#12 作業用革手袋@林間学校



林間学校に出発して一時間が経過した。現在時刻は早朝の七時ちょうど。バスに揺られながら、並木は頭上の棚からリュックを下ろして、なにやら荷物を漁っている。



「並木くん、どうしたの?」

「霧島さんお腹空かない?」

「空いた~~~っ!!」



昨晩も並木と遅くまでライン通話をしてしまい、朝が早すぎてメイクをするのがやっとだった。だから朝食を取る時間はなかったし、それ以前に寝起きで食欲もなかった。でも、今になってお腹が空いてきた。



「カップケーキ作ってきたんだけど、食べる?」

「えっ? 手作り?」

「作ったのは昨晩で出来立てじゃないけど味は保証する。あと、少しアルコール入ってて一応飛ばしているが、味は少し残るかもな」



並木が、料理が得意なことは身を持って知っているけど、まさか昨晩のライン通話の後にケーキを作っていたなんて思いもよらなかった。



「わぁ~~~美味しそうっ! この前のシチューもそうだけど、並木くんって本当に料理上手だよね」

「え。シチューってことはまゆっちって、並木の手料理食べたってこと? 家に行ったの? シちゃった? 詳しくっ!!」

「並木がまゆっちを家にあげた? それとも逆? マジ? ヤッてんの? 俺にも詳しく」



失言だった。それに砂川美保すなかわみほ——ミホルラと高山景虎たかやまかげとらは二人で盛り上がっていたのに、まさか聞いているなんて、どこまで地獄耳なんだ。並木は気を悪くしたかと思ったら全然そんなことなくて、無愛想に「これ」と紙のカップに入ったケーキをミホルラと景虎に手渡した。



「え? あたし達もいいの?」

「四人分あるから」

「マジか。並木って良いやつだな。さっそくいただきま~~~」



並木が先に手渡した二つのケーキは、ミホルラと景虎に齧られて堪能された。



「うまッ! なにこれ、買ったやつより遥かにうまし。並木って神?」

「ヤバいな。これとえびせんで無限ループできる。俺、こう見えて甘党だから」



これで一つ、並木の秘密が暴かれてしまった。並木は料理も得意。並木のすごいところを自慢したい反面、わたしと並木の二人が共有する秘密が他人の手に渡ってしまったような気分になって、なんだかモヤモヤする。



「霧島さんにはこれ。もちろん、カップケーキもあるけど、まずこっち食べて」

「えっ?」

「多分、霧島さんはこっちのほうが好きだろうって思ったから。霧島さんのための特別のケーキ作ってみた」

「これは?」

「アールグレイのケーキ」



アルミホイルに包まれたアールグレイのケーキに、並木は爪楊枝を刺した。カップケーキも力作だけど、このアールグレイケーキは高貴な香りがふわっと漂う高級ケーキ店の商品みたい。かなり手の込んでいるのが料理ど素人のわたしでも分かった。



「先にこっちから食べたほうがいい」

「うんっ!」



わたしのためだけに作ってきてくれた特別なケーキはほろ苦くて、甘すぎる食べ物があまり得意じゃないわたしにとって、控えめに言っても最高だった。鼻から抜ける上品な匂いも好き。これを並木がわたしのために作ってくれたっていう気持ちも。



「ほら、口に付いてる」

「……っ!」



並木はそう言って、ティッシュでわたしの口を拭き取った。まるで子どもじゃんか。それを見ていたミホルラが目を細めて「ふ~~~~ん」となにか言いたげだった。



「なに?」

「だって、まゆっちと並木ってはじめはアンバランスだと思ったけど、こうやって見ると、まゆっちが並木に惚れたのがなんとなく分かるって思っちゃった」

「え……? そう?」

「俺もそう思った。ま、ケーキ作ってくるとは思ってなかったけど、まゆっちは今の並木みたいなのがタイプなんだろうなとは思ってた」

「どういうこと?」

「まゆっちって、毎日並木に甘えてるじゃんか?」

「……そんなことないと思うけど」

「昼休みとか、並木を見る目がなぁ。まゆっち恋してんなぁ~~って。鈍感な俺が見ても分かるから」

「そうそう。面倒見の良い並木みたいなのが合ってるよ。少し余裕のある男子のほうがいいと思う。並木みたいな男子は貴重だからな」



景虎もミホルラもわたし達をよく見ている。そういうふうに映っていたのかと思うと、なんだか気恥ずかしい。いや、待って。今の話を聞いて、並木はどう思ったのだろう。横を見ると並木は何事もなかったかのように荷物の整理をしていた。



それからバスに揺られること二時間。ようやく目的地に到着した。



空気が澄んでいて気持ちがいい。壮大な山々が連なり、随分と遠くまで来たのだと時間する。宿泊施設は合宿所みたいなところで、お世辞にも綺麗とは言えない。



わたしとミホルラは重い荷物を持ちながら部屋まで移動する。だだっ広い部屋で雑魚寝をすると思うと今から気が滅入る。並木も言っていたけど、どうやらわたし達二人は似たもの同士で集団行動が苦手らしい。だって、夜寝るときまでも陽キャを演じなくちゃいけないなんて辛い。



「まゆっち、寝るときは隣同士でいいよね?」

「うん」



わたしに比べてミホルラは常にハイテンションで話しかけやすく、陽キャを地で行く人物だ。



「あのさ……まゆっちに話しておかなきゃいけないことがあるんだ」

「え……?」

「実は……」



一週間前に景虎から告られて、付き合い始めたとミホルラはわたしに話した。ミホルラいわく、景虎の背中を押したのは並木だったらしい。並木がわたしと付き合いはじめたことで自分も勇気をもらったのだとか。お似合いすぎて祝福が止まらない。



「おめでとう。ミホルラ」

「おー。ありがとよ、親友」



部屋に荷物を置き、貴重品は貴重品袋に入れて先生に預けて移動を開始する。移動先はキャンプ場で、そこでカレー作りをする予定。外に出ると、先に準備を終えた男子が待機していた。



キャンプ場までの移動は徒歩で、先生の後についてみんなゾロゾロと進んでいく。



「なんだか並木、疲れてない?」

「ん。すでに疲れた」

「分かりみが深いわ」

「やっぱり寝袋買ってくればよかったな」

「そうだね。もし並木が寝袋で寝てたら、わたしもこっそり潜り込めたのに」



もちろん冗談だけど、並木はそうは受け取らなかったらしい。



「なら、今度大きめの二人用寝袋買うか」

「そんなのあるのっ!?」

「ん。あるよ」

「使ったことある?」



訊いてどうする。もし“ある”と言われて、その相手が女の子だったら割とショックかもしれない。もちろん、並木がそれくらいで動じないのは分かっているけどモヤモヤする。



「あるわけないだろ。吹雪さんに極寒の山に連れて行ってもらっときも一人だったしな」

「わたしと並木が二人で同じ寝袋に入ってる姿って笑えない?」

「シュールだな。今度うちの中でテント張ってやってみるか」

「並木の部屋だと、ただのオシャンティーなアウトドア展示場じゃん」

「じゃあ、屋上な」

「あ、それいいかも。あそこんらグランピングみたい。夏休みやろっ!!」



夏休みの話をするには気が早いけど、プールに屋上グランピングと予定が次々に埋まっていく。



並木と話しながら歩いていると、前方を歩く先生が足を止めた。先生はわたしと並木を名指しで呼び、「薪はどうした?」と訊いてきた。むしろ、なんで先生はそんなものをわたし達に訊くのかと思ったけど、周りを見ると他のクラスの学級委員が一輪車(乗るほうじゃなくて運ぶ方の)で薪を運んでいる。うちのクラスだけ薪の運搬係がいない。



「聞いてません。薪を運ぶんですか?」

「すまん。俺が言い忘れた。宿泊所の南側に倉庫があるから、そこにうちのクラスの薪があるから」

「はい」



仕方なく並木と来た道を戻ることに。三〇〇メートルは歩いた気がする。でも、往路にはほとんど生徒はいなくてなんだか気が抜けた。



「それにしても薪か……」

「問題あるの?」

「季節的に燃やすの難しいぞ」

「そうなんだ」



宿泊所の南側には一〇〇人乗っても大丈夫そうな倉庫があって、中には棚に敷き詰められた薪がうちのクラス分だけ残されていた。一輪車も外にぽつん一台だけ寂しそうに置かれている。



「霧島さんは休んでいていい。俺が運ぶ」

「イヤ。わたしもやる」

「ん。じゃあ、こっちの革手をしたほうがいい」



並木はボディバッグから軍手を二双取り出した。しかも普通の白い軍手じゃなくて、作業服店にあるような革の軍手だった。軍手は学校でも支給されていて、それを持ってきているのに並木はなんでわざわざ高そうな軍手を持ってきたんだろう。



「こっちの軍手のほうがいいの?」

「普通の軍手だと目が荒いだろ。だから薪のトゲが刺さる可能性がある。それに軍手を配布する時点で怪しいと思っていた。革手のほうが、安全性が高いから」

「そうなんだ。わたしの分まで用意してくれたんだね」

「ん。当然だ。霧島さんの手が傷つくの嫌だからな」

「……っ!!」



平気でそういうことを言うから困る。そのセリフを聞いて、毎度のことながらわたしはどう反応すればいいのか分からなくなる。自分の装備を整える際にわたしのことまで考えてくれるは嬉しいけど、感情がストレートすぎる。



「ありがと……並木。でも、なんでわたしの手が傷つくのがイヤなの?」

「霧島さんの手が好きだから。柔らかいしすべすべだろ。握っていて気持ちいいんだ」

「だから、そういうとこなのっ!」



並木はイマイチ分かっていない様子だった。二人きりのときは顔を隠してなんとか誤魔化せるけど、これが班行動のときだったらわたしは恥ずかしすぎて死んでいたかもしれない。



一輪車を倉庫の中に入れて、並木は手際よく薪を下ろしていく。一輪車いっぱい積まれた薪が落ちないようにビニールシートを掛けて、トラロープで縛るまでの作業のほとんどを並木一人でやり遂げてしまった。



「わたし全然役に立ってないじゃん」

「そんなことない。それにこれから仕事は増えるだろうしな」



並木が一輪車を押して倉庫を出て、わたしが扉を閉めた。キャンプ場までの一輪車を押していかなければならない。割と重労働のような気がするけど、並木はまったく顔に出さずに押していく。



「軽そうだけど、わたしでも押せる?」

「やってみるか?」

「うん」



並木に変わって一輪車の取っ手を掴み持ち上げようとすると……重すぎてバランスを崩しそうになる。一輪車が横倒しにならないように並木が瞬時に取っ手を掴んで事なきを得た。



「重いじゃん」

「そうか? 俺はそうでもないんだが」

「並木、お仕置きとして、またくすぐっていい?」

「なんでそうなる?」

「今までクラスでもやる気なかったほうでしょ。それが、わたしと偽装交際をしてから、なんだか別人みたいに活躍してるから」



本当の並木がかっこよくて、髪を上げたらイケメンで、わたしにはすごく優しくて、そんな並木の姿を誰かに見られることがひどく怖い。モヤモヤする。並木を独占したい気持ちでいっぱいだ。



「ああ。俺は霧島さんの彼氏だから、できる男じゃないとダメだろ」

「……え?」

「偽装とはいえ、霧島さんのような子の彼氏を名乗るなら、それなりに出来る男じゃないと釣り合わないだろ」

「そんなこと考えていたの?」



今朝の出発の点呼から、高速道路のサービスエリア休憩時の人数確認まで、並木は人一倍テキパキと動いていた。普段の並木からは考えられないような働きをしていて、わたしは何事かと思っていた。でも、それがすべてわたしのためだったと聞くと、なんだか申し訳ない気がしてきた。



「ん。霧島さんは学校の顔を持っているだろ。空気を読んで、誰からも好かれる人気者なんだから、俺もそれなりにならないとな」

「……ごめん。でも、ありがとう」

「俺、ちゃんと霧島さんのとなりを歩いていて、霧島さんが恥ずかしくないくらいになるから」

「今のままでも十分過ぎると思うけど」



空気が読めなくなって、誰からも相手にされない自分にはなりたくない。偽りの自分を演じていることに無理をしている。怖くてみんなの前でどうしても素を出せない。並木はそんなわたしのことを理解しているのだろうか。



「でも、二人きりのときはいつもの、素の霧島さんがいいな」

「え?」

「俺、素の霧島さんが好きだから」

「——っ!!」



そう言って、並木ははにかんだ。一輪車を押す手を止めて、みんなの前では決して見せないような笑顔でわたしの頭を撫でる。



「もうバカっ!!」

「ああ、悪い。髪の毛が乱れるな」

「違うの。そうじゃないの。そうやってまた甘やかさないで。今の並木はダメ人間製造機だからね?」



ダメ人間になって、並木しか見えなくなってしまう。ダメ人間になって、並木を独占したくなってしまう。並木は優しいだけじゃなくて、素直なだけじゃなくて、言葉では言い表せなくて。なんで並木を好きになったのか。一言では表せないし理屈じゃないと思う。人が人を好きになるときに理由なんている?



「甘やかせているつもりなんてないが。ただ、思ったことを口にしてるだけで」

「それが甘やかしてるの。じゃあ、わたしも並木を甘やかす。決めた」

「俺を?」

「うん。並木は優しくて頼りがいがあって、料理も美味しいし、部屋もオシャレ。それに話しやすくて裏表がない。わたしのワガママにもなにも言わず付き合ってくれる。だから、好き」

「……そうか」



並木は無言のまま一輪車の取っ手を持ち、再び前進する。突然口数が少なくなってしまった。告白ではないけど、わたしはそれなりの勇気を持って、“好き”を口にしたのに並木はなにも返してくれない。



「どう? 甘やかされる気分は?」

「……嬉しい……んだと思う」



それって、並木もわたしのこと好きってこと……なの?



そう聞こうと思った矢先、前方からミホルラと景虎が心配してわたし達を手伝いに来てくれた。あまりにも遅いから、同じ班として様子を見てこいと先生に言われたらしく、タイミングが悪かった。結局話は有耶無耶うやむやになってしまい、並木の気持ちを聞くことは叶わなかった。



でも、わたしは決心した。ダメ人間になる前に並木に告白する。

できれば林間学校中に。

でも怖い。もし失敗すれば、偽装交際の関係も崩れてしまい、すべてを失うことになる。そこまでして今の関係を捨てられるのか。あのクララさんでも玉砕しているのに、わたしが告白をしたところで、並木はわたしに振り向いてくれるだろうか。




恐怖に押しつぶされそうになるけど、一歩を踏み出さなくちゃ。






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