#17 レインカバー@リーダーシップ



朝っぱらから先生に呼び出しを食らい、高山と二人で廊下に正座させられた。怒られた理由は部屋で散髪をしたこと。その掃除をさせられて、朝食が終わってからみっちり説教された。しかも高山はまったく先生の話を聞かずにあくびをしたことにより、反省文を俺よりも一〇枚多く書く羽目になった。



風呂に入って髪を洗いたいところだが、そうもいかないために仕方なく部屋にあった掃除機で吸ってもらった。その様子を動画に撮られて、クラス中にばら撒かれた。まあいいが。



今日の日程は登山で、午前中から昼すぎまで山を登らなくてはいけない。生憎の曇り空で、天気予報を見ると昼前から小雨が降るらしい。大雨なら中止になったのに、残念なことに降っても小雨だからと実行する運びとなった。



「誰あれ……」

「あんな人いた?」

「やばっ」



準備をして玄関前に向かう途中、なぜか俺は注目を浴びている。いきなり髪を切ったから、他のクラスの生徒からは、見たことのないやつがいると思われているのだろう。



「並木くんおはよっ! 昨日の動画見たけど、一年間分くらい笑ったよ」

「掃除機動画面白すぎ」

「昨日の火起こしありがとうね」

「ん。まあ。あの、いっぺんに言われると、」



今朝になってから、掃除機動画の影響か女子から話しかけられることが多くなって困る。髪を切ってくれたのは高山で、あいつは家が美容室らしく自身も将来の夢は美容師だと言っていた。だから散髪がうまいのかと思って鏡を見たら左右の長さが合っていなかった。片方だけツーブロックになっている。それに苦情を言ったら、あえてそうしたんだと逆ギレされた。はじめて高山に怒られた。



「よっ! 人気者。俺のカットうまいだろ~~」

「まあな。左右合ってないが」

「だから、それはわざとだっつってんの。んとに。なあ、俺のカットうまくね?」

「うーん。並木くん帰ったらちゃんと美容室行ったほうがいいよ。整えるだけって言えばちゃんとしてくれるからね?」



同じクラスの女子にそう言われて、高山は肩を落とした。

でも、高山は上手だ。普通の紙を切るハサミでよくここまで切れたと思う。



「並木くんっ!」



集合場所に到着して背後から声を掛けられた。振り向くと麻友菜が立っている。クラスで見せる偽笑顔の麻友菜だ。



「ああ、おはよ」

「おはよう……髪切っちゃったんだね」

「ん。切ってもらった。これで“お前の彼氏キモい”とか言われないだろ」

「言われないだろうけど……」



麻友菜はなぜか頬を膨らませている。麻友菜にシャツの袖を摘まれて、木陰に連れて行かれた。みんなに見えないように俺だけに見せる顔はどことなく不機嫌そうだ。



「むぅ……わたしが一番に見たかったのに」

「だからライン送ったろ」

「ミホルラが先だった」

「ああ、高山が先に送ったからか」

「それに、みんなズルい」

「なにが?」

「だって、春輝の素顔っていうか、そういうとこわたしだけが知っていたのに。髪切ったらいきなり話しかけるとか。みんなズルいの」

「……どういうこと?」

「なんでもないもん」



麻友菜は振り返った瞬間笑顔に戻って、「どう? 並木くんってやっぱりかっこいいでしょ~~~」と陽キャにキャラチェンジしていた。相変わらず徹底している。



その後、バスに乗り込んで登山口まで移動した。



着いてまず先生から注意事項が伝えられる。標高は六〇〇メートル程度で、高校生の体力なら問題なく山頂まで行けるという。登山口はそれぞれA〜Dコースまであり、班毎にコースを選べるようになっている。俺達はAコースだ。



「景虎~~~水が重いのぉ~~~~死んじゃう~~~」

「はいはい。自分で持て」

「鬼、クソ鬼、デーモン!!」

「なんという語彙の乏しい罵り方! ミホルラって馬鹿だろ」

「バカはお前だ、ば〜〜〜〜かっ!! あたしはこう見えて学年三五位だ。景虎の四六位より上なんだぜ?」

「……誤差だな」

「全然誤差じゃねえ~~~~」



砂川さんと高山のいつものイチャイチャに反応した麻友菜は、二人の成績に触れてガクッと肩を落とした。後ろから数えたほうが早い麻友菜には耳が痛い話かもしれない。でも、期末テストでは絶対に五〇位以内に入れてみせる。



登山口には鳥居が建っていて、その先に社がある。そこで安全祈願をするのが条島高校の林間学校の定番らしいが、ただ二礼二拍手一礼をするだけでお賽銭を入れたり、神主さんが出てきたり、巫女さんが舞を披露することもない。この山は神山らしく、登山道にいくつかの神社があり、そこが休憩ポイントとなっている。



そうして出発すること一〇分。



「すでに疲れた。もう無理」

「サッカー部、乙」

「ミホルラだって息上がってるじゃん。吹奏楽部も乙」



歩きはじめて一〇メートルで、すでに高山と砂川さんは弱音を吐き始めた。足元は岩が多く、注意して歩かないと転びそうになる。転ぶと言うよりも、足裏の下の岩が車輪のように転がり、滑り落ちると言ったほうが適切かもしれない。



言ったそばから麻友菜がズルッと体勢を崩したところ、俺が二の腕を掴んで事なきを得た。



「あぶな!! 冗談抜きで転がって死んでたかも」

「ん。大丈夫か?」

「うん、春輝ありがと」



麻友菜は体勢を立て直すとともに、俺に抱きついてきた。というよりも、前のめりになりすぎて、俺に突進してきた形だ。



「春輝……髪切ってかっこいい。本当にかっこいい。

「甘やかしか?」

「……うん」



麻友菜の髪を撫でた。最近は、そうしてほしいときの仕草が分かるようになってきた。麻友菜は嬉しそうに「えへへ」と笑って俺の胸にすりすりと頬を寄せてくる。いつかの子猫ごっこか。



お互いに汗ばんでいるが、あまり気にならない。俺は割と潔癖なところがあって、夏場の満員電車の中の汗は女性であっても苦手だ。どんなにキレイな人でも近寄ってほしくない。まして電車が揺れて肌が接触するのは美人であっても不快だ。



なのに麻友菜は汗だくでも平気どころか、可愛いとさえ思ってしまう。



「そこッ!! イチャつかないッ!!」



砂川さんにツッコミを食らってしまった。麻友菜は「してないもん」と俺から離れて砂川さんの元に駆け寄っていった。



「でも、ミホルラに言われてくないんですけどぉ〜〜〜」

「まゆっちってさ、恋をすると典型的な恋愛体質っていうか。昨日のガラス工房のときもそうだけど、好きになったら周りが見えなくなっちゃって、彼氏ファーストって感じ」

「え? そんなふうに見える?」

「「見える」」



砂川さんと高山の声がハモった。砂川さんと高山の二人とも麻友菜が“彼氏ファースト”に見えるということは、麻友菜は偽装交際をするにあたってすごく演技がうまいということになる。もし、それが偽装交際のためじゃなくて、。そう思って、俺はハッとした。



しばらく進むと、沢が道沿いに流れていて視界は木々に覆われた。足元は木の根が張り巡らされており、その根っこがまるで階段のようになっている。その階段を登るように太い樹木の周りを登っていくのだが、なかなか急で、道中いくつかの班の人たちが息を切らして休んでいた。



「ちょ、並木、お前、なんでサッカー部よりも体力あんだ?」

「ほんと……絶対におかしいって」



バイトの花の納品のほかにも、母さんの系列店舗で欠品した酒を急遽同系列の店舗から持ち出して納品したり、呼び出されて酒をケースで運ばされたりすることが多々ある。あるキャバクラはボタンを押しても呼んだエレベーターがなかなか来ない。待つのは時間がもったいないし、体力づくりのためにも階段を使うことのほうが多い。そのためか、高校に入ってバイトをするようになってから無駄に体力が付いている。



いくら、この登山道が急勾配だろうが、重い酒瓶のケースを持っていないだけマシだと思ってしまう。



「はぁはぁ……春輝、ちょっと休もう?」

「そうだな。一旦ここで休憩するか」

「まゆっちにさんせー……ぜぇぜぇ」

「俺も」



俺が木の根に座ると、隣に麻友菜が腰を落とした。麻友菜はリュックから水のペットボトルを取り出してゴクゴク喉を鳴らして飲むと半分くらい減る。



「麻友菜、汗を拭いた方がいい。これ使うか?」



汗拭きシートも一応持ってきた。まだそこまで標高が高くないから、思ったよりも寒くなく、むしろ蒸し暑い。だが、天気予報では雨が降れば気温が急激に低くなると言っていた。汗を拭いておいたほうが後々身体を冷やさなくて済むし、なにしろそのままだと気持ち悪いだろう。



「ありがとう。でもわたしも持ってきたから大丈夫」

「ん。それにしても、ここが難関じゃないんだよな。Aコースは山頂までのラストの直線がかなり斜面がキツイらしい。コース選択ミスったかもな」

「どういうこと?」

「体力あるうちに難関を越したほうがいいだろうから、Cコースのほうが楽だったかもってことだ。だからAコースは人気がないんだろうな」

「選んだのは……ミホルラか」



麻友菜は砂川さんを見てため息をついた。そういえば、『うちの班、登山口のコースはテキトーにAコースにしておいたから』と砂川さんがあっけらかんと言っていたのを思い出した。おそらくなにも考えなしに選択したのだろう。しかも“Aコースは難しいので体力に自信のある班のみ挑戦してください”と冊子の下に書かれている。



「読んでいないな……」

「あの子がそんな細かいところまで読み込むはずないでしょ」

「雨降るとキツイかも」

「寒くなるから?」

「いや。違う。上の方を見ると、この先粘土質の土で多分滑る」

「……さっきのところよりも?」

「おそらく。だからAコースは難易度が高いんだろう」

「雨降らないといいね」

「そうだな」



しかし、願いも虚しくポツリと雨が一滴落ちてきた。見上げると重たそうな灰色の空が目の前に迫っていて、朝の晴天が嘘のように暗い。ポツリポツリ、と雨が滴る。そして、シャワーのように雨が降り注いだ。



「最悪じゃん」

「麻友菜、リュック開けるぞ。ジャケット着よう」

「うん、お願い」



麻友菜のリュックを開けて、中に入っていたシェルジャケットを取り出す。この前買い物に行ったときに買っておいて正解だった。麻友菜はレインコートで十分と言ったのだが、初夏の登山ではやめたほうがいい。透湿性がなければ汗だくになって熱中症になりかねないからだ。俺もシェルジャケット取り出すと同時に、持参してきたリュック用のレインカバーをリュックに掛けた。麻友菜の分も買っておいてよかった。



「リュック濡れないように、これ掛けていいか?」

「わたしの分も用意してくれたの?」

「ん。ついでだ。リュックが濡れると中のタオルとか着替えまで濡れて、使い物にならなくなるからな」

「ありがとう」

「ん。とにかく神社まで急ごう」



急いで出発する。この先に神社があるはずだから、そこで少し雨の様子を見た方がいい。それにここにいたらずぶ濡れになるだけだ。



「もう〜〜〜小雨って言ってたのに。景虎のばかっ!」

「なんで俺!? 雨は仕方ないだろ」

「言ってみただけじゃ。ほら、景虎よ、先陣を切れ」

「無理言うな。俺じゃ迷う」

「俺が行く。とはいえ、地図見るかぎり一直線だから迷うことはないと思うが。足元の状態見ながら行くから、付いてこい」

「並木リーダー一生付いていきやす!! ほら、ミホルラもお願いしろ」

「へい! 並木大将!」



木の根っこの階段もしっかりと足裏を付けないと滑って転びそうになる。つま先だけで登ろうとすると踏み外した挙げ句、下まで転げ落ちそうな危険が予測される。それをみんなに伝えると、砂川さんも高山も今回ばかりはふざけないで真剣に聞いている様子だった。



木の根の階段を登りきると、とんでもなく段数の多い石の階段が見えてきた。一〇〇段近くはあるかもしれない。一番上がどうなっているのか見えないから余計に不安になるらしく、



「もう無理だーーーっ!」

「俺、ここで待ってる」



と砂川さんと高山が絶望していた。麻友菜は俺のとなりに立って、「かっこいいぞ」と囁いた。



「なにが?」

「だって考えてみたら、わたしと付き合う前までクラスに馴染もうとせずにずっと無口だったじゃない。それが今ではあの陽キャ二人を引き連れてリーダーシップ発揮してるよ?」

「それを言うなら三人だろ。麻友菜も入れて三人」

「わたしは……陽キャなんかじゃないよ。それにわたしは春輝の彼女だよ? 春輝がリーダーシップ発揮しなくても、どこまでも付いていくのは当たり前じゃん」

「俺に付いてきて、崖から落ちても知らないぞ?」

「でも、春輝が助けてくれるんでしょ?」

「だな」

「なら、付いていく」



砂川さんと高山がゆっくりと石段を登ってくる。俺と麻友菜は二人を置き去りにしてしまった。登ってくるまで待っていようと石段の途中で立ち止まって待つことに。



「あのね春輝」

「なんだ?」

「昨日の村山の件……なんだけど」

「ああ。麻友菜は心配するな」

「巻き込んじゃってごめん」

「はじめから巻き込まれる前提だからな。麻友菜は俺が必ず守る。だから俺から離れるな。ずっと一緒にいろ」



あの村山という男は、麻友菜にまでちょっかいを出しそうな雰囲気ではあった。それは絶対にさせない。



「ずっと?」

「ああ。ずっとだ」

「四六時中一緒にいていいの?」

「朝の登校は迎えに行くし、下校は家まで送り届ける。用事があればどこにでも一緒に付いていくし、学校では俺から離れるな。俺が必ず守るから」

「っとうにダメ人間になっちゃうよ。春輝はわたしを骨抜きにしてどうしたいの……?」

「ん。別に」



麻友菜はすこぶる機嫌がいいみたいで、俺が登り始めると後ろを付いてきて、鼻歌を歌い始めた。






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