毛を乾かしてもらって、それで今度はわたしが乾かす番なんだけど、春輝は、髪が短くなったから今までに比べて段違いに早く乾いてしまった。もう少しお世話をしたかったというか、イジりたかったというか。



「それでなんの料理を教えてほしい?」

「簡単で美味しいの……なんて都合良いご飯なんてないよね」

「そうだな。チャーハンはどうだ?」

「それはわたしでも作れる……けど、わたしのは美味しくないんだな」

「なら、遅い昼飯だし、昨日の残りの米があるからチャーハンを作るぞ」

「うん。春輝せんせーお願いします」



春輝は自分以外の人をキッチンに入れることに抵抗があったらしい。前にわたしがお泊りをしたときにクリームチーズパスタを作ったんだけど、そのときに春輝は嫌な顔ひとつしなかった。



「チンゲンサイは茎まで入れる。それとベーコンは短冊があればそのまま。なければ切る。今日は短冊だからそのままでいい」

「せんせー、チンゲンサイできました」

「ああ。次は米一合に対して醤油大さじ二、みりんと酒をそれぞれ一で作っておく。そこに鶏ガラの素を小さじ三、ニンニクのみじん切りを入れて、タレの完成だ」



言われたとおりに作ると、春輝は米を炊飯器から取り出して、ごま油を敷いたフライパンに開けた。



IHの火力マックスでご飯を炒めながら、卵を割って落とした。溶き卵ではなく、目玉焼きを作るようにフライパンに落として、ご飯と混ぜたほうが、空気が入りやすくご飯に卵が絡みやすいらしい。そこにチンゲンサイとベーコンを入れて、さっき作ったタレを鍋肌に垂らして炒める。



「ん。なかなかうまい。その調子だ」

「うん」



そうして完成したチャーハンは黄金色。いつの間にかとなりで春輝が中華スープを作っていた。昨夜の料理で余った野菜を使ったらしい。それにしても手際が良い。生姜のいい香りがする。



「スープも美味しそう〜〜〜お腹空いてきちゃったね」

「ん。だな」



食卓にチャーハンと中華スープを並べて、向かい合って「いただきます」をした。まずはスープを一口。そのあとのチャーハンも絶品だった。



「はじめてにしては美味いな。ちゃんとパラパラになってる」

「春輝が教えてくれたおかげだよ。スープもおいしいね」

「そういえば杏仁豆腐もあったな」

「手作り?」

「いや。クミさんの差し入れ。今日、麻友菜が来ることを話したらくれたんだ」



食べ終わって食器を二人で洗って、杏仁豆腐を食べることになったんだけど、ここはわたしのオモテナシをしないとね。春輝のとなりに椅子を持っていって、お皿の杏仁豆腐をスプーンですくう。



「はい、あーんですよっ! ご主人さまぁ〜〜〜」

「また始まったか」

「またってなんですかぁ〜〜〜。ほら、あーん」



迷惑そうな顔をしながらも、口を開く春輝に杏仁豆腐を食べさせてあげる。正式に付き合いはじめたっていうのに、未だ恥ずかしそうな顔をするあたり可愛いと思ってしまう。それに以前と変わらずに紳士的。性欲を全開にして強引に迫ってくるようなことはしないし、さっきもお風呂でわたしに許可なく触れてこようとはしなかった。背中を洗うって言っても、手で直接は触らなかった。



そういうところも大好き。でも春輝に触れられるのは全然イヤじゃない。それにわたしは許可なく春輝に触っちゃうけどね。春輝は許してくれちゃうから、ついつい甘えちゃう。抱きしめるくらいならいいでしょ?



「美味しいですかぁ〜〜〜?」

「ん。うまい。じゃあ、俺もしてやる」

「えっ?」

「ほら、あーんしろ」

「あ〜〜〜〜ん」



今度はわたしが春輝に食べさせてもらった。偽装交際中も同じようなことをしていたから、特別な感じはしない。でも、今は偽装のときのような不安定な関係ではない。春輝がわたしのことを好きでいてくれるという安心感はある。春輝の優しさも偽装じゃなくて、わたしのことを好きだからそうしてくれているって思うと、今まで以上に春輝のことが好きになってしまう。ヤバい。これ以上好きになるとどうなっちゃうんだろう。



「食べ終わったら勉強な」

「今日は数学からやるか」

「お願いします。せ〜〜んせ」

「その呼び方、調子狂うからやめろ」

「なんで? 可愛い教え子に先生って呼ばれたくないの?」

「別に。ただ、その麻友菜の上目遣いが……」

「なに?」

「最近新規オープンしたコス系風俗店の子がみんなしてるから」

「またバイトの納品?」

「まあな」

「春輝ってそういうお店に興味あるの?」



春輝も一応は男子で、女の子にまったく興味がないわけではない。現にお風呂ではわたしに照れていたし、水着とはいえ、多少の興奮を覚えるくらいのことはあったはず。



「ないな。俺は納品で仕方なく行ってる。三日前にオープンしたときには初々しい子が結構いて、入口で出迎えた客に対して、一様にみんなそういう感じのリアクションしてた。あれはわざとらしすぎて不気味だったな。おそらくマニュアルでもあるんだろ」

「春輝はそういう子キライ?」

「キライというより、素の自分を見せてくれる子のほうが好きってだけ」



なんだか耳が痛い話だ。わたしも学校では自分を演じている。でも、春輝と二人きりのときはいつも素の自分を出している。そういえば、そのときのほうが可愛がってくれる気がする。自意識過剰かな?



「そうなんだ。ちなみにギャルと清楚ならどっちが好き?」

「ん。そうだな。どちらかといえば清楚な子のほうが好きかもな」

「そうなの!?」

「なんとなくギャルは見慣れているからな」



そういえば、クララさんの髪型やメイクは、どちらかといえば派手目だった。わたしもそっちの路線を目指していたこともあって、属性はギャルに近い。うーん。春輝が好きっていうなら、イメチェンしちゃおうかな。



「わたしはダメ?」

「麻友菜がギャルでも清楚でもどっちでも可愛いと思うぞ?」

「ほんとに?」

「ん。当たり前だろ。そんなことよりもこの問題解けるか?」

「やってみるね」



そういえば春輝はわたしに勉強を教えていて大丈夫なのかな。自分も期末試験の勉強をしなくちゃいけないはずなのに。



「春輝は期末大丈夫?」

「もう終わってる」

「え?」

「期末試験の範囲は問題ない。それよりも、麻友菜の学力のほうが心配だな」

「……うん。基礎ができていないからね」

「麻友菜……一つ訊いていいか?」

「なに?」

「麻友菜はもしかして……中学校を長期間休んだんじゃないか?」



わたしの成績が悪い理由はそこにある。だけど、長期間休んだわけではない。受験に際しては問題なく推薦を貰える程度には出席日数は足りていたけれど、中学校の勉強をしっかりと修学したかといえば自信がない。



「ううん。ちゃんと行ってたよ。ただ、休みがちだっただけで」

「病気だったのか?」

「違うよ。わたしね……中学のときは今ほど明るくなかったから……人間関係、かな」

「そうか。別に理由はいい。ただ、どこが抜けているのか把握しないと試験どころじゃないだろ」

「ごめん……春輝に話していないことがあるんだ」

「大丈夫か?」

「うん……」



春輝には話してもいいかもしれない。



中学のとき、仲の良かった友達に仲間外れにされたことがあった。



仲良し四人組で遊んでいたときに、わたしの不要な一言で空気を悪くしたことがあって、それ以来一緒に遊んでくれなくなった。それからクラスでも無視されはじめて、その悪意は少しずつ延焼していき、最後はクラス全員がわたしを空気として扱った。



当然学校には行きづらくなり、なにかと理由をつけては休んでいた。頭が痛い。お腹が痛い。生理痛がひどい。風邪を引いたかもしれないし、熱があるかもしれない。それまで良かった学力はどんどん落ちていき、両親はそんなわたしを心配した。



お父さんは自身の経営する病院の医師で、お母さんがその病院で看護師をしている。小学校のときは家に母がいたけど、中学に入ってからは母は常勤で仕事をするようになった。当然、夜勤もかなり多かった。だから中学の頃からわたしは家で一人のときのほうが多かったと思う。それは今になっても変わっていない。わたしが友達の家に泊まりに行ってくると言っても、「迷惑はかけないように」と言うだけ。



これは、お母さんが中学の時のわたしの事情を知っているからだと思う。中学の時は学校に行きたくないくらいに人間関係が最悪だったのに、高校になってからは友だちがいっぱいできたんだ、とわたしが高校入学早々に話したことがあって、お母さんはすごく喜んでくれた。



だから、友達の家に泊まりに行ってくるというわたしの暴挙(とはいえ、林間学校前の三連休に春輝の家に泊まりに来たのが初めてだったんだけど)も許してくれた。



学校以外にも、家でもわたしは良い子で通っているから、両親は信用しているのだと思う。そんな両親の期待を裏切りたくない。だから勉強で心配かけたくない。



「その中学のときの友達のトラウマがあって、今の陽キャな麻友菜がいるわけだ?」

「今まで話さなくてごめんね」

「謝るようなことか? そんなことで仲違たがいする連中なら、早めに縁が切れてよかったんじゃないか」



春輝はそう言って顔を上げた。



「うん。ありがとう」

「がんばったとき、悲しいとき、怒っているときに言ってほしい言葉を言ってくれないヤツは空気が読めない。余計な一言を口にするヤツは二度と話してやらない。なんてそいつらは思ったんだろうな」

「うん……」

「だがな。言いたいことを言えない関係が本当に友達なのか? 俺はそういうのはキライだ。だから、麻友菜は彼女として俺には言いたいことは言ってほしいし、俺も麻友菜に遠慮はしない。だから、この言葉も本心だ」



本心で話し合える友達……は、あまり多くない。ミホルラだって、一定の距離を置いて話しているし、まして感情的にぶつかりあったことなんて一度もない。偽装交際のことだって話せなかった。



互いに心地よい関係でいられるのは、相手を思いやって傷つけない言葉でオブラートに包んでいるからだ。この現状をミホルラに話せるかといえば無理だ。なのに春輝には不思議と話せている。春輝には本心で話せてしまう。



「麻友菜がどうであれ、俺は麻友菜をキライになんてならない。人間なんだから、いつも上機嫌で相手と自分が常に同じ考えで、同じ気持ちなんてことないだろ。それを理解した上で俺は麻友菜と付き合っていく。だから俺には絶対に気を使うな。麻友菜は素でも十分すぎるほど良い奴だと思ってる」

「…………」



不意に涙が落ちた。泣くつもりなんてなかったのに、一粒の雫が落ちてノートの上で弾けた。あのとき近くに春輝がいてくれたら、わたしはもっと違う選択ができたかもしれない。



“でも、莉子りこちゃんだって瑠奈るなちゃんのこと悪く言ってたじゃん”



その一言でわたしはすべてを失った。失ったと思っていた。莉子ちゃんも瑠奈ちゃんもどっちも友達だと思っていたから。どちらか一方に付くなんてできなかった。悪口も言いたくなかった。ただ、みんなと仲良く遊びたかっただけなのに。



気づけば、莉子ちゃんも瑠奈ちゃんもわたしを無視していた。



「麻友菜、お前は優しいんだ。誰にも傷ついてほしくない。そう思っただけなんだろ」

「うん……うぐっ」

「もし同じようなことが起きたら、今度は俺が麻友菜を守る。麻友菜はなにも心配せずに自分らしく堂々としてろ」



涙が止まらなくて、勉強どころじゃなかった。






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