第2話
雪も降り始めたある冬の日のことだった。
一本の電話が部屋に鳴り響いた。
ため息をつく。そのため息には疲れが滲み出ているようにも感じた。
重たい腕もあげ、取りたくないと思いながら、受話器を耳に当てる。
「ーー…。」
電話向こうの声に、あぁ…わかった。と短く返事を返し、受話器を置くと、髪をかきあげ、長く深いため息を吐き出す。
それでも、心の重しは軽くはならず、疲労感は増えていくばかりに思えた。
初めは仲間の顔も名前も思い出せない日々だった。麻薬の製造、販売なんてものもそのほとんどがクラッドが指揮していた。
正直、今でも麻薬の抗争が起きていると言われても全てを理解することなどできない。
だが、少しずつでも名前や顔を覚えていった仲間が…抗争で亡くなっていっているのは事実である。
また、部下が死んだのだ。
これで何人…いや、何十人になるのだろうか。
ボスである俺の知らない所で、敵マフィアとの抗争が起き、俺の知らない所で仲間が死んでいく。
頭がどうにかなりそうだ。
俺は、ボスだ。ボスなのに……、役立たずのボスでしかないと言われている気分だ…。
俺が敵マフィアとの抗争を知ったときには、もうその抗争は落ち着いていた。
だが、解決したわけではない。
いつ、何が、火蓋を切るか分からない状況で緊張状態が続いているのだ。
"ボス"である俺が何も知らないのは駄目だ。と抗争のあった場所へ向かうことにした。
クラッドは「危険です。領地に居るべきです」と止めようとしたが、「ならお前が守ればいい」と押しのけて車に乗り込んだ。
運転席に座るスネークに車を出すように伝えると、スネークは「ですが…」とクラッドを一瞥する。
仕方なくクラッドを睨みつけて車に乗るよう急かせば、渋々といった様子でクラッドも車に乗り込んだ。
抗争のあった場所までは、重たい沈黙が車内に充満していた。
「見えてきましたね」
クラッドのその言葉で、顔を窓に向ける。
第一印象は、のどかな所だと思った。
女が花を売り、子供が花を買う。どこかで見たような絵画のような平和が目に入る。
本当にここで抗争があったのだろうか?と疑いたくなるほどに。
「平和だな」
俺がそう呟くとクラッドは「ええ、ここは」と返した。
「ここは…?」
「この先ですよ、抗争があった場所は。此処は入口に過ぎません。もうすぐですよ」
彼がそういうと、流れる景色は見る見るうちに変わっていった。
先程までの絵画のような景色から一変したそこは貧民街だった。
言葉を失う俺にクラッドは「ここが、抗争のあった地域です」と言った。
車から降りれば、異臭が鼻につく。思わず手拭いで口元をおさえると、「久しぶりに来られたなら、この臭いは堪えるでしょう?」とクラッドは苦笑する。
糞尿なんてものの臭いだけじゃない。人の脂や腐敗臭などの入り混ざった臭い。
何より、臭いのきつい場所へと目を向ける。
倒壊寸前の建物に無数の血痕が飛び散り、その下には血溜まりが見えた。鉄や腐敗臭を含んだ激しい臭いがそこから放たれている。
「ここか…」と呟いた時、無数の視線を感じ取った。
周りを見渡しても俺とクラッドしかいないはずの空間。だが、確かに視線を感じるのだ。
よく目を凝らしてみれば、窓の隙間、建物の影、俺たちから隠れている住民達を見つけた。
「あいつらは敵か?」
「…そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません」
「ふざけてるのか?」
「いいえ。伝え忘れていましたが、ここは私達と敵対しているファミリーの縄張りなんですよ」
クラッドの言葉に目を見開く。
「敵の縄張りだと?!」
「あぁ、でも、安心してください。あのファミリーはここには滅多に来ないんですよ。彼らの拠点は此処から離れた場所にありますから」
「だが、敵の縄張りなんだろう?!」
俺の言葉にクラッドは「ええ」と落ち着いて頷いた。
「ここは、云うならば彼らのゴミ箱。いらないものを始末するためのゴミ箱なんです、だから敵を始末する時しか使用しないんですよ」
「だが、なぜだ?なぜ、敵の領地で抗争が起きたんだ?」
「敵ファミリーを迎え撃つための仲間を得ようとして、彼らは失敗に終わったんです」
「仲間…?」
こんな場所で、何を仲間に…そう聞こうと口を開きかけた時、パチッと石同士が当たる音がした。
貧民街の住民が石を投げつてけきたのだ。
「なんだ…?」
振り向けば、数名のやつれた老人が小石を持っていた。
眉間にシワを寄せ、近づこうと足を動かした時クラッドに肩を掴まれた。
「彼らは怯えているんですよ。"ボス"、落ち着いて」
クラッドは、苦笑した顔をあげると「こんな派手な抗争があったばかりですし、仕方ないですよね」というと続けて「少し場所を変えましょう」と腰を押される。
まるでエスコートされているかのような動きに、体は自然と歩みを始めた。
貧民街を歩きながら、景色を見渡す。
どこか、懐かしい感じがした。何度も此処に足を運んでいたような気がするのだ。
そして、あの住民達の視線もどこかで…?
「落ち着きましたか…?」
クラッドの不安そうな声にハッと意識を戻す。
あぁ…。と短く答えれば「良かった」と安堵の声が耳に入った。
「で、なぜここで抗争が起きたんだ?」
俺は先程の質問をクラッドにぶつける。
俺達ファミリーの領地で抗争が起きるのならば、良くある縄張り争いだとわかる。敵ファミリーより小さなファミリーだ、潰しに掛かってきても何ら不思議ではない。
たが、敵ファミリーの領地に喧嘩を仕掛けに行くような馬鹿な仲間は、俺は一人も知らないのだ。
「モハン・ダスという男を知っていますか?」
俺は首を横に振った。
「彼はここ貧民街の指導者です」
「彼とこの抗争に関係が?」
「ええ。私達はダスの協力者なんですよ」
協力者?とオウム返しのように呟けば、可愛いものを見るような目で微笑まれた。
その反応に俺は眉間にシワを寄せる。
時々、クラッドはこの目で俺を見てくるのだ。
見てくる、といってもクラッドの両眼は普段ほとんど髪で隠れている為、そう見える。というだけだが。
最初のうちは苛立ちもあったが、もう慣れてしまった。
なんだ?と聞けば、別に。と返される。それがお決まりの流れなのだ。
「ここは敵ファミリーのゴミ箱だと紹介しましたね?それは彼らが敵を始末する為だけでそう呼ばれているものではないんです。ここは、この街も住民も全てが彼らにとってはゴミなんですよ」
クラッドは景色を見渡し、話をつづける。
「故に、彼らに人権など無い。彼らに自由などない、生きる資格さえない。だから、私達ファミリーに救いを求め、私達は彼らを救う手助けをしていたんです」
「ですが、敵のファミリーさんはそれが気に入らないようで、こうですね」とクラッドは両手の指で×をつくる。
剣が交わる事を意味しているのか、抗争が始まったと指で伝えた。
「なるほど。だが、なぜ俺に知らせなかった?」
俺は立ち止まり、少し怒りを混ぜてそう聞くと、クラッドは苦笑した。
「それは…私の誤ちです。申し訳ありませんでした。この任務は"ボス"が記憶を失う前から始まったものでしたし…。何より、目覚めたばかりの貴方に大変な思いをさせたくなかったんです」
すみません。ともう一度頭を下げられる。
ため息を一つこぼし「もういい」と俺は歩みを再開した。
「抗争のあったのは、ダスと情報交換をしている時でした。敵ファミリーには気付かれないように動いていた筈なんですが…どうも、彼らは私達が思う以上に、私達の事を監視していたようです」
これもわたしのミスです、情けない。とクラッドは顔を俯かせる。
起きてしまったものは仕方ないだろう。と背中を叩くと、クラッドは目を見開いた後またあの愛おしそうな目で見てきた。
俺は更に顔を顰めた。
「で、次はどうする予定だったんだ?俺は記憶がない。だから、クラッド…、教えてくれ」
「はい、勿論です。"ボス"」
作戦を聞いた後「わかった。ありがとうな」というと、クラッドは「"ボス"のためですから」と返ってきた。
あぁ、こういうのも良いものだな。と彼を見ると、普段隠れている彼のターコイズの目が俺と合った。お互いに自然に笑みが溢れた。
二人が小さく笑みを浮かべ、少し気分が優れた後、「ところで、少し聞きたいんだが」と俺は一つ気になっていた事をきく。
「俺は、ここに来たことがあるか?」
枯れた花壇に囲まれている錆びれた教会の前で、そう聞いた。
「…さぁ……?」
口角を上げ、こちらを向いているクラッドの瞳は、教会に向いている。
「…どうでしょうね」
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