第48話 告白

 モリアスが浴場から出て客間へ戻ると、ユーレリアとナディアが家令からしっかりと叱られていた。


 床に座らされ、淡々と、隅々まで、余す所なく叱られている様は少し可哀想になってくる。


「ちょっとよろしいでしょうか。その辺りでどうか許してあげていただきたいのですが。本人に悪気は無かったことは間違いありませんので」


 モリアスが容赦を乞うと、家令が一旦叱り付ける事をやめた。


「よろしいのですか?大変不快な思いをなされたのでは……」


「こちらが諭した言葉もしっかりと受け止めてくださいましたし、この辺で」


 そう言いながらユーレリアを立ち上がらせた。


 モリアスに向けて伸ばしたナディアの手が空を切る。

 

「あ……、あれ……。モリアス様、あれ……。私、ここに居ますよ、あの……あれ?」


 手を取られなかったナディアが捨てられた子猫の様な目で助けを求める。

 

「何故助けてもらえると思っているんだ。しっかりと再教育をしてもらって下さい」


「いやぁあ!お願い!助けて!何でもしますから!このままじゃ胃がどうにかなっちゃいますから!この人加減を知らないから!昔、早朝から日没まで走らされた事あるからぁ!」


 中々のスパルタである。

 

「家令殿、是非とも心根が真っ直ぐになるように、可能な限りスパルタンなやり方を取ってあげて下さい」


「心得ました、さあ、ナディア。行きましょうレッツ スパルタン

 

「ああぁああー!いやぁああ!モリアス様の人殺しー!私が死んだら化けて出ますからねー!」


 ナディアの悪足掻きに家令が告げる。

 

「死なせませんよ。どんなに殺してくれと懇願してもね」

 

 ナディアが子猫のように小刻みに震えながら引き摺られてドアの向こうへと消えて行った。


 ちょっと可哀想になるが自業自得である。

 後でユーレリアから許してあげて欲しい旨を伝えさせよう。


 お昼を過ぎたくらいに。


「モリアス様。私……、ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ありませんでした。この様な事をお願いできる立場ではないと、重々承知しておりますが、どうか……どうかいとわないでくださいませ……」


 一生懸命に嫌わないでくれとお願いしてくる様は、子供の様で愛らしい。


「そんな事で嫌いになったりはしませんよ」


「本当ですか!?お約束ですよ!嘘をついたら……、えっと……、そうだ!結婚してもらいます!」


 ふふん!と、したり顔のユーレリアにモリアスが告げる。


「嘘をついたらユーレリア様を嫌いになっている訳ですけど……」


「でも、そうしたらずっとモリアス様と一緒です。そのうち嫌いじゃなくなったら結婚した事実だけが残ります。モリアス様が嘘をつかなかったら嫌われないから私に取っては良い事しかありませんわ」


 そう言いながらやはりしたり顔のユーレリアにモリアスが問う。


「その場合、今と何も変わらない訳ですけど……」


「あれ?そうですわね。……ちょっとだけでも好きになったりしませんか?」


 まあ、考えておきます。


 そう言うとモリアスがユーレリアの手を取ってソファに座るように促す。


 扉がノックされ、外からメイドが用向きを伝える。


「お嬢様、軽食の準備が出来ました。お持ちしてもよろしいでしょうか」


「持ってきて下さい。モリアス様には冷えた果汁を。私にはミルクをお願いね」


 車輪の付いたワゴンで運ばれて来た軽食は、カツレツのサンドイッチにゆで玉子、果物の盛り合わせとサラダという内容だった。


 サラダにはほぐした鶏肉が乗っていて、ドレッシングが別に添えてある。


 別のメイドが遅れて飲み物を持ってきた。


 結構なボリュームにモリアスが驚いていると、ユーレリアが不安そうに、食べ過ぎでしょうかと俯く。


「昨日は徹夜で防衛任務でしたからね。少し食べ過ぎくらいでも、問題ないでしょう」


 モリアスがそう言って笑うと、ユーレリアも嬉しそうに笑いながら、ではいただきましょうかと料理に手を付ける。


 軽食のトレイの端に添えられたドレッシングは、オニオンと林檎で複雑な甘味と旨味を作り出し、サッパリとしたビネガーと香りの良いオリーブオイルとが相まって、かけるだけで完成された一品といえるサラダに仕上がっていた。


 さらに、カツレツには甘酸っぱい木苺のソースが染み込んでおり、軽く焼き目を付けられた白パンの芳ばしさがカツレツのジューシーさを受け止めている。


 冷やした果汁は柑橘の実を絞ったものと林檎の果汁のブレンドで、酸っぱ過ぎずまた、甘すぎず、カツレツの油を洗い流してくれる役割を果たしていた。


「こんな食事を知ってしまったら、今後満足出来る食事にあり付けるか不安になりますね」


 そう言った後にモリアスはずっと気に掛かっていたことを聞いてみる事にする。


「どうして、私を食事に誘って下さったのですか。私を気にかけていただいていることは分かっているのですが、何故貴族の貴女が私のような平民を……」


 貴族と平民では身分に差があり、いくら気に入ろうとも結婚はおろか、友人にもなれない事が世の常である。


「私がモリアス様に助けていただいた日のこと、覚えておいでですか」


「ええ、もちろん。馬から落ちたユーレリア様が魔物に囲まれていて、周りに味方も居なくて……」


「そう、あの時、モリアス様が来てくれるまで、時間にしてほんの十数分。馬から落ちて、魔物の群れに囲まれて、必死で剣を振り回して。ああ、私、ここで死ぬんだって思いました」


 思い出しているのか少し目を伏せて逡巡している。


あぶみが切れたんです。それで落馬した。鎧には切れ込みが有りました。あの日、私は六人組で任務に当たっていました。でも、五人と逸れて、落馬して。どなたかにとって私が邪魔だったのでしょうね。味方の中に敵がいるようなそんな環境で、必死に兵士として実績を積もうと努力をしていました。そうして、誰かの謀略で死に掛けたんです」


 モリアスは黙ってユーレリアの言葉に耳を傾ける。


「そんな所にモリアス様が来てくれたんです。あっという間に魔物達を追い払って、怪我の手当てをしてくれて、抱き上げて馬に乗せて、生きて連れ帰ってくれたんです」


 思い出して心が揺れたのか少し涙ぐみながらユーレリアが続ける。

 

「好きになるなという方が無理な話です。モリアス様に想い人が居ることも知っています。私とは一線を画して接していることも分かっています。でも……」


 ポロポロと涙を溢しながらユーレリアの言葉が紡がれる。

 

「好きになったんだからしょうがないじゃないですか。貴族?平民?知ったことですか。どんなに世界がそれを許さないとしても、私はモリアス様が好き。これは譲れません」


 零れ落ちる涙もそのままにユーレリアは続ける。


「あの日に失った命なら、モリアス様の為にこの命の果てるまで、この身を捧げるのが必定。何も恐くはありません。貴族であるより大切なものを見つけてしまったから」


 モリアスは言葉を発する事が出来なくなっていた。あまりにも真摯な態度で想いを吐露する目の前の少女から目が離せなくなる。

 

「でも貴族であることを捨てたりはしませんよ。私思ったんです。私自身が伯爵位を継いで、政治的な権力を手に入れ、モリアス様を貴族に推してしまえばいいと。だから、ちょっと頑張ってやってやろうと思っています。私、悪い事は出来ませんけど、努力はできる方なんです。そうやって、モリアス様を貴族にしてしまえば、今度は形勢逆転です。平民の方ではモリアス様に手出し出来なくなる。だから頑張ります」

 

「ご存知の通り、私には想っている人がいます。なので軽率な事は言えません。でも、ユーレリア様が本気なのは充分に分かりました。そして、案外腹黒いことを考える所も嫌いでは無いですよ」


 扉がノックされて、メイドが器を下げにくる。

 ユーレリアは涙を拭い、居住まいを正した。


 ユーレリアの涙に一瞬メイドが殺気を放つ。


「大丈夫よ、まだ負けてないわ」

「承知しました。ご武運を」


 そう言い残してメイドはワゴンと共に部屋を去って行った。

 

 

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