#11 オーロラフィルム@校内デート
今日は少し寝不足かもしれない。
最近、毎日霧島さんと夜中にライン通話をしているが、昨晩はとくに遅くまで話し込んでしまった。だからといって別に迷惑でもないし、むしろ、家に話し相手がいない俺にとって、霧島さんが通話をしてくれることは嬉しい限り。だが眠い。
午前中の授業中は眠かったが、昼休みに少し寝たのが功を奏して、午後になると頭は多少クリアになった。
世界史の授業中スマホが鳴った。音は消しているからバイブが鳴るだけ。机の上に出さなければ問題ない。机の引き出しの中で確認すると霧島さんからだった。
“まゆっち>世界史眠い”
“並木春輝>ちゃんとやれ”
“まゆっち>真面目か!
“並木春輝>真面目だ”
だが、気持ちは分かる。教科書に書いてあることをわざわざホワイトボードに書いて、それを写すだけの授業なら読んだほうが早い。せっかく昼休みに寝たのに、また眠くなってしまう。この授業は眠気との勝負だ。
“まゆっち>ところで、明日から林間学校”
“並木春輝>風邪引いて休みたい”
“まゆっち>不真面目じゃんw ちゃんと来てよ?”
“並木春輝>団体行動が苦手なんだ”
“まゆっち>ああ、並木だもんねー”
そんなやり取りをして、気付くと授業が終わっていた。放課後は学級委員として先生に呼び出されて、明日の林間学校の現地で使う道具の調達を頼まれてしまった。四階の今は使われていない教室の中にある軍手とトング、それからポリタンクを発掘してきてほしいという依頼だった。
四階は屋上に繋がる東側の階段からしか行くことができず、教室も二部屋しかない。生徒が屋上に行くことは禁止されていて、四階につながる扉も常に施錠されているために、生徒が入る機会はほとんどない。
早速、霧島さんと一緒に東の階段から四階に上がる。
解錠して中に入ると背の高いスチールの棚が部屋の内壁に沿ってグルっと置かれていて、そこにいくつもの段ボールが置かれている。ポリタンクは蛇腹の折りたたみ式で、段ボールにしまわれていた。トングと軍手も近くの段ボールに入っていて、運ぶのに骨が折れそうだ。
「埃っぽいな〜〜〜」
「制服汚れるから、俺が運ぶ」
「並木だって制服汚れるじゃん」
「別に」
「そういえば、となりの教室が屋上につながっているのかな?」
「ん。だろうな」
先生から鍵を預かっているために、となりの教室も難なく入ることは可能だ。施錠されている理由は、屋上に行く生徒が跡を絶たず、事故につながる危険があるからだろう。そもそもなぜこんな設計をしたのか疑問だが、当時はなにか理由があったはずだ。
「行ってみよ?」
「ああ」
隣の教室の鍵を解錠して中に入ると、屋上に繋がる理由がようやく分かった。この部屋は更衣室なのだろう。そして、ここから屋上に出られるということは。
「ここ、プールだったんだね」
「そうみたいだな」
「こんな場所にプールあるなら入ってみたかったな〜〜〜」
外周を高さ三メートル近いスチールの壁に阻まれて、しかもそれは猫背のように内側に反り返っている。なにも使わずに登ることはほぼ不可能だ。転落防止の他に目隠しも兼ねているのだろう。
「屋上がプールだったなんて信じられない。広いね。なんだかワクワクする」
「ん。だな」
「デッドスペースでもったいないよ」
霧島さんは水の抜けたプールにはしごを使って降りて空を眺めた。とても絵になる。まるで役目を終えた冷戦時の基地が悠久の時を超えて、忘れ去られたような雰囲気だ。そこに霧島さんが立っている。思わず、スマホで撮影をしてしまった。
「あっ! 今撮ったでしょ」
「ん。絵になるなって」
「フィルムカメラ持ってきてなくて残念だったね」
「スマホでも十分撮れるぞ」
三つ前の世代のアイフォンだが、機能的には十分すぎるほど。とはいえ、フィルムのほうが好きだが、こういう何気ないシーンを瞬時に撮りたいときにスマホがあって良かったと思う。
「そういえば、制服の作品って撮ってなくない?」
「確かに。この荒廃的なディストピア感満載な空間で、制服姿の霧島さんってかなり良いなっ!!」
「そう?」
「制服姿の霧島さん撮りたい。ここで待っててもらっていいか?」
「いいけど……」
「カメラ取ってくる!」
「うん」
急いで教室まで戻って、バッグの中からコンタックスのコンパクトカメラを取り出してポケットにしまい込む。フィルムはまだ十数枚残っているから十分撮ることができる。それと、百均で買ったシートも持っていくことにする。
急いで戻ると、霧島さんはプールサイドに設置されている錆びたシャワーの下に腰掛けていた。制服姿でシャワーを浴びているみたいで、しかも横顔に光が差してこれまた絵になる。
シャッターがカチッと音が鳴って、霧島さんに気づかれてしまった。
「また声掛けないで撮った! 変顔してたでしょ?」
「してない。すげえ可愛かった」
「可愛いって言えば許してもらえるとか思ってない?」
「ない」
「ほんとかな〜〜〜」
「ん。本当に」
「それで、どんな作品撮りたいの?」
「このプールの中で“水のゆらぎ”を撮る」
「えっと。水……張ってないよ?」
「だからこれを使う」
梅雨の気候にもかかわらず今日は快晴。太陽も絶賛活動中で、プールの真ん中にはしっかりと光が降り注いでいる。霧島さんにはプールに入ってもらいつつ、俺は百均のオーロラシートのパッケージを開けた。オーロラシートというのは虹色に光る透明のフィルムシートのことで、ラッピングに使う商品らしい。
そのシートをレフ板のように霧島さんに向けると、まるで水の中のゆらぎのように、霧島さんの表情に七色の光が映り込む。
「すごいっ!」
「試しにスマホで撮ってみるか」
撮った写真を霧島さんに見せると、「おぉ〜〜〜」と喜んでくれた。オーロラシートが気に入ったらしく、二枚目をパッケージから取り出して、俺に向けて反射させてスマホで撮った。俺なんて撮っても面白くないと思うが、霧島さんは満足したらしい。
「ファンタジック並木が撮れたっ!」
「ああ、こういう使い方もできるぞ」
今度は透けたオーロラフィルムをスマホのレンズに近づけて、ベールのようにして霧島さんを撮る。太陽の光がフィルムに反射し光が飽和する。スマホでも十分おもしろい写真が撮れた。
「わ〜〜〜エモい。わたしもやっていい?」
「被写体が俺なのがちょっと……だが」
「並木がいいの」
「なら、別にいいぞ」
「うんっ!!」
オーロラシートだけでこれだけ楽しめるんだから、百均で色々買ってくれば、一日遊べるかもしれない。今度霧島さんと百均に行っていろいろと買ってみよう。
「あ、すごくいいの撮れたっ!」
「どれ? ん。確かに良い写真だな」
「でしょ! 写真撮るのって楽しいねっ!」
「じゃあ、今度は霧島さんがこっちに立って、」
「おっけー」
開かずの教室はおそらく更衣室だったのだろう。俺はそこに立てかけられていたデッキブラシを取ってきて、霧島さんに持ってもらう。制服姿だから違和感があって面白い。
「ここを掃除しろって言われて、絶対にしたくない人の顔できるか?」
「そのバックストーリーが気になるね。いったいわたし、プールでなにをしちゃったんだろう」
霧島さんは、クラスでは絶対にしない表情を浮かべた。わざとらしく頬を膨らませる仕草が相変わらず可愛い。カメラ目線じゃないところが妙に笑える。水の抜けたプールで、なぜ制服姿のまま掃除させられているのだろう。そんな想像を掻き立てられる。フィルムカメラのほかに、スマホで撮って霧島さんに見せると、
「なにこれっ! 想像以上に変っ! 面白いね〜〜〜」
「ああ、楽しいな」
「並木も楽しい?」
「ん。学校でこんなに面白いのははじめてかもな」
「ねえ、あっちも行ってみよ?」
霧島さんに腕を掴まれて、更衣室とは反対側に連れて行かれる。特になにがあるわけでもないが、霧島さんは飛び込み台に立ち、これからスタートをするスイマーの真似をした。
「並木は泳げる?」
「一応」
「じゃあ、夏休みはプール行こ?」
「わかった」
「やった。あ、並木もここに立ってみて?」
霧島さんが飛び込み台から降りて、今度は俺が代わりに立つ。霧島さんはスマホを構えて俺の写真を撮った。
「並木、かっこいいぞ」
「……どこが?」
「いつもわたしを可愛いって褒めてくれるお返し。でも、お世辞ばっかり言うのは……ダメだからね?」
「……お世辞? いつも本気だが?」
俺は基本的にお世辞なんて言わないし、言う必要はないと思っている。『可愛いと思った相手には恥ずかしがらずに素直に可愛いと言え』と物心ついたときから教えられてきた。言葉が足りないから気持ちが伝わらない。思っているだけでは心は伝わらない。女の子は素直に言葉にしてほしいと思っている。キャバ嬢たちにそう教え込まれた。
「だから、そういうこと言っちゃダメなのっ!!」
「……そうなのか?」
霧島さんは嬉しくないらしい。言われて困る人もいるのか。可愛いという言葉だけでは安っぽくて、下手をすると語彙力が足りないと思われているのかもしれない。だが、それに代わる言葉を俺は知らない。
「じゃあ、なんて言って褒めればいい?」
「そういうことじゃないの……」
「なら、どういうことだ?」
「もう、並木のバカっ!!」
霧島さんはなぜか俺から顔を背けて俯いてしまった。
「ごめん」
「謝らないでよ〜〜〜。でも、そんなことばっかり言ってると……わたし本気にしちゃうよ?」
「それで構わないが?」
「もうっ! わたし怒った。お説教です」
「え?」
「並木春輝くん。そこに立ってください」
霧島さんの指差す方に移動して壁際に立たされる。なにをされるのかと思ったら、霧島さんは俺の前に立ち、またわざとらしく頬を膨らませて腕組みをして仁王立ちする。
「並木春輝くんの弱点はなんとなく知っているんです!」
「弱点って?」
自分では気にしたことがない。考えても苦手なものはほとんどない気がするが。
「霧島先生は、この前並木くんにマッサージをしたとき、弱点を知ってしまったのです」
「……え」
霧島さんが一歩前に出て、腕組みをやめて手を伸ばしてきた。守りに入ろうとすると「ダメっ! 我慢しなさい」となぜか怒られる。俺の脇の下にから横腹にかけて、伸びた霧島さんの手が獰猛な野獣のように暴れてくすぐってくる。
「やめっ!! 本当に」
「並木には一度ぎゃふんと言わせないとっ!」
「な、なんで」
「可愛いとかすぐに言ってわたしを甘やかせるからっ!!」
「それは、だから」
「それと、優しすぎてわたしを甘やかせるからっ!!」
「なんで、」
屈みながら、なんとか霧島さんの猛獣の手から逃れようとするが、今度は後ろから抱きつかれてくすぐられる。絶対に霧島さんは楽しんでいるだろ。脇の下から横腹かけてくすぐられるとたまったもんじゃない。俺の弱点といえば弱点で死ぬほどくすぐったい。霧島さんを強引に振り払うわけにもいかず、ここは耐えるしかない。それにしても苦しい。
「甘やかすのが——なんで悪い!?」
「ダメ人間になっちゃう」
ようやく解放されて俺は床に座り込んだ。久々に息が上がってしまった。そして、可笑しくなって笑った。霧島さんも笑って、「並木ってやっぱり脇じゃん」と弱点を見破ったことに満足して床に座り込んだ。
俺はそのまま床に寝転んだ。こうして屋上で空を見上げると、なんだか気持ちがいい。すると霧島さんは俺の隣に移動して座り込み、そのまま背中を床につけた。
「制服汚れるぞ」
「並木も。それに仕方ないじゃん。笑い疲れちゃったもん」
「ん。俺も」
ポケットからカメラを出して俺は横を向き、寝たままの霧島さんを撮った。シャッター音に気づいた霧島さんも横を向き、唇を尖らせて俺に向き合う。霧島さんは手を伸ばして、指先で俺の鼻をボタンのように押す。
「隙あり」
「霧島さんも」
霧島さんの頬を右手の指先で挟む。完全に変顔になった。鼻を押されている俺もおそらく変顔だ。霧島さんがうちに泊まった日、朝起きてからもこんなことをしていた気がする。
「時間が経つのが早いね。そろそろ行かなきゃ」
「ん。だな」
「林間学校だし、早めに帰らなきゃ」
立ち上がって、互いに制服の汚れを手で叩いて落とし、林間学校で使う用品の入った段ボールを職員室まで往復して運んだ。仕事が終わって霧島さんと一緒に下校する。そういえば、最近はいつも一緒だ。登校も昼休みも下校も。
「今日はライン控えるね」
「ん。わかった」
「だから、夜九時までにする」
「それは控えているのか?」
「ダメ? そこは甘やかせてよ」
「ん。わかった」
帰って夕飯を食べてからライン通話をすることになった。風呂に入る間も、林間学校の準備をする間も繋ぎっぱなしで、結局寝落ちするまで続くというルーティンからは逃れられなかった。
今日の霧島さんの寝息も変わらず可愛い。
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