第46話 序の口

 出された紅茶の香りの良さに気持ちを落ち着けながらモリアスが最初に切り込む。


「私のような平民が伯爵様のお屋敷にお招きいただけるなど畏れ多いことではございますが、貴族家の方からのお誘いを平民の立場でお断りするなど言語道断であると考え、まかり越しました。マリスタニア王国第一歩兵大隊所属、一等指揮兵を拝命しております、モリアスと申します」


 値踏みをするようにモリアスを油断無く眺め渡し、家令が一般的な質問をぶつけてくる。

 

「しかし、今回はなぜこの様なことに。事前にご連絡頂けていれば、もっと確りとしたおもてなしを出来ましたものを。ちなみにお嬢様とはどのような経緯でお知り合いに?」


 来た、返答を誤るな。


 特に深くつながりがあるわけでも無く、かといってどうでもいい繋がりと思われない程度の印象を与える返答を考えろ。


 そう考えながらモリアスは家令を目で追う。


 部屋をゆっくりと移動しながら話す家令は、相変わらず全く音を発することがない。


 ユーレリアにとって、居なくなった方が良い又は居なくなっても心を痛めない、そんな程度だと思われればこのまま行方不明もあり得る。


「ユーレリア様とは任務を共にさせていただきました。敵に囲まれて落馬したユーレリア様を、偶々お救いする機会に恵まれました。真面目で律儀なユーレリア様の事、お誘い頂いたのも、お礼をしなければならないなどと思ってお見えなのかも知れませんね」


「なるほど、悪くない物語ストーリーですね。事実を隠す物語カバーストーリーでなければ、ですが。これでは私の出番はありませんね。ただ、困った事に貴方は非常に頭が良い。しかし、少し詰めが甘いかも知れません」


 扉の外でノックの音とメイドと思われる声がした後、『隣の部屋のドア』が開く音がした。


 その瞬間、モリアスは全身が総毛立つ。


 あらかじめ本来の客間ではなく、隣の部屋に案内されていたということである。


 それは仮にこの部屋を盛大に汚したとしても、隣の部屋に行き「モリアス様は帰られました」と言えば済んだ、ということであった。


 モリアスが家令の方を見ると、先程とは打って変わって微笑みながらそんな事はしませんよ、とまたも心中を読まれてしまう。


「お嬢様の想い人がどのような方なのか、使用人一同気になる様でして、見極めて下さいと頼まれましてね。何せ、お嬢様はあの通り、世間知らずを絵に描いたような方でして。また、使用人達の人気も凄いのですよ。皆、自分の娘や孫、姉や妹のように思っています」


「想い人というのには語弊があるように思います。仕事の先輩として信頼を頂いているとは思っていますが、それ以上のことは有りません」


 モリアスの返答に答えはなく、家令はドアの方へと歩いて行く。


「さあ、隣へ参りましょう」


 ドアを開けてモリアスを隣の部屋へと促す。廊下に出た所で立ち止まり、説明を始める。


「お待ち頂いたのは、お嬢様の入浴が終わるのをお待ちいただく為でございます。モリアス様が先に湯浴みを行かれると、お嬢様が何を考えるか分かりませんので」


「さ……流石にそんな事はないのでは……」


「浴場への乱入は勿論、脱いだ服を嗅がれるくらいは覚悟して頂く必要がございます」


「え?脱いだ服を?」


「嗅がれます。大型犬のようなものだとお考え下さい、害はないのですが、人型をしておりますのでやはり恥ずかしく感じられる方もお見えかと存じます」


 そこまで話すと首を振りながら家令は残念そうな顔をする。


「浴場への乱入も同じ様な動機といいますか、犬が『あるじー!」といった風な感じで乱入してくるのと変わりません。一人っ子で周りは大人ばかり、子供のまま大きくなったような方なので羞恥心などは育っていないのです」


 モリアスにも心当たりがあった。ユーレリアは鎧を外し、インナーを着替える際に何の躊躇もなく下着姿になったのである。


 モリアスは慌てて後ろを向き、奇行をとがめたが本人は何を咎められているのか理解していない風だった。


「何か心当たりをお持ちの様ですな。その様な方ですので、一度待機をしていただきました。使用人達からの要望の確認も含めて。仮にお嬢様の行動に非があったとしても、貴族家の息女の裸体を見たとなれば、相応の『何か』が御座いますので」


「な……何か……というのは……」


「そうですな。世間に知られるのがよろしくないので、喉を焼いて声を奪うでしょう。あと、文字を書かれると困る為に指を、書かれた文字を視線で追って言葉にされると困るので光を失って頂くかと」


 重い。思いのほか重い。


 下着姿を見てしまったことは取り敢えず無かったことにして、隣の部屋へ向かう。


 ドアは開け放たれており、部屋に入るとユーレリアが窓の外を見ている後ろ姿が目に入った。


「制服ではないユーレリア様は初めて見ますね」


 そう声を掛けるとユーレリアが振り返る。


「変ではないですか。あまり家族以外の意見を聞く機会がありませんので、分からないのです」


 隣に立つメイドに視線を送って不安そうにするユーレリアに、心配ございませんとメイドが声を掛ける。


「大変可愛らしいと思います。普段の制服だと隠されている可憐さが良く出ていると思いますよ」


 モリアスがそう褒め言葉を並べると、ユーレリアがメイドの手を引っ張って部屋の隅へと移動する。


「ちょっと、ナディア!凄い褒められた気がするの!これはもう、プロポーズと言っても差し支えないのではなくて!」


「褒められてはいますが、残念な事に絶対にプロポーズでは御座いません」


 ナディアと呼ばれたメイドがやれやれとした態度で答える。


「絶対?!」


「絶対です。一分いちぶの可能性も無く、ゼロです。ゼロプロポーズ」


「そうですか……」


 しょんぼりとしながらトボトボと戻ってくるユーレリアにモリアスはどう接するべきかを考えて、逃げる事にした。


「あの、お湯を使わせていただくことは出来ますでしょうか。戦地からそのまま来てしまいましたので……」


 モリアスがそう言うと家令が何かを察したように、こちらへどうぞと案内を始める。


「ナディア、お嬢様を確りと見ている様に。モリアス様のご迷惑となる行動に関しては、絶対に止めなさい。これはあなた個人の責任とします」


 ナディアの顔が引き締まる。と、同時にユーレリアに残念そうに告げる。


「お嬢様、モリアス様の湯浴みを覗くのは無理です。私が怒られます。諦めてください」


「そんな!こんなチャンス、二度も来ませんわよ!」


「さあ、参りましょうモリアス様」


 家令が機先を制し、不穏な計画を実行前に握り潰す。


「ものすごい事を言っていたように思うのですが」


 モリアスが不安を口にすると、序の口で御座いますと家令が答えた。

 

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