第5話 法神

 そうした旅を二週間続けた。

 森を抜ければ、平野が広がり楽になったかと思いきや、山がきた。山の間には谷があり、木製の橋を渡ると、急勾配な下り坂が続いた。


 そんな悪路はあることはあったが、大抵はちょっと頑張らなければいけないが、歩けないことはないという道だった。


 次第に、建物が増え始めた。

 その間隔は段々と狭まっていき、時々旅の格好をした人が居るだけだったのが、やがて多くの人々がそこらを闊歩するようになった。


 辺りには、人を呼び込む商人の声が響いていた。


 ヒユウは人々の活気に驚きながらも、ひょいひょいと人を避けながら進むオババに必死でついて行った。

 逸れたら二度と会えなさそうな気がした。


「ヒユウ、ついて来とるか?」

「うん。人が多いね」

「そりゃな。ここはやまとの国の中心じゃぞ。法神からの加護が受け取れるみたいな風潮もあるらしいの。そんなもんは無さそうじゃけどな」


 オババが確認の為に後ろを振り向くと、ヒユウはすれ違う人たちの姿を見ながら返事をした。オババはそんなヒユウに、唇の端を上げながら歩みを続けた。


「法神の居る、神御所かみごしょまではまだあるぞ。人に流されんようにな」

「うん。分かった」


 オババは意地の悪い笑みを浮かべてそう言うと、ヒユウは飄々とした表情で返した為、オババは肩透かしを食らったような顔をして首を傾げた。


(初めての町で緊張しとるのかの……?)


 オババはいつもと違うヒユウの様子に、疑問を抱いたが、神御所に行くのを最優先としてその思考を一度放棄した。


 暫くの後、法神の住まう所、即ち神御所に着いた。

 神御所は、ただ大きかった。周りを白い塀で囲まれており、その端は見ることが出来なかった。門もかなり立派なもので、じっと見つめると迫ってきているような感覚に陥った。


 オババは尻込むヒユウを横目に、スッと門の中へと入って行った。

 門番は居なかった。


 それを不思議に思いつつ、置いて行かれては一人で歩いていけそうになかった為、ヒユウは少し早足でオババに付いて行った。


 建物に入ると、すぐに人が現れた。何処から来たのか、ヒユウには全く分からなかった。


「こんにちは。貴方がたはどちら様でしょうか。お名前をお教えください」

「ヒバナとヒユウじゃ。ジュンに会いに来た」


 現れたその女性は、お辞儀をしたまま顔を上げることなくそう言った。その人は大層綺麗な所作だった。付け下げできっちり固めたその人は、三十半ばといった具合だろうか。

 オババは怯むこと無く、名前を告げた。

 というか、ヒユウは今初めてオババの名前を知った。ヒバナという名だったらしい。


「少しお待ち下さい。…………承知致しました。ご案内します」


 名前を聞いた後、その人は目を閉じると少し間を置き、再び眼を開いて左手で廊下を指差しながら歩き始めた。

 オババは玄関で草履を脱ぎ、さっさとついて行く。ヒユウもそれに倣った。


 その人は、音を立てずに歩いた。全く気配が感じられない。動作の流れが自然過ぎて、逆に不自然なくらいだ。

 ヒユウは感覚で分かった。“この人は強い”と。


 その人は急に立ち止まり、こちらを向いた。そして、その場に座り、


「こちらで暫しお待ち下さい」

「はいはい」


 襖を開けて、中へ入るよう促した。オババは立ち止まること無く、そのまま部屋に入った。ヒユウもそれに遅れてついて行く。

 部屋は本当に応接間程度なのだろう。座布団と机程度しかなかった。ヒユウはオババの隣に座った。


「法神は間もなくやって参りますので、お寛ぎください」

「はいはい」


 再び知らせるように言う女性に、オババは適当に手を振って答えた。

 ヒユウは少し呆れた顔でオババを見た。よくこんなに粗雑な対応が出来るな、と。少なくとも、オババよりも強そうではあるのに。


 女性が襖を閉じて出ていくと、オババはヒユウに向き直った。


「お主……あ奴がとんでもなく強いとか思っとるじゃろ」

「なんで分かるの?」


 オババはニヤッとした顔で頬杖しながらそう言った。ヒユウは自分の考えを読まれたように感じて驚いた。


「分かるぞ。とは言え、あ奴もかなりの実力者じゃが、まだ若いの。ヒユウに悟られるようじゃ」

「え?」

「良いか。本当に強い奴はの、強いと分からないんじゃよ。今から会う、ジュンもそうじゃ」

「へ〜」

「あ、分からなかったから誤魔化したろ、今」

「い、いや、そうじゃないよ?」

「大丈夫じゃ、分かっとる」


 必死に誤魔化すヒユウに、オババは突っ掛かっていった。そうして、二人は待ち時間を過ごした。


 やがて、法神は来た。


 人が歩いて来る気配がしたと思えば、襖が開いた。


「法神が法務を終え、戻って参りました」


 と、先程の女性がそう告げるやいなや、老人の男性が部屋に入ってきた。


「ようヒバナ。久しぶりだな」

「そうじゃの、ジュン。何法神になってんだい。あれ程なる気は無いとか言ってた癖に」

「気が変わったんだよ」


 入ってくるなり、法神は笑みを浮かべ、オババに話し掛けた。しかし、先程の女性のような感じ取れるものはなかった。覇気がないと言える。


「やれやれだね。あんたは」

「そっちこそ、弟子なんか作って。昔のお前じゃあり得ないな」

「阿保か。村の中に法力持ちが出たら教えるしかないじゃろ。もう数人は鍛えたわ」

「…………お前の所に産まれ過ぎじゃないか?」

「あたしもそう思うの」


 二人は歓談を始めた。二人の顔には笑顔が浮かんでおり、かつての旧交が窺えた。昔もこんな風に話していたのだろう。


「で、そっちの子は?」

「ヒユウってんだい。割と筋は良いね」

「ほう……」

「あ、ヒユウです」


 ジュンはスルッと滑らかにヒユウの方に視線を向けると、ヒユウをじっと見つめた。ヒユウは思わず身を固めたが、オババがヒユウの背中を叩いて素早く紹介した。

 それでヒユウも硬直が解け、軽く礼をして挨拶をした。


「ヒユウか。筋は良いと言うと?」

「教えた術は大体1日で吸収。治癒に至っては、あんまり熱心じゃなかった時で、半月で使えるようになった。最近は熱心になったから余計物覚えがいいね」

「……それは良いな。もしかして、法神にでもなろうと思ってるかな?」


 ジュンは軽く頷き、オババに目を向けた。オババはヒユウの成長を軽く説明し、ジュンはそれを静かに聞いた。その後の感想から察するに、中々に感心しているようだった。

 しかし、急に柔らかい目は鋭く変化し、視線は刃に変わった。ヒユウは喉元に突き付けられたように思えた。


 ひゅっと息を洩らしてしまった。しかし、それで終わらず着物を握り締めて表情を保った。

 逆に睨み返すようにしてジュンを見るなり、ヒユウは頷いた。


「…………あっはっはっはっ! そうかそうか! 辛く厳しい道だけど、君なら耐えれるかもしれないな」


 ジュンはそんなヒユウに相好を崩して、膝を叩いた。そんなジュンに、少しホッとするヒユウだった。


「あんたに法神になれる程の勢力が作れるとは思えんのだがね」

「おいおい、ヒドイな。俺にだって仲間は作れる。ただし、少数精鋭だ」


 オババは呆れた様子で溜息を吐き、ジュンはそんなオババに人差し指を左右に振って否定した。


「どうせ作れんかっただけだろうに」

「あ、それを言うなよ。だけど、本当に俺の仲間は強いぞ。そうだ。なんならここに止まってけよ。俺の仲間でヒユウを鍛えてやろう。面白そうだろ?」

「……はぁ。まぁ良いわ。じゃが、残れても3日じゃ。その間だけだったら良いぞ。あたしらは村があるからの」

「それで十分だ。よし、ハナ。準備してくれ」

「はい」


 ジュンが部屋の外へ向けてそう言うと、先程の女性が何処からともなく現れ、黙ってその言葉を聞いた。

 既に手には着物があり、ヒユウとオババの分だと思われた。


「もう意外と外は暗い。風呂にでも入ってくれ給え。うちの風呂は良いぞ〜」

「ありがたく使わせてもらう」

「あ、ありがとうございます」

「うんうん! 旅は長かっただろうから、英気を養ってくれ」


 オババとヒユウの礼に、ジュンは力強く頷き笑顔で応えた。


「ご案内します」

「頼むよ」


 先程の女性――ハナは再び音の無い動作で二人を先導した。

 本当にここの建物はどうなっているのか、広過ぎる。外から見ても大きいと思ったが、中にいれば更に大きく感じる。


 ヒユウの疑問がオババに伝わったのか、オババが振り向いた。余程変な動きをしていたのだろう。


「なんじゃ。気付いとらんかったのか。法術が使われとるんじゃよ」

「え?」

「これは隠の法・曲虚きょくきょの効果じゃ。お陰で外観と中との感覚が随分狂わされとるわ」

「そんなことも出来るんだ……」

「しかも護の法・防界法ぼうかいほうのせいで崩せるもんも崩せないしの。それに、自動でこの状況を保てるように定期的に誰かの法力が一定量取るように設定されとる。とんでもない技術じゃ」

「うわぁ……」


 オババの淡々とした説明をヒユウは聞いたが、自分にはどうやればいいのか分からないような技能が使われているということは分かった。


 そして、ヒユウは村を出る前のオババの行動を思い出した。

 確かオババはキリオ村の全体に何か法力の幕を掛けていた。お椀型にして覆うように村全体に掛かっていた。


「じゃあオババがキリオに掛けてたあれは何なの?」

「あれも護の法・防界法じゃの。それに対象を選別出来るような設定を施しただけじゃ。今キリオ村には悪意ある者は入れんようになっとる」

「はぇ〜……」

「そのうち出来るようになるさ」

「うん」


 オババはまたしても軽い口調で説明したが、ヒユウにとっては難解で殆ど分からなかった。一体どうやってそんな設定をしたのだろうとヒユウは考えていた。


 そうこうしている内に、風呂場に着いたのか、ハナが振り向いた。


「こちらです。一応男湯と女湯に別れております。こちらが男湯、こちらが女湯でございます。それでは、失礼致します」


 ハナはそれだけ言うと、さっさと廊下の奥へと消えて行った。本当に体重が無いのではないかと思う程の動きだ。


 オババは物も言わずにさっさと暖簾をくぐって行ってしまった。一人残されても何も出来ない為、ヒユウは自分のペースで暖簾をくぐった。


 脱衣所は広かった。

 棚は非常に多く、ここにはそんなに人が居るのかとヒユウは少し驚いた。


 扉を横にスライドさせれば、石造りの風呂と洗い場があった。桶はすぐそこに置いてあり、各自で取る形式のようだった。


 長く時間を掛けるものでもないと思い、さっと身体を洗えば、すぐに湯船に浸かった。

 長らくお湯に浸かっていなかった為、それは非常に気持ちが良かった。


「あ〜……」


 思わず声を洩らした。ぐぐっと伸びをすると、身体がほぐれていく感覚があった。

 ヒユウがそうしてゆっくりとしていると、急に扉が開いた。

 ビクッとしてそちらを見ると、二十代程の男がそこには立っていた。


 その男の身体はしっかりと鍛え上げられており、慎重は190はあろうかという高さだ。


「おっ、お前が今日来たっていうジュン様の知り合いの弟子か」

「はぁ……そうですけど」

「やっぱりか! いやぁ、どんな奴か気になってたんだよな。名前は?」

「ヒユウですけど……」

「そうか。俺はコウリョウだ。よろしく」

「どうも……」


 ヒユウが少し引き気味なのにも気付いているのか気付いていないのか、笑顔のままで無限に話し掛けてくる。

 そのまま流れで湯船に浸かろうとするが、思い出したように洗い場へ向かって身体を洗ってから戻ってきた。

 その間もお喋りは続いていた。


 ヒユウの顔が少しげんなりとしてくると、


「お、湯当たりか? 早めに上がった方が良いな!」

「……じゃあ、そうします」

「きちんと水を飲めよ」

「はい」


 ヒユウはそう言って、風呂場を辞したのだった。


(あれ以上居たらほんとに湯当たりしそうだった! そう言えば、あの人も強そうな感じはしなかったな……)


 ヒユウはハナから渡してもらった服を着ながらそう思った。

 そう言って、また暖簾をくぐって廊下に出た。今度はどう戻れば良いかが分からなくなった。


 そうして突っ立っていると、ジュンが着物の袖口に両手を突っ込みながら、歩いて来た。


「ヒユウだな。そろそろ上がるかと思って迎えに来た。どう戻るか分からないだろ?」

「はい。困ってました」

「そりゃ良かった。ん? もしかして誰かと会ったか?」

「そうですね。コウリョウさんと言う方に会いました」

「あいつか……。少し説教せにゃならんな」

「へ?」

「あぁ、気にしないで良い。それじゃ戻ろうか」

「はい」


 ジュンは一瞬だけ鬼のような顔をすると、元の柔和な表情に戻って、ヒユウの肩を押した。ふと何かをしたような気がしたが、ジュンの表情は変わらなかった為、気の所為だと思った。


 一方のジュンは、コウリョウをどうするか考えていた。


(コウリョウ……ヒバナの弟子に何しやがる! 時限式の攻の法・爆塊を付けるたぁ、許せんな! そりゃ修業はここでさせるつもりだったが……)


 ヒユウはこんなことを露も知らず、部屋に戻り一息吐いたのだった。


「じゃ、ゆっくりしといてくれ。布団はそこの押し入れに入ってるから」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃ、お休み」

「お休みなさい」


 ジュンはそう言って去って行った。ヒユウは疲れたからか、オババが帰ってくるまで待つつもりだったが、瞼が自然と落ち、座布団に座って机に突っ伏したまま寝てしまった。



――――――――――――――――――――――――――――――――




「ジュン様。なんの用ですかね? 俺は別に何もやってないすけどね」

「コウリョウ、お前俺があれに気付かないと思ったか?」

「ありゃ、先にジュン様に気付かれちったか。ヒユウとやらをちょいと試そうとしただけなんすけどね」

「お前、あれ普通に死ぬぞ」

「そっすか〜?」


 コウリョウは悪気なさそうに首を捻った。ジュンは眉間を押さえながら、はぁと息を吐いた。


 一歩間違えれば、ヒユウの生命は無かった。コウリョウが強いことは良いのだが、それを弱者にまで押し付けることが良くない点だった。


「ハナ」

「はい」

「コウリョウに注意しといてくれ」

「それ本人の眼の前で言いますか?」

「御意」

「お前のせいだろうが! ヒユウはまだ修業中なんだ。お前の法術に気付けず、爆散してた可能性だってあったんだぞ」


 ジュンはハナを呼び出し、指示を出した。その対象の眼の前で。コウリョウも思わずツッコんだが、ジュンは机をバシバシと叩きながらそれを抑えた。ハナはそんな時でも冷静だった。


 ん〜、とコウリョウは頭を掻きながらジュンの部屋を出て行った。

 ハナはいつの間にかすっと消えていた。


 ジュンはそんな問題児達を思いながら、こめかみを押さえた。その後に咳き込んだ。

 随分長く咳き込んでいたが、荒い呼吸をしながらゆっくりと落ち着かせていった。


「はぁ……これでリョウカまで帰ってくれば、恐ろしいことになるな」


 ジュンは今は仕事で居ない自分の仲間を思いつつ、そう呟いた。

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