#03 コピ・ルアク@夜の街
昼休みに霧島さんと話をしていて分かったことがある。
霧島さんの中間試験の結果が芳しくなかったことだ。ノートを見せてもらったけど綺麗だったし、頭が悪いわけではない。
それで俺が勉強を教えることになった。だが、今日はその件ではなく、俺の個人的な用で霧島さんに家に来てもらうことにした。偽装交際を俺の用件で使わせてもらうことになったのは、少し忍びない。
放課後になってみんなが部活に
「霧島さんは今日の予定大丈夫だった?」
「特になにもないよ。それよりも来客があるから、わたしに来てほしいってどういうことなの?」
それにしても、クラスの中にいる陽キャ霧島さんと俺の前での彼女の印象はまったく別人に映る。俺に気を使わなくなったというよりも、素をさらけ出していて、俺はそんな生身の霧島さんのほうが接しやすく好きだ。
「あー……えっと。ちょっとヤンデレがな」
「……ヤンデレ?」
「まあ、会えばわかるっていうか」
ヤンデレとは、キャバ嬢のレイさんに教えてもらった言葉だ。はじめてヤンデレという名前を付けた人は天才なのではないかと思う。そんな属性の子なんて漫画やアニメの中だけで、まさかこの世にいるわけないだろうと思いきや案外近くにいた。本当に困る。なにを言っても、どう拒否しても想いを告げてくる変人。幼少期の約束を持ち出されても、俺が思い出せないんだから破棄してほしいのに、しつこく迫ってくる。
「それで、並木の家って本当にこっちなの?」
「ん。二番街だよ」
「……またまた。そういう冗談はいいから。あそこ、飲み屋とか変なお店しかないじゃん」
「まあ、そうだな」
東口の改札を出て進んでいく。ビルの谷間に落とされたような
メン地下のビルの横の路地を通ると近道だけど、夜はあまり通らない方がいい。前に通ったら目のやり場に困ったことがあったのを思い出した。
「あのさ……へ、変なホテルとか連れ込もうとかしていないよね?」
「ん。まあ。変なホテルというか。大丈夫」
「なんか、隠してない?」
「隠してはいない。けど、場所のインパクトはあると思う」
「どういう意味?」
「とりあえず行けば分かるから」
「気になるって」
着いたのは風俗がいくつか入る雑居ビルだ。階段には
「あの……このお店なの? ふ、風俗店じゃない……?」
「このお店の子たちも結構住んでいるな」
「……住んでるって? え? なに? 嘘でしょ。わたしを売るつもり?」
「家はこのとなりのビル。一見雑居ビルだけど、中身はちゃんとしたアパートだから。それに霧島さん未成年だからまだ売れないし」
「う、うれ、売れないって……へ、へぇー」
霧島さんはかなり驚いているみたいだ。風俗店のとなりのビルもどう見ても風俗店にしか見えないし、ここがアパートとか嘘にしか聞こえないだろう。実際に入ってみないと分からないと思う。外観はどう見ても消防法を守っていない雑居ビルにしか見えないから、不安になるのも無理はない。
「百聞は一見にしかずだな。付いてきて」
「ええっと、じゃあ」
一見怪しげな狭い階段を上っていく。ちゃんと後を付いてきているか心配になって振り返ると、霧島さんは不安そうな面持ちで俺を見上げていた。俺の家は三階だ。扉はどう見ても非常用階段のそれ。ドアノブはケースハンドルという輪っかを指で引っ掛けてクルッと回すタイプで、とてもじゃないがここが部屋だとは思わないだろう。
「えっ!?」
俺がドアを開いて中に入ると霧島さんも付いてくる。そして、中を見た瞬間、霧島さんは固まった。
シューズケースが壁一面に
キッチンの向かいにはソファセットを置いていて、天井からは観葉植物をいくつかぶら下げてある。部屋がフルーティーな香りで満たされているのは、バイト先が花屋で余った花をそこら中に活けてあるからだ。
壁のスイッチを入れると間接照明が灯る。テレビも割りと大きめの六〇インチを吹雪さん(俺の父代わりの人)が買ってくれたもの。
「ひえ〜〜〜〜なにこのギャップ、マジで。なに? ヤバタニエンじゃん。ありえないくらいオシャンティーなんですけど」
「やばたに? お、おしゃん? なに?」
そして、ソファの後ろには本棚を置いていて、今まで読んできた書籍やら参考書を多く収納している。もちろん漫画も多く揃えてある。霧島さんはテンションが上がったらしく、小躍りをするようにクルッと回って部屋を眺めた。
そんな内覧会中に突然カチャっとドアが開いた。
「おっじゃま~~~~え?」
「ん。クミさん?」
「あれ春輝ちゃん、その子彼女? ねね、紹介して、紹介」
キャミソール姿の零れそうな巨乳&くびれ美女がインターホンもノックもなく突然入ってきた。クミさんはとなりのビルで働く風俗嬢でとなりの部屋の住人。なぜかやたら俺に絡んでくる。
「……霧島麻友菜です」
「クミで~~~す。えっと、彼女? 春輝ちゃんに彼女? いやん。みんなに報告しなくちゃ~~~」
「それはやめてください。それで何の用ですか?」
「うんとね、吹雪さんに連絡つく? また、出禁のオヤジが来てさ」
「はいはい。連絡しておきますから」
「よろしくね~~~。あ、春輝ちゃん。ここにゴム置いとくから。生はダメだぞ♡」
「いりませんからッ!!」
「じゃね〜〜〜〜っ!」
キョトンとした霧島さんはクミさんを見て立ち尽くしていた。かなり驚いたようで、口を開いたままポカンとしている。
「ああ、ごめん。とりあえず座ってて。お茶とジュース、どっちがいい? コーヒーもあるけど」
「並木って、いつもこんな環境の中にいるの?」
「まあ」
「どうりで……」
「ん?」
「いや、なんでも。あ、わたしミルクコーヒーで」
クミさんに頼まれたとおり、吹雪さんにラインを入れるとすぐに既読がついた。吹雪さんは忙しいから基本あまり電話には出ない。一定の人にしかラインを教えていないし、なかなか既読がつかない。でも、俺がラインをするときは必ず秒で既読がつく。今日は、風俗店の店長が休みなんだろう。それで俺のところに駆け込んできたわけだ。いや、そのシステムに俺を組み込むなって話。
「あのさ、並木って、本当に彼女とかいないの?」
「いないよ」
「理由訊いていい?」
理由って。それを訊くと人によってはかなり残酷な内容になるのでは?
彼女がほしいと思ってもできない人だっているし、必ずしも好きな人と付き合えないって話を漫画でよく聞くけど、実際はどうなのだろう。
「そもそも好きな人がいないし、付き合いたい理由がいまいち分からない」
「それは好きな人がいないんじゃなくて、好きな人ができないんじゃないの?」
「そうなのか?」
「いや、わたしに訊かれても。ただ、なんとなく。並木って頭いいし運動もできるし、髪さえ切ればモテると思うんだけど」
「じゃあ、髪切る」
「あわわ。そうじゃなくて。切らなくていいって」
なぜ慌てたんだろう?
「いや、今、切ったほうがいいみたいな言い方してただろ」
「だって……。ともかく、わたしはそう思ったの」
霧島さんの言いたいことがよく分からない。
挽いた豆からコーヒーを抽出して、ゆっくりとミルクを入れる。俺はブラック派だからそのままだけど、霧島さんは甘いほうが好きなのか、それとも砂糖を入れないほうがいいのか分からなかったからそのまま出して、シュガーポットも一緒にテーブルに置いた。
「いい香り。どこの豆?」
「コピ・ルアク」
「うわ。超高級品じゃない。ジャコウネコのフンから採れる豆でしょ?」
「貰い物だけど」
「なんかさ、この家もそうだけど、並木ってギャップすごくない?」
「そうでもないよ。ただ訊かれないから言わないだけで」
「隠す気はないってこと?」
「訊かれれば話すよ。でも、自分から言う人っているか?」
「風俗店のとなりのアパートだけど、超おしゃれな部屋なんだぜ。コピ・ルアクを飲んで、毎朝、トースト食べてるんだぜ。ドヤッ!! みたいな」
「朝食にトーストなんて食べてないし。俺は米派だから。今朝はたくあんを刻んで納豆に入れて、トロロにワサビ醤油を混ぜ込んだのと一緒に食べたけど?」
霧島さんはなぜか吹き出した。何が面白いのか分からない。でも、ツボだったらしく、お腹を抱えて笑っている。そういえば、クラスでも霧島さんのツボはよく分からないって話を耳にしたことがある。よく分からないタイミングで笑い出すのが霧島麻友菜だと。
「ごめん。そんな詳細別に教えてくれなくてもいいんだけど。っていうか、並木って一人暮らしなんだね?」
「ん。母さんは六本木に住んでいるけど、彼氏と住んでいるから邪魔しちゃ悪いからな。それで一人暮らししたいって言ったら、吹雪さんがこの部屋用意してくれた」
「吹雪さん?」
「ああ、母さんの彼氏で、ずっと父親代わりしてくれている人」
「複雑なんだね。ごめん」
「なんで謝るんだ?」
「聞いちゃ悪かったかなって」
「別になにも気にしていないけど」
「並木って変わってるよね」
変わっているのかどうかなんて自分でわからない。そういえば自分の身の上話をしたことなんて今までなかった。この部屋に学校の人を呼んだのもはじめてだし、まして彼女(偽装だけど)が来ることなんて想定していない。だから恋人が来たらなにをすべきなのか全くわからない。
「そういえば赤点何教科?」
「四教科……です」
「じゃあ、まずは一番苦手じゃなさそうな教科からやってみようか」
もうすぐ来るであろう、客人を待つ間に霧島さんに少し勉強を教えることになった。うちの学校は成績上位一〇名の成績が掲示板に貼られるが、一一位以降は非公開となっている。だから、誰の成績が悪くて誰が良いのかわからない。俺も霧島さんは頭がいいものだと思っていたから意外だ。
「このAからCを結んだ線の対角線上の……って聞いてる?」
「聞いてます聞いてます。ただ、なんだかこの部屋暖かくて眠くなってきちゃった」
「少し休憩しようか」
制服姿で来た霧島さんにはひざ掛けを貸してあげているんだけど、それがやたらと温かいのだろう。もうすぐ初夏だというのに、夕方はまだ肌寒い。
「ああ、そうだ。夕飯は食べていくよな?」
「それは悪いよ」
「もし霧島さんの家が大丈夫ならの話だけど。一応、家の人に聞いてみ」
「え~~~いいのかな」
「むしろ、そうしてくれると助かるんだが」
「そうなの? じゃあ、お母さんに電話してくる」
「わかった」
霧島さんはスニーカーを履いて玄関を出ていった。直後に「えっ!?」と霧島さんの声が聞こえてくる。外でなにかあったか?
入れ違いで入ってきたのは
「うーん。彼女」
「はっ!?」
鞍楽の肩から滑り落ちたハンドバッグが床でバウンドして中身が散乱する。スマホから財布、リップクリーム、ハンドタオルにメイクポーチらしきものまで飛び出して、クララは不満げな表情を浮かべながら俺を睨んだ。かと思えば、俺めがけて突進してくる。
ひらりと躱すと、クララは「なんで避けるのよ」とヒステリックに訴えてくる。
参ったな。
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