#02 フィルム写真@偽装交際の提案



やばい。やばすぎる。なに、なにが起こっているの?



予想の斜め上を行く展開なんだけど。ナイロンジャケットの腕の刺繍を見た時はびっくりしたけど、もしかしたらなにかの間違いなんじゃないかと思って確信が持てなかった。並木がナイロンジャケットを貸したのかもしれないとか、あるいは、同姓同名の人だとか。



でも、確認したら本人だった。昨日のイケメンが並木??



並木は少し陰のある暗めの男子で、口数は少ないし無愛想。でも、勉強はできるしスポーツは万能のちょっと不思議な人という印象だった。



昨晩の人は……めっちゃタイプだった。冷静沈着で決して動じない強メンタルの持ち主。不良達のパンチは当たらないし、タクシーまで連れて行ってくれて、わたしを家まで送ってくれる優しいところもあって。



「どうしよう〜〜〜〜」



トイレに立てこもって、鏡の中の自分に問いかける。本人を目の前にして逃げ出してしまったことを激しく後悔する。今さら“ごめん。恥ずかしくなって逃げました”なんて正直に吐露とろできるだろうか。いや、無理だ。



でも、このままじゃダメだ。タクシー代だって返していないし、このままトイレに立てこもって並木に仕事を全部押し付けるなんて人として間違っている。それに、いくら並木が無口とはいえ、“昨日、霧島に仕事を押し付けられた”なんてクラスの誰かに漏らされたら、わたしの評判がガタ落ちだ。それは絶対にダメだ。



「よしッ!!」



意を決してトイレを出て歩いていると、廊下の窓の向こうに、教室の中で夕日に照らされる並木が見えた。髪は縛ったまま校庭を眺めている。瞳にだいだいの光をたたえて、シャープな顔のラインが浮き上がっていた。これまでのわたしの知っている暗めの男子の並木とは一線をかくす。



並木となんとか仲良くなりたい。なんとか近づく方法を模索しないと。



「あの、並木くん」

「ああ、霧島さんやっと帰ってきたのか。仕事は終わらせておいた」



え。仕事早くない?

あの量の枚数ならもっと時間がかかるはず。



「ごめん。一人でやらせちゃって」

「じゃあ、帰ろうか」

「待って」

「これからバイトなんだ」

「すぐ終わるから」

「ん?」



わたしはスカートの裾をキュッと掴んだ。並木にちゃんと話をしたい。並木がどんな人で、どんな生活をしているのか。並木はなんで学校で正体を隠すように髪を下ろしているのか。なにが好きで、なにが嫌いなのか。いや、並木はこれからバイトだから時間がない。それを訊くのは今度にして、どうにか二人で話す機会を作りたい。



そうだ。あの件を使えばきっと。



「並木くん、あのね。わたし並木くんに相談したいことがあるんだっ!」

「……霧島さん疲れない?」

「え……?」

「霧島さんっていつも笑顔だろ。それに断れない性格で、それで学級委員も押し付けられたんじゃなかったか?」



二年生になってすぐのホームルームで、学級委員を選ぶ際にみんなはわたしを指名した。満場一致で押し切られるようにわたしは学級委員になった。みんなから慕われて、頼りにされて嬉しかった。わたしの居場所があって、みんなに必要とされて。だから押し付けられたとしても、わたしにとっては光栄なことだった。だからつらいことなんて何一つない。



「そんなことないよ。わたしはやりたくてやってるんだし」

「ん。まあ、別に責めてるわけじゃないよ。ただ、俺は無理してるんじゃないかって思っただけだから」

「わたしは大丈夫だよ~~~並木くん心配してくれたんだぁ~~ありがとうね」



わたしは普段陽キャのフリをしている。期待に応えられない自分はいらない。誰からも愛されたい。常に愛嬌を振りまいていなければきっと嫌われて、いずれ仲間はずれにされる。空気を読まなければ誰からも話しかけられなくなる。だから、常に明るく誰からも必要とされる自分でいなくちゃいけない。



それを並木に見抜かれているなんて思いもよらなかった。



「並木くんは……わたしのこと……どう思ってる?」

「どうって……」



自分で言ってハッとした。まるで告白する前のセリフ回しのようで恥ずかしくなった。



「傷ついている人」

「えっ……?」

「傷ついている女の子ってみんなそんな笑い方するような気がする。あくまでも、これは俺の感想だから。気にしないでほしい」



傷ついているわけではない。だけど傷を負ったことはある。そのトラウマが今のわたしをかたどっているのは自分でも理解しているつもりだ。



そんなことは今はどうでもいい。それよりも、並木と近づくための方法を思いついたのだから、それを実践しなければならない。もう並木には自分を演じなくていい。どうせバレているのだから。



「並木……わたしのお願い聞いてくれる?」

「呼び捨てになった。うん、そのほうが霧島さんっぽいよ。表情も無理がないし」



並木はそう言って頬を緩めた。笑うのを止めただけなのになんだか肩の荷が降りた気がする。無理しているわけじゃないけど、なんだかすごい楽だ。嫌なことや不快なことがあっても学校では笑顔を絶やさなかった。誰からも愛されるキャラを演じるためには必要なことだった。でも、並木は違う。わたしから笑顔という仮面をいでしまった。



「じゃあ、まず職員室にこれを置きに行こうか。歩きながらでもいいか?」

「わかった。並木、時間大丈夫?」

「ん。まだ三〇分くらい余裕はあるから」



職員室に人数分プラス予備の出来上がった冊子を置いて、二人で昇降口から出た。野球部やサッカー部の掛け声が響いて、吹奏楽の音色が頭上から降ってくる。すれ違う生徒は皆一斉にわたし——ではなく、髪を縛った並木を直視している。今の並木を見れば誰でも驚くよね。



「あのさ、並木、髪下ろしてくれない?」

「なんで?」

「いや、なんとなく」

「……ま、いいけど」



並木は髪を下ろすと前髪が長くて目にかかるし、どことなくホラー映画の井戸やテレビから出てくるあのキャラに似ている。あのキャラみたいな長髪ではないけど、雰囲気はそんな感じ。性格も明るくはないし寡黙で真面目。けれど、イジメられているとかそういうことはない。



考えれば考えるほど不思議な人だ。



「あのさ。昨日二番街に行った理由なんだけど」

「ん。そうだな。霧島さん一人じゃ絶対に危ないと思う」

「呼び出されたの」

「誰に?」

「三組の人。話があるって言われて」

「そんなの無視すれば、」

「何回も断ったの。でも、数十回も誘われれば断りきれないでしょ。わたしってどこにいても明るくて人に好かれるキャラだから。付き合い悪いって噂流されるの嫌だもん」



一年のときに同じクラスだった子から唐突にラインが来た。内容は、“話したいことがあるから、二番街のラムダってお店に来られない?”だった。二番街ってところに引っかかって、何回か断ったけれど、毎日のように誘いが来るから、最終的には押し切られた形だ。



「ラムダね。あそこは昼間カフェなんだけど、夜はいかがわしいメイド喫茶だよ」

「そうなの……?」

「ん。そう。だからはじめから騙すつもりだったんだと思う」

「そうだよね……やっぱりって感じ」



恐れていることが起きはじめている。制服の下の寒気を隠しながら、わたしは拳を握った。わたしの意思の関係のないところで、なにか悪意がうごめいていると思うとげんなりする。



「で、思い当たる節は?」

「実は……」



同学年に村山直継むらやまなおつぐという男子がいる。かなりモテる人で、その人がどうやらわたしのことを好きだと周りに言っているみたい。その時点でこんなことが起きるのだから、もし告白をしてくるものなら最悪だ。



1.付き合った場合。

いくら霧島麻友菜だからといって、村山くんと付き合うなんて絶対に許せない。嫌がらせに嫌がらせを重ねて、学校に来られなくしてやるんだから。という子が出現してしまう可能性がある。



2.断った場合。

いくら霧島麻友菜だからといって、村山くんを振るなんて絶対に許せない。村山くんを傷つけた罪は重い。よって、学校に来られなくしてやるんだから。という子が出現してしまう可能性がある。



「なるほど。モテるのも大変だな。つまり、村山が告白できない状況は一つだけ。霧島さんに彼氏がいることを周知すればいいわけだ」

「そう。だから、お願い」

「ん。なにを?」



並木は女の子にあまり興味がなさそうだ。もしこの容姿(髪を上げた状態)で彼女がいないとなれば、それなりの理由があるはず。いや、普通に彼女くらいいるだろう。この学校の生徒じゃなくて外にいるかもしれない。



並木に彼女はいるのか、いないのか。それも知ることができる。



「わたしと偽装交際してくれないかな?」



偽装交際なら並木に近づくことも容易だし並木と普通に会話をすることができる。並木という人間を知ることができる。



「……みんなをあざむくってこと?」

「うん。並木がわたしの彼氏役になってくれれば村山も諦めるでしょ」

「俺になんのメリットが?」

「それは……」



考えていなかった。確かに考えてみれば、並木にはわたしと付き合う利益がない。もし並木に好きな人がいればなおさらで、不利益以外の何者でもない。



「ん。まあ別にいいけど。その代わり、霧島さんにも俺の条件を飲んでほしい」

「なに?」

「写真を撮らせてもらえないかな」

「え……」



『撮影させてくれるって言ったろ。ほら、裸になれ』みたいに迫られたらどうしよう。並木もやっぱり男子だ。みんな獰猛どうもうな狼なのだ。そのままベッドに引きずり込まれて、一夜をともにし、わたしのはじめてを並木に奪われる。



「……変な写真じゃないからな。そんな顔するなって。ほら、こういうの」

「えっ!?」



並木が差し出したスマホには、赤とか黄色とかの線が入った街の風景が映る。その真ん中で可愛いらしい子がジャケットの片方の肩だけを脱いでポーズを取っている。エモい。エモすぎて最高かよ。



「これはフィルムで撮ったんだけど、古いカメラだからちょうどいい具合に感光したんだよな。だから、こことここに線が入った」

「これいいよ。すごくいい。他にないの?」

「あとは、これとか」

「これ、どこかの屋上? モデルさん可愛いね。え、どこかで……見たことあるような」



解像度が低くて、モデルさんの顔までは判別できなかった。その粒子というか、はっきり写っていないところがまたいい。



「まあ、こんな感じ。霧島さんってモデルしたら映えるだろうなって前から思っていたんだ」

「わたしで良ければ……」

「なら交渉成立」



並木とそのまま駅で電車に乗って、わたしは最寄り駅で降りた。並木は相変わらず無表情で電車のドア越しに手を振ってくれたから、わたしも手を振り返す。彼氏と彼女ってこんな感じでいいのかしら。



誰かを好きになったことも、付き合ったこともないからわからないけど、きっとこんな感じなのだろう。かなりそれっぽくて、なかなかカップル感が出ている。そういえば並木の連絡先を交換し忘れたから、明日にでも聞いてみよう。



その日は夜になっても並木のことが頭から離れなかった。

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