第47話 含蓄ある言葉

 二十人は同時に入れそうな浴槽に一人で浸かっていると、今日一日の疲れが溶け出して身体の芯まで温まってくる。疲れも相まって眠気がモリアスを襲う。


「はあ、このまま溶けたい……。海まで流れて漁村かなんかで漁でもしながら過ごしたい……」


「そんな!モリアス様が漁師になられてしまっては当家を継いでもらえなくなりますわ!」


 声の主を探すとすぐ後ろにユーレリアとメイドが行儀良く正座している。


「……」

「……」

 互いに無言の時間が続く。

「……え?」

「……?」


 こちらが何故困惑しているのか分からない様子のユーレリアと、爛々とした目でこちらを窺うナディア。


 落ち着けモリアス、騒いで誰かが来たら困るのはこっちだ。


 身の安全が確保できる言い訳が必要だ、そう考えながらもう一度二人の方を振り返ると二人は極めて薄い布で全身が覆われている。


「お背中を流しに来ましたの。家令は迷惑になる行動はさせるなとナディアに命じましたので」


「いや、なら……、あ……」


「迷惑にならない事なら問題ありませんの!」


「いや、問題しかありません!その様な姿を良家の子女が晒すものではありませんよ!」


 いや、違う。問題はそこではない。


「というか、ナディアさん!何故止めなかったのですか!」


「兵士の鍛えられた身体を見たかったからです」


「せめて、言い訳しろよ!素直に話せば何でも許されると思うなよ。背中を流すのは迷惑行為だとは思わなかったとか何とか言えよ。なんだ、見たかったって。この場を咎められたら何て言うつもりなんだよ」


 少し考えてナディアが笑顔で答える。


「鋭いツッコミを頂きました!凄かったです!って?」


「誤解される!やめろ!冗談にならないから!」


 思い付いたみたいにユーレリアも答える。


「凄い角度で突っ込まれました?突き上げるような一撃でした?」


「やめなさい!いや、やめて下さい。それ、私の首が飛びますから。物理的に」


 そうこうしているうちに浴場の湯気が、二人の薄布にアクセントを加え始め、モリアスが目を逸らす。


 もう透け透けと言っても過言ではない。

 不自然な光が浴場に満ちる。


「ほら、モリアス様!洗い場に!こちらです!」


 左右から二人に手を引かれ、必死で抵抗するモリアスだったが、抵抗するとより強く手を引かれ、抱きつく様に二の腕に当たる感触に諦観ていかんの境地を迎える。


「行きます!行きますから離してください!何か色々まずいんです!」


 洗い場で腰布一枚、ゴブリンさながらの姿で座らされたモリアスは、背後で石鹸を泡立てる二人の会話に聞き耳を立てる。


「お嬢様、そんな布を使ってはモリアス様のお背中に傷を付けてしまいます。私がいつもお嬢様にしているように、手に石鹸を付けて……」


「待て!待て待て!ナディアさん!布で!せめて布でお願いします!」


「へたれ……」


「いや、おかしいだろ!へたれってなんだよ!」


 ナディアと押し問答をしている間にユーレリアが準備を終えて、石鹸の付いた手で首筋から背中を洗い始める。


 撫でる様に滑る手の感触に身を捩るモリアス。その姿を見てユーレリアが嬉しそうに笑う。


「くすぐったいですわよね。私も小さい時分には逃げ回りました。モリアス様、子供みたいです」


 くすくすと笑うユーレリアに、あくまで害意は感じられない。


 まったくの悪気無く行われる拷問のような時間。


 これが仮に貴族令嬢相手でなければどれほど良かったことか。


「だ、ダメです!素手は駄目!やめ……、あう……んん」


 耐えるモリアスに追い討つナディア。


「おおおお、凄いぃ!筋肉ポコポコしてます!この段々が……うひゃほう!」


「モリアス様、この布邪魔です。取っちゃいますね」


 唯一の防具、腰布を取り上げられて完全な丸腰となったモリアスが身を捩って抵抗するが、下手に動くと二人に強目にぶつかってしまい、その感触に凍り付く。


「ひ……、あの……、お二人とも、先程の湯浴み着は……」


「泡が付くので脱ぎましたけど?」


 まずい。


 振り返っただけで、眼と喉と指を逝かれる。


 しかし、なすがままにされていては色々とまずいことになりかねない。


 特にモリアスのモリアスが限界に近い。

 このままでは臨界ゾーンを迎え、隠す事が出来ず痴態を晒す事になる。


「お願いします、一旦離れましょう。その上で話し合ってお互いの妥協点を探りましょう。親切も押し付ければ迷惑になることがあります。だから一旦……」


「モリアス様、どうして後ろを向いたままお話になるのです?寂しいですわ、こっち向きましょう」


「駄目です!眼と喉と指が!眼と喉と指がかかっているのです!」


「二の腕すっごい!太腿もすっごい!うひゃほい!」


「あんたはちょっと自分を振り返れ。あとで後悔するぞ」


 一度身を逸らし、椅子から離れる。


 半身になって少し腿を上げ、身を捩る形でモリアスのモリアスを隠す。


 微妙な体勢だがこれ以外に方法を思い付かない。


「すごい!見えない!」


 ナディアが変な部分で喜び、指を指して笑う。


 モリアスのおかしなポージングにユーレリアも笑ってしまう。


「落ち着いてください。いくつか言わなければならない事があります。そして、腰布を返して下さい。これはお願いです」


 特にこだわりもないユーレリアがモリアスに腰布を返す為に立ち上がる。


「待って、薄布でいいです。着てください」


 二人が素直に重くなった薄布を羽織り、漸くモリアスにとってのスタートラインとなる。


 腰布を受け取り装着する。


「まず、ユーリ。男性は美しい女性の裸を見て平常心ではいられません」


 急に愛称で呼ばれてユーレリアが驚く。


 モリアスは交渉を有利にするためにあえて愛称を使った。


「そして、本来心安らぐ空間である浴場で、平静を失う様なことはとても勿体無いことなんです」


「……ごめんなさい」


 言いたいことが分かったのかユーレリアがしょんぼりしながら素直に謝る。


 その態度に責める気持ちは急速に萎えていく。


「そしてナディアさん、貴女は後で家令さんと一緒にお説教です」


「な!なんで!こんなにサービスしているのに?!」


「我欲にまみれた自分を恨め、ただじゃすまさん」


 小刻みに震えるナディアとユーレリアを浴場から追い出し、湯に浸かる。


 ようやく人心地つけた気がする。

 

 序の口でございます、そんな声が聞こえた気がした。

 

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