#04 風俗嬢御用達の大人プリン@オモテナシ
お母さんに夕飯は食べて帰る
並木の撮っていた写真に写っていた子だ。
そうなると今日の来客とはあの子のこと?
でも、並木の写真を見る前からどこかで見たような気がしていた。細い足に締まった身体。胸はそこまで大きくないけれど、メリハリのあるウェストライン。それに整った顔。もしかして。いや、まさか。彼女なんてことありえない。こんなところにいるはずないもの。
お母さんの許可をもらって電話を切った。夕飯を食べて帰ることにしたから気兼ねなく遅くまでいられるけど、場所が場所なだけに一抹の不安が残る。本当に並木はわたしを送ってくれるのだろうか。一人で帰れとか言われたら泣くしかない。この前のトラウマがフラッシュバックして寒気がしてきた。
「それで? 彼女ってどういうこと?」
「だから、そのままの意味だけど」
「それは第三者を指す代名詞の彼女なの? それとも恋人という意味で使っているの? 浮気なんてしたら春輝殺すよ?」
部屋に戻るとなかなかの修羅場だった。
「あの……お邪魔でしたら帰りますけど……」
「あなたは? あたしは
「えっと、わたしは
並木を見るとぶんぶんと顔を横に振っている。いや、待って。西谷鞍楽ってやっぱりそうじゃん。本当に? 詐欺られてない? 並木大丈夫?
「クララちゃんッ!」
「だからそう言ってるじゃないの。あなた面白いわね」
「あの西谷鞍楽さんがなんでここに……」
西谷鞍楽とは、わたし達の世代で知らないものはいないSNSを中心にバズっている人気モデル。日本のファッションリーダーと言っても過言じゃないほど有名人。並木のフィルム写真は解像度が低くて分からなかったけど、まさかクララちゃんだったなんて、ワクワクが止まらないっ!
愛称は『クララ』で、西谷鞍楽という本名は最近知ったばかりで馴染みがない。そっか、クララちゃんか。偶然にも会えた。なんか嬉しい。
「クララさん、わたしクララさんの大ファンです」
「え? そ、そうなの……仕方ないわね。サインいる?」
「いります!! あぁ、もうっどこに書いてもらおう」
「じゃなくて、春輝の彼女ってほんとなの!?」
クララさんの言葉で一気に現実に引き戻されてしまった。
否定すると並木を裏切ることになる。そうなると偽装交際の意味がなくなってしまい、挙げ句、わたしの村山直継問題は『自分でなんとかしろ』となり、悲惨な結末が訪れること間違いなしだ。だから肯定することしか道は残されていない。
「本当です……」
「分かったわ。仕方ない。あたしも腹をくくる。もう二股でもなんでもいい。あたしと付き合ってくれるならそれでもいいよ?」
「いや、全然分かってねえだろ。もういい加減諦めろ」
「春輝はえっと、麻友菜のこと好きなんでしょ。なら、そのまま付き合ってくれて構わないから、同時にあたしとも付き合ってよ」
クララさんはとんでもないことを言いながら、ゼロ距離で並木のシャツにしがみつき迫っている。並木がクララさんをヤンデレと称したのをなんとなく理解した。つまり、クララさんは春輝のことが死ぬほど好き。好きすぎてそんなことを口走っているのだろう。でも、クララさんがそこまで想ってくれているのに、なんで並木は応えようとしないんだろう。男の子からもすごく人気で、彼女にしたい子アンケートで堂々一位だったはず。
でも、きっとそこが並木なんだよね。
「それは無理。俺は麻友菜だけで精一杯だから」
「……わかった。作戦練り直して出直してくる。絶対に諦めないんだからっ!!」
並木に麻友菜って呼び捨てにされた。並木に霧島さんじゃなくて、麻友菜って呼ばれてドキッとした。やばい。なにこれ。ドキドキしすぎ。
それだけのことなのに、なんで?
「いや、出直さなくていいから」
「絶対に春輝を幸せにしてやるんだからーーーっ!!」
そう言ってクララさんは荷物を持って玄関を飛び出していった。並木は
わたしは驚きを通り越し、一周回って冷静になっている。あのクララさんが並木のことを好きってどういうことなの。現実を直視すると訳が分からなくなって吐きそう。
「さて、夕飯でも作るか」
「待って。クララさんとどういう知り合い? そこを聞かないとなんていうか、腑に落ちない」
「あぁ」
並木の父親代わりの
クララさんも生まれたときから両親がおらず、赤子のクララさんを吹雪さんが父親役になって大事に育てたらしい。並木とクララさんは生まれてからずっと一緒。つまり幼馴染を通り越して兄妹のように育ってきた。
並木は覚えていないみたいだが、クララさんが言うにはこども園時代に将来の結婚の約束をしたとかしないとか。クララさん
それは完全にクララさんに脈なしでしょ。
「結果的にわたしが巻き添え食らっただけじゃん」
「ん。ごめん。うまくいくと思ったんだけど」
うまくいくどころか、話をややこしくしただけな気がする。きっぱり断っても迫ってくるところを見ると、フラレても並木はいつか振り向いてくれるとクララさんは信じてやまないんだろうな。確かに並木からしたらはた迷惑な話かも。
けれど、あのクララさんがそこまで好きになる理由がよくわからない。華やかな世界に身を置いているのだから、並木よりもずっと良い男が周りにいるんじゃないの?
「仕方ない。並木のことはわたしが考えるから」
「え。霧島さんが?」
大丈夫なのかよ、的な顔をして、並木は冷蔵庫を開けた。
「女目線から考えるわよ。多分、並木が素っ気なくしても効果ないんだと思う。もっと違う方法で断らないと効き目ないと思うよ?」
「そうか。じゃあ頼む。あ、夕飯はシチューでいいか?」
「シチューって、今から?」
「すぐできる」
様子を見ようとキッチンに入ると、「霧島さんは座っていて」と追い出されてしまった。わたしだって少しくらい料理はできるのに。手伝ったほうが効率いいし、早く食べられる。と思ったら、ピーラーでニンジンの皮を剥き、イチョウ切りにする速度が神だった。調理師免許でも持っているんじゃないかっていうくらいに手際が良い。
「……ずるい」
「え? なにが?」
「並木って、なんでも卒なくこなすよね。料理なんてできない雰囲気なのに、実際はかなりやってるっぽいし、キッチンも料理できる人のそれじゃん」
「褒めても別になにも出ないぞ?」
「ただの感想よ。あ、並木〜〜〜」
「なに?」
「並木の本棚の漫画読んで良い?」
「別にいいけど。面白いのあったか?」
「うん。ドラマ化されたヤツだよね。いつか読みたいって思ってたの」
「貸してやるよ。持って行っていい」
「神かよ~~~並木サンキュー」
一〇巻もあって、きっとカバンに入り切らないからって、並木は料理の合間を見て手提げ袋まで用意してくれた。シチューを煮込んでいる間にパンを焼いているらしく、チーズとバターの焦げる匂いが漂ってくる。チーズが塗ってあるフランスパンをトングで取って、このあたりで一番美味しいパン屋のパンだと教えてくれた。並木は「何枚食べる?」と訊いてきた。
「一枚でいいよ。そんなに大食いじゃないからね?」
「少し太らせようと思って」
「は? ぶっ飛ばすよ?」
「冗談。でも、シチューに付けて食べると止まらなくなるから、とりあえず二枚焼いておく。もし食べきれなかったら俺が食べるから」
「っていうか、さっき米派って言ってたよね?」
「シチューは普通パンだろ」
「……そですか」
食卓のテーブルを除菌シートで入念に拭いて、並木はシチューとパンを運んだ。わたしも手伝おうとすると、
「客人は座っていていいよ」
なんて牽制されてしまう。こいつ、わたしをもてなしてどうするつもりなのだろう。あわよくばワンナイト狙っているとか。いや、並木に限ってそれはない。あのクララさんに言い寄られても手を出さないくらいなんだから、わたしなんて相手にされるわけがない。並木が本当に男なのかと疑ってしまう。
髪だってツヤツヤで綺麗だし、肌もツルツル。よく見ると目も切れ長で、薄い唇も……。ああ、やっぱりタイプだな。長い髪はともかく、見た目はすごく好き。クララさんも並木のそこに惚れたのかな。
「なに見てる?」
「いやいや、なんでもない。ほんとに」
並木は怪訝そうな顔をして、最後にサラダを運んだ。この野菜、いつの間に切ったんだろう。
「いただきま〜〜〜す」
「どうぞ」
シチューを一口食べてみると……。口の中に広がる牛乳と玉ねぎの甘みに加えて、肉の旨味、それから隠し味的にしょうがの香りが鼻を抜けていく。
「これ、絶妙に美味しいね」
「生姜を一欠片すり下ろしているからな。あと、ブロッコリーは少し固めに茹でたから、苦手だったら残して」
「ちょうどいいよ。美味しい」
今度はチーズパンをシチューに浸して食べてみる。これは……。
「なにこれ! サクサクなのにシチューが染みて美味しすぎ」
「パンならいっぱいあるし、シチューもおかわりあるから。遠慮なく食べて」
「本格的に太らせに来てるじゃん。やめてよ〜〜〜食べちゃうじゃん」
「霧島さんが太って誰からも相手にされなくなったら、責任取って俺がもらうよ」
「ほんとに? じゃあ遠慮なく食べちゃうからね?」
ん。並木がなにかとんでもない爆弾発言をしたような気がする。わたしの外見を重視していなくて、太ってもわたしの相手をしてくれるということなのか。いや、並木は女の子に慣れているから口がうまいだけだ。女の子に特別な感情なんて抱くキャラじゃないし、クララさんでダメならわたしなんて相手にされるはずがない。
「ん。どうした?」
「なんでもないよ」
「そういえば、デザートにプリンあるな。食べるだろ?」
「え? いいの?」
「いいよ。クミさんにもらったんだけど一人で食べきれないから。なんでも風俗嬢御用達の高級プリンらしい」
「……その情報、なかなかだな」
風俗嬢が好んで食べるプリンはタマゴの香りがして、脳に糖分が染み渡ったのを実感できるくらいに甘かった。甘いだけじゃなくて、どこかほろ苦い。大人の味だ。
「今日は来てくれてありがとな。助かった」
「ううん。こちらこそ。こんなにごちそうになって。それに……なんだか楽しかった」
「送っていく」
制服から着替えた並木は、サプリームという高級ストリートブランドで身を包んでいた。そういえば、並木の私服ははじめて見る。少し
「その服、自分で選んだの?」
「吹雪さんが買ってくる。使わないのももったいないから着てるだけ」
「そうなんだ」
こんな高校生がいたらあまり近寄りたくないかも。けれど、二番街を歩いていると、並木のコーデが間違っていないことに気付く。目立つけれど、誰もわたし達に声をかけてこない。これはおそらく並木効果だ。
「駅までで大丈夫だから」
「もう八時だろ。そうはいかない。家までちゃんと送る。俺は彼氏だろ?」
「でも、並木も帰り遅くなっちゃうよ?」
「俺は全然平気」
「……うん。ありがと。わたしは彼女だもんね?」
「ん。当然だ」
わたしを助けてくれたこの前の件を思い出すと安心できる。でも、並木の時間を奪ってしまうことが心苦しい。今日は夕飯までごちそうになって、わたしに貸してくれる漫画の入った手提げまで持ってくれて、さらに家まで送ってもらうなんて。
並木はわたしと一緒に電車に乗って、わたしの家の前まで送り届けてくれた。
「霧島さん、また明日」
「うん。今日は、本当にありがとう。またね」
「ああ」
「あ、そうだ」
「ん?」
「また夜ラインしていい?」
「いいよ」
わたしが家の中に入るまで玄関先で手を振っていてくれた。並木って良いやつだったんだ。今度わたしも並木になにかしてあげたいと思う。でも、並木は料理もできるし、勉強も運動もできる。わたしができることを並木は大抵できてしまう。
並木はなにをしたら喜ぶんだろう。
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