なら、もっと頑張らないとね (ミラン視点)


「私は貴方のことを絶対に好きになりません。ですので、貴方に好きな方ができたらいつでも婚約破棄を受け入れます」


灰色の髪は可愛らしく綺麗に纏められ、丸くて大きな赤い瞳が揺れる。目の前にいる少女は幼い見た目にふさわしくない真剣な目つきだった。


今日初めて出会った女の子。そして、父に決められた婚約者でもある。


身に纏っている白と黄色のドレスは、繊細な刺繍が施され、一目見て最高級のものだと分かる。おそらく、今日という日に気合を入れてきたのだろう。それなのに、どうしてこの少女は、おれのことを嫌うのだろう、とミランは疑問に思う。


普段から人の本音を読み取ることを得意とするミランだが、この少女に関してはその能力が発揮されず、そのことについて真剣に考えた。


第一王子のミランの周りには常に人がいた。

家族、メイドや使用人、貴族や大臣、家庭教師。王宮にはたくさんの人が働いて、たくさんの人が出入りしている。人が大勢集まれば、小さな諍いは頻発する。本音や事実を隠して、第一王子のミランに媚を売る輩も多くなる。

嘘や隠し事にまみれた場所で、物心ついた時には、ミランは人の本音を読み取る力をすでに持っていた。そして、気が付いた。大人たちは自分に用はないのだと。第一王子というモノに用があるのだ。


ミランは人にやさしくなった。人の本音を読んで、相手の満足する答えを与えれば、物事は円滑に進んでいった。余計な面倒ごとを避けたいミランは傀儡になることを甘んじて受け入れた。



ずっと黙っていたミランに、少女の表情は次第に不安そうになっていく。


生まれて初めて、本音が読めない相手に出会った。彼女は別に嘘をついているわけではない。本音をうまく隠しているのだ。面白い、彼女を知りたい、と素直にそう思って、ミランは婚約の継続を提案した。



***


彼女を知りたい、と思ったのに、シルビィは一向にミランの誘いを受けてはくれなかった。

結局、まともに話すことができたのは婚約から2年が経ったころ、王立学園入学の時だった。


放課後になって、クラスが離れてしまったシルビィを探そうと席を立つ。彼女は、入学してから一度もミランに話しかけてはくれなかった。移動授業で廊下をすれ違う時も、全くの赤の他人です、という風に素知らぬ顔で通り過ぎていった。放課後は、ミランを避けるためなのか教室からすぐにいなくなる。


(困ったな)


ミランはクラスの女子たちに囲まれていた。一緒に話そう、とニコニコと笑いかけてくるが、私欲にまみれた顔だと彼は思った。


彼女たちの本音は、第一王子とお近づきになりたいとか、あわよくば自分が恋人に、だった。ミランは今すぐ、さりげなく自分に触れてくる女たちの手を振り払いたいという衝動に駆られる。


しかし、第一王子の立場柄、彼女たちを蔑ろにすることはできない。彼女たちの親は貴族で、少なからず今後の自分の人生に影響がある。これまで心優しい王子として振る舞ってきたのだ。ミランは、誰もがうっとりするような笑顔の仮面を張り付けながら、どうしたら彼女たちの猛攻から逃げ出せるのか考えた。


「じゃあ、先生に呼ばれてるから」


勿論、嘘である。いかにも、君たちと離れるのが寂しいです、という表情をしながら、ミランは軽く手を振って教室から抜け出した。ようやく婚約者探しが始まった。女子たちの話では、シルビィは放課後になるとひとりで勉強をしているらしい。学園の中で勉強ができそうな場所を探す。空き教室、自習室、カフェテリア。どこに行っても彼女を見つけることができなかった。庭園のテラスを見に、花が彩るアーチをくぐる。


(ここにもいないか)


ぐるり、と辺りを見渡すも、それらしい人は見えない。あまり長居をしすぎると、女子生徒たちがまた話しかけに来てしまう。校舎の中に入ろうと、後ろを振りむいた。そのとき、目の前に淡いピンク色の花びらがふわりと舞った。ひらひらと蝶のように踊るそれを思わず目で追いかけ、上を向いた先、遠くの校舎の窓に人影が見えた。確か、あそこは図書室があったと記憶している。

その人物を見て、ミランの口角は自然にあがった。


「君は…まったく読めないな」

ぽつり、と誰にも拾われることない呟きが漏れる。

彼女のもとへ向かう足が無意識に早くなっていることをミランは気が付かなかった。



***


風にあおられて、シルビィの灰色の髪が舞う。


友人と楽しそうにおしゃべりしている彼女を、物理数学の授業中にミランは教室の窓から横目で見ていた。あれから、ミランはシルビィが勉強している図書室によく遊びに行くようになった。そのぶん彼女と話す機会も増えたのだが、やはり彼女の本音はわからなかった。他の女子生徒たちとはどこか違うシルビィのことを自然と目で追いかけるようになっていた。


彼女のクラスは美術の授業のようで、手にはスケッチブックとペンが握られていた。シルビィは、学園内を気ままに歩いていた猫を書くことに決めたようで、逃げられないようゆっくり近づいて腰を下ろした。真剣な表情で、忙しなくペンを動かしている。


猫はしばらくじっとしていたが、おもむろにシルビィの方へ歩いてきた。彼女はびっくりして、猫が逃げていかないよう息を止めて待っていた。猫はシルビィの膝の上に乗った。撫でろと言わんばかり、身体をごしごしと彼女の腕にこすりつけている。

シルビィは驚いて、それから、からからと可笑しそうに笑った。


いつも、むすっとした顔しか見せてくれない彼女の笑顔を初めてみた。

長いまつげを伏せて、頬はほんのりピンク色に染められ、白く透き通った肌が眩い。猫をなでながらとろけるような笑顔を向けている。



どくりどくり、心臓の音がやけに大きく聞こえる。そんな、なんで、と自問自答を繰り返す。

ミランは初めての感情に戸惑い、燃えるように熱い顔を片手で覆った。



***


(あとちょっとだと思うんだけどな)


図書室の人目に付かない一角で、シルビィは次のテストに向けて勉強をしていた。その隣に、シルビィの許可も得ず勝手に座っているのは、この国の第一王子ミラン・ティタスである。


ミランは自分の恋心を自覚してからちょっと積極的になった。彼女によく見られたいと思うようになった。「愛してる」とか「好きだ」とかも頻繁に口にするようになった。


ミランはシルビィが自分のことを好きだと思っていた。シルビィは「好きじゃない」と言うが、本気で彼を嫌うような言葉をかけたことは一度もなかった。持ってきたお菓子はしぶしぶ食べてくれるし、わからないところを教えたら素直に感謝もしてくれる。


でもいざ聞いてみると…


「今でも俺のことが好きじゃない?」

「…好きじゃないわ」


こうである。


シルビィはミランが少し顔を近づけただけで、顔を赤くするし、勉強を教える時にわずかに互いの手が触れたときにはびくんと体を震わせていた。

ミランはそれを見るたび、身もだえてしまうほど心が震えた。また、見たいといたずら心も芽生えてきて、流石に怒られるかなと葛藤する。


絶対に好意を持っているはず…なのに。シルビィは何を思って、何を恐れているのか。


「なら、もっと頑張らないとね」


いつか彼女の本音を聞こうと、ミランは心に決めるのだった。

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悪役令嬢だけど今から入れる保険ってありますか?~自分の身は自分で守りましょう!~ 小波みゃーこ @miya_konami

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