第44話 其々の凱旋

 外壁の上、アーリアとクラリスが周囲に魔物達の姿が無いことに気が付いた。

 クラリスが歌う前、外壁の上空にはワイバーンが、そしてワイバーンが投下したゴブリンやグレイウルフが彼方此方にいた。その魔物達が綺麗に居なくなっている。


「クラリス、あのさ」


「何?あーちゃん」


「もしかして終わったのかな」


「ゴブリンもグレイウルフも居なくなったね」


 外壁から南の森の方角を見ると真っ黒い鎧を着た英雄王とモリアスが座り込んで話をしている姿が見える。


 そこに兄の姿が無いことにクラリスの胸の内が黒く染まる。


「あーちゃん、お兄ちゃんが居ない」


「え?モリアスさんと……、あれ?王様?!本当だ、隊長が居ない。なにかあったのかな……探そう!いくよクラリス!」


 一も二もなくクラリスの手を引く。


 アーリアにとってクラリスの幸せは至上の命題であり、そこに兄ロランの存在は不可欠である。


 外壁の中を二人が走る。


 彼方此方に壁にもたれ怪我を負った兵士が座り込む光景が広がる。傷が回復しても失った血は戻らず、立てない者も多く見られた。


 それを見たクラリスの胸に不安が過ぎり、その瞳に涙が溢れる。


「あ、エリちゃん!」


 通路の先に知り合いの姿を見てクラリスが思わず声を掛ける。


 しかし、その姿にクラリスは言葉を失った。


 救護室の準備をしていた時には純白だった法衣キャソックは、赤黒く染め上げられ、背中側の一部を除いて白い部分が見当たらない。


「エリちゃん!どうしたのその姿!怪我をしたの!?」


 クラリスが平静を失ってエリスに詰め寄ると、エリスは落ち着いた様子でそれを否定した。


「だ……大丈夫です。す……全て返り血なので、け……怪我はしていません。教会の聖域が破れて魔物達が雪崩れ込んできたんです。わ……私、戦って、それで……」


「もういい、無事ならいいよ。良かった」


 そう言ってクラリスがエリスを抱きしめる。


「あ……あの……、クラリスも無事で……良かった」


「あー、ずーるーいー!私クラリスにぎゅーってされてない!」


「兵士様……」


「アーリアだよ、エリ……?ちゃん?」


「エリスです」


「エリちゃん……でいいかな?凄く頑張ったんだね。それは本当は私達の仕事なのに……、ごめんなさい。貴女が豊穣神様の教えに背いた罪は私が背負うわ」


 アーリアがエリスに祝祷ブレスを貰った時の、背中の暖かさを思い出す。


「わ……私は、あ……あ……アーリアさんが今笑顔でクラリスと居てくれて良かった……です」


「お願い、呼び捨てにして。私だけ仲間外れみたいだよ。そうだ、ロラン隊長見なかったかな。前線に居ないの」


 あ、それなら、とエリスが答える。


「救護室に運ばれました。い……今は安静にされています」


「救護室ね、ありがとう。行こう、クラリス。エリちゃん、また後で」


「あ……あの……」


 背を向けたアーリアをエリスが引き留める。ん?どうしたの?とアーリアが振り返るとエリスが確りとした口調で神官らしく話し出す。


「弓士アーリア、貴女の罪は私が代わりに背負います。貴女の罪は私が豊穣神の名の下に赦します。どうか心安らかならん事を」


「じゃあさ」


 優しく赦しを説くエリスにアーリアが答える。


それ、一緒に背負おっか」


 そう言って嬉しそうに笑ったアーリアを、エリスは微笑みながら見送った。


 救護室の中は割と凄惨な現場と化していた。不可逆的な傷に消沈する者も少なからずおり、精神的に参ってしまっている者もいた。


 運び込まれたベッドは全て埋まっており、溢れた患者が地面に寝かされている。


 奥まった場所にあるベッドにロランの姿を見つけてクラリスが駆け寄る。

 すやすやと寝息をたてる姿に一先ず安心する。


「ちゃんと生きてる……」


「良かったね、クラリス」


 少し身じろぎをして、ロランが目を覚ます。


「クラ……リス?」


「うん、お兄ちゃん、私だよ。分かる?」


 目を覚ましたロランがクラリスを上から下まで眺め渡す。


「無事、なんだな。良かった」


「お兄ちゃん、何があったの。どうしてこんな……」


「僕も生きているんだね」


 ロランは起きた事を包み隠さず話し出した。


 クラリスからお弁当をもらった後、アーリアにクラリスを任せた事、最初の出撃では問題は無く無事であった事。


 二回目の出撃で鬼と戦った事、青鬼は良かったものの、赤鬼にこっ酷くやられたこと、モリアスに運ばれてここに来た事。


 モリアスが馬で踏みそうになったのに謝ってくれなかった事。


 その後意識を失って、起きたらクラリスがいた事を話す。


「そうだ、モリアスだ。頼む、僕をモリアスのところに連れて行ってくれ」


「ちょ、ちょっと。寝てた方がいいんじゃないですか。万全な状態にも見えないし」


 アーリアが無理に起きようとするロランを制止する。


「行かないと。まだ、森の中には魔物達がいたんだ。鬼が居たから出てこなかったけど」


「それなら大丈夫だと思うよ。王様とモリアスさん、座り込んで話してましたし、魔物はもう引き上げたんじゃないかな」


 アーリアの言葉にロランの緊張が解ける。

 蝋燭の火が揺れる中、兄と妹の影が交差する。


「モリアスさんに会いたいんでしょ」


 兄のすぐ近くに来たクラリスがそう問うと、しばらく迷ってからそうだねと答える。


「行こうか。あーちゃんも行こ」


「はいはい、どこでも付き合うよ。いっそのこと世界の果てにでも行きたがってくれれば二人っきりで旅ができていいのに」


 愚痴を吐きながらアーリアが、ロランを手伝う。


 肩を借りながらロランが外壁の外へでると朝日が皆を照らし出す。


 第一歩兵大隊はモリアスを除いて全員帰投していた。


「朝か、おーい!モリアース!」


 ロランの声に気が付いたモリアスが振り返って手を振る。


 アーリアに支えられながらモリアスの所まで歩みを進める。


 モリアスもロランに向かって歩きだす。


 手の届く範囲までくると、モリアスの右手が伸びて、ロランの左右の頬を掴み締め上げる。


「休んでろっていいましたよね?」


「痛い、痛いってモリアス!折れる!折れちゃう!ほっぺた折れちゃう!」


「千切ってやろうかな」


「怖い!発想が怖いのよ」


 ロランから手を離すとモリアスがアーリアに礼を言う。


「こんな所までこのポンコツを連れてきてくれてありがとうな。重かったろ?」


「モリアス!ポンコツは酷いと思うよ?!妹の前でやめてくれよ」


「そうですね、じゃあそもそも話しかけるのやめときますね」


「極端過ぎない?!なんでall or nothingなのよ。というか意地悪 or nothingってなんだよ。いい事一つもないよ」


 横でガルシアが小刻みに震えて何かを堪えている。


「さ、そろそろ凱旋と行こうかの。お主らも疲れたじゃろう、今日は城に部屋と食事を用意してやろう。で、ロランとモリアスは明日、そのままマシューと面談じゃ」


 ロランとモリアスが露骨に嫌そうな顔をする。


「いいんですか?!」


 と、クラリスとアーリアが喜ぶ。

 

「あ……、あの……、もう二人……、というか二匹連れてきたいんですが……」


「好きにせい。しかし、二匹って何じゃ。動物かの?」


 後のお楽しみで、とそう言ってアーリアとクラリスは壁の上へと手を振った。


 そこにはステラが連れてきたクルルとファリス、そして新しく産まれた仔狼。


 アーリアやクラリスと共に壁の上を見ていたモリアスが立ち止まる。


「私は少し用を思い出したので、兵舎に戻ります。夜には登城いたしますので」


「食い物が無くなる前に来るんじゃぞ、でないと夜に腹を空かせることになるからの」


 ガルシアを先頭に外壁の中へと戻り行く。


 そのまま、城へと向かう一行。


 途中、外壁の中でモリアスだけが一人居残り、そのまま階段を登って壁の上へ出る。


「よくぞご無事で、おかえりなさい。モリアス様」


 少し泣いていたのだろうか、腫れぼったい目を潤ませてユーレリア・L・バートンがそこに立っていた。


「ただいま、ユーリ。約束したからね、無事に帰ってご飯を一緒に食べる。夕食は王様に誘われているから、この後、お昼ご飯を一緒に食べようか」

 

 壁の上に見覚えのある顔を見つけて、約束を思い出した。


「はい、ではお昼まで少し時間があるので屋敷に戻って身を清めて参ります」


「一晩中、馬に乗ったり戦闘したりだったもんな。私も湯をもらってくるよ」


 モリアスがそう言うとユーレリアがやや食い気味に提案を口にする。


「あ、でしたら当家にお越しください。湯浴みができますわ。軽食と着替えも用意させますのでこのまま行きましょう。馬車を待たせておりますので」


「いや、あの……、ユーリ?」


 ユーレリアは断る隙を与えない。


「さあ、行きますわよ」

 

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