#18 テーピング@美保と景虎のキス


春輝の背中を見ながら石段を一歩一歩登っていく。



見慣れたいつもの長い髪が短くなり、かっこよくなってしまったことは嬉しい反面残念でもある。わたしの前だけで髪を縛って、顔を見せてくれればよかった。春輝の素顔や本当は優しいところ、なんでも卒なくこなしてしまう器用さはわたしだけが知っていればいいと思っていた。



進級して同じクラスになってから今まで、春輝は積極的に人と関わるような性格ではなかった。困っている人がいても無関心で、助けを求められても力を貸さないような冷酷な男子というイメージを持っている人も多かったと思う。だが、それはあくまで他人の勝手な独り歩きの想像でしかなく、実際にそういうことがあったわけではない。だから嫌われてはいなかった。冷静に観察すれば、言葉は悪いが人畜無害な男子というのが一番合致している。



それなのに今ではリーダーシップを執って、私たちを導こうとしている。誰がどう見てもすごくできる人じゃん。少し前までの並木春輝じゃなくなってしまっている。髪を切ってからは同じクラスどころか、他のクラスの女子まで注目していた。見た目だけじゃなくて、昨日のカレー作りやバーベキューそれから、身を挺してわたしを守ろうとした肝試しの活躍もかなり効いているみたいだ。



本当に困る。目立ちすぎるとわたしが困る。このままだとわたしは、嫉妬に狂うダメ人間になってしまう。



クララさんが惚れ込むのがすごく分かるし、諦めきれずに何度も告白をチャレンジするのも理解できる。じゃあ、わたしにも同じようにできるのか。

それは無理かもしれない。フラレたら一生立ち直れない自信がある。



髪を切ってしまった春輝が誰かに言い寄られて、そのうち春輝の好みの女の子が現れて、わたしの前から消えてしまうんじゃないかって思ったら、昨晩はあまりよく眠れなかった。日に日に春輝を見るのが、話すのが、優しくされるのが辛くなってきた。



「麻友菜、そこの石段、踏むと転がりそうだから気をつけ——」

「きゃああああッ!!」



忠告されたそばからその石段を踏んでしまい、足元が崩れて体勢を崩す。春輝が手を伸ばしてわたしの腕を掴んでくれた。また転びそうになるところを春輝に助けられた。これで二回目。春輝はわたしを鈍臭どんくさい女とか思っただろう。実際、自分でもそう思っている。



あれ、足首を捻ったかも。でも、大したことはない。これくらい全然平気だろう。痛みはそこまで強くない。



「大丈夫か?」

「うん。ありがとう」

「雨降って地盤が弱くなっているのかもな」



春輝はわたしの二の腕を掴んだ手を離して、空いた手で代わりにわたしの手を握ってくれた。



手を繋いだ状態で今みたいに滑ったら、春輝まで道連れにしてしまう。それに雨が降っているのだから神社まで急ぎたい。手を繋いだら機敏さが失われてしまう。だけど、春輝の考えは違ったようだった。



「ゆっくり進むぞ。足元の石段確認しながら行くから、俺に付いてこい。ちゃんと掴まってろ」

「……っ!」



春輝は再び登りはじめる。さっきまでの早い歩調ではなく、登る石段を一つ一つ足で確認しながらゆっくり進んでいく。手を繋いでいるから、わたしが春輝の速度に合わせる形だ。



「雨が強くなってきちゃったね。春輝ならもっと速く登れるのにごめん」

「こういうときこそ気を付けながら進んだほうがいい。それにさっきみたいに転んだら危ないだろ。麻友菜は俺の彼女だからな。安心しろ。ちゃんと守る」

「うん……」



春輝はわたしの手を固く結んでくれて、ゆっくりと一段一段踏みしめる。雨で顔が濡れて、しかも目に入ってくる。わたしは顔をタオルで拭いながら春輝の横顔を見た。いつものように平然としていて、雨なんてまったく意に介していない。わたしの視線に気づいた春輝は、



「もう少しだからな。がんばれよ」



なんて言って、励ましてくれる。その一言で本当にがんばれる気がした。



そして、ようやく最後の一段を登ると鳥居があって、その先に神社が見えてきた。神社の境内けいだいで雨宿りをさせてもらうことにする。天気予報は当たらず、小雨どころか大粒の雨が降ってきた。



「これは地獄です。地獄の中の地獄です。あたしは耐えられません。ということで、ここで棄権しましょう。ねえ、大将」

「これくらいの雨ならまだ大丈夫だ。西側の尾根が晴れているからしばらくここで雨宿りすれば、晴れてくるだろ」

「並木は真面目かよ。それにしてもまゆっちと並木って本当に仲良しだな。俺は羨ましくてキュン死しそうになったぜ……」

「後ろから見てて、あたしでも惚れたもん。並木イケメンすぎる死ねっ!!」

「おいっ!」



景虎はミホルラのボケに軽く肘鉄を食らわせる。神社の境内には他の班のメンバーも雨宿りをしていた。少しずつ混んできて、みんな雨をしのいでいる。



境内の壁に沿って横並びで座っているけど、だいぶ人口密度が高くなってきた。左隣が角で、誰もいなくてよかった。右隣の春輝の横顔を改めて見ると今まで以上にイケメンになっていてドキドキする。もしかしたら、わたしだけイケメンバイアスとか掛かっているのかもしれない。他の人はなんとも思っていなくて、わたしだけ春輝をイケメンだと思っているとか。



たった今、神社に着いた班の女子たちが春輝をガン見していった。その子たちを視線で追うと、向こう側に座っている子たちもみんな春輝を見ている。



イケメンバイアスなんて掛かっていなかった。これはみんな考えていることがわたしと同じっぽい。ヤバい。



しばらくすると小降りになって、雲の切れ間からパステルカラーの水色が見えるようになった。



「麻友菜、足は大丈夫か?」

「え?」

「さっき捻っただろ」

「気づいていたんだ」

「踏み外したときは捻挫する可能性が高い」

「それでゆっくり歩いてくれたの?」

「ん。まあな。テーピングしておくか」

「……うん」

「あくまでも応急処置だが。これから急斜面もある。あまり痛みが酷いときは無理せず下山するぞ」



小雨になったとはいえ濡れちゃうのに、軒から出て春輝はわたしの前に膝をつき、わたしのトレッキングシューズと靴下を脱がした。まるでガラスの靴を履けるかどうかを確認する王子様みたいに。



自分でできるって言っているのに「麻友菜は座ってろ」と言ってすべてやってくれる。クライミングパンツを膝まで捲ったわたしの素足を、春輝は自分の太ももの上に置いた。男の人に素足を触られたのははじめてかもしれない。なんだかくすぐったくて思わずモゾモゾしてしまった。春輝はわたしの反応を見ながら最初に太ももを揉み、次につま先。最後に足裏を押す。足首を回されたときに少しだけ痛みがほとばしる。



「これ痛いか?」

「うん。少しだけ」

「足首を捻ったみたいだがそこまで酷くない」

「今ので分かるの?」

「俺は医療従事者じゃないから詳しくは分からない。だが、どこを痛めているかくらいなら」

「本当に春輝ってなんでもできるね」

「なんでもはできない。よく母さんの店の前で、新人キャバ嬢のヒールがハマるからな。それでテーピングは自然と覚えた」

「どういうこと? なんでハマるの?」

「ピンヒールの踵がちょうどいい具合にグレーチングにハマるんだ」

「グレーチング?」

「側溝の銀色の金属の網のことだ」

「あー!!」



確かにヒールであの上を歩くとたまに嵌ることがある。ピンヒールの細いヒールは高さがあるために、足首を捻りやすい。しかもなぜかちょうどヒールの幅と同じ幅の溝があるから不思議。きっと、そのお店の前の側溝は嵌りやすい幅の溝なのだろう。



春輝はまず、汗ふきシートでわたしの足を丁寧に拭いてくれる。それがまた、足の指を一本一本丁寧に拭いてくれるものだから、とにかく羞恥心が半端ない。こんなことならちゃんと足もネイルしてくればよかった。春輝のばかっ!



「く、くすぐったいよぉ。そこまでしなくてもいいから」

「靴下脱いだからな。もし砂も一緒にテーピングしたら痛いだろ」

「それは分かるけど」



周りの女子たちの視線が刺さる。それはそうだ。こんなことは春輝以外の男子では絶対に真似できない。これは断言できる。



春輝はテーピングをかかとからくるぶしに掛けて縦に貼り、次は今貼ったテーピングの上から十字になるように横に貼り付けた。最後に踵から足首までグルグル巻きにされる。



靴下を穿かされて、シューズもちゃんと紐を解いて履かせてくれた。紐は解けると危ないからといって、歩いていても解けない縛り方をしてくれて、ついでにと反対のシューズの紐を調整してくれる。



「わたし……春輝に比べたらなにもできないね」

「それでいいぞ」

「えっ?」

「麻友菜ができないことは俺がすればいいだろ。逆に、麻友菜にしかできないこともあるから。それは麻友菜にしてもらってる」

「そんなことある?」

「たとえばカラオケ。俺は麻友菜みたいにたくさん歌えない。それに、麻友菜みたいにクラスメイトの性格を把握していない」

「……そんな大したことじゃないけど、ありがと」

「それに麻友菜は可愛いだろ。俺にはそれだけで十分だ」

「……もうほんとにバカッ!! このダメ人間製造機ッ!!」



そうやってまたわたしを困らせる。わたしと二人きりのときでも困っちゃうのに、今は周りにたくさんの人がいる。案の定、出発を待っていたミホルラと景虎が呆れ顔で顔を見合わせていた。それに他のクラスの子たちもいて、ヒソヒソと話をしている。



これでしばらくはわたしの噂話で持ち切りか……。まあいいけどさ。



「やっぱりまゆっちって、彼氏ファーストだよな」

「周り全然見えてなし。まゆっちにはあたしが恋愛教えないとダメだわ……こりゃ」

「って、わたしじゃないよ? 並木くんがね?」

「テーピングの前から、今のところまで動画撮っておいたけど見るか?」



景虎に隠し撮りされて、恥ずかしくて顔から火が出るかと思った。



「麻友菜行けるか?」

「うん。全然痛くない」

「本当か? 無理はするなよ?」

「本当に」

「最悪、麻友菜が歩けなくなったら、おぶってやるから早めに言えよ?」

「……うん。ありがとう」



そこまで痛くないし、さっきよりもかなりペースを落としてくれているみたいだから、歩いていて苦痛はなかった。春輝だけじゃなくて、ミホルラも景虎も文句一つ言わずにわたしに歩調を合わせてくれる。変な話なんだけど、やっぱり二人とも友達なんだって実感した。



ゆっくり斜面を上っていくと突然視界が開けて青空が見える。虹のアーチが反対側の山脈の上に架かっていて、思わずわたしは声を上げた。



「すご~~~~いっ!!」

「ちょうどいいじゃん。並木とまゆっち写真撮ってやるよ」



景虎がそう言うと、春輝は今までの無表情が嘘のように表情を明るくして、「待て」と言ってリュックをゴソゴソと漁った。写真のことになると春輝は本当に別人のようになる。そういえば、ミホルラも景虎も、撮影モードの春輝を見るのははじめてだった。



「これで撮ってくれ」

「こ、これなに? あたし使えないって」

「フィルムカメラ。コンタックスのT2だ。ツァイスの38mmってところも最高なんだが、なんとフィルムはコダックのポートラ400だ。期限は切れているがそこは気にしなくてもいい。ノイジーなほうが俺は好みだし。撮り方だが、ここを覗いて、ここを押せばいいだけだからな」

「わ、わかった。並木、ちょっと圧がすごいって。ねえ、まゆっち、並木どうしたの?」

「写真のことになるといつもこうなの」



春輝の突然のハイテンションにミホルラと景虎は驚きを通り越して、恐れおののいている感じ。わたしのとなりに立った春輝は、相変わらず被写体としては苦手のようで少し固めの表情をしている。



「なんか、並木が置物みたいだぞ。まゆっち、キスでもしろ」

「ああーいいね。まゆっち、景虎の言うようにキスしろし」

「む、むりだよぉ~~~~」

「なら、せめて抱きつけ」

「……しなきゃダメ?」

「「ダメッ!!」」



わたしが春輝に抱きつくと、春輝も緊張しながらわたしを抱きしめ返してきた。すると、ミホルラが、



「並木、ほらボサッとしてないで、キスしろし。キス。頭でもどこでもいいから、まゆっちにキスしないとまゆっちの命はないと思え」

「ミホルラの言うとおりにしろ〜〜〜並木」



景虎まで調子に乗って並木をけしかけた。



「麻友菜、いいか?」

「いいかってなにを?」

「頭にキスしてもいいかってことだ」

「……べ、別にそんなの……いいよ?」



並木はわたしと向かい合い抱き寄せて、わたしの頭にキスをした。その瞬間、カシャンとシャッターの切れる音がする。さらにスマホを構えていた景虎のスマホのシャッター音が鳴った。



頭とはいえ、春輝がわたしにキスをした。

感触を思い出すとドキドキしてくる。顔が熱い。火が出そう。



「俺にも撮らせてほしい。砂川さんと高山、並べぇぇぇ!!」

「「は、はいっ!!」」



まるで鬼軍曹のような春輝の号令で、虹をバックにミホルラと景虎は向き合った。ミホルラと景虎が茶化してきたようにわたしも、



「キスしろ~~~」



と叫んだ。どうせするわけないと思ったが、予想に反して虹をバックにミホルラと景虎は抱き合い、そして唇と唇が重なり合う。見ているこっちが恥ずかしくなりそうなキスだった。二人は本当にキスをしてしまった。



「……え。しちゃうの」



春輝の持つカメラからカシャンというシャッターの切れる音がして、わたしは慌てて自分のスマホで二人をフレームに収めた。わたしのスマホには二人のキスをする姿がばっちり映っている。いつもはおちゃらけた二人なのに、ちゃんと恋人をしていると思うとすごく尊い。




わたし、やっぱりはやく春輝に告白しなきゃダメだ。





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