第45話 もう一つの戦場

「モリアス様が当家とうけの馬車に乗っているなんて夢の様ですわ」


 断る隙を与えなかったユーレリアが、嬉しそうにモリアスに笑いかける。


 伯爵令嬢であるユーレリアは、歳若くして幹部候補として先行きが決まっている。


 婿むこを取らぬ場合に、自身が伯爵家をぐ為の実績じっせきが必要なのだ。


 この後、戦果を積むと副隊長辺りまで昇進し、国を動かす貴族院の議員へと転身する事になる。


 目の前の貴族令嬢が一体何故、自分の様な一般庶民にご執心しゅうしんなのかを、モリアスははかりかねていた。


「貴族家の馬車に乗ることができる機会など中々ありませんから貴重な体験です。ユーレリア様の家格かかくの素晴らしさがよく分かりますね」


 仕事から解放されたモリアスが少し饒舌じょうぜつになる。


 仕事中はユーリと愛称あいしょうで呼ぶことが許されるが、仕事を離れるとそういうわけにも行かず、わきまえた言動を心掛ける必要がある。


「むぅ、モリアス様。仕事を離れたからと言って極端に態度を変えるのはおやめ下さい。わたくしはモリアス様に丁寧に扱われたい訳ではありませんのよ。もっと雑に、そう、雑に扱ってくださる方が嬉しゅうございます」


「お嬢様、モリアス殿が困っておいでですよ。無理を言うのはおよし下さい。と言いますか、モリアス殿は普段それ程までにお嬢様を雑に扱っておいでなのですか?」


 御者が見兼ねて助け船を出すが、同時に針の様な殺気を放つ。


 まずい、伯爵家の使用人ともなれば当然そこらの冒険者より腕が立つ。


「おやめなさい、モリアス様に失礼な事を言わないで頂戴。雑に扱われたことなどありません。だからこそ、もっとこう、壁にドン!とか床にドン!とか雑な感じを……、いや、何でもございませんわ!聞かなかったことにしてください」


 ユーレリアが両手で顔を隠して、身をよじりながら御者を制する。


「モリアス殿、大変失礼を致しました。お嬢様のいつもの妄想癖わるいくせでございましたな」


 モリアスはこのやり取りに危機感を覚える。


 ユーレリアの妄想癖から繰り出される、虚実きょじつ織り交ぜた言動の数々を全て弁明し回避しなければ、伯爵家を無事に生きて出る事が出来ないかもしれない。


 何せ、何の確証もなく雑に扱われたかも知れないというだけで即ろうとする御者がいるくらいである。

 この後、到着する先は間違いなく魔境である。


 青鬼、赤鬼レベルの執事やメイドがひしめく場所。戦場とどちらが死亡率が高いのかを考えるとモリアスは気が遠くなった。


「楽しみですわね、モリアス様」


 満面の笑顔で戦場に送り出す修羅しゅら所業しょぎょう


「え……、ええ。とても」


 モリアスにはそう答えるのが精一杯であり、笑顔は引き攣ってしまう。


 何とか事前に良い材料を手に入れなければならない。


 少しでも生存確率を上げるために全力を尽くすと心に決めた。


「今日はお誘い頂いたので来てしまいましたが、よろしかったのですか?ご家族の方々はご存知なのでしょうか?」


「いえ、先程決めましたので連絡などはしておりませんわ」


 ニコニコと話すユーレリア。

 先程心に決めたばかりの全力を尽くすという心持ちが五秒で瓦解がかいし、崩壊するモリアス。


 ああ、もうダメかも知れない。無礼過ぎる。


 このまま門をくくれば玄関で切り捨てられても文句は言えない。


 平民がアポイントメント無しに貴族の家に乗り込んで、湯をよこせ、飯を食わせろなど狂気の沙汰である。


「連絡であれば、先んじてわたくしからさせていただいております。湯や食事の準備がございますので」


「私は貴方に感謝の念が絶えません。ありがとうございます、まだ頑張れます」


「いえいえ、私も味方というわけではございませんので」


 さらりと宣言される四面楚歌。


 どこまでも続く悪夢を見ている様な錯覚を覚える。


「着きましたわね」


 荘厳な門をくぐると、小高い丘が見える。左右には木立が並び、よく整えられた小道が続く。


「門から建物が見えないのですが……」


「はい、この丘を越えて今暫くかかりますわ」


 走って建物から逃げるのも無理な気がする。


 所々、警備の詰め所のような建物が見える。美しい植栽の小道を抜けた先に建物が見えてくる。


 玄関先には既に二十人以上の使用人が整列し、主人の帰りを待っていた。


 あの一人一人が青鬼と同レベルだと思わなければならないな、モリアスは気を引き締める。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 一糸乱れぬお辞儀と発声。


 圧倒的な訓練の成果を見てモリアスは絶望的な気分になる。

 モリアスも軍属として訓練を指揮する立場にあり、これほどの統制がいかに困難なことであるかを身をもって知っているからである。


 逃げ場は無いと思った方が良い、この屋敷から無事に逃げ延びる事はおそらく彼らが許してはくれない。


「覚悟を決めるかな」


 安心するな、警戒を緩めるな、ここにあるのは日常では無い。


 読み切れ、探り勝て、負ければ死ぬ。


 ここでは平民の命は吹けば飛ぶほど軽いのだ。


 言葉の裏を、真意を探れ、ゆるく、ぬるくそんな意識で居られる時は終わった。


 目を開けモリアス、死にたくは無いだろう?戻れない道ならば前を向け、死中に活を、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれだ。

 そう決意しながら玄関へと向かう、覚悟は決まった。


「お嬢様、湯浴みの用意が出来ております。モリアス様には客間をご用意しておりますので、そちらで一旦お寛ぎ下さい。家令がご挨拶に参ります」


 早速唯一の味方と離れ離れになることが確定し、決まった覚悟が揺らぎそうになる。


 しかも、家令が挨拶に来るという。


 家令とは資産管理や雇い人の管理を任されている要職にある人を言う。


 余程の信頼を得なければ貴族家の資産管理など任されない。


 つまり、この家で雇われている使用人の中で、最も主人に近い偉いさんということになる。

 いきなりクライマックスと言っていい。


 通された部屋でモリアスが待っていると、ドアのノックに続き、失礼してもよろしいでしょうか、と声が掛かる。


 どうぞと言ったあと、一拍置いて白髪の五十代後半の男性が姿を現す。身形みなりは執事達と変わらないものの、矍鑠かくしゃくとしてきびきびとした姿は初老である事を感じさせない。


 手には飲み物の入ったポットとカップを乗せたお盆トレンチを持っており、見事なバランス感覚でそれらを運んでくる。


 単眼鏡モノクルの奥の鋭い眼は油断なくモリアスを見ているように感じられた。


「お飲み物をお持ちしました。主人が来るまで私がお相手を務めさせていただきます」


 モリアスの中で何かが激しく警告を始める。


 カップとソーサーをテーブルに置き、ポットを手に取り、注ぐ。


 その全てが流麗と言っていい所作で、美しくすらある。


 そこでモリアスが警告の正体に気付く。


 彼には一切、音が無いのである。


 足音も衣擦れもカップやソーサーを置く音も、発した声以外の音が全くと言っていいほど無かったのである。


 全身が総毛立つ感覚に、目の前の男が本当に同じ世界に生きる人間であるとは思えなかった。


「大丈夫です。刃物は持っていませんから」


 読まれた!モリアスの中にある何かが猛烈に警告を発する。


 兎に角何か、何か話さないと、そう考えはするものの声が出ない。


 呼吸も浅くなり、緊張が増していく。


「流石にお嬢様がお連れしたお客人を相手に、簡単に『仕事』をする訳には参りませんので。ただ、主人やお嬢様がこちらに着く前に、モリアス様が当家に相応しいお客人では無いと私が判断したなら、ご退場頂くつもりです」


 お帰り頂くと言わず、ご退場頂くという言い回しが恐怖を煽る。


 目の前のカップの中身は安全か、ここで毒を盛れば派手に部屋を汚すことになる。


 ユーレリアが来た時に何かあった事がバレてしまうだろう。

 

 つまりこれは飲める、毒は入っていない。

 カップを手に取り、中身を口に含む。


「ほう……、この状況で飲めますか。思いの外豪胆なようだ。それとも理で導いた答えなのでしょうか」


 戦いはまだ始まったばかりである。

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