第34話 呪歌

 ファリスを連れて地竜亭の二階へ上がってから半刻後、ファリスと産まれたばかりの仔狼こおおかみを抱いたステラが階段を降りてきた。


 暖炉だんろの前に二匹を下ろすとアーリアとクラリスの方へ向き直りどうする?というジェスチャーを見せる。


「抱いてみる?」


 ステラの問いかけにクラリスが一も二もなく飛び付く。


「あぁああ……、ふわふわしてるぅ……」

「話には聞いていたけどフェンリルって本当に一匹しか子供を産まないのね」


「あぁああ、指を近付けたらちゅうちゅう吸ってるよぅ……」

「ステラさん、クラリスがダメになっちゃうからその子取り上げて下さい」


 見るとクラリスはうつろな目をして仔狼をうっとりとで続けている。


 小刻こきざみに震えながら仔狼を見つめる瞳はさながら重度の薬物中毒者である。


「あら、貴女はいいの?抱かなくて」


 クラリスから仔狼を引き受けながらステラがアーリアに問うと、アーリアは静かに首を振った。

 返り血の匂いで今は怖がらせちゃうかもしれないから、そう言って少し離れた所から仔狼を見ている。


「あら、そんな事言ったらおばさんだってかえ血塗ちまみれよ?大丈夫、おびえた様子はないわ。ほら」


 手渡された狼の子供の体温と力強い鼓動こどうが抱き上げる手に伝わると愛おしさがあふれてくる。


「ステラさん、ダメ、返すわ」

「あら、どうしたの。もういいの?」

「離せなくなりそうなの」


 そう、と少し笑いながらそう言ってステラが仔狼を受け取ると、クラリスがもうちょっとぉ、と手を伸ばしていた。


「そろそろファリスに返してあげましょう」


 横たわるファリスのお腹辺りに仔狼を返す。しゃがんで仔狼を撫でながらクラリスが切り出す。


「あーちゃん。私を外壁へ連れて行って欲しいの」

「ここにいる方が安全だと思うけど、どうして?」


 アーリアの怪訝けげんそうな表情にクラリスが向き直る。


「何か嫌な予感がするの。こう…、胸の奥がゾワゾワする」


「んー、外壁は今戦場になっているのよね。ワイバーンが空からゴブリンやらグレイウルフやらをポイポイ落としてきてるのよ。そんなところに連れて行ったら私、お兄さんやモリアスさんに何を言われるか分からないわよ」


「そう、だよね。分かった、ごめんなさい」


 そう謝るクラリスを見てステラが口を開いた。


「連れて行ってあげたら?」

「いや、でも……」

「よく見て。この子、一人で外壁へ向かうわよ、きっと」


 アーリアがクラリスに目を向けると、何かを決意したような表情をしていることに気が付き、諦める。


「あー、もう。わかりました。連れて行きますよ。絶対に側を離れないでよ」

「ありがとう、あーちゃん。きっと私にも出来ることがあるの。でも、それをすると街の人みんなから気味悪がられるかもしれない。だから…」

「それでもやるんでしょ?その何か。気味悪がられたとしても」


「ん、あーちゃんにも嫌われるかも……。それが一番怖いよ、あーちゃん」


 伏目ふしめがちにそう話すクラリスをそっと抱きしめて、きっと大丈夫だよとアーリアがささやく。


「私がクラリスを嫌いになる未来なんて想像できない」


 きっと大丈夫とは言ったものの、本心ではきっとなどという不確定なものではないことをアーリアは確信していた。


「じゃ、行こっか。ステラさん、ファリスと仔狼の事、よろしくお願いします」


「気を付けて行っておいで。この子に名前をつける前に死んじゃだめよ」


 ステラが見送る中、二人が外壁へと向かう。

 街中ではあちらこちらで巡回兵や冒険者達が魔物達と戦闘を繰り広げていた。


「基本的に戦闘は避けて行くよ。空からの急襲と路地から飛び出してくる敵に気を付けて」


「分かった。あーちゃん、その、ごめんね」


「それ、明日聞くわ」


 そう言ってクラリスに笑い掛け、二人で戦場になった街中を駆け抜けて行く。どこかで上がる火の手に、赤く燃える夜空が焦燥感しょうそうかんあおる。


「クラリス!」

「うん」


 二人が足を止めて空を見上げると外壁へと続く大通りの上空を無数のワイバーンが飛び交っていた。


「全部の相手をするのはちょっときついわね」


 アーリアがそう漏らすとクラリスが自身のネックレスを外してアーリアに手渡した。


「あーちゃん、これを着けていて」

「え?うん」


 アーリアがネックレスを着けたのを確認して、クラリスが大きく息を吸い込む。そのままクラリスがゆったりとした歌を歌い始めた。


「クラリス?え?子守歌?」


 空一面に飛び交うワイバーンの動きが徐々におかしくなっていく。ふらふらと制御を失い、次々と地面目掛けて落ちていく。20を数える間もなく、ほとんど全てのワイバーンが地に落ちた。


「あれ何?魔法?え?どういうこと?」

「急ごう、外壁についたら話すよ」


 クラリスの歌でワイバーンが何らかの状態異常にかかったのは明らかだが、アーリアの経験上、これ程広範囲に効果をもたらす魔法など見た事がない。


 もし、そんなものがあるとしたら戦況を一変させる戦術兵器みたいなものとして扱われるべきものである。


「呪歌って…いうものなんだって」


 外壁へと着くなり短くそう告げたクラリスは辛そうに目を伏せる。たまらずアーリアがクラリスを外壁の小部屋へ引っ張り込み、その頭を抱き締めた。


「言ったでしょ」


 少し体を離してクラリスがアーリアの顔を見上げる。その目を捉えてアーリアは少しいきどおったような瞳でクラリスを真っ直ぐに見つめた。


「私がクラリスを嫌いになるなんてないわ。だから」

「あーちゃん?」


 もう一度クラリスを抱き寄せて耳元に口を近付ける。

「信じて」


 その言葉を聞いて目にいっぱいの涙を溜めて、泣くまいとするクラリス頬に手を当てて両手で包むように自分の方へと向かせるとアーリアは強い口調で嗜める。


「さっきは、きっとなんて言って不安にさせてごめん。約束するわ。私がクラリスを嫌いになることなんて絶対にない。だからそんな顔しないで」


 アーリアの言葉にクラリスのひとみからせきを切ったかのようにポロポロと涙があふれた。


「呪歌については後でゆっくり聞かせてね。クラリスの事をちゃんと知りたい」


 コクコクとうなずくクラリスの頭を撫でる。


「でもね、まず言わせて」


 アーリアがクラリスの目を真っ直ぐに捉えて続ける。


「私はクラリスの優しい声が大好きよ」

 

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