第6話
その翌日から、私は完全にクラスの異物となっていた。まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。昨日、クラスメイトにあれだけのことを言ってしまったのだから。
本当は登校したくなかったけれど、家にいることのほうがいやで仕方なく制服を着た。ワイシャツに袖を通しながら、私は以前石野に言われた言葉を思い出した。
『結局、家よりもきらいな私の家のほうがマシなんでしょ』
そのとおりだった。私は家に居場所がないから、どうしても学校では居場所を作りたくて、がむしゃらに頑張っていた。でも、必死で守ってきた居場所すら私は呆気なく失った。
昼休み。四方から、ひそひそと私の噂をする声が聞こえる。そこには、昨日あの場にいなかった女子たちの声も混ざっていた。
「昨日のあの話って、本当なの?」
そうだよ。あれが本当の私だよ。
「前から思ってたけど、珠生ちゃんってやっぱりナルシだったんだ」
だって、私しか私を愛してくれないんだから、仕方ないじゃない。
「自意識過剰だよねぇ」
うるさい。勝手なことを言うな。上っ面の私しか知らないくせに。
「というか性格ヤバくない?」
だからどうした。
……いらいらする。
今まで私にへらへらしてきたくせに、急にこれだ。本当、学校って同調社会だよなと思う。だれかひとりがつるし上げられたら、みんなこぞって集中砲火を浴びせる。
そこに意思なんてない。なぜやるのかと問われたら、あの子がそう言ったから。それだけ。
結局、だれかのせい。くだらない。
……でも。
『お前はひなたがきらいなわけ? それとも、みんながひなたをきらってるから仲良くしたくないわけ?』
私も、そうだった。
購買部から帰ってきて間もなかったが、教室で食べる気にはならなかったので、屋上へ続く階段に腰を下ろした。いらいらしながら焼きそばパンをかじる。
廊下だから暑いし、埃臭いし、最悪。こんなところじゃ食欲なんて湧くわけもない。焼きそばパンを脇に置いて、パックのトマトジュースを開ける。
ストローが上手く開かず、さらにいらいらした。
あぁもう。なんでこんなとこでお昼を食べなきゃなんないの。これじゃまるで、いじめられっ子みたいだ。
そもそも、今回の件は私はまったく悪くない。クラスメイトの悪口なんて放っておけばいいものを、瀬野があんなふうにけしかけるから悪いのだ。
女の口というのは、羽根より軽い。一度悪い噂が広まれば、あっという間にクラス中に……いや、学校中に広まる。
そして、その結果がこれだ。
しんとした廊下。遠くから、学生たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。どこまでも続く空のように青い色をした、今だけのみずみずしさを含んだ声。
思えば私は、いつだってその外側にいた気がする。みんなと一緒にいても分厚い仮面を被って、本音をしまって、がっつりエフェクトをかけて笑っていたから――。
「あっ! 見つけた!」
突然、ビーズがパーンと弾けるような声が響いた。顔を上げると、そこには一番見たくない顔があった。
「……石野」
と、瀬野もいる。なんでこいつらがここに。
「もう! 探したんだよ〜! トイレから帰ってきたらタマちゃんいなくなってるからさぁ」
「つか、こんなとこで昼飯? 味しなそ〜」
ふたりは当たり前のように私の両脇に腰を下ろした。
「うるさい。別に、私がどこにいようと私の勝手でしょ。ていうか、なんなのあんたら」
……そういえば私、このふたりには本性バレてるんだった。
「タマちゃん辛辣〜」
「まぁ、珠生らしくていいんじゃね」
もはやこのふたりの前では猫を被ることすら面倒くさい。
「さて、ご飯ご飯」
「ちょっと! なんでここで食べようとするのよ」
「え、一緒に食べようよ?」
「はぁ? なんで私があんたたちと食べなきゃいけないの」
「出た、ツンデレ」
「いいじゃん、タマちゃんどうせぼっちでしょ。ねぇねぇ、湊から聞いたよ〜。タマちゃん、私のこと庇ってくれたんだって?」
石野は突然キリッとした顔で遠くを見つめ、「ひなたはバカじゃないし、めっちゃいい子で超美少女だから!」と言い放った。どうやら、私のモノマネらしい。
「ウザ。てか美少女なんてひとことも言ってないし。勝手に改竄すんな」
「あ、バレた」
「なんなの。もしかしてあんたたち、私のこと笑いにきたわけ?」
「違うよ〜。うふふ、でも嬉しかったなぁ。タマちゃん、あんなに私にツンケンしてたくせに私のこと大好きだったんじゃん」
石野はうっとりとした顔で言った。
「違うし、離れてよ。キモい」
「ひどっ! てか、口悪っ!」
すると瀬野まで「やっぱりツンデレ」と言ってきた。しかも、鼻で笑いやがった。
「…………」
いい加減、言い返すのも面倒くさくなってきた。さっさと食べ終わして、図書室にでも行こう。
石野はランチバッグから手作りのたまごサンドを取り出すと、はむはむと食べ始めた。
「……ねぇ、あんたたちさぁ……なんでこんな私にかまうの?」
「へ?」
訊ねると、石野はきょとんとした顔で私を見る。口の端に、タマゴが付いているんですが。
「それはもちろんタマちゃんが好きだからだけど」
だから、なぜ。
「私、あんたに好かれるようなことした覚えなんてぜんぜんないけど」
「えっとねぇ……うん。好きなのは、顔だね」
「は? 顔?」
眉を寄せる。さらに意味が分からない。
「私ね、実は可愛い子が大好きなんだよねぇ。タマちゃんってすっごい可愛い顔してるのに、ぜんぜん似合わない化粧してるからさ。ずっと気になってた!」
そうなのか。
「だから、いつかタマちゃんと仲良くなって、お化粧させてほしいなぁって思ってたんだ」
「化粧?」
「うん。私ね、だれかの化粧をするの好きなんだ。湊に化粧させてっていってもいやがられるし」
「そりゃそうでしょ」
「だよな? なんで俺が化粧されなきゃなんねーんだよ」
瀬野はげんなりした顔をして、石野から私に視線を流した。石野の自由奔放さに振り回されているのは、瀬野もらしい。
けど、瀬野が化粧。ちょっとだけ、見てみたい気もする。
「湊、女の子みたいにきれいな顔してるんだからいいじゃん!」
「俺は女じゃないっつーの!」
瀬野が石野にチョップをかます。
「あたっ!」
瀬野のチョップに対し頭を押さえる石野に、私はため息を漏らす。
「……で? つまりあんたは、私の顔だけが好みなわけ?」
「うん、この前まではそうだった……けど、今は違うよ。今は、タマちゃんの全部が好き! 性格も、顔も!」
「……なにそれ」
今さらそんなふうに褒められたって嬉しくない……はずなのに。
少しだけ、心があたたかくなった気がした。
「あのさ、石野」
「ん?」
「ごめん。私、石野にずっといやな態度とってたよね。本当は石野のことなにも知らないのに、みんながきらいって言うから、同じようにそう思い込んでた。みんなに合わせてた。本当に、ごめん」
小さく頭を下げて謝ると、石野はぽかんとした顔をした。
すぐに笑って、
「……いいよ。別に」
と言う。
「よくないよ」
「いいんだよ。そりゃ、私はタマちゃんのことが好きだからショックはあるけど。でも、私が好きだからって、タマちゃんが私を好きだとは限らないもんね」
「え?」
「私が好きだから、タマちゃんもきっと私のことを好きだなんて思わないよ。そんなのはただの私のエゴだから」
石野が私の耳元に顔を寄せる。
「私のこと庇ってくれたって湊から聞いたとき、すごく嬉しかったんだ。湊以外で私を気にかけてくれる子なんて、今までひとりもいなかったから。だから、許そう!」
ふふん、といった感じで石野が笑う。
「私ね、お父さんが死んでから家のことで手一杯でさ、正直学校に行く意味とかぜんぜん分かんなかったんだよね。湊には学校なんて行かなくてもふつうに会えるし。だから、七月いっぱいで本気で辞める気だったんだ。でも……私、やっぱり高校辞めるのやめようと思う」
思わず顔を上げた私のとなりで、瀬野が驚いたように石野を見た。
「タマちゃんと湊と三人でさ、やっぱり高校生らしいことしてみたいって思ったんだよね! だから、辞めるのはやめ!」
瀬野が嬉しそうに微笑む。
「だからタマちゃん、湊! 三人で一緒に卒業しよう?」
花が開いた瞬間のようなみずみずしい笑みに、思わず私も笑みが零れる。
「……うん」
小さく頷く。すると、石野がくるっと私の顔を覗き込んできた。
「……あれ? タマちゃん顔赤い。もしかして照れてる?」
「てっ……照れてない!」
「照れてるな」
「だから、照れてないってば! なんなのあんたら!」
ついムキになって言い返すと、石野と瀬野は顔を見合わせて笑った。
「やだなぁもう。可愛い、タマちゃん!」
「か、可愛くないし! ……てか、石野こそ顔だけはいいんだから、もう少し協調性大切にしたら人気者になれるんじゃないの」
すると、石野がきょとんとした。
「キョウチョウセイってなぁに?」
そういえばこの子、バカだった。
「えーっと……だから、だれにでも本音をズバズバ言うんじゃなくて、空気を読んだり、人に合わせるってこと」
「それって、その人の前で猫被るってこと?」
「……まぁそうなるけど」
「えーいやだよ。だってそんなことしたら、その人といるときはずーっと猫被ってなきゃいけなくなっちゃうじゃん。自分を偽ってだれかといても、楽しくなくない?」
「それは……」
まぁ、たしかに。
「でも、社会ってそういうものでしょ」
少なからず、大人になればみんな自分を抑えて生きるものだ。
「えぇ〜そんなのやだよ。私は我慢なんてしたくない。私は今我慢してないけど、湊もタマちゃんも、本当の私を受け入れてくれてるからすごく楽しいよ!」
私は石野の顔を見つめた。まるで曇りのないその瞳に、胃の辺りがぎゅっとなるようだった。
「ささ、次はタマちゃんがハダカになる番ですよ」
「は? なにそれ」
「私が可愛くしてあげる!」
「……もしかして、私の顔に化粧したいって、本気?」
「もちろん!」
「言っておくけど、私、スッピンブスだからね」
不貞腐れたように言うと、石野は戸惑いがちに私を見た。
「そんなことないよ? タマちゃんは可愛いよ?」
目を逸らす。
「タマちゃん?」
私は可愛くなんてない。
……だって、本当に可愛かったら、こんなふうにひとりぼっちになんてならないはずだ。
「私、好きでこの顔に生まれたわけじゃないから」
そう言うと、石野は数度瞬きをした。
「……あのさ、ずっと思ってたんだけど……タマちゃんってもしかして、自分の顔きらいなの?」
「当たり前でしょ。こんな顔」
好きになれるわけがない。吐き捨てるように言う。すると、石野は心底不思議そうな顔で首を傾げた。
「どうして?」
どうしてって、そんなの決まっている。
私が、出ていった母親そっくりだからだ。
「自分の顔を武器にしてるくせに、その顔がきらいっておかしくない?」
瀬野は不思議そうな顔をして、そう言った。
「……ふたりには分かんないよ」
私の気持ちなんて。そう呟くように言うと、石野と瀬野が顔を見合わせた。
私は俯いたまま、ぽつぽつと話し出す。
「私……母親が男作って出ていってから、家に居場所がないんだ。お父さんもおばあちゃんも、絶対私を見ようとしない。暴力とかは振るわれないけど、透明人間みたいに扱われてる」
「ずっと……?」
「うん。私が母親そっくりの顔をしているから」
卵型の輪郭。くっきりとした目元に、流れるような鼻筋。
どこを見ても父親の影はない。もはや父と血が繋がっているのかすら怪しいくらいだった。
私はこの顔のせいで、家族に愛してもらえない。目すら、合わせてもらえない。
「……ふたりは、死にたいって思ったことある?」
石野は黙り込み、瀬野は静かに首を振った。
あるわけない。石野や瀬野には、自分を愛してくれる家族と、自分を理解してくれる幼なじみがいるのだから。
なにも持たない私とは、なにもかもが違う。
「私はあるよ。何度もある」
死にたくなったことも、なんで私を見てくれないのと叫びたくなったことも。でも、結局意気地無しだから、なにもできないままこうしてだらだらと生きてしまっている。
「……ねぇ、タマちゃん」
石野は私の手をそっと握った。私は、顔を上げて石野を見る。
「私、死にたいって思ったことはないけど……もうぜんぶどうでもいいって思ったことはあるよ」
家事とか保育園のお迎えとか、私女子高生なのに、なんでこんなことしなきゃいけないんだろうって思ったことは何度もある。
そう言って、石野はかすかに微笑んだ。
「でも、私はワガママだから、そんなときでもお腹は減ったし、眠くもなった」
そう言って、石野はパクッとたまごサンドを食べた。
「死んだらなにもなくなっちゃう。美味しいものだって食べられなくなっちゃうんだよ」
「……そんなの関係ないよ。死にたい人には、それ以上に苦しいことがあったってことでしょ」
「でも、これからもっと楽しいことが待ってるかもしれないじゃん」
石野のまっすぐな視線から、私は目を逸らした。
「そんな不確かなものに賭ける心の余裕なんてないんだよ」
死を願う人間には。
「そっかぁ……。でも、私は死ぬ勇気のほうが持てないなぁ。だって怖くない? 死ぬの」と、石野は瀬野を見た。瀬野は困ったように微笑み、首を捻る。
「……まぁ、怖いよな。死ぬのは」
でしょ? と、石野は私へ視線を流した。
「私たちには、ずっと先の未来のことは分からない。けど想像することならできるよ! 明日どうしようかなぁとか、なにを食べようかなぁ、とか。それに、もしかしたら運命の人に出会えるかもしれないじゃん? そんなふうに思ったら死ねなくない? だって明日だよ? 明日!」
思わず笑う。
「なにそれ。運命の出会いなんてあるわけないじゃん」
「そんなことないよ!! だって私は、それを毎日続けたら出会ったんだから」
「出会った? だれに?」
訊ねると、石野は私を指さした。
「タマちゃん」
「は……? 私……?」
「そうだよ。私は今年、タマちゃんに会えたよ」
「……いや、意味分かんないし」
「ねぇタマちゃん。タマちゃんは、昨日私を友達から庇ったこと、後悔してる?」
「え……」
じっと見つめられ、私は黙り込んで考える。
どうなのだろう。あのときは頭がカッとなって、気づいたらああ言っていたけれど。
そもそも、友達ってなに? 一緒にクレープを食べること? だれかの悪口を囁き合うこと?
「分からない……」
だって私には、これまで一度も友達なんていなかったから。
「じゃあさ、タマちゃんは昨日の子たちとまた仲良くなりたいと思ってる?」
「…………」
はっきり思った。
それは、ない。
「私たちの時間は、無限じゃないんだよ。それなのに、その貴重な時間を友達でもない人の悪口に頭がいっぱいになって、ネガティブな想像をずっとしてるのって、すごくもったいないと思わない? こんなところでひとりでうずくまってたって、ご飯は美味しくないよ。もっと楽しい話をできる人と一緒に食べたほうが、ご飯だってずっと美味しいと思わない?」
その言葉に、なにかが喉の奥から込み上げる。
「タマちゃんには、仲良くしたいって心から思うような子はいないの?」
首を振る。
「……そんなのいない。だって私、性格悪いから。私なんかと友達になりたい人なんて、どこにも」
「そうじゃなくてさ、タマちゃんが仲良くしたい人だよ」
「私が……?」
「そう。男子でも女子でも、先輩でも後輩でもいいから、だれかいないの?」
考えるけれど、ぜんぜん思い浮かばない。あらためて考えて、虚しくなった。
「はいはいっ! 私はいるよ!」
「え……」
「私はね、タマちゃんの友達になりたい!」
息がつまりかけた。
「……だから、なんで? 私、あんたにいやな態度しかとってないけど」
「うーん、たしかに素のタマちゃんになってからはぜんぜん優しくはなかったけど、でもその代わり嘘はなかったから! だから好き!」
「……なにそれ」
石野の屈託のない笑顔に、私は小さく笑う。
「あ、笑った!」
「石野がバカみたいなこと言うからじゃん」
「バカって……あ、それ焼きそばパン? 購買のだよね? 美味しそう!」
ふと、石野の視線が私の膝に落ちた。
「……いいよ、あげる。食欲ないから」
「えぇ! ダメだよ! 昨日球技の練習で倒れたんでしょ!」
石野は手に持っていたランチバッグをごそごそと漁り、新しいたまごサンドを取り出した。
「それならこれと交換しようよ! 私のお昼!」
「……いらない。私はもうおなかいっぱいだし」
「いいから交換! 食べないと心は元気にならないよ!」
ぐいぐいと押し付けられ、私は仕方なくたまごサンドを受け取る。石野は私から食べかけの焼きそばパンを受け取ると、嬉しそうにはむはむと食べ始めた。
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