#19 キス@告白と最後のワガママ
フィルムカメラで撮った写真はその場で確認できないために、麻友菜がスマホで撮った写真を見せてもらった。キスをする行為は二番街ではよく見る光景で、納品の際に訪れた店でもたまに見るし、裏路地に入るとカップルがキスをしていることがある。
なんでキスなんて行為をしたいんだろうと不思議に思っていたが、今ならなんとなく分かる。発破をかけられたとはいえ、麻友菜の頭にキスをしてしまった。麻友菜が
麻友菜はキスを目撃したためか、少し顔が赤い気がする。
「もう一枚撮るぞ。今度はこっちに背中を向けろ」
「って、並木は監督かっ!!」
「分かった。ミホルラ、言うとおりにしよう。並木はカメラを手にすると性格変わるから、おっかないぞ」
二人を撮り終えて、今度は麻友菜を撮りたくなった。麻友菜はポーズを取るよりも普段の何気ない顔のほうが断然いい。隠し撮りをしたいわけじゃないが、素の霧島麻友菜を写真に収めたいと思ったのだ。
砂川さんと高山がじゃれ合う姿を見ている麻友菜の横顔を撮った。
「え? 今、わたしを撮った?」
「ん。撮りたかったから」
「また勝手に撮ったなっ! 撮るときは言ってよ。前髪も乱れてるし」
「ん。悪い」
「じゃあ、あとで二人で撮ろう?」
「それは別にいいが」
麻友菜が背伸びをして、俺の耳元に口を近づけた。そして吐息がかかる。またこれか。麻友菜に耳元で囁かれるとくすぐったくて仕方ない。それに普段の麻友菜が絶対に言わないようなことを吐息に混ぜて囁くからたまらない。
(二人みたいなキスの写真撮っちゃおっか?)
麻友菜と俺がキスをするなんてことは……今まで想像もしなかった。キスなんてよく見る光景だし、見慣れているから特別な感情も抱かない。けど、麻友菜とキスをする想像をしたら胸の奥がザワザワする。
「……別にいいぞ」
「え……今なんて?」
「だから別に構わないってことだ」
「もうバカッ!! 春輝がどういう顔するか見たかっただけなのッ!!」
自分で撮りたいと言っておきながら、怒って軽く肩パンしてくるとはどういうことなのか。キス写真を撮りたいと麻友菜がねだってくるから、俺は応えただけなんだが。
それから、様々な困難を乗り越えてようやく頂上にたどり着いた。麻友菜の足も心配したものの、大丈夫そうで安心した。
低山で大した労力はいらないなんていうのは嘘だ。俺一人なら難なく登れるが、班行動で自分のペースで登れないとなると話は違ってくる。だが、登ってしまえば、このメンバーでの行動もなかなか面白かったことに気づいた。三人の会話を聞きながら、時々俺も会話に混ざって和気あいあいとするのも悪くない。
下山前に頂上で少し休憩をすることにした。俺と麻友菜は円盤のような平らで大きな岩に腰掛けて、連なる山を見ている。
「なんだかんだでみんな登りきったね。春輝のおかげだよ。本当にリーダーお疲れ様っ!」
「ん。別に」
「別にってことはないでしょ」
「まあ、でも慣れないことをして疲れたな」
「じゃあ帰ったら、ご主人さまが満足するまでいっぱいマッサージしてあげますねっ!」
「……楽しみにしてる」
「わたし、春輝にはいっぱいお世話になっちゃったなぁ」
「それは——」
「俺の彼女だからな。でしょ?」
俺の声真似までして麻友菜は、俺の言おうとしていたことをピタリと当てた。そして笑う。なんで俺の言おうとしたことが分かったんだ。麻友菜は俺の性格を読んでいるのか。
清々しい初夏の風が吹き、横を見ると麻友菜が髪を掻き上げていた。俺もいつもの癖で、髪をどうにかしようと指で
「その髪型も似合ってる。すごくかっこいいよ?」
「ん。ありがとう。左右合ってないけどな」
「それでもかっこいい」
「そんなにかっこいいって連発すると耐性つくぞ」
「それ、わたしの真似でしょ」
「ん。よく分かったな」
頂上で一〇分ほど休憩をして、今度は下山になる。不思議なもので、登ってくるときよりも下る方が断然短く感じる。もちろん、滑る箇所も危ない石段もあるが、帰りは行きのときの殺伐とした雰囲気はなく、まるでピクニックに来たかのように笑いながらゴールすることができた。
俺たちが下山すると、他のほとんどの班は下山していたようで、着いた順に登山口にあるロッジで昼食が振る舞われた。高山も砂川さんもさすがに疲れて、あまり食事が喉を通らなかったようだ。
全員の下山と昼食が終わり、いよいよバスで宿泊施設に戻ることになった。
宿泊施設に戻ってからの午後はなにもない自由時間だが、その三時間を使って登山のレポートを書かなくてはならない。
部屋に戻るとほとんどの男子が横になって、レポートを書く気力もなさそうにスマホを弄っていた。俺と高山はレポートのほかに昨夜の髪切り反省文を書かなくてはならない。そのためゆっくりしている場合ではない。なんだかんだで一五分で反省文を仕上げて、三〇分でレポートを書いたところで、俺も高山も力尽きた。
あんな労働をさせられた挙げ句、帰ってきて文章を書かせるとか鬼畜の所業だ。この学校の林間学校は狂っている。高山はそう言って発狂していた。
「並木~~~スマホ鳴ってるぞ」
「ん。ああ」
“まゆっち>レポートできた?”
“並木春輝>今できた”
“まゆっち>じゃあ、自由時間だし遊ぼ?”
遊ぼうと言っても、こんな山間部でなにをしようというのか。いや、もしかしたらなにか目的があるわけでもないのかもしれない。単に暇だから話し相手になって欲しいということかもしれない。どうせ夕飯までの三時間程度は自由時間。それに村山の件もあり、麻友菜が一人にすることは避けたいし、俺と一緒にいたほうがいい。
“並木春輝:わかった。玄関前でいいか?”
“まゆっち:おけまる”
言われたとおり玄関前に行くと、着替えた麻友菜が壁に寄りかかって待っていた。
「どうする?」
「部屋からいい場所見つけたんだ」
「どこ?」
「行くまで内緒」
どこに行くのかと思ったら宿泊施設の裏手だった。宿泊所の敷地はかなり広大でアクティビティも充実しているらしい。バーベキューやグランドゴルフ。それにBMXなど。今日は平日ながら家族連れの客も多いらしく、フェンスの向こうで子どもが数人駆け回っていた。
「見て。ここ」
「すげえな」
フェンスの扉を抜けるとバラの庭園らしく、遅咲きの品種がちょうど満開を迎えていた。かなり手入れをされている。きっとここもこの施設の売りなのだろう。
「ホリデーアイランドピオリーか」
「すごい、やっぱりお花屋さんじゃん。見ただけで品種分かるの?」
「ああ。遅咲きで、俺も好きだからな」
「白い花びらに真ん中がピンクなんだね」
「ん。こっちは、コフレだな」
「コフレ?」
「ああ。クラシックな色合いだろ」
「うん。紫色が渋くて可愛いね」
薔薇の匂いを楽しもうと麻友菜が目を瞑って顔を近づける。その様子がすごく絵になって、俺は思わず写真を撮った。ボディバッグにカメラを入れてきて正解だった。午後の
「また勝手に撮ったなっ! お仕置きのくすぐり刑に処するぞ〜〜〜」
「悪い。でも、すげえ可愛いのが撮れた。俺は麻友菜も花も好きだから、このシチュエーションは最高なわけだ」
「はいはい。ダメ人間製造機の耐性がつきました。あ、じゃあ、わたしも春輝の写真撮らせて?」
「……なんで?」
「なんでってことないじゃん。春輝も写真映えすると思うよ?」
「それはない」
「ある。絶対に。ほら、いいからそこに立って」
麻友菜に指示されるまま、コフレとホリデーアイランドピオリーの生け垣の間に立つ。写真を撮る俺が言うのもなんだが、どう考えても棒立ち。俺はモデルには向いていない。
「そうですねぇ。春輝くん、もう少し横を向いてみようか」
「こうか?」
「おっ! いいね。そうそう」
「はやく撮れ」
「まあまあ。えっと、シャッター押せばいい?」
「ん。押せば撮れる。設定はそのままでいい」
「うん」
カシャンと金属と金属が弾けるような音とともにシャッター幕が下りる。麻友菜はファイダーから顔を離して、「撮れたっ!」と嬉しそうにカメラを返してきた。だが、それで終わりではないらしく、もう一度立てと言われる。
「今度はなんだ?」
「スマホでも残したい」
「……分かった」
アイフォンのカメラの性能はすごいと思う。だが、麻友菜の撮ったスマホ写真のレベルは俺の想像を超えていた。
「春輝くんかっこいいでしょ。どう? わたし上手?」
「ん。良いと思う。それに光を捉えるのが上手いな」
「ほんと?」
「ああ」
「ねえ、春輝」
「ん?」
「今度はさ……二人で撮ろう?」
「別にいいが。どうやって撮る?」
「じゃーん」
麻友菜がバッグから取り出したのは、テーブル三脚という手のひらに収まる簡易的な三脚だった。その三脚にスマホを装着して、目の前のちょうどいい高さの石垣の上に置いた。
「きっと使うと思って持ってきたんだ」
「それなら撮影者がいなくても撮れるな」
「うん。セルフタイマー一〇秒ね」
「ん。分かった」
麻友菜がスマホのシャッターを押して戻ってくる。そして、麻友菜は無言で俺に近づき。
——俺の頬にキスをした。
パシャ、という電子シャッターの音が響き、フィルムカメラよりも軽い音だなとどうでもいいことを考えてしまうくらいに、俺は動揺したのだと思う。
◆
決意表明を兼ねて、春輝の頬にキスをした。これで言い逃れはできない。勇気がない自分に対して言い訳ができなくなった。
「麻友菜?」
「春輝……聞いてほしいことがあるんだ」
わたしは春輝と向き合った。逆光に輪郭を切り取られた春輝は、わたしの様子が変だと思ったのか、
「ん。どうした?」
「わ、わた、わたし……」
言葉が詰まり息が上がる。顔だけ熱くて身体は緊張のあまり震えてくる。頭の中が痺れるような、これから言おうとしているセリフが脳の中で溶けてしまうように真っ白になっていく。とにかく平常心ではいられない。すくんだ足で立っているのがやっとだった。
「麻友菜、落ち着け」
「えっ」
春輝は「大丈夫だから」と言って、わたしの頭を撫でてくれた。この優しい手がわたしに触れることが今後なくなってしまうかもしれない。そう考えると……考えてしまうと怖い。あのクララさんがダメなら、わたしなんて足元にも及ばないだろう。でも、ここで一歩を踏み出さなくちゃ、わたしは一生後悔する。
「いったいどうした?」
「……春輝、あのね」
「らしくないぞ」
それなのに勇気を出せずに一歩が踏み出せない。怖い。
恐怖で押しつぶされそうだ。心臓が飛び出しそうなくらいバクバク言っている。
「なにがあった? 村山か?」
「ちがうの……」
こんなはずじゃなかった。こんなことなら偽装交際なんてするんじゃなかった。いつか終わらせなくちゃいけない偽装交際なんて、はじめからしなければよかった。今までの思い出がまとわりついて、思い浮かべるだけで心が締め付けられる。すべて忘れることなんてできない。春輝と仲良くなりすぎてしまったことが、逆に呪いとなってわたしを苦しめた。
春輝を失いたくない。
「麻友菜……?」
心を落ち着かせるように深呼吸をする。爪が食い込んだ手のひらを開いて、わたしは顔を上げる。いつか……終わらせなくちゃいけないんだ。そして進まなくちゃ。この苦しみから解放されるにはやるしかない。
「春輝、聞いて」
「ん。どうした?」
「わたしね……」
言葉が出ない。なんで。この期に及んで。
でも、振り絞れ!!!!!
ここまで来たら覚悟を決めるしかないんだから。
「わたし……」
踏み出せわたし。行くんだ。進むんだ。
春輝と一緒に先に、一歩先に進むんだ。
たとえ結果が最悪でも。終わらせなくちゃ苦しみから解放されることはない。苦しい思いはもうたくさんだ。
「春輝のことが……好き」
ついに呪いの言葉を口にしてしまった。これでわたしの城は、見るも無惨に崩壊してしまうかもしれない。楽しかった日々に終止符を打つ日がくるなんて、想像し得なかった。きっとダメだ。春輝の心を揺さぶろうと色々やったけど、そんなの焼け石に水。わたしはどうしても春輝に振り向いてほしかった。
「俺もだ」
「えっ?」
「だから、俺も麻友菜のことが好きだ」
聞き間違いかもしれない。いや、そうじゃない。
これではいつものやりとりになってしまう。わたしの『好き』は軽い言葉じゃない。
「それって友達として?」
「違う。俺から言うべきだった。言わせてしまって悪い」
「……うそ」
「嘘じゃない。だから、偽装なんかじゃなくてちゃんと付き合ってほしい」
「なんで……?」
「少し前から俺も同じ気持ちだった。麻友菜のことが好きだってことに気づいていたんだ」
春輝から返ってきた言葉は予想外のものだった。
春輝の“霧島麻友菜ファースト”は、彼氏役のためのもの。あるいは友達としてのもの。だから恋愛感情から来るものではないと思っていた。春輝の優しさがわたしの心に
でも、その灰色が今ではすべて色づきはじめて、
春輝からそんなことを言ってもらえるなんて思ってもみなかった。
苦しみから解放されて、わたしは春輝に身を預けた。もう身体に力が入らない。緊張して
そこからは覚えていないくらいに大号泣した。おかしくなったんじゃないかってくらいに感情が溢れて、
「怖かったよぉぉぉぉぉ!」
と泣き叫んで春輝を困らせた。人生でここまで嬉しくて泣いたのは、多分はじめて。
どれくらい泣いただろう。ようやく涙が止まったころには春輝は呆れているかと思ったらそうでもなく、優しいまなざしでわたしを見守ってくれていた。
「これで偽装は終わりで、ちゃんと付き合ってくれるんだよね?」
「ああ。そのつもりだ」
「ドッキリとかじゃないよね?」
「なにを言ってる。ドッキリだ」
「え……」
「まあ、嘘だが」
「バカっ!!」
春輝の背後を取って、弱点の脇から横腹にかけてくすぐり攻撃をする。意表を突かれた春輝は「やめろ」と言って拒絶するけど、絶対に許してあげない。悶える春輝を今度は背中から抱きしめた。いつもの春輝の匂いが色濃く感じる。
相思相愛は奇跡だと思っていて半ばあきらめていたけど、いざそうなってみたら、これまでと世界が違って見えた。
「じゃあ、撮るか」
「? なにを?」
「キスの写真。撮るんだろ?」
「えっ……?」
春輝は、テーブル三脚に取り付けたままのスマホのカメラを再度起動した。春輝は、わたしの後頭部に触れて顔を引き寄せる。
そして——キスをした。
はじめてのキスは……触れるだけ。そして柔らかかった。まるで時が止まったみたいに春輝とわたしだけの世界が広がった。春輝から甘い香りがした。息をしちゃいけないような気がして、呼吸を止めていたら苦しくなった。これがファーストキスの現実で、リアルに辛かった。
「バカっ!! 呼吸困難で死ぬし」
「悪い。加減が分からなくて」
三脚からスマホを外して確認すると、
「加減って……春輝ってキスしたことないの……?」
「ん。ないが?」
「そっか。じゃあ、お互いはじめてだったんだね」
薔薇のアーチの下のベンチに腰掛けて、いつものようにどうでもいい話をした。そして、もう一度、今度はわたしのほうからキスをした。
「これからもわたしのワガママ聞いてくれる?」
「ん。泡風呂だろ。それにグランピングにプール。テスト勉強な」
「それと、今まで以上に甘えさせてください」
「……わかった」
「それから——」
「まだあるのか」
「ダメ?」
そういえば、最近では春輝が表情豊かになったと思う。もちろん、わたしの前だけで。春輝はさっそく呆れたような顔をして、わたしの唇を片手でつまんだ。強制的に変顔にされて、わたしも春輝にやり返そうと思ったけど、腕のリーチ差で届かない。
「ひゅひゅいっ〜〜〜(ずるいっ)」
「ずるくない。口をふさがないと次から次へと欲求が増えていくだろ」
「ひょんひゃひょこひゃいひょんっ!(そんなことないもんっ!)」
「じゃあ、ラスト一個言ってみろ」
「うん。えっとね。春輝はわたしをずっと好きでいてください」
「ん。分かった」
「それから——むぎゃ」
「一個だけって言ったろ」
強制的にアヒル口にされて、一番肝心なこと言えなかった。あまりにも理不尽だから、わたしは反撃にアヒル口のまま春輝にキスをした。春輝はわたしの口を解放してくれて、
「仕方ないから本当に最後な?」
「うんっ! わたしの最後のワガママ聞いて」
「……ん。いいぞ」
「春輝をずっと好きでいさせてください」
その後春輝としばらく話してから宿泊施設に戻り、夜はキャンプファイアーをして林間学校が終わった。
約束通り、林間学校明けの週末は春輝の家にお泊りをしよう。
そう考えるとウキウキ過ぎる。
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