悪役令嬢だけど今から入れる保険ってありますか?~自分の身は自分で守りましょう!~

小波みゃーこ

悪役令嬢だけど今から入れる保険ってありますか?

「自業自得よ…貴方が私を愛してくれないから…!!!」


シルビィは絶叫する。ティタス王立学園の卒業パーティーが行われている大ホールの中心で、男は口から血を吐き、苦しそうにもがいている。男のそばに、一人の少女が駆け寄った。


「シルビィさん、なんてことを!!」

「アクアローズ…貴方のせいでもあるのよ」


シルビィは少女を鋭く睨みつける。今にも少女を殺そうとする眼だった。


シルビィは婚約者ミラン・ティタスに毒を盛った。なぜなら、ミランが彼女を愛してくれなかったから。


ミランは誰からも次の王へと期待される優秀な人物だった。そして、誰にでも平等に優しかった。相手の欲する言葉を瞬時に理解し、優しく語りかける姿は学園の女子生徒を虜にしていた。


シルビィが一番気に食わなかったのは、婚約者の自分よりもミランのそばにいて、仲睦まじい姿を見せていたアクアローズであった。よりにもよって、アクアローズはただの平民あがりの男爵令嬢である。シルビィの嫉妬の炎は高く大きく燃え上がった。


事態を理解した男子生徒や先生たちが集まり、シルビィを捕まえる。シルビィは抵抗しなかった。

その後、彼女は当然のごとく処刑され、歴史に残る悪女として語り継がれることになる。

________


季節は春。色とりどりの花が、厳しい冬の寒さにたえて花開くとき。


父に連れられて、10歳のシルビィは初めて王宮に訪れた。父から婚約者のことを聞かされたのは昨日のこと。国王陛下と古くからの友人である父が、昔自分たちの子どもを結婚させようと約束していたらしい。

それを知ったシルビィは、急いで自身の一番のお気に入りのドレスをクローゼットから取り出して、メイドたちに明日の髪型の相談をした。婚約者…。なんて素敵な響きなんだろう。シルビィはまだ見ぬ婚約者のことを思い描きながらベッドに入った。



そして現在。

王宮で出会った婚約者を見て、シルビィは絶句した。同時に全てを思い出した。前世のこと、この世界のこと、自分が悪役令嬢シルビィ・ローレンスであることも。


「二人で遊んできなさい」と国王陛下に言われて、シルビィとミランは王宮の庭園を歩いていた。

庭師たちが腕によりをかけて丁寧に整えられた美しい庭園である。ミランが庭園に咲いている花や植物を教えてくれる。緊張しているシルビィに気を遣って、優しく話しかけてくれる様子は、まさに原作通りのミラン・ティタスであった。


前世のことを思い出し、ずきずきと痛む頭をなんとか我慢して、シルビィは考えた。どうしたら処刑の未来を回避できるのか。王子を殺した罪人で処刑という自身の運命に何としても立ち向かわなければならない。背中に冷や汗が伝う。


出した結論は彼を、婚約者を愛さないこと。そして、婚期を逃さないよう、早く彼に婚約破棄をしてもらって、別の人と結婚すること。


(父と国王陛下との約束なら私の方から破るわけにはいかない)


自分の身は自分で守るしかない、シルビィはそう決意してミランに向き直る。


陽の光に煌めくミランの金髪に、思わず目を細める。さすが学園の女子生徒を虜にした男である。少年時代もすばらしく美形で、お人形と言われても納得のクオリティである。


呼吸を整える。すっと息を吸って、決意が揺らがないうちに口を開く。先手必勝。


「私は貴方のことを絶対に好きになりません。ですので、貴方に好きな方ができたらいつでも婚約破棄を受け入れます」


彼のエメラルドの瞳が見開かれる。虚を突かれたような表情。長いまつげが彼の瞳に影を落とす。

顎に手を置いて、シルビィの真意を考えている姿は絵画にすべきほど様になっている。


(こんな10歳がいてたまるか…!)


ミランがなんと返答するのか、シルビィはドキドキしながら待っていた。多分、変な女だと思われるだろう。まさに、それがシルビィの欲する答えだ。おかしなヤツだと思われて、婚約破棄されて、今後一生彼と関わることのない人生こそが、シルビィの目指す未来である。


「なぜか…理由を聞いてもいいかな?」

「…え、っ」


じ、とミランはこちらを見た。


しまった。理由を考えていなかった。どうしよう、と普段全く使うことのない頭を急速に回転させる。

前世のことを思い出して…なんていうことは絶対に言うべきではない。頭の病気まで疑われたら、今後の婚約話に影響がでる。


「えーと、貴方のことを好きになると狂ってしまいそうなので…」


嘘ではない。原作のシルビィは彼を愛しすぎて狂って、毒を盛った。

10歳の少女なんて、色恋に夢見がちな年ごろである。シルビィは、我ながら10歳の少女っぽい言い訳ができたと思っていた。


しかし、そんなシルビィを見て、ミランはふむと真剣な目つきになる。


「政略結婚だが、おれは君のことを好きになりたいと思っている。でも、君が狂ってしまうのは困る。君がおれを好きにならないのは分かった。もしおれに君とは別に好きな人ができたら、すぐに君に伝えると約束しよう。しかし、この婚約は国全体に関わることなんだ。今は、この婚約を続けたいと思うのだけど…」

「は、はい、それでいいです」

「よかった。ありがとう」

「いいえ、とんでもございません」

「ふふ、敬語じゃなくていいから。今は婚約者なんだから」

「え、ええと……わかったわ」

「うん。じゃあそろそろ父上のところに戻ろう」


ミランは、ゆるりと口角を上げて、最愛の人をエスコートするように恭しく手を差し出した。シルビィは戸惑ったが、ミランの人あたりの良いニコニコとした笑顔に負けて、彼の手を掴んだ。




その日以来、シルビィはミランに会うことを極力避けた。どうしても休めないパーティーや式典にはミランとともに参加したが、個人的に会うことは一度もなかった。その理由は、ひとえに自分がミランを好きにならない自信がなかったからである。


なんといっても、彼は国一番の美形であると言っても過言ではない。幼い少年の姿ですでにイケメンなのに、大人になったらどうなってしまうのだろうか、眩しすぎて目が潰れてしまうと、シルビィは本気で考えていた。

ただ、シルビィの思いとは裏腹に、ミランは頻繁にお茶会の招待状や、世間話が書かれた手紙を送ってきた。お茶会の招待は、仮病や別の予定を入れたりして全て断っていたのにも関わらず、ミランは懲りずに招待状を送ってきた。手紙は、無視するのも悪くてたまに返信を書いて送っていた。


そんなシルビィとミランが再びきちんと巡り合う機会は、2年後の王立学園入学の時に訪れた。

成績順にクラス分けされる学園では、頭のいいミランがAクラスで、勉強が得意ではないシルビィはCクラスだった。クラスが離れたことは良かった。彼と一緒にいるのはこちらが辛い。


しかし、シルビィは思った。このままではいけない、もしミランに婚約破棄されたあと、誰も自分と婚約してくれなかったら…。なんせ家柄も顔もティタス王国一の男が婚約者だったのだ。次の婚約者は非常にハードルが高いだろう。

シルビィには弟がいて、ローレンス家の後継者に決まっている。弟の迷惑になるわけにはいかない。せめて、自分で領地を経営できるような力が、知識が必要である。シルビィは勉強することに決めた。




「そろそろ休憩したらどうかな」


さりげなくミランがシルビィの隣に座った。片手にはクッキーの袋を握っている。もう片方の手で、シルビィの教科書を取り上げた。


「図書室は広いのよ。ここに座る必要はないじゃない」

「まぁ食べなよ、勉強には糖分が必要だ」

「……ありがとう」


ミランを突き放すことに失敗したシルビィはため息を吐く。そんなシルビィを見てミランは微笑んだ。なに笑ってるのよ、とシルビィは悪態をつく。ミランが図書室にやってくるのは初めてではなかった。何も言っていないのに、彼は図書室にいるシルビィを見つけて、勝手にやってくる。


学園に入って、この男のクラスと離れることができて喜んだのも束の間、ミランは執拗にシルビィにかまってきた。Cクラスにいても、かっこよくて優しいミランの話はどこにいても聞こえてくる。当然、婚約者の私にも話は振られてくる。ミランに関する質問に何度も答えることに疲れたシルビィは、いつも人が少なくて静かな図書館に逃げていた。


「これって今度のテストの勉強?俺が教えてあげようか」

「結構よ」

「冷たいな、これでも学年一位なんだけど」

「知ってます」


ミランの成績は常に優秀だった。スポーツもできるし、原作同様、ミランの周りには女子生徒が常にいた。ミランの一挙手一投足に女子たちの黄色い声があがる。男子生徒との仲も良好なようで、誰からも好かれていた。


「今でも俺のことが好きじゃない?」

「…好きじゃないわ」

「なら、もっと頑張らないとね」


「頑張らなくていい!!!」とシルビィは声を大にして言いたい。


挑むような目つきでこちらを見つめるミランに、シルビィは高鳴る心臓を必死で抑え込む。


(さらりと口説くような台詞が出てくる12歳とは…)


これにはミランのそばで頬を赤く染める女子生徒たちに同情する。お巡りさん、初恋泥棒はこいつです。早く捕まえて…!


ミランは手に持っていた袋からクッキーを取り出して、シルビィの口へと押し付けてくる。クッキーに罪はない…。シルビィが仕方なく口を開くと、ミランはそっとクッキーを口に入れた。もぐもぐと咀嚼するシルビィを見てミランは満足そうに微笑む。シルビィは自分の動揺を隠すためにクッキーを食べることに集中した。




***


「君の気持ち、本当に嬉しい。大切に食べるね」

「は、はひ」


これが婚約者がいる男の台詞である。ミランは2年生になっても相変わらずの人気である。後輩にも噂される存在で、全学年が集まる食堂では後輩や先輩によく差し入れを貰っていた。もらった差し入れのお菓子を大事そうに抱えている。


友人が、いいの?と気遣うように声を掛けてくる。昨日、夜遅くまで起きていたせいでぼんやりしていた私は、友人の心配そうな声にはっと意識を覚醒させる。いかんいかん。


ミランのその姿は良く見る光景だ。特に思うことはない。なんなら、後輩でも先輩でもいいから早く好きな人を見つけてくれたらいいと思う。私の予想では、4年生の時に転入してくるアクアローズが最有力候補であるが、この際誰でもいい。婚約破棄が早ければ早いほど、私の婚期は伸びるのだ。


まあでもどんな女の子から差し入れをもらったのか、ちょっとした好奇心から気になった私はちらっとミランに視線を向ける。差し入れを渡した女子生徒は、肩まであるオレンジ色の髪を揺らして、顔を赤くしてミランを見つめていた。友人らしき女の子もそばにいた。リボンの色からしておそらく後輩である。憧れの先輩と話せたことで、声にならない悲鳴を上げている。


礼を言って女の子とわかれたミランと、ぱちっと目が合った。やばい、本能がそう警告を鳴らした。私は、冷や汗をかきながら友人の背を押して食堂から脱出しようとした。しかし、それは腕を掴まれてしまったことで無常にも遮られてしまう。友人に先に行くように促して、私の後ろを振り向いた。


「シルビィ、体調が悪そうだね」

「悪くないわ、寝不足なだけ」


婚約者同士の会話に、周りの生徒がざわざわと騒ぎだし、注目が集まる。普段、大勢の生徒がいる前でミランと話すことは滅多にない。それゆえ、ミランは婚約者と不仲であるという噂もまことしやかに囁かれている。私としては大歓迎な噂だ。皆さん、婚約者の場所空いてますよ。


さっさと退散しようと、すっぱり話を切り上げ、くるりと食堂の出口に向かう。しかし、またもや腕を掴まれることで、私の足は止まった。

ふわりと宙に浮く感覚、女子生徒たちの叫び声、一段と大きくなるざわめき。

ミランはシルビィは軽々と持ち上げ、出口に歩き出していた。


「ちょ、おろして!」

「気づいてないみたいだけど熱があるよ。君、昨日夜遅くまで勉強していたんだろう。まだ寒いから気をつけろって言ったよね」

「明日テストなんだから仕方ないでしょ!ねぇ目立つから」


これぐらい平気と主張する。ミランから解放されたくて手足をばたばたさせても、彼はどこ吹く風である。がっしりと腕を絡められ、私はなすすべなく、されるがままになっていた。


彼に保健室に連れていかれるまで、すれ違う生徒全員に二度見をされる。彼がお姫様抱っこする姿は学園では珍しくない。怪我をした女子生徒や、ミランを見て気絶する女子生徒を抱える様子は良く目撃されていたからだ。しかし、今回の相手は、婚約者のシルビィ・ローレンスである。シルビィはせめて顔を見られまいと、最後のあがきで両手で顔を覆った。


(私の平穏な学園生活が~!!)



***


「シルビィはミラン様にチョコレートあげないの?」

「なんで?」

「なんでって、貴方の婚約者でしょう」


友人の言葉に、シルビィは瞬いた。


この国では一年に一度感謝祭と呼ばれる行事がある。感謝祭では好きな人やお世話になった人にチョコレートを渡す伝統がある。ミランは律儀にも毎年チョコレートを贈ってくる。それに返したことはないが。まあ彼は、毎年大量のチョコレートを貰っているから私のチョコレートがなくても大して気にもしないはずだ。


学園の中では、カップルたちが浮足立っている。ちょっと騒がしくなるが、仕方ない。実際、お互いが相手を想い合ってプレゼントする姿は微笑ましい。私も早く恋人がほしいと切実に思う季節である。


友人が、恋人に手作りチョコレートを渡したいというので、私は学校の調理室で友人とチョコレートケーキを作っていた。勉強はできないが、料理なら多少自信があったので友人に教えていたのだ。


「そんなに冷たいと愛想つかされちゃうよ」

「願ったり叶ったりだけど」

「え?」

「…いやなんでも」


きょとん、と友人が首をかしげる。うまく聞き取れなかったようだ。別に不仲であると知られてもいいが、それはそれで面倒になるので、ほっと胸をなでおろす。


「感謝祭はお世話になった人にもあげていいんだよ?いつも勉強みてもらってるじゃん」

「いつもじゃない」

「駄々こねない!ミラン様に渡してきなさい!」


はい、と友人から綺麗に包み紙に入ったチョコケーキを渡される。思わず手を出して受け取った。私がお手本に作っていたケーキをラッピングしてくれたようだ。後片付けが終わってさっさと調理室から友人の背を見送って、シルビィはどうすることもできず佇んでいた。


「…どうしよう」


ひとり言が誰もいない調理室に響く。

確かに、ミランに時々勉強を教えてもらっていたのは事実だ。それのおかげもあってか、3年生になってシルビィはCクラスからBクラスにあがった。でも、今日この日にチョコレートを渡すなんて。まるで恋人みたいじゃないか。いや、一応婚約者だけどさ。

シルビィは項垂れていた重い頭を勢いよくあげた。考えても仕方にない。彼女は勇気を振り絞って、調理室を後にした。




「シルビィ、いつもありがとう」

いつものように図書室で、ミランはシルビィに会いに来た。いつも何かしら手にお菓子を持っているミランだが、今日はとびきり可愛くラッピングされた大きな箱を渡してきた。


「年々大きくなってないかしら」

「愛の大きさかな?」

「嘘ばっかり」


シルビィは照れくさそうに笑っていった。期待してはダメ…。そう頭ではわかっているのに、彼の言葉に素直に喜んでいる自分がいる。彼のことだ、今日だっていろんな人にチョコレートを渡しているはずだ。ミランが眉を顰めていたことにシルビィは気が付かなかった。

シルビィもカバンの中からラッピングしたチョコレートを取り出す。頭の中で少し葛藤して、後悔しないうちにと勢いよくミランに手渡した。


「毎年もらってばっかりだもの。美味しくなくてもちゃんと食べてね」

「もちろんだ。でもせっかく君が作ってくれたんだ。一生飾っておこうかな」

「馬鹿ね」

「君は特別だから。そりゃ馬鹿になるさ」


また!!息をするように甘い言葉を吐く男だ。次の日、砂糖の塊のような甘い言葉とともに、彼はちゃんと食べた感想をくれた。




***


4年生の冬。Aクラスにアクアローズが転入してきたらしい。らしいというのは、私はまだ実際に彼女の姿を見たことがないからだ。ただ、時季外れの転入生の噂はBクラスでも持ちきりだ。

転入生で男爵令嬢という立場でありながら、ミランと肩を並べるほど成績優秀。ミランとも話が合うようで…。まあ、彼の持ち前の社交性から話が合わないという人の方が少なそうだが、彼のそばにいることが多いようだ。


と、いうわけで私の心の中でガッツポーズを決め込んだ。ようやく、ようやく女たらし大魔王ミラン・ティタスから解放されるときがきた。物語の中でも、アクアローズとミランはほぼ恋人のような関係だったように思う。


いつものように図書館にやってきた彼に私は声をかけた。


「最近、仲の良いお友達ができたみたいね」

「ああ、アクアローズのことかな?」

「ええ、私のクラスでも噂されてるわ。もしその方が好きなら、すぐに教えてね。私のことは気にしないで」

「…本気で言ってるのか?」


いつもは誰もが虜になるような柔和な笑みを浮かべているミランが、真剣な瞳でシルビィを捉えてきた。その瞬間、まるで時間が止まったかのような静寂が広がった。普段とは違うミランの雰囲気に、シルビィは何と言うべきか困ってしまった。


だって、彼は私のことが好きではないはずだ。原作のシルビィは彼に愛されなくて間違いを犯してしまった。

今の私は、彼が好きか嫌いかと問われれば、好きだと答えるほど、彼に心を許してしまっているのも事実。でも、原作のシルビィほどの愛ではない。そうはいっても、彼に心をほだされるのも時間の問題だ。


「本気よ。私は…貴方を愛していないから」


たっぷりの静寂の後、震える声を必死で落ち着かせて出した言葉だった。彼の反応が怖くて、俯いてしまう。ガタンと音を立てて、ミランが立ち上がった。普段礼儀正しい振舞いをする彼とは想像ができない。ミランはそのまま無言で図書室から出ていった。彼がどんな表情をしていたのか、俯いていた私にはわからなかった。


あれから、しばらく彼と会うことはなかった。5年生になって、ミランの第一王子としての勉強が王宮で始まったのだ。毎日、学園と王宮を忙しなく行き来している彼に、私はかける言葉が見つからなかった。でも、毎日忙しい彼が心配で、時々机にお菓子を置いていた。まあ、彼の机の上には常に先客がいるようで。私のお菓子は、数多の差し入れの一つとなっている。



***


それは偶然だった。学園の庭園は、あまり人が来ない。いつも図書館で勉強しているが、偶には気分転換でもしようと初めて庭園を訪れた。勉強道具を持って、人がいないテラスを探す。庭園には人がまばらで、これならすぐに席が見つかりそうだと頬が緩む。


すぐ近くで聞き覚えのある声がした。ちょうど植木の陰で男女が仲睦まじくおしゃべりしている。相手はこちらに気が付いていないようだ。楽しそうな会話の後、男は自然な流れで腰を浮かすと、女の頬に手をあて、顔が重なった。


(やっぱりそうなのね)


シルビィはそっと踵を返した。見間違うはずがない、あれはミランとアクアローズだった。

馬鹿だ馬鹿だと自分を責める。彼はそういう人だ。分かっていたのに、なぜこんなにも心が乱れてしまうんだろう。私は馬鹿だ。やっぱり彼を愛してしまうんだから。


じわり、と視界がゆがんだ。


次の日の放課後、誰にも知られないようにミランを呼び出した。いつもの図書室ではなく、誰もいない空き教室を選んだ。これは誰にも聞かれてはいけない話だから。

ガラッと教室のドアが開いてミランが入ってきた。この後、彼は王宮に戻らなければいけない。手短に済まそうと口を開きかけたとき、彼は開口一番に言った。


「なんか変じゃないか?」

「何も変ではございません」

「敬語に戻っているし」

「…では言いますが、もう関係を終わりにしませんか?」

「というと?」


人の感情を読みとるのに長けている彼のことだ。私が意図することなど絶対に分かっているはずだ。なのに何も知りませんという風に首をかしげる彼が憎らしくなった。もう、私を縛らないでくれと切実に思った。


「私は貴方にはふさわしくありません。どうか貴方が一番愛している人をそばにおいてください」

「俺は君を一番愛しているよ」


(まだいうかこの男!!)


私は昨日、ミランとアクアローズが庭園でキスをしていたところをはっきりと目撃した。何も知らない女だと思って、からかっているのか。言葉にならず唇をぐっと真一文字に噛みしめる。


「私は昨日、アクアローズさんと貴方がキスをしていたところを見ました」


咎めるように彼を睨む。彼も心当たりがあるのか、僅かに目を見開いた。


「もう私を解放してください!私は…これ以上貴方に心をかき乱されたくない!」


涙が出ないように必死にこらえていたのに、ぽたりと涙が頬を伝った。心からの本心を伝えた。こんなにも感情的になることは初めてだった。


「昨日、君も庭園に来ていたんだね。でも勘違いをしている。昨日はアクアローズの目に埃が入ったようだから見ていただけ。神に誓って君の思うようなことはしていない。そして、神に誓おう。俺が心から愛しているのは君だけだ」


ミランの手がゆるりとこちらに伸びてきて頬に触れる。

流れるような動作でちゅ、と互いの唇が触れ合う。いきなりのことで咄嗟に反応することができない。顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるシルビィを見て、ミランは意地悪をする子どもみたいな表情で言った。


「俺から逃げたいなら逃げればいいよ。俺は君を離さないけど」


その日から、ミランがシルビィを追いかけて、シルビィがミランから逃げ回る光景を学園内で度々目撃されるようになることを、シルビィはまだ知らなかった。



***


6年生になった。シルビィはついに念願のAクラスにやってきた。5年生の時には婚約者…というか邪魔者が入り、勉強にうってつけだった図書館に足を運ぶ回数が減ってしまっていたが、なんとか最終学年でAクラスまで上り詰めることができた。しかし、いいことばかりではない。むしろ悪い事の方が多かった。


「シルビィ、お腹すいてないか?」

「シルビィ、わからないことはないか?」

「シルビィ、おれが代わりに__」


(うるさーい!)


空き教室で本音をぶつけて以来、ミランは変わってしまった。

どうせクラスでも女子たちに囲まれて優雅に過ごしているだろうと思っていたミランは、Aクラスにシルビィがやってきた途端、常にシルビィに付き纏っていた。それはもう鬱陶しいくらいに。


別に他の女子生徒たちを雑に扱うことは決してないが、ミランのシルビィへの接し方を見て、他の女子生徒が遠慮しているのだ。ちらり、とアクアローズの様子を横目に見る。友人と楽しそうに話しており、全くこっちを見る様もない。


もしかして、ホントにミランとアクアローズはデキていないのか…?私の脳内計画が音を立てて崩れる音が、頭の中でこだました。



***


そして、ついに卒業パーティーの日。原作のシルビィがミランを殺害した日がやってきた。


私は、一大決心をしてミランをバルコニーに呼び出した。学園の制服とは違うエレガントな服装の彼に、私の胸は少しだけ高鳴った。大ホールの中を流れる楽しい音楽が微かに聞こえる。夕方から始まったパーティーなのに、今は月が高く上っている。月の光に反射して、彼のエメラルドグリーンの瞳が煌めく。ちょっとだけ風が吹いて、彼の美しい金色の髪がふわりと浮き上がった。本当に、彫刻のように美しい人だ。


「別れてください」


単刀直入に切り出した。彼の瞳をしっかりと見つめる。今度は涙を流すことはしない。


「ねぇシルビィ、君は俺のこと好きだよね」

「そ、それは…」

「君は俺が好きだよ」

「ちょっと勝手に__」

「どうして俺から逃げるのさ」

「…だから!!貴方が好きすぎて狂っちゃうから!」


間髪挟まないミランの問いかけにシルビィは思わず叫んだ。ぜぇぜぇと肩で息をする。

そして気が付いた。しまった…いらんことを言ってしまったと。


徐々にこちらに近づいてくるミランに、シルビィは後ずさる。まずいことになったと頭を働かす。背中がひんやりとして、バルコニーの手すりまで追い詰められてしまったことを悟る。


なにか言おうと、シルビィが口を開きかけたとき、その言葉は彼の唇に吸い込まれていった。

ミランの腕がシルビィの腰と頭をおさえて、息をつく暇もなく何度も何度も深く口づけを繰り返す。

シルビィはミランの胸の中に閉じ込められ、抵抗することもできず、ミランのことで頭がいっぱいになった。満足したのか、ようやく触れ合った唇を離したミランは余裕そうに微笑んだ。


「狂っちゃえ」


そういって唇をぺろりと舐めた。

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