第50話 引き継がれるもの

 心地良い微睡みの中でモリアスは夢を見ていた。大切な人を戦場で失う悲しい夢。モリアスの腕の中で息絶えてこぼれていく命を、かき集めようと必死になって、間に合わずに上げた慟哭どうこくの中で目を覚ます。

 

「はぁ、夢……か」

「随分とうなされていましたわ」

 

 自分しか居ないと思っていた空間で、突然話しかけられてモリアスは小さく跳ね起きる。

 

「び……びっくりしました。どうしてユーレリア様がここに?」

 

「いえ、そろそろ食堂に昼食の用意ができる頃なので起こしにきたのですが、余りにも可愛らしいお顔でスヨスヨとお休みでしたので見ておりました」

 

 一体どのくらい見られていたのか、無防備な寝顔を見られたのはかなり恥ずかしいとモリアスは感じる。

 

「いつから見ておいでだったのですか、恥ずかしいのですが」

「ものの十五分程度ですよ。そうしているうちに魘されはじめたので少し揺すってみました。夢見が良くなかったのでしょうか」

 

 余りハッキリとは覚えて居ないものの大切な誰かが戦場に散る夢だったような気がする。

 

「忘れてしまったようです。何か悪い夢を見たんだと思います」

 

 夢の内容は濁して答えた。ふと見るとユーレリアがモリアスの手を握っている。魘されているのを見て握ってくれたのだろうか、と少し心に暖が刺す。

 

「ありがとうございます、起きますね。すぐに着替えて食堂へ参ります」

「はい、では後ほど」

 

 にっこりと笑ってユーレリアが退室した。疲労で固まってしまった背中の筋肉を伸ばしてほぐし、洗面台で顔を洗って髭を剃る。どんな仕組みなのか、お湯が出る事に驚いた。後で機会があったら聞いてみるのもいいかも知れない、話題は多いに越した事はない。

 

 着替えを済ませ、食堂へと向かおうとすると扉を出てすぐに家令が控えていた。

 

「ご案内いたします」

 

 何度か前を通っていたので食堂の場所は分かるものの、一人で屋敷内をウロウロする事に抵抗を覚えていたため、渡りに船の申し出に礼を述べる。

 

「そういえばナディアさんはどうされましたか」

 

 モリアスが問うと家令がやや渋い顔で、まあまあと言ったところです。と答える。まあまあが何を指すのか分からないが少し反省した、という事だろうかと想像を巡らせる。

 

「最初はモリアス様への罵詈雑言が漏れておりましたので徹底的に走らせました。その内、言葉を発する気力が萎えた様なので、罵詈雑言を発した回数分、大声で謝罪の言葉を叫ばせながら走らせました。反省が骨身に染みるまで、四時間ほど掛かりましたが、今は良いと言われるまで腕立て伏せと腹筋をしております。監視をつけておりますのでご安心ください」

 

 極めてスパルタンな対応である。

 

「そろそろ可哀想になってきてしまったので許してあげていただけませんか?」

 

 モリアスが家令に問うと、間を置くこともなく承知いたしましたと返答し、食堂への扉を開いてくれる。

 

 食堂には白いクロスの掛けられた長いテーブルが設置されており、その上に並ぶ銀の燭台や食器カトラリーは磨き抜かれて眩い光を放っていた。

 天井のシャンデリアが放つ光は恐らく魔道具で蝋燭ではない。片側十六脚の椅子が整然と並び、最奥にユーレリアと妙齢の女性が並んで腰掛けているのが見える。

 

「モリアス様ですね。娘がいつもお世話になっております。どうぞこちらへ」

 

 バートン伯爵夫人、ユーレリアの母でバートン伯爵の妻。しかしこの女傑は誰かの何かなどでは到底無い。

 社交界においてバートン夫人に意見を言えるのは公爵夫人と王妃くらいだという話であり、政治的影響力であればバートン伯爵より上であると言っていい。

 

「庭園の薔薇の美しさに驚かせて頂きましたが、ここに夫人の美しさの前にはそれすら霞むものと感服いたしました。本日はお招き頂き有難う御座います。突然の来訪となりました事を深くお詫び申し上げます」

 

「あら、お上手ですわね。貴族の女性相手の作法もしっかりと押さえているのね。ユーレリア、この方は強敵ね。気持ちを引き締めてかからないといい様にあしらわれてしまいますよ」

「百も承知ですわ。でも、やられてばかりでいるものですか、私はお母様の娘ですわよ」

 

 そう言いながら二人でくすくすと笑っている。少し取り残されてしまったがモリアスの印象は悪く無い様で安心する。

 

「主人は登城しておりまして不在ですから、私がおもてなしさせていただきます。どうぞ、おかけになって」

 

 和かな物腰に優しい笑顔がモリアスを取り込もうとする。油断を誘う佇まいは社交界で鍛えられたものだろうか、ふと気を緩めてしまいそうになる。側付きのメイドが椅子を引きモリアスが腰掛けると絶妙な距離感で椅子を戻す。

 

 腰掛けたモリアスが会話の距離感を間違わないように口火を切る。

 

「伯爵様はお城へ赴かれているのですか」

 

 伯爵夫人が頷いて答える。

 

「はい。今回のスタンピードで当家は私設部隊を出していますので、主に損害金の請求ですね。今回は街中の掃討を中心にしていたので、そこまで被害は出ていませんが」

「噂に名高い伯爵の私設部隊ですか」

 

 モリアスは音に聞くバートン伯爵の私設部隊の話を思い返して、噂話の真偽に興味が湧いた。

 

 バートン伯爵の私設部隊には様々な逸話がある。時にそれは不可能であると思われる内容が多分に含まれており、尾鰭の付いた噂話ルーモアの類いであると思われるが、尾鰭を差し引いたとしても伝説と言っていい逸話揃いである。

 

「蛇と呼ばれる隊員の噂は聞いたことがあります。何でも武器も食糧も持たずに、単身敵国に侵入。全て現地調達で何の痕跡も残さず、大量破壊魔法の研究施設を爆破して帰ってきたとか。しかし、時代が合わないので四十年以上活躍できる兵士が居るのかと少し疑問に思っております」

 

 伯爵夫人は、手元のグラスの中身を呷りつつ少し考える素振りを見せる。

 

「様々な事情がありますので余り大きな声では言えませんが、おそらく当家の特殊部隊員の事だろうと思います。特に蛇と呼ばれる隊員は代々、その名を引き継いでおりますので。現在、蛇の名を冠する隊員は三代目だったと記憶しておりますわ」

 

 モリアスはそれで納得がいく。蛇という隊員が単身四十年以上活躍したのではなく、蛇という名前コードネームを引き継いで四十年以上の活躍があるのなら現実味のある話である。

 いや、それでも不可能任務インポッシブルミッションの達成は賞賛と尊敬の対象でしかない、そう思いながらモリアスが手元のグラスに手を伸ばす。

 よく冷えたその水は、爽やかな柑橘の香りがした。

 

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