#09 クレンジングオイル@マッサージ
月曜日は
別に断る理由もない。霧島さんの好きにすればいいと思う。
撮り終わったフィルムをダークバッグ内で現像し終えて、パソコンに取り込むと料理をしていた霧島さんが、パスタの皿を片手に乗せたままディスプレイを覗き込んできた。今日は自分が料理をして、俺をオモテナシすると言っている。それでずっとキッチンにいたが、果たして大丈夫なのだろうか。
「これ、クララさん?」
「ん。あいつのインスタのために撮っているようなもんだ」
「そういえばクララさんのインスタにたまにエモい写真があると思ったけど、あれって全部並木が撮ってるの?」
「大体そうだな。まあ、俺も撮るのは好きだからいいんだが」
「並木はインスタとかやってないの?」
「やってない」
「やればいいのに。絶対にハズるよ?」
「別に誰かに見せるために撮ってないからな」
「そうなんだ。それで、今日の写真は現像できたの?」
「ん。あるよ」
三六枚撮りの一本目のフィルムのほとんどはクララの写真だが、最後の数枚は霧島さんの写真だ。買い物に行った際に撮らせてもらった作品で、一枚目は少し表情が硬い。二枚目の霧島さんの肩を叩いて、振り向いたときに不意打ちで撮った写真はかなり良い顔をしている。フィルムスキャナーでパソコンに取り込んで、はじめて画面で見たときには思わず声が漏れたくらいにお気に入りの一枚だ。
「わ〜〜〜〜すごい! 自分じゃないみたいっ! でも、ちょっと恥ずかしいかも」
「これ。霧島さんすげえ可愛い」
「か、可愛いとかそんな簡単に言っちゃダメなのっ!」
「なんで?」
「なんでって……」
霧島さんは口をもごもごしながら俯いてしまった。今日撮り終えたフィルムも現像済みで、それをフィルムスキャナにセットして取り込みを開始する。少し時間が掛かるから、霧島さんが作ってくれた夕食を先に食べて待つことになった。霧島さんの作った夕飯は、菜の花と小エビの入ったチーズクリームパスタで、見た目はとても美味しそうだ。
「並木ほど上手にはできていないと思うんだけど……」
「かなり練習してきただろ?」
「え……そ、そんなことないよ?」
「手際を見れば分かる」
「そっか……分かっちゃうんだね。ごめん。並木ほど器用には作れないよ」
「違う。そうじゃなくて、これは霧島さんが必死に努力したから生まれた料理だろ。その料理に敬意を払わないわけない。さっそくいただいていいか?」
「うん……美味しくなかったらごめんね」
パスタを絡ませたフォークを口に運ぶ。チーズとクリームの分量もほどよく、さらに塩加減と胡椒の量、それから麺の硬さも絶妙だ。これは初心者ならではの的確さによるもの。初心者ほど目分量にせず、ちゃんとレシピどおりに大さじ、小さじの配分やグラム数を量って料理をすることが多い。俺も料理をはじめたときには、霧島さんと同じようにかなり時間がかかった。つまり、美味しく作りたいという気持ちが、このパスタから滲み出ている。
「うますぎ。俺のために作ってくれた気持ちが溢れ出てる」
「ほんとっ!?」
「ん。かなり」
「よかったぁ〜〜〜〜〜」
霧島さんは緊張していたのか、俺が食べるまで表情が硬かったのに、俺の一言で笑顔になった。そして、またアレの時間がやってきたようだ。
「それでは今日もオモテナシしちゃいますね〜〜〜っ!! ご主人さまぁ〜〜〜」
昨日の屋上バーベキューのときのメイドごっこがよほど楽しかったらしく、今回もやりたいらしい。わざわざ俺の隣に椅子を運んできて、俺からフォークを奪った。くるくるとフォークでパスタを巻いて、「はいっ! あ〜〜〜〜ん」と俺の口の前まで持ってきた。俺が口を開くとパスタを食べさせてくる。
「美味しいですかぁ?」
「ん。うまいよ」
そんな調子でパスタを平らげた。なんだか俺だけオモテナシされるのもどうかと思ったから、俺も霧島さんに食べさせる。霧島さんは楽しそうに笑った。もちろん、学校にいるときのような作られた笑顔なんかじゃなくて、素の霧島さんで笑ってくれている。
「エビぷりっぷりだね」
「霧島さん、がんばったな」
霧島さんは「うんっ」と言ってわざとらしく俺に頭を差し出してくる。これは撫でて欲しいということなのか。希望通りに頭を撫でてあげると、肩を擦り寄せてきて、嬉しそうに甘えてくる。今度は子猫ごっこか。
じゃれ合いながらの長い夕飯を終えて片付けに入る。皿をキッチンに運び、洗い物をしようとすると霧島さんは当然のように横に立った。洗い物なんて俺一人で十分だし、そうなると霧島さんはすることがなくなってしまう。
「じゃあ、わたしが食洗機に入れるね?」
「別に大丈夫だぞ?」
「いいの。これもオモテナシだから」
「ん。そうか。わかった」
クララをはじめとした他人が、俺の家のキッチンに入ることはあまり好きじゃない。衛生的な観点もあるが、そもそも自分の料理器具を他の人に触られたくないという、縄張り意識的なこだわりがあった。けれど、なぜか霧島さんに対して拒否反応が起こらなかった。そのメカニズムは自分でも分からないが、霧島さんに対する免疫反応が機能しないとなると、霧島さんは俺の何なのだろう。とても疑問だ。
俺が水洗いをした皿を、霧島さんが食洗機の中に丁寧に並べていく。今日も流行りの曲の鼻歌を歌いながら、霧島さんは上機嫌で俺から食器を受け取る。
洗い物が終わって、パソコンを確認するとフィルムのスキャンが終わっていて、フォルダの中に取り込んだ写真のファイルが並んでいた。これを開くときが一番緊張する。いつの間にか俺の隣にイスを持ってきて、ディスプレイを凝視する霧島さんと顔を見合わせた。
「並木の作品の
「それは違うぞ」
「えっ?」
「俺と霧島さん、二人の作品だろ。俺一人じゃ完成しないからな」
「……そっか。うん。そうだね。並木、わたしを作品づくりに参加させてくれてありがとうね」
「こちらこそ。参加してくれてありがとう。じゃあ、二人のはじめての共同作品づくりの結果を見てみようか」
「——っ! う、うん」
一枚目のファイルをクリックすると、二番街の裏通りで撮った霧島さんが画面いっぱいに映し出された。ポートラ400はその名のとおり感度が400あり、ラチチュードが広めでアンダー気味に撮ってもしっかりとシャドーが残る。さらにハイライトも白飛びせずに霧島さんの表情がはっきりと映し出された。さらにライカのレンズの独特の開放から一段絞りのF2.8の立体感が凄まじく、霧島さんが浮き出て見える。そして、フィルムならではの粒子感と色表現に思わずため息が漏れてしまった。
それだけではない。ドライフラワーを持った霧島さんのもの悲しげな表情が写真にストーリー性を持たしていて、この一枚だけで映画のポスターだと信じてしまう人がいるかもしれない。
「すごい……エモすぎてなんて表現していいか分からないよ」
「ん。やっぱり霧島さんすごいよ。可愛いだけじゃなくて……演技もそうだし、魅せ方によってはプロにも通用するかもな」
「それは大げさだよ。並木が上手だから」
「だから、俺一人では作品は完成しない。この作品の半分は霧島さんの実力だから」
「……うん」
次のファイルも、その次のファイルも霧島さんは感動しっぱなしだった。俺も霧島さんも声が出ないくらいに画面に釘付けになった。霧島さんを被写体にした作品は、今までとどこか違う雰囲気がある。
「このデータってもらったら、インスタに使っていいの?」
「ん。構わない」
「やった! ありがとう」
データをすべて渡すと、霧島さんはスマホに入った写真をしばらく眺めていた。その間に風呂を沸かして、霧島さんの使うタオルや使い捨ての歯ブラシにコップを用意する。そういえば、メイク落としは持っているのだろうか。
「霧島さんメイクは落とせる?」
「シート持ってるから大丈夫」
「クレンジングオイルとか、パックとか……化粧水とかその棚に入ってるから使っていいぞ」
「なんであるの?」
「この前クミさんが置いていった」
「だからなんで?」
「クミさんと会ったろ。それで、そのうち霧島さんがうちに泊まりに来るから、最低限のものは置いておけって」
「そうなんだ……」
ついでにコンドームも箱で置いていかれたが、それは別の棚にしまっておいた。しかもクミさんから情報が漏れて、キャバ嬢やらコンカフェ嬢やら、挙句の果てに風俗嬢まで俺に彼女ができたことを知ったらしく、下校時に通りを歩くたびに声を掛けられて大変だった。
霧島さんに先に入浴をしてもらうことにして、俺はその間に霧島さんの寝るためのエアベッドを膨らませた。
「すご〜〜〜〜いっ!!」
風呂場から霧島さんの声が響いてきた。脱衣場の前で「なにが?」と訊くと、扉を開けて歯磨き粉のついた歯ブラシを手にし、顔だけ覗かせた霧島さんが「広いのっ!」と答える。霧島さんの服は脱ぎかけのようで、ブラウスのボタンが三つくらい外れている。本人は俺から見えていないと思っているのかもしれないが、ボタンを開けている上に屈んでいるから、薄いピンクのブラがブラウスの下のインナーの隙間から見えてしまった。
「とりあえず、顔は出さなくていいいから。霧島さん無防備すぎだ」
「そう? 別に裸じゃないよ? まだ服着てるじゃん」
「胸というか、下着が見えてる」
「えっ?」
やっと気づいたのだろう。自分の胸を見て恥ずかしくなったのか、顔を赤くして勢いよく扉を閉めた。
「俺のシャツとハーパン置いておくから」
「うん。ありがと〜〜〜」
エコーの掛かった声が風呂場の中から聞こえてくる。また鼻歌を歌っているようだ。
霧島さんが風呂から上がり、今度は俺が入る番だ。俺は長風呂をしないし、さっと洗って湯船に入り、歯を磨いて一〇分程度で出るのが日課だ。霧島さんが髪を乾かしている間に、俺の入浴は終わってしまう。髪は洗面台で乾かしてもらいたいところだが、そうなると俺の裸を見ることになってしまうために、霧島さんにはリビングで髪を乾かしてもらっている。
「もう出たの?」
「大した時間は掛からないだろ」
髪をバスタオルで拭きながらリビングに行くと、霧島さんのスイッチが入ったらしく「ご主人さま〜〜〜っ!」とドライヤーを片手に、俺に椅子に座るように促してきた。俺は髪を触られることがあまり好きではなく、どうせなら自分で乾かしたいと思っているが、これも偽装彼氏の役割だと思って諦めた。
「ご主人さまぁ〜〜〜髪を乾かしていきますねっ! 熱かったら言ってくださいっ!!」
嫌だと思っていたのに、なぜか全然嫌じゃない。むしろ丁寧に髪に触れて、髪の束を持ち、乾いたらまた違う束を持って乾かすことを繰り返してくれた。美容室のような乱雑に髪をなぶるようにして乾かすようなことはせず、まるで華奢な愛玩ペットを
髪を乾かし終えると、
「マッサージしますねっ! ご主人さまぁ、側頭部が凝っていますね」
「いや……そんなことないと思うが」
「肩と腰もマッサージしますねっ! あっ! ベッドに移動してもらえますか?」
「いや、そこまでは」
「ほら。オモテナシですよぉ〜〜〜」
仕方なく、自室に霧島さんを案内すると、ベッドに横たわるように半ば強制的に転がされた。うつ伏せに寝転がり、大胆にも霧島さんは俺に馬乗りになる。霧島さんは膝で立っているために思ったよりも体重は掛かっておらず、俺は重みを感じない。とはいえ、霧島さんに腰掛けられても、体重が軽いためにきつくはないと思うが。
「ご主人さまはどこがお疲れですかぁ〜〜〜?」
「どこも疲れていないんだが?」
「またまたぁ。ここですか?」
肩甲骨あたりを指圧される。霧島さんの軽い体重だとしても、そこそこの強さの指圧が掛かる。思ったよりも心地よい。肩甲骨から下に指が移動して、腰にたどり着く。そこから更に下の方に移動して、尻の手前で止まった。
「さすがにそこからはヤバいんじゃないか?」
「なにがですかぁ〜〜? 今度は太ももまでいきますねっ!」
尻から下に指が移動して、太ももに差し掛かると霧島さんはマッサージする手を止めた。それにしても変な声が出そうだ。
「男の人の身体ってこんなに硬いんだね」
「……そうか?」
「うん。筋肉質っていうか」
「比較対象が女の子なら、確かにそうだな」
「ご主人さま、次は戻っていきますよぉ〜〜〜〜」
霧島さんのマッサージは確かに気持ちよくて、いつの間にかウトウトして気付くと意識が飛んでいた。
鳥の鳴き声がして、どこからかヘアオイルの匂いがする。俺が使っているものとは違う、甘い香り。それに吐息が聞こえて、すぐ近くに体温を感じる。目を開けると、カーテンの隙間から漏れる光が一条に差して、シャツとハーパン姿の丸まった女の子の髪に反射していた。
すぅすぅと寝息を立てる霧島さんが、俺の右手を両手で優しく握りながら眠っていた。なんで俺の手を握っているのか分からないが、とにかく一緒に寝てしまったのだろう。
マッサージをしたまま眠ってしまったのか。
霧島さんの髪を撫でると、霧島さんはパチっと目を開いた。目が合い、霧島さんは何度か
「うん、おはよう」
「いつの間にか寝ちゃったね」
「そうみたいだな」
「良い夢見れた?」
「……覚えてない。霧島さんは?」
「ハンバーグ食べてた」
「ん。良い夢だな」
ベッドに横になったまま、二人で笑った。
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