第2話

 ラーメン菱山。地元民に愛される老舗ラーメン店だが、意外と全国的にも有名らしく、昔はダンジョンの探検に来た人々で超満員になったこともあるそうだ。かくいう私もそこそここの店に通っている。ダンジョンから歩いて約2分。店の前まで来るといつも、ラーメンの匂いが漂ってきてお腹がすいてしまう。


「ここで、ラーメンが食べられるのだな」


「そうです。……あの、ところでなんですけど、お金持ってるんですか?」


「金、とは人間が物やサービスを受け取るときに対価として差し出すものだったな。私はずっとダンジョンの中にいたから持ち合わせてはいないが」


「やっぱり。それじゃラーメン食べられないですよ」一文無しでダンジョンに10年引きこもり生活とは。暇で仕方なかっただろう。


「確かに、食事には金が必要だったな」そう言って少年はまた私をじっと見つめてくる。私はため息をついて、バッグからスマホを取り出した。


「わかりました。ラーメンは奢りますよ。親に連絡するからちょっと待っててください。その代わり、私が駅までの近道にダンジョンの抜け穴使ってたことは内緒にしてくださいね」


「ああ、助かる」




「いらっしゃーい、あれ、ハルちゃん、今日はお友達連れてきたのかい?」


 陽気な店主の声が店内に響く。まだ早い時間ということもあって、客はそこまで多くなかった。


「まあ、そんなとこです。いつもの二つ、お願いします」


 私たちはテーブル席に座った。老舗のわりに、店内はこじゃれた感じで女性人気も高い。少年は、目を輝かせて辺りをぐるぐると見まわしている。お手本のような初見のリアクションといった感じだ。


「ここに座って待っていれば、ラーメンが出てくるのだな」今朝は冷徹に見えた彼の顔も、今はプレゼントを開ける前の子どものように、ワクワクに満ちていた。


「そうです。……あの、やっぱりあなたって、ダンジョンのモンスター、なんですか」


 私がそう質問すると、少年の表情からワクワクが消え去り、また今朝の冷酷な感じに戻った。


「モンスター、確かに人間にはそう呼ばれているな。ああ、そうだ。私はモンスターで間違いないよ」


「いや、そんな重大事実をさらっと……。じゃあ、なぜあなたはモンスターなのに、人間の姿で、人間の言葉を喋ってるんですか」


「それは、人間の行動を学習したからだな。ダンジョンに来た人間の姿をくまなく観察し、自身の体を細胞レベルで人間の姿に変化させられるようにした。この姿が出来上がったのはつい最近だ。言語は、人間の会話をひたすら聞いて覚えた。個体間の意思疎通に声帯から発する決まった音声信号を用いる、というのはなかなか斬新で、覚えるのは骨が折れたぞ」


 少年は、なぜか目を輝かせながら早口でそう話す。モンスターが人間に変身って。ここ十年のダンジョン出現やら攻略やらのせいで非日常にはそこそこ慣れたつもりでいたが、これはさすがについていけない。ついていけないのに、私はなぜか、「もっと聞きたい」と思ってしまっている。


「へいお待ち! 特製豚骨ラーメン二人前だ」


 そうこう話している間に、注文していたラーメンがテーブルに並んだ。この提供の早さもこの店のウリなのだ。なんだかすごく疲れた気がするし、ラーメンで英気を養おう。そう思ってラーメンをすする私を、少年が真剣な表情で見つめてくる。


「……箸というのは、そう使うのだな」


 そう言って彼は、私の真似をして箸を持った。おそらく箸なんて使ったことないだろうから仕方ないが、手元がおぼつかない。これではラーメンをすするのは難しいだろう。しょんぼりしたような表情になる少年を見かねて、私は彼の手をとった。


「中指はここ。こうやって、上の箸だけを動かすんです。で、麺はこうやって持ちあげて、それからすする!」


 私は彼の指を直接動かして指導した。彼は言われたようにラーメンをすする。ラーメンを口に含んだ瞬間、彼の表情は驚きに満ちた。ゆっくり噛んで嚥下し、さらにラーメンをすする。彼の手は止まらなかった。ラーメンをすする度に、驚きと喜びにあふれたような、いい表情をするのだ。私は彼のリアクションが面白くてしばらく見つめていた。


「いやあ、そんなにおいしそうに食べてくれるとこっちも嬉しいね」店主が、カウンターから私たちを見て自慢げにそう言った。


「ハル、これはなんだ」


「それはチャーシューです。こうやって、箸でつかんで食べるんです。ここのチャーシュー、すごくおいしいんですよ」


 少年は言われたとおりにチャーシューを食べる。その瞬間、また表情が驚きに満ちた。そのまま他の具材もぺろりと平らげた。ほんとにおいしそうに食べるなあ、と、奢っただけのこっちもなんだかうれしくなってくる。



 彼はそれから一言も話さず、ラーメンをぺろりと平らげた。私もラーメンを食べ終わり、二人分の会計を済ませ、店を出た。軽くなった財布が、私を現実に引き戻す。流れで初対面の人間にラーメンを奢ってしまったことを軽く公開しながら帰路についた。


「ありがとう、ハル。君のおかげで素晴らしい体験ができた。まさか人間の食事があそこまで快楽を伴うものだとは思ってもいなかったよ。エネルギー補給の手段である食事をあんなふうにしてしまうなんて、本当に人間は面白いね。特にチャーシュー、あれはすごく気に入ったよ」


「あの……一応もう一回聞くんですけど、本当にモンスター、なんですよね」


「おや、まだ信用されていないのか。……そうだな、ラーメンの礼だ。ダンジョンまで来てくれれば証拠を見せよう」


 彼がモンスターである証拠。そう言われて、断るわけにもいかなかった。私たちはダンジョンに向かって歩き出した。


「わかりました。そういや、ダンジョンが出現したとき、どんな感じだったんですか。その時からダンジョンにいたんですよね」


「ああ、そうだ。というか、それよりもずっと前からだな。ある時突然、ダンジョンの周りが別世界になり、そこで見たことのない生物があふれかえっていた、という感じだったかな」


「モンスター視点だと、そうなるんですね」


 人間の歴史だと、ある日突然ダンジョンが出現した、ということになっているが、モンスター側からすると、突然人間の街が現れた、ととらえられる。なんだか、彼と話していると、今まで全く意識してこなかった『モンスターの世界』の片鱗が、少し見えてくる気がする。


「理由は私にもわからないが、君たち人間の世界と、我々の世界が、一部入れ替わってしまったのかもしれないね」



 そうこうしているうちに、ダンジョンに戻ってきた。外はすっかり暗くなっており、ダンジョンの中は最低限の明かりしかないのでほとんど見えない。私はスマホのライトで辺りを照らした。見慣れた無骨な岩の空間が広がる。


「ダンジョンは私の“家”だ。人間の言い方だとな。いつだったかも忘れたが、私がここを作ったのだ」ダンジョンの中に入り、少年がそうつぶやく。その声はどこか寂しそうに聞こえた。


「ここ、あなたの家だったんですね。あれ、じゃあ、私勝手に入って……」


「別に構わないよ。むしろダンジョンに入ってきた人間たちには感謝しているくらいだ。特にハル、君の体のデータのおかげで、僕はこの姿を完成させることができた」


 そう言ってほほ笑む。次の瞬間、彼の姿が変わった。私はライトを彼のほうに向けた。そこにいたのは“ドラゴン”だった。真っ白な鱗に覆われた巨大な体躯、ダンジョンの端から端まで届きそうなくらいに広がった翼、宝石のような角、そして爬虫類を思わせるような顔。言葉が出なかった。彼の目は、私を真っすぐに見つめていた。彼が翼を動かすたびに、強烈な向かい風にさらされた。私は、間違いなく今、モンスターと対峙している。私は、緊張と恐怖の中に、なぜか抑えきれない好奇心があるのが分かった。


 恐る恐る、彼の顔に触れようとしたところで、彼は元の姿に戻ってしまった。美少年が、不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめている。私は手をすぐさま引っ込める。


「ほんとに、モンスターだった……」モンスターって、あんなに大きいんだ。どんな風に空飛んでるの。炎とか吐けるの。いろいろ言いたいことはあるのに、うまく言葉が出てこなかった。ただ一つ、私の中に焼き付いたのは、「もっと知りたい」という感情だ。あれだけじゃ物足りない。私はモンスターのことを、彼のことを、もっと見たい。知りたい。


 そうだったんだ。私はやっと気づいた。自分から人間になってみたり、人間の言葉を学んだり、ラーメンを食べてみたり。少年もきっと同じだったんだ。未知の生物――人間のことをもっと知りたい、そんな好奇心。


「これで、納得してもらえたかな」


「えと、すごかったです。その、教科書とかに載ってるモンスターの写真と違って、すごくかっこよくて……えと、とにかくすごかったです」


「ふふ、そうか。……ねえ、ハル。また、ここに来てくれるかい?」


「えっ」


「私は、もっと人間のことが知りたい。今日ラーメンを食べて、改めてそう思ったよ。私はこの人間の姿を作るまで、外に出て、人間の世界を見たことがなかった。だからこれからは、もっと見てみたいし、体験してみたい。そんな好奇心がどうも抑えられなくてね」


 人間とモンスター。きっと、体のつくりも、生活の仕方も、価値観も、文化も、何もかも違う。違うからこそ、知りたい。未知のものへの好奇心というのは、知性ある生物の性なのかもしれない。だって、お互いを知りたくてたまらない人間とモンスターが、ここに二人もいるのだから。


「ふふ、私も同じです、それ。……あの、それなら、これからあなたのこと、ドラゴンさんって呼んでいいですか?あ、ドラゴンってのは人間の間で有名な架空の生き物なんですけど、それによく似てるので」


「どう呼んでもらっても構わないよ。でも、そうか。私は架空の生き物に似ているのか。なかなか興味深いね」そう言って、ドラゴンさんはクスクスと笑った。






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