HELLO MONSTERS!

おんせんたまご

第1話

 2025年3月×日未明、日本各地に出所不明の石造建築物が出現した。それらはまるで迷宮のようで、中には未知の生物がはびこっていた。


 一夜にして日本中、いや世界中を大混乱に陥れたそれは、いつからか人々に『ダンジョン』と呼ばれるようになった。


 人々の混乱は、徐々に熱狂へと変わった。ゲームで見るようなダンジョンという未知の建造物、そしてそこから出現する未知の怪物への興味が、世界中の人々をダンジョンの最奥に誘った。ある者は自ら武器を作り、ある者は探検隊を結成し、またある者はモンスターの研究のために、日本中のダンジョンを踏破しようとした。人々は銃火器を振りかざし、未知の怪物――モンスターを狩りつくした。


 それから、10年の歳月が流れた――。







 鏡に映る時計とにらめっこしながら、野暮ったい前髪を軽く巻いて整える。まさか新学期早々、こんなに時間ギリギリになるとは思ってもいなかった。女子高生の朝というものは忙しいのだ。早起きしようと思っても結局時間に追われてしまう。


「お母さん、行ってきまーす!」


「ハル、気を付けてねー」


 さっさと身支度を済ませ、カバンを持って家を飛び出した。母の声が遠ざかる。走りながら私は考えた。いつもの道を通れば確実に電車の時間に間に合わないだろう。皆勤賞がかかっているのだから仕方ない。


 近道するしかない。この辺に住んでる人の中で、おそらく私しか知らないであろう近道。それは、「ダンジョンの内部を通り抜ける」ことだ。本来なら回り道しなければならないところを、ダンジョンを通り抜けることで大幅にショートカットできる。高一のときに発見した抜け道を、急ぎたいときはよく使っていた。


 道の左側にたたずむ、小さな石造の城。周りの建物の中でひときわ異彩を放つこれは、10年前に突如日本中に出現したらしい。10年前、ということで私はあまりはっきりとは覚えていないのだが、当時は中からモンスターが出てきたとかなんとかで大騒ぎになっていたそうだ。


 そんなこのダンジョンも、ここ数年はモンスターの出現は全く確認されていないらしい。建物にも危険な部分はないし、安全が確認されたということで、一応去年から一般開放、という名の完全放置されているのである。といってもこんな田舎の面白みもないダンジョンを見に来る人なんてほぼいないのだが。


 私は開きっぱなしの入り口からダンジョンの中に入り、真っすぐに進んだ。やはり内装の「それっぽさ」はあるので、未だにモンスターが飛び出してくるのではないかと思わなくもない。私は迷路のようになった脇道には目もくれず、奥まで走った。


 ダンジョンの最奥。ゲームならボスが鎮座しているような空間だが、当然モンスターはいない。一見行き止まりのように見えるが、実は壁に小さな穴が開いていて、ギリギリ通り抜けられるのだ。


 いつものようにそこから出ようとして奥まで行くと、意外にもそこには先客がいた。自分と同じくらいの年に見える、無地のTシャツに短パン姿の少年が、一人壁の穴を見つめている。


 こんな何もないダンジョンにに来る人なんてほとんど見たことがなかったのに。彼もこの近道を見つけたのだろうか。まさかの先客に驚きつつ、どんな人だろうと彼の顔をちらりと見た。そのちゅんかん、私は彼の横顔のあまりの美しさに思わず目を奪われた。髪は指が一瞬で抜けてしまいそうなほどサラサラだし、切れ長の目、スッと通った鼻筋、きめ細かい肌。どのパーツをとっても不自然なくらい美しかった。まるで彫刻みたいに。


 ほんとに絵にかいたようなイケメンなのだが、この域まで来ると一目ぼれなんかもない。人間いろんな人がいるんだなあ、としみじみ思いながら、私は壁の穴の前に立つ。少年は穴を通り抜けようとせず、じっと見つめている。


「あ、あの」


 私が思わず声をかけると、彼は黙ったまま私に視線を向けた。緊張が全身に一気に走る。


「ここ、通れますよ」


 私は壁の穴を指さしてそう言った。少年は壁の穴を一瞥した後、私のほうを向いて小さくうなずいた。


「えと、先行きますね」


 なんとなく、それ以上喋るのが怖くなって、私はそそくさと穴をくぐった。彼は一体何者だったのだろう。疑問は残るが、気にしても仕方ない。とりあえず急いで駅に向かおう。私は無理やり穴を抜け、誰も見ていないことを確認してから、駅までの道を急いだ。




 やっぱり、気になる……。


 新学年の一日目を無事に終えた帰り道、今朝の少年がどうしても気になる私は、もう一度あのダンジョンに行ってみることにしたのだ。


 さすがにもういないだろう、とあまり期待せずにダンジョンに足を踏み入れたのだが、なんと、あの少年はまだダンジョンにいた。しかも今度は、入り口のすぐそばに。壁に寄りかかって虚ろな目でこちらを見つめている。目が合った瞬間、言いようのない寒気が全身に走った。一瞬で空気が張り詰める。


「君は」


 先に口を開いたのは少年だった。高性能な合成音声のような、いい声なのだがどことなく冷たさを感じる口調で、彼は言葉を発した。


「ときどき、ここに来ている人間だね」


「えと、そうです……。け、今朝も、会いましたよね」


 ダメだ、ただでさえ初対面の人と話すのが苦手なのに。緊張で言葉が詰まる。私は逃げるように視線をずらす。


「この前もそうだったが、君はよく、ここを通り抜けて奥の壁に空いている穴から外に出ている。なぜそんなことを?」


「そ、それは……えと、学校に遅刻しないため、ですかね」


「学校に通っている、ということは君は“学生”なのか」


「はい、えと、いちおう、高校生です。あの、あなたは、学生じゃないんですか?」


「私の外見は、学生であるように見えるか?」


「え、あ、いやその……。お、同い年くらいかな、と思って」


「なるほど、つまりこの外見は人間の間だと“学生”という身分であるのが自然であるのか。ならばもう一つ質問させてほしい。今私が着ているこの“服”は、学生が着ていてもおかしくないものか?」


 どういうこと?学生なの、それとも学生じゃないの?てかさっきから変に浮世離れしてる感すごい返事は何?――とこちらが質問攻めしたい気持ちになる。


「ま、まあ普段着としては普通なんじゃないですかね。――じゃあ、私からも質問良いですか」


 私は深呼吸して、今の状況を頭の中で整理する。今、すっごく不毛な会話してるような。とりあえず、この少年の素性を聞かないことには何も始まらない気がした。


「えと、まず、あなたのお名前と、なぜ朝からここにいるか、教えてください。あと、私の名前は根尾ねおハル。菱山ひしやま高校二年生。ここは学校行くとき、たまに近道するために通ってます」


 緊張で早口になってしまったが、何とか自己紹介までできた。私は恐る恐る少年の顔色をうかがう。少年は少し悩むようなそぶりを見せてから、ゆっくりと口を開いた。


「そうだな。確かに、私のことをまず話さなければならないな。だが、私に名前というものはない。それと、朝からどころか、私はずっとここに住んでいる。ハル、君たちが今まで気づいていなかっただけだ。――これでいいか?」


「ずっとって、どういう……」


「ずっとはずっとだ。おそらく、君が生まれるよりずっと前から」


「それって……」


 私が生まれる前から、ずっとダンジョンに住んでいる。学生くらいの年齢に見えるのに、学生ではない。というか、学生の定義すら、はっきり分かっていないような感じだ。頭の中に嫌な想像が浮かぶのを、私は必死で振り払う。彼がモンスターだなんて、そんなはずない。このダンジョンでは7年以上も、モンスターの出現は確認されていないはず。そもそも、モンスターは会話できる知能を持ち合わせていないといわれているのだ。


 しばらくの沈黙。私は頭をフル回転させて考える。本当に、彼はモンスターなのだろうか。人間に化け、意思疎通できるモンスターなんて存在していたのか。いや、そもそもモンスターだとして、なぜ私を襲わずに自分の情報を話してくれる?実は、ミステリアス気取りの中二病患者なだけなんじゃないのか?


 普通に考えたら、どこからどう見ても人間の少年な彼がモンスターだなんて発想が浮かぶはずはないだろう。だが、彼の容貌を見るとやはり人間離れした何かを感じずにはいられないのだ。


「……そういえば」沈黙を破ったのは少年だった。


「な、なんですか」


「人間たちの間では、『らーめん』なる食事が非常に人気だと聞いている。ここに来る人間たちが、よくそのことを話していてな。私も一度、それを食べてみたいと思うのだが、いったいどこで手に入るのだ?」


 ……は? なんで急にラーメン?


「ら、ラーメン、ですか?ラーメンなら、近くのお店が有名ですけど……」


 予想外の質問にしどろもどろになる私を、少年は無言でじっと見つめてくる。何が言いたいのかは、何となくわかる気がした。


「……わかりました。案内します」


「ああ、助かる」


 なぜ急にラーメンが食べたいなどと言い出すのか、全く理解できないが、ともかく案内すればいいのだろう。ダンジョンの入り口から差し込む夕日に照らされた少年の顔は、少し笑みを浮かべているように見えた。



 

 


 


 

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