#10 傘@カノジョファースト



昨日は調子に乗りすぎた。



わたしがオモテナシのメイドさんごっこをすると、面倒くさそうな顔をしながらも並木は付き合ってくれる。屋上でバーベキューをしたときは特にそうだった。でも、そのうち並木が恥ずかしそうな顔をするから、なんだかそれが可愛くて楽しくなってきて調子に乗ってしまった。



クリームパスタを「あ〜ん」ってしているときまではよかった。でも、お風呂を上がった並木にドライヤーでブローをしてあげて、マッサージまでしてしまったときには、もう自分でもメイド役に酔いしれていた。並木の反応が面白い&可愛くて。それで並木はいつの間にか寝ちゃって、その寝顔が……。



ギャップ萌えってやつ。



眺めていたらなんだかいろいろといたずらしたくなった。寝ているのをいいことに、勝手に並木の髪を上げて頬をツンツンしたり、眉毛をなぞったり。耳たぶに触れたり。そうしているうちにわたしも眠くなって、うっかり眠ってしまった。



そして、目が覚めると並木がわたしの髪を撫でていた。眠っている間になにもなかったよね?

まったく覚えていないけど、きっと何もなかった。そういうことにしておこう。とはいっても、並木が何かをするようには思えないし、むしろ、わたしが寝ぼけて余計なことをしていそう。



ヤバい。寝言とか言っていないよね?

怖いから考えるのやめよう。



「ハンバーグの夢か。腹減ってるのか? なにか食べる?」

「ううん。お腹すいてないよ。それよりも、もう少しこうしていたいんだけど……ダメ?」

「ん。別にいいが。ところで今何時だ……六時か」



学校に行くときはだいたい六時に起床しているけど、今日は創立記念日で休み。休日、家にいるときは八時近くまで寝ているかもしれない。いや、下手をすると九時過ぎまで寝ていることもある。それを考えると今日はずいぶんと早起きをしてしまった。



「並木はいつも何時くらいに起きるの?」

「五時くらいだな。休みの日は六時」

「早いね」

「二番街の朝は、散歩すると気持ちいいからな」

「そうなんだ。今日も行く?」

「いや。俺もう少しこうしていたい」

「それは……わたしとこうして横になっていたいってこと?」

「ん。寝起きの霧島さんなんて、もう見る機会ないかもしれないだろ」

「また泊まりに来るよ?」



寝起きのわたしを見ていたいって、いったいどういうことなのよ。すっぴんで髪はボサボサだし、見ていてもなにも良いことなんてないのに。でも、並木も寝癖は付いているし、いつもよりも少し呆けたような顔をしている。確かに言われてみれば貴重かもしれない。並木のこんな姿、お泊りでもしない限り見ることなんてできないと思う。



「そうだな」

「また来ていいよね?」

「いつでもいいぞ」



わたしも並木も横になっていて、寝そべったままの状態で目が合うなんて、日常生活ではあまり経験できないことだろう。昨晩、いたずらをしたように並木の頬をツンツンすると、並木は反撃をしてわたしの頬を指先でグリグリしてきた。



「変な顔になった」

「並木も」



並木が笑ってくれた。学校では絶対に笑わないのに、わたしの前ではよく笑ってくれる。並木が笑うと釣られてわたしも笑ってしまう。作り笑いをしているわけでも、無理しているわけでもなく、自然と笑みがこぼれる。感情がリンクでもしているみたい。



さっきまで日が差していたのに急に暗くなる。たしか、今日の天気予報では昼頃から雨だった。天気が雨だと気が重くなる。とくに休日だと殊更ことさら動きたくなくなる。でも、それはあくまでも一人のときだ。今日は違う。



「休みの日、雨だったらいつもなにをするの?」

「勉強とか。あとは映画を観たり」

「あぁ……わたしも勉強しなきゃ……。でも、今日は部屋でゴロゴロしたい。だから映画を観て、ソファで一日過ごしたいんだけど……ダメ?」

「そうだな。そういう日があってもいいんじゃないか?」



並木はわたしを決して否定しない。さらに甘やかしてくるから、わたしは並木の前ではダメ人間になってしまう。わたしがなにをしても並木は許してくれるし、がんばれば褒めてくれる。今日はダラダラしたいというダメっぷりを肯定してくれて、一緒に実践してくれる。



並木ってストレスフリーだ。



それになんだか本当の恋人みたい。あくまでもドラマや漫画の中のイメージでしかないけど、思い描く恋人たちの日常はこんなものだろうと思う。もしかしたら、もっと甘い時間を過ごしているのかも知れない。けれど、わたしにしてみれば、今回のお泊りは十分すぎるほど糖度が高い。



偽装交際だということを忘れてしまうくらいに楽しかった。



その後、しばらくどうでもいい話をして、互いに髪を撫でたり耳の形を比較してみたり、どうでもいいこと、馬鹿らしいことをしながら、一時間くらい過ぎて起床した。リビングに移動してカーテンを開けるとすでに雨は降り出していて、暗い空がすぐそこに迫っている。



「俺は朝食作るから、先に洗面台好きに使っていいぞ」

「うん。ありがとう」



歯磨きをして顔を洗い、軽くメイクをした。そしてドライヤーも借りて髪の毛を整えていく。



リビングに戻ると並木が朝食を作り終えていた。スクランブルエッグとウィンナー、それからひじきに味噌汁まで作っていて、あまりの手際の良さに面食らってしまった。料理を作り終えたタイミングで、並木は歯磨きと顔を洗うために洗面台に向かった。先に食べていいと並木は言ったけれど、わたしは一緒に食べたいから並木を待つことにする。そうして、一〇分くらいして並木が戻ってきた。



「並木って、料理得意すぎない?」

「ん。一応、将来は店を出したいと思ってる」

「え? もしかして将来の夢は料理人とか?」

「料理人というよりも、二番街で店を出したい。みんなが集まってガヤガヤできるような店を作りたい」



意外だった。並木は写真関係の仕事をしたいのかと思っていた。たとえば、フリーランスのフォトグラファー。きっといろいろなアーティストから依頼が来て、有名な写真家になるんじゃないかと勝手に思っていた。あんなに心に響く写真を撮れるのだから、それも可能なんじゃないかって思っていたが違ったみたいだ。



言われてみれば、並木の料理は神がかっている。



「そっか。いいな。夢があって」

「霧島さんはないの?」

「わたしはまだ分かんない。これがしたいっていう目標がなくて。漠然と学校に行って、ダラダラ生活しているだけだから」



簡単そうで奥が深いのが料理だと、身を持って知ったのが昨晩作ったクリームパスタだ。家で二回ほど作ったけどどちらとも味は可もなく不可もなく、いたって普通の美味しさだった。それでもわたしにしてみれば上出来。



ところが昨日のクリームパスタは、同じレシピのはずなのに家で作ったときとは比べようがないくらい美味しかった。その理由を考えていたら、一つの答えにたどり着いた。昨日は並木に褒めてもらいたくて気持ちを込めて作ったのもあるが、そんな魔法みたいな理由ではない。



家で作ったクリームパスタは、両親が二人とも仕事でいないときに一人で作って、一人で食べた。でも、昨日は並木と二人で食べた。ふざけ合いながらも、幸せいっぱいに食べることができた。並木が美味しいって言ってくれて、わたしの気持ちもリンクするように、パスタが美味しいって感じた。おそらく、幸せホルモンとかそういうものが味覚に影響しているのだと思う。



でも、そんな理屈はどうでもよくて。

それに気づくまで、少し時間がかかってしまった。



「「いただきます」」



幸せの象徴。並木の料理はわたしにとって幸せの象徴だと思う。現に朝食も素朴ながらすごく美味しい。



「霧島さん」

「なに?」

「今日は帰るんだよな?」

「まあ、明日は学校だし」

「寂しくなるな」

「……いきなり後ろ髪引かないでよ」



今まで一緒にいたのに、突然一人になる寂しさは理解できる。特に一人暮らしの並木はその想いが強いんじゃないかって思う。わたし自身も帰りたくないし、このままずっと並木と一緒にいられたら最高だと思う。二人で特になにをするわけでもないけど、並木と過ごしたお泊りの時間はすごく心地よかった。



朝食を食べ終えて、昨晩みたいに二人で洗い物をして。恋人を通り越して新婚さんみたい、なんて思ってしまうほど。その後は二人でソファに並んで座り、映画を観ることにした。並木にオススメを訊くと「勧められる映画は特にない」とそっけない返事。派手なアクションは好きではないらしく、またラブストーリーも興味がないという。



「じゃあ、いつも何の映画観てるの?」

「……インド映画」

「えっ? インド?」

「ん。突然踊りだすからウケるが、オススメかと言われると自信はない」

「じゃあ、それでいいよ」



それで並木がチョイスしたインド映画を観ることに。並木は「待て」と言ってキッチンに行き、コピ・ルアクを淹れて戻ってきた。並木はブラックで、わたしはミルク入りで砂糖なし。それに少しだけ高級なチョコレートをテーブルの上に置いた。きっとまた風俗嬢の誰かにもらったとかそういうのだろう。



インド映画は一時間半ほどで終わり、ダンスのシーンの多さに驚いたけど意外にも面白かった。そうやって過ごしているうちに午後になり、帰る時間が刻一刻と迫ってくる。午後はただ並木とくだらない話をして笑って過ごし、あっという間に夕方になった。雨は上がりそうになく、梅雨空の下、帰るのには濡れる覚悟しなくてはいけない。



いつものように並木は送ってくれるが傘が一本しかなく、並木は濡れてもいいなんて言うが、そういうわけにはいかない。



「相合い傘で帰ろうよ」

「わかった」



並木の傘が大きめでよかった。でも、かなり密着しないと肩が濡れてしまい、並木に申し訳がない。しかもわたしを濡らさないようにと、並木はわたしを中心に傘を差してしてくれる。わたしは並木に濡れて欲しくないから、「えいっ!」って傘を持つ並木の左手を反対側に押し出す。すると「濡れる」と言って、並木は傘を右手に持ち替えて、左手でわたしの肩を抱き寄せた。



「えっ?」

「仕方ないだろ。霧島さんが濡れるから」

「……うん」

「あ……悪い。嫌だったか?」

「ううん。むしろ嬉しいよ」



当たり前のようにわたしの肩を抱く並木を見上げると、顔色一つ変えずに前を見ていた。右半身に並木のぬくもりを感じて、妙にドキドキする。わたし達を見て、二番街の人たちはどう思うのだろう。



なんでこんなに優しくしてくれるの?

これが普通なの?

でも、クラスの女子の話を聞くかぎり、並木のような人はいない。もちろん、相合い傘の件だけじゃなくて、総合的に判断して並木は特別だと思う。学校の他の男子は優しいけれど下心があって、優しさと下心が天秤で揺れているような話を聞く。



並木はそういうのじゃない。基本的に“霧島麻友菜ファースト”だ。レディファーストではない。わたし以外のクラスの女子にはそういう素振りは見せないどころか無愛想で、冷たい男子としてみんなの目に映っている。



あっという間に駅について、甘美な時間が終わってしまう。電車に乗ってわたしの家の最寄り駅に着くと雨は上がっていた。別れのときはあっけなく。家に着くと、並木は特に表情を変えることなく「またな」と言ってきびすを返した。



「並木っ!!」

「ん?」

「送ってくれてありがと。気をつけてね」

「ああ。霧島さん」

「なに?」

「帰ったらラインしていいか?」



並木は、この前のわたしと同じことを訊いてきた。



「それって訊くこと?」

「それもそうだな」



わたしは並木からラインが来るのを心待ちにして、お風呂の中にもスマホを持ち込んだ。珍しく並木の方からライン通話を掛けてきた。たった今、家に着いたところらしい。



『霧島さん忘れ物してるぞ』

「えっ?」

『インナーと下着一式』

「……待って」

『とりあえず洗濯して干しておくか?』

「ああああああ。そのままでいいから。明日取りに行くからそのままでっ!!」



昨晩お風呂に入って、そのまま置きっぱなしにして仕舞い忘れたらしい。一番見られたくないものを忘れてくるなんて、うっかりミスもいいところだ。最悪すぎる。恥ずかしくて死にたくなった。見つかってしまったら後の祭り。今ごろ、並木は“霧島さんってこういう下着付けてるんだ”とか思っていそう。



いやいや。あの並木がそんなこと思うわけがない。普通の男子とは比較にならないほど女の子に慣れている。わたしと撮影をした際に、風俗店から下着姿の人が出てきても動じないような性格の持ち主だ。



『じゃあ、明日もうちに来るんだな』

「うん。でも、並木は明日バイトあるんでしょ?」

『あるが、時間は作る』

「なら……明日も会えるね」

『毎日会ってるだろ』

「そうだけど……」



二人だけの時間は作ろうとしなければ生まれない。学校では二人きりになる(素のわたしでいられるという意味で)のは不可能に近い。並木はともかく、わたしはいつも友達が周りにいて、それを無視をするわけにもいかない。空気を読まなければ、誰からも相手にされなくなってしまう。だから、学校では並木とゆっくり話をする時間がない。



「もっと並木と話したい」

『ん。そうだな』



三連休はわたしに合わせて、並木はバイトのシフトを入れなかった。一番忙しい土曜日を休んでくれた並木には感謝している。そして、またわたしのワガママを受け入れてくれる並木が優しすぎて、甘えてしまう。それに並木の前では自然体でいられるから依存してしまう。



ダメだ。並木から離れられない。どんどん沼っていく。




時間を忘れて、その後も寝落ちするまで並木といっぱい話をしてしまった。






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