第31話 赤い雨

「冗談がきついぜ……。今度はレッドキャップが頭かよ」


 幾度となく魔物の群勢を退けながら、第二歩兵大隊から戦線を引き継いだ第三歩兵大隊もジワジワと押し込まれて開戦時の前線をやや割り込んでしまっていた。


 敵性勢力の部隊編成が徐々に力を増しており、ゴブリンリーダーからオークリーダー、オーガリーダーが陣頭指揮じんとうしきるようになっていた。


 魔物達の統率とうそつもリーダーの格に応じて増していき、オーガリーダーが指揮しきるようになったあたりから人間相手の戦のような錯覚にとらわれるほど、陣形、隊列が崩れなくなっている。


かたくなってきましたね。損耗率そんもうりつは一割五分といったところでしょうか。ダレン隊長、どうします?」


 第三歩兵大隊の副官である指揮兵が隊長に問う。


「積極攻撃、遠距離攻撃にとぼしい俺達では削り切れんな。半数を盾として残して撤退するか。第一歩兵大隊の立て直しはどうなっている」


「確認します」


 副官が南門に向けて馬をる姿を見送り、隊長が深く溜息をついた。戦況は思わしく無い。


 第三歩兵大隊は大半が重装歩兵じゅうそうほへいで構成された防御特化型の部隊である。


 積極的に攻撃を行う為の素地がない。第一歩兵大隊に所属する中距離攻撃と遊撃ゆうげきを得意とする弓士隊や、第二歩兵大隊に所属する魔術士隊などのような遠距離と大規模破壊を得意とする部隊を持っていない。


 かわりに分厚いフルプレートの全身鎧に巨大な盾のみを持つ「盾兵」を擁しており、他の追随ついずいを許さない防御力が第三歩兵大隊の特色となっている。


「白銀騎士殿が戻ってくる前にせめて開戦時の位置まで前線を戻しておかんとな」


 盾を構え直し、敵陣を見つめるダレンの後方から軽い足音が近付いてきた。


「あらー、何だか大変なことになってるじゃないですか。レッドキャップにオーガやリーダー格まで」


 深刻な状況とは裏腹に他人事のようにそううそぶいた少女は闇を煮詰めたような漆黒しっこくのローブを身にまとい、その小柄な体躯たいくは足首までがゆったりとしたローブに包まれている。


「やっと起きたのか。見ての通り攻めあぐねているよ。誰かさんが眠りこけていたからな」


 溜め息混じりにダレンから呆れた視線を向けられると悪びれる事なく、そうだねとだけ口にして魔物の数を数え始めた。


 後続部隊の確認を終えた副官が戻ると黒衣の少女をみて身を強ばらせる。


「ね……眠り姫殿が……起きているではないですか!」


「やぁ、副官くん。モリアスくんが起こしに来たしさ。外が騒がしすぎて起きちゃったよ……。僕の杖……、ある?状況がよく分からないんだけど、あの魔物達は駆除くじょしていいんだよね?」


 「駆除……でありますか……。勢い余って味方も駆除しないで下さいね。怨嗟の森の二の舞は御免ですよ」


 何か思うところがあるような物言いで副官が短い杖を少女に手渡すと、大丈夫だよとニコニコしながら魔物に向き直る。


 しかし、副官は聞き逃さなかった。大丈夫だよと口にした直後、少女が小声で「まだ実験中だけど」と呟いた言葉を。ダレンの耳にもその言葉が届いたのか、サッと顔色が変わった。


「た!退避ーーーー!!」


 ダレンと副官が同時に、最前線で魔物を食い止める部下達に向けて声の限りに叫ぶ。


 何事なにごとかと振り返った兵士達の目に黒衣の少女の姿が映ると前線がパニックにおちいった。


「退避!退避だ!ほら!逃げるぞ!眠り姫が出た!起きてる!巻き込まれるぞ!」


 前線が騒がしくなっている事など気にも止めず、少女は黒衣の内側から数本の薬瓶くすりびんを握った手を出すと、無造作に前線の上空に向けてそれらを放り投げる。


 綺麗な放物線ほうぶつせんえがいて前線の上空に達した薬瓶の2本に、短杖から放たれた小さな火球が命中し、上空で濃い紫色の雲が発生した。


 先ほどまで行く先を阻んでいた重量級の兵士達が恐慌きょうこうをきたして散り散りに逃亡し、あらぬ方向に放たれた火球を見て魔物達が一瞬呆気あっけに取られる。


 そして、足を踏み鳴らしながら逃げた敵を嘲笑ちょうしょうするようにゲラゲラと笑い、歩を進めようとしたその時、上空でパリンとガラスの割れる音がして事態が急変した。


 突如ポツポツと降り始めた雨が辺りを濡らし始めた途端、魔物達が断末魔のような悲鳴を上げて地面を転げ回る地獄絵図が展開したのである。


 赤い雨が触れた地面からは黄色いガスが立ち昇り、同様に赤い雨が触れた魔物達の鎧や武器は腐食し溶けていく。


「酸…か」


 ダレンが少女に向けて問うと、そうそうと嬉しそうに少女が答える。


「一つ目の瓶と二つ目の瓶の中味が空気と混ざるとガスになって空気中に広がって上昇し、一定の高さで留まるんだよ。上空でガスが混ざり合って酸性のガスに変わる。で、三つ目の瓶の中味がすっごく細かいガラスの粉。これをガスの中に撒くと雨になって落ちてくるんだ。一刻くらいすると安全になるはずなんだけど、実験してないからはっきりとは分かんない」


 無責任にそう言い放った少女が続ける。


「アシッドクラウドっていう複合ポーションだよ。魔法銀や魔鉄鉱、神鉄なら溶けないけど地面に落ちてから十五秒間ほど立ち昇るガスを吸えば体内から溶けるしー、対象が呼吸をするならこの攻撃は避けようが無いよねー」


 少女がカラカラと笑いながらゾッとするような解説している間にも魔物達が悲鳴をあげながら溶けていく。


 溶けながらもがきのたうち回り内臓を吐き戻す、そうして不定形の動かない肉の塊となる様はこの世の光景とは思えない。


 上空の雲は徐々に広がりを見せ、攻撃範囲を増し、森の入り口にまで迫っていた。


「あ、まずいかも」


 少女がそう呟くと、風向き……こっちになったねと首だけ振り返ってダレンを見上げる。


「退避ーー!壁まで下がれ!副官、第一、第二大隊の魔法士に伝令!一旦休みを切り上げて風魔法で雲を押し戻せ!」


 一刻の後、魔法士からはダレンのもとへ避難の嵐が届き、前線を担っていた部下達からも不満の声が上がり続けた。

 

 眠り姫と呼ばれた少女は錬金術師アルケミストである。

 薬品、特に劇物や毒物を扱わせれば右に出るものは無い。生物の合成にも長けている。


 また通常の倫理観りんりかんを持ち合わせていれば必ず躊躇ちゅうちょするような実験にも絶対にブレーキをかけない狂気に満ちた人格のせいであらゆる師団から嫌厭けんえんされ、この第三歩兵大隊へと流れ着いた。


 少女は1日の大半を寝て過ごす。そうしてついたあだ名が眠り姫である。


 可憐かれんな印象の二つ名に反して、これまで上げてきた戦果せんか凄惨せいさん一言ひとこときる。


 彼女にとって戦果の全ては実験の結果であり、彼女が望むものはデータのみである。


 褒賞ほうしょう懲罰ちょうばつも彼女にとって意味を成さない。


 後がどうなろうと知ったことではないのだ。

 どのような懲罰も彼女にダメージを与えることができず、牢に拘束こうそくされれば寝ているか思索しさくふける。


 減俸げんぼうされたところでそもそも私財を使う当てもなく、研究室に住み込んでいるため金は貯まる一方である。


 どのような処分を受けてもいつも通り変わらぬ日常がそこにあり、彼女の平穏は保たれている。


 先程、副官が口にした怨嗟えんさの森は彼女が作り出した森であり、約千人の隣国りんごくの兵士を苗床なえどこにして構築こうちくされた森である。


 五年ほど前、隣国が国境を侵犯しんぱんし、小競こぜり合いが続いていた時期があった。


 隣国の目的は国境を侵犯し、挑発ちょうはつすることでマリスタニア王国との外交上の優位を保とうとしていたものと考えられている。


 しかし、この目論見もくろみは歴史的に見て大きな間違いであった。

 非常に運が無いと言わざるを得ないが、ちょうどその頃、小さな錬金術師がある研究を完成させ、実験をするための会場を探していた。


 彼女が完成させたもの、それは樹木とキノコを錬金術で掛け合わせたキメラ。


 その姿は小さな一本のキノコである。


 ガラス瓶に収められたそれは、国境付近の平原の倒木に植えられた。


 このキノコは日がかげるか、雨を受けると胞子を飛ばし、自らを増やそうとする。


 そして、安住の地を求めてちゅうただよいそれを見つけると根を張り、宿主を栄養源として急速に一本の木へと姿を変える。


 このキノコが優れていたのは、キノコの形をしている時にしか増殖ぞうしょくしないという事だった。


 着床ちゃくしょうした胞子はキノコの姿にならず樹木となるために、元のキノコを焼き払えばそれ以上樹木が増えることはない。


 そして、このキノコの着床先は、人間の肺胞はいほうである。


 このキノコの胞子を吸い込んだ場合、まず上手く呼吸をすることが出来なくなり、胞子に含まれる麻酔の成分で肺の機能が全体的に麻痺してしまう。


 血液中の酸素が二分から五分程度で枯渇こかつし失神することになるが、倒れた人間を生きたまま宿主やどぬしとしてこのキノコは成長する。


 そして、「宿主を生かしたまま」樹木として大地に根を張るのである。


 正確なメカニズムはまだ分かってはいないが、この時点においても宿主は死なない。


 宿主となった人間の頭部と肺のみが木の中に取り込まれ、木の表面には取り込まれる前の顔が浮き出している。この顔には表情があり、また声を発する。


 苦悶くもんに満ちた表情で、悲痛ひつうに満ちた叫び声をあげる悪趣味なオブジェ。


 最初は五人が犠牲ぎせいになった。


 マリスタニアを挑発するために国境を越えて忍び込み、痕跡こんせきを残す役割だった。

 国境を越え、平原の端に来た辺りで気を失い、そうして彼らは樹木になった。


 帰ってこない彼らを案じ、捜索隊が組まれた。三十人で国境を越え、戻らない同胞どうほうを探す。


 気が付くと三十人は十人になっていた。

 見ると草原に林ができていた。

 突然現れた林に怪しさを感じた十人は捜索そうさくを行なった。


 そうして、彼らも樹木になった。


 消えた三十五人は攻撃を受けたと判断され、報復のために二百人の兵士が国境を越える。


 かつては無かった林を見付けて彼らも足を踏み入れた。林を吹き抜ける風が彼らを平等に祝福し、彼らはわずらわしい人の価値観から解放されていく。


 気が付くと千を超える兵士が樹木へと姿を変え、その中には知らずに足を踏み入れたマリスタニアの兵士たちや野盗も存在した。


 現在、中心部のキノコは焼かれ、これ以上被害が拡大することは無い。


 この森は常に樹々が苦悶の声を上げているために「怨嗟の森」と呼ばれている。


 キノコを焼き払おうとした際、その光景を見ていた樹々が一斉に悲痛な叫び声を上げて泣きわめき、人の言葉で焼き殺さないでという旨の助命じょめい嘆願たんがんした。


 予想外の事にキノコや森を焼くことを一時中止し部隊は帰投する。樹々が自我を残しているという報告を受け、キノコを焼き払う際、周りの樹々を一緒に焼くかが議論された。議題の中心は「樹々に変貌へんぼうした彼らはまだ生きていると言えるか否か」。


 議会は二分し、結論は未だ出ていない。

 が、現在では「既に死を迎えている」とする説が有力となっている。


 「未だ生きている」とするとこの後何百年、樹々の状態で苦しみ続けることになるのかと考えた学者達が隣国の不運な兵士達をあわれに思ったからである。


 しかし、今しばらく彼らに死という安息が訪れる事はない。アルケミストが不意に口にした言葉でその可能性は絶たれた。


「キノコは焼けば朽ちるけど、樹木の方を焼くと焼け跡にキノコが生えるよ?切り倒しても同じ。あと斬れば斬撃に、焼けば炎に耐性の高いキノコになる。つまり、木がその活動を止めるとあの顔の部分により強いキノコが生える。そういうサイクルになるように作ったから」


 そう言ってカラカラと屈託の無い笑顔で笑うアルケミストにその場にいた全ての人間が凍りついた。


 怨嗟の森を焼き払う案は凍結され、アルケミストの行った実験はその大半が成功裏に終わる。


「怨嗟の森の樹木になった者たちの元に戻す方法はあるのか?」


 学者の一人がアルケミストに問うと、アルケミストがやれやれといった表情を浮かべて答えた。


「焼いて焦げた肉を生肉に戻せるわけないじゃないか。そもそもあの樹の苗床になったら首から下は肺以外の全てが栄養分として吸収されて残っているのは肺と首から上だけなんだよ。脳も肺も少しずつ木に置き換わっていくけどね。樹液が血液の代わりに循環して光合成後の酸素を脳に運ぶようになって、脳を動かしているわけだから、樹から離れたらたちまち活動できなくなるに決まってるじゃない」


 焼いた肉は生肉には戻らないという例えに戦慄が走る。もう誰も言葉を発する者は居なかった。

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