第36話 金切丸

「モリアス!ロラン!後は任せた」


 そう声を掛けてきたのは第三歩兵大隊の隊長、ダレンである。『憔悴しょうすいした顔』を表現するために生まれてきたような顔になっている。

 南の森の攻防は激しさを増していた。

 見かねたモリアスが口を開く。


「ものすごい疲れた顔してますけど、大丈夫ですか?」

「誰のせいだ、誰の」

 

モリアスはとぼけることにする。


「いや、多分眠り姫のせいですよね。なんですかあの薬、エゲツないことこの上ないですよ」


「お前が連れてきたんだろが!あ、あの溶けてドロドロしてる奴ら、凄い臭気を放ってるから気を付けてな。自業自得だから同情はしないぞ。めちゃくちゃ臭いがつくからな」

 

 戦場に転がる無数の何かが放つ臭気が風に乗って届く。


「うわ…、何とも言えない匂い…」

 

 モリアスが身体に悪そうな匂いに拒否反応をしめすが、それを見たダレンは少し嬉しそうである。


「まあ、後は頼んだ。何だかんだで前線は維持出来たからな。大手を振って休んでくるわ」


 第三歩兵大隊が外壁へと帰投したのを確認し、前線への指示を行うために前へ出る。

 ロランが怪訝けげんな顔で土塁どるいの向こうをにらんでいた。


「モリアス、この音、何だと思う」


 微かな振動と共にドーン、ドーンという戦太鼓いくさだいこのような音が聞こえる。


「嫌な予感しかしないんですけど、これ、ドラムとはまた違うような」


 遠方から巨大な火炎が飛来し、正面の土塁を直撃する。


 轟音ごうおんと共に崩れて吹き飛ぶ土塁。

 黒い煙が晴れるとその向こうに赤く輝く目をした何かが立っていた。


 全身が赤く、筋骨きんこつはこれでもかと隆起りゅうきしている。

 その左右には全身が青いものも見て取れる。

 額からは二本の角が生え、金属製と思しき巨大な棍棒を携えている。


「あれ、鬼ってやつかな」


 ロランがモリアスに問うが、モリアスとてそんな希少種は見た事がない。


「分からないですけど、明らかに普通のオーガとかじゃないですね。さっきの音は、左右に控えた青い奴が鳴らした戦太鼓みたいなものの音ですかね」


 赤い鬼、青い鬼の前にはゴブリンサイズの小さめの個体が並んでいる。

 その前にオーガリーダーやオークリーダーが隊列を成しているところを見ると、小鬼の方が強い可能性がある。


「赤いのはちょっとキツイなぁ。青い方ならなんとかなるかな」


「小さいのが居なくなるまでは、単騎で駆けようなんて考えないで下さいよ」


「でも、あれはキツイよ。赤い奴は特に。あとさ、さっきの火球、一発で土塁を吹き飛ばした威力のあれ。あんなの撃たれたら流石に第一歩兵大隊の防御力じゃ耐え切れないでしょ」


 確かに、先ほどの火球は連発されれば前線が崩れるレベルだった。

 だが、見通しを良くしただけでその後撃ってくる気配が無い。

 それどころか、行き足を止めて何かを待っているような素振りを見せる。


「あ、そういう感じか」


 ロランが前方を見ながら呟く。


 モリアスが視線を移すと青い鬼が一体だけ前へ出て来ていた。


 両陣営の中央辺りまで来たそれの右手には金棒が握られており、左手には不透明な酒瓶のようなものをもっている。


 その瓶に口をつけ、中身を煽りながらこちらを睥睨へいげいする。


一騎討いっきうちがご所望みたいだね」


「自信満々の態度ですね、自分達より強い相手などいるはずがないって態度です」


「僕が負けたらバリスタを打ち込んでやれ」


ちりも残さないつもりで撃たせますね、火薬の入った奴」


「それ、僕も残らないんじゃない?」


 やや不安そうな表情を浮かべるロランにモリアスがこぶしを突き出す。


「負けたら妹さんの面倒は任せてください」


「アンデッドになってでもそれだけは阻止するよ」


 ロランの拳がモリアスのガントレットにぶつかり、小気味のいい音が響いた。


 ロランが馬を降り、赤いマントがひるがえる。ショートソードを鞍から外し腰の部分に装着する。


 悠然ゆうぜんと歩み寄る姿がしゃくに触ったのか青い鬼が乱暴に酒瓶を地面へと叩き付ける。


 腰から片刃のロングソードを抜き放ちながらロランが足を止める。距離にして二十歩。


 誰一人言葉を発する者はいない。


 魔物側にもはやし立てるものは無く、篝火かがりびがたてるパチパチとした乾いた木材が弾ける音のみが辺りを包み込む。


 ゆらり、とロランがかすかに揺れる。


 青鬼の表情が歪み、狼狽うろたえ始めた。


 じりじりと詰められた距離は残り約七歩。


 静寂せいじゃくの中でロランが口を開く。

 

「どうした。打ってこないのか。ならば先手を譲ってもらおうか。一合いちごうで終わってくれるなよ」


 正眼せいがんに構えたロングソードを肩に担ぐように構えた次の瞬間、一足いっそくに間合いに飛び込みながら青鬼の眉間みけんに目掛けて振り下ろす。


 青鬼の金棒がロランの剣筋けんすじの行く手をさえぎる。


 キン!という澄んだ金属音が響き渡った後、ゴドンという重量物が土の地面に落ちる音がする。


「浅いね、皮一枚といった所かな。流石にその太さの金属のかたまりれちゃうか」


 見ると青鬼がロランの剣撃を防いだ金棒が三分の二程度の長さで切り落とされている。


 青鬼は胸元に切傷を作り金棒とロランを交互に見ながら狼狽うろたえる。


 ロランの持つロングソード、そのめい金切丸かなきりまる


 聞こえの通り金属製の鎧ですら刃毀はこぼれ一つせずに切断することからその名がついた。

 大和王国で鍛造される刀と呼ばれる片刃のロングソードであり、剃刀かみそりのような切れ味と鉄混てっこんのような重量がその特徴である。


 繰り返し繰り返し折り返すその鍛錬たんれんは重く、そして柔らかいねばりを生み、それを芯材しんざいとすることで、折れず、曲がらず、よく切れる刀という剣が生まれた。


 大和王国からマリスタニア王国へと贈られたこの剣は、王が両刃の剣しか使った事がないからという理由で宝物庫の肥やしにしていた品である。


 日の目を見たのはロランが大隊長に就任したことで宝物庫が開かれ、ロランが一目惚れした為で、それが無ければ恐らくずっと仕舞われていたはずだった。


「おお、何じゃあの剣。あれ、あんなに切れ味良かったのか。一回くらい振ってみればよかったのう」


 モリアスがその声に振り向くとそこには聖銀せいぎんの甲冑に身を包み、白馬に乗った男が居た。


 咄嗟とっさに略式礼を取るモリアスに「よいよい」と笑いかける。

 十人のロイヤルガードを引き連れて現れたのは現マリスタニア王国の国王マルシコフ・ガルシア・マリスタニア、英雄王その人である。


「さっきの一太刀、彼奴あやつ随分と成長したもんじゃな。今度一回手合わせせにゃならんのう」


「今はやめてくださいね、奥にまだ青いの一匹と赤いのも残っているんで」


 じゃあ、取り敢えずその二匹は儂が貰おうかの、とそう言うと馬を降りる。


「ロラーン、儂がそっちに行くまでに片付けろよー」


 ちらりと振り返ったロランが露骨に嫌そうな顔をする。いで飛び退き、金切丸をさやに納めた。ロランの周囲から音が消えていく。


 いだ水面みなものようなたたずまいのロランに、青鬼が金棒を叩きつけようと振り下ろす。


 刹那せつな、ロランの姿が揺らぎ、金棒が大地を捉えた。そのまま青鬼はロランを見失う。


「咲け」


 声が聞こえた左の背後を振り返りロランの姿を捉えるのと、青鬼の上半身が地面に着いたのはほぼ同時であった。腰から下は切り離され、振り返る上半身については来なかった。


 とさり、そんな空虚くうきょな音がして、半身が激しく血柱を上げる。


「たまらんのう。待ちきれなくなりそうじゃわい」


 英雄王が顎髭あごひげを撫でながらそう呟いた。

 

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