第2話

 ここにコップがあるとしよう。


 そのコップの中に水滴を一滴ずつ垂らし続けると、いつかは必ず満杯になる。

 もちろん水には表面張力が働いているためすぐにはこぼれないが、それでも溢れる最後の一滴がやがて落ちて来る。

 そして溢れた水は常に最後の一滴と同量であるとは限らない、寧ろそれよりも少し多いのが普通である。自分に一発殴ってきた人が居たら、その人にも平等に一発だけ殴り返そうと考える人が居ないのと同じ理屈だ。

 そう、俺の日頃のこの何気ない行いが、あの女の「最後の一滴」になってしまったのだ。

 

 殺されたとはいえ、あの女のことは全く恨んでいない。

 彼女もこれまで大変な人生を送ってきたのが分かる。好きであんな短足デブスな体型で居る女性なんていないからな。

 俺が死ぬ間際に彼女が言い放ったことから察するに、おそらく前にも俺の「同僚」が何人もそこを訪ねて来ただろう。

 その時に一悶着ひともんちゃくがあって、彼女はうまく言い返せなかったのかもしれない。

 そして溜飲が下がることなくずっと胸の中に溜め込み続けた結果、今日遂に大爆発を起こしてしまったのだ。

 彼女のこれからの人生を考えると本当に同情するよ。

 だって嫌な思いをしながら生きてきて、遂には感情を抑えきれずに殺人を犯して、世間からバッシングを受けながら裁判にかけられては刑務所に入って、情状酌量の余地ありと5年か10年ぐらいで釈放されて、最後は前科者というレッテルを貼られた状態で生きていかないといけないんだろうな。

 もちろん俺とて死ぬのは嫌だ。

 でもゆうて生きるのもそこまで好きではない。

 訪問先でトラブルになるだけでなく、ノルマ未達成だと職場でもパワハラ上司にペコペコしないといけない。

 50代にもなると髪の毛も段々と後退し、最近ではあのクソ上司にやれⅤ字生え際だのやれベジ●タ曲線だのと自分の身体的特徴までわらわれる始末。なーにがコンプライアンス向上だよバカヤロー!こうなると分かってたら昨日の退社時にでもあいつに一発お見舞いすべきだったと後悔している。


 何はともあれ、これでやっと休められる。

 永遠に終わることのない「夏休み」に突入だ……。


――――――――――――――――――――

 あれからどれぐらい時間が経ったのだろうか。

 何だか長い間夢現ゆめうつつの狭間で彷徨さまよってきた気がする。

 朧気おぼろげな意識の中で感じ取れるのは僅かな光と妙に生暖かい液体。

 うん、そうだ、俺は今三途の川を渡っているに違いない。そう考えた刹那、俺のうなじの部分に激痛が走った!


(いってぇ!誰だ?俺の首の後ろに何を刺したんだ?)


 ……いや、違う。

 今度は刺されたんじゃない。それまで当たり前のようにあった「何か」が抜かれたんだ。

 そう気付いた次の瞬間、俺の周りを取り囲っていた液体が急に流れ出し、俺は体ごとどこか別の所に運ばれていくような感覚になった。


「試験体810号、培養完了」

「脈確認よし。呼吸あり。体温48」


 なんだろう……、使っている言語が日本語ではないのは確かだが、なぜか言っていることが当たり前のように理解できる。


「血圧5027。瞳孔確認よし。バイタルに異常なし」


(うっ!まぶっ!)


 突然目を刺すような明りに見舞われ、思わず目を閉じた。

 しばらくはいろんな人(?)にベタベタ体を触られ続けたが、正直言ってどうでもよかった。

 それから検査が終わったのか、今度はさっきよりも暗い部屋に搬送され、毛布のような物に身を包まれたような感触がした。

 視界がまだぼんやりとしているが、これだけの状況証拠が揃っていればもう断言していいだろう。俺は新しい生命体として別の世界に転生した、と。


 なぜ「新しい生命体」として「転生」したと断言できるのか?まず使っている言語があたかも最初から全部知っていたかのように理解できるところを鑑みて、これは絶対に日本の……いや、地球の技術ではできない。

 そして、そもそも培養とかいう単語が自分に対して使われた時点で自分は人間でもないだろう。

 今はまだ体を自由に動かせられないし、周囲もはっきりは見えないが、少なくとも自分は危険な環境に置かれている訳ではないことが分かる。

 だとしたら今は自身の体を周りに委ね、ひたすら時間が過ぎるのを待つしかない。

そう思い、俺はひとまず気持ちを落ち着かせ、再び眠りに入ることにした。


 自分がこの世界でも安値で量産できるただの道具であるということを知らずに……。

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テレビ受信料の集金をやってた俺が、訪問先の顧客に包丁でぐさりと異世界送りにされるもなぜか魔王の手先になってみかじめ料を徴収させられる件について ショータロー @nosadsho

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