第29話 神罰の代行者
教会から出て行こうとする弓を持った兵士を見送る時、エリスはその背中に強い怒りを見た。ドアが閉じる寸前、エリスは駆け出し、女性の兵士に声をかける。
「兵士様!」
弓士の女性が立ち止まる。一拍の間を置いて弓士が答えた。
「何かしら。今、私きっとひどい顔をしているから。そっち見られないわ。ごめんなさいね」
謝る女性にエリスが続ける。
「わ……私、あ……あなたの為に祈ります!あなたが無事であるように!あなたの気持ちが健やかなるように!余計なお世話かも知れないけど。で……でも、わ……私はあなたの強さと優しさが生む怒りにあなたが囚われ、自分を見失わないように!その為に祈りますから!」
「あなたの神様は大地母神様かしら」
その通りですが……、とエリスが答えると弓士は振り返ることなく、そう、とだけ返事をする。
世に生きる全てのものに尊重される魂があり、魔物ですら例外ではなく、全て生き物は
「私は今、本気で怒っているから貴女の神様が言うところの罪を重ねてくるわ。もう殺さなくて良くなったらきっと戻ってくる。神様はきっと赦してくれないから、その時は貴女が私を
振り向かずとも分かる泣き出しそうな背中に、エリスが手を置いて祈りを捧げる。
「神様、どうかこの者の行く末をお導き下さい。悲しみを絶たんとする正しき心に加護を与え、悪しきを断つ弓に力をお与え下さい。吹き荒れる悪意から弱きを護らんとするこの者に加護を与え、その身体をお護り下さい」
背中に置かれた手から暖かい光が兵士に流れ込み、全身を包みこむ。
「か……必ず無事に帰ってきて下さい。や……約束ですよ」
エリスの言葉に、それ二人目だわ……、と口にして弓士の女性は市街地へと駆けて行く。
第三歩兵大隊の予備隊の一部が二人一組で市街地の小型の魔物を掃討していて、怪我人を搬送してきたり、傷を負って搬送されてきたりする。
大聖堂が避難してきた人や怪我人で埋まり始め、中には助からず天に召され行く者も出始める。
聖堂内が悲観的な空気に満ちていくのを、何とか食い止めるべく話しかけ、勇気付け、希望を
しかし、苦しみに追い打つようにそれは起きた。突如聖堂の扉側にある天井が崩れ、その下にいた家族連れや傷を負った兵士達が押し潰される。
悲鳴をあげる
聖域で区切られた教会には、余程強い魔力を持った魔物でなければ入ることは出来ない。
しかし、魔物は防げても、岩と重力という単純な物理力を防ぐことは出来なかった。
建物に刻まれた
その姿を見た避難民達が悲鳴を上げる。恐怖は連鎖し、大聖堂は
大聖堂に侵入したゴブリン達に対し、傷を負った兵士達が立ち上がり槍を手に戦うが怪我を負った体では満足に戦うことが出来ず次々とゴブリン達に
救いようもない光景がそこに広がっていた。エリスは
「エリス。お前は優しいからきっと沢山の人を救える神官になれるよ。でも、優しさだけでは愛する人を護れない。だから、しっかりと覚えておくんだ」
エリスは思い出の中の父の言葉を辿る。
王国で最強と呼ばれたグラディエーターである父と平凡な神官の母の間に生まれたエリスは、母に教わった回復の祝祷が苦手であった。
しかし、父に似て力が強く、自己強化の才能に恵まれていた。
信仰に厚く、心優しいエリスは神の加護を受ける神職としても信頼され助祭になった。
しかし、生まれ付いての魔力の少なさが
それはグラディエーターであった父の先天的な種族特性が原因であった。
父は極東の島国の出身で、その種族は生まれながらに魔力回路が閉じているため、魔力の流れが
元々は魔力の保有量が多く、魔力の通り道も太いその種族は魔力が暴走して死亡する幼児が後を絶たなかった。
高い魔術適性のために、まだ上手くそれを制御できない幼児が死亡する。
事態を重く見た大昔の族長が一族の魔力回路に遺伝する七つの封印を
その種族の名前をドラゴノイドという。
七つの封印はチャクラと呼ばれ、成人を迎えたのち特殊な訓練を経て解放されていき、封印が解けるとその数に応じて魔力は倍々になっていく。
通常、二つを解放すれば一般的な他種族の成人程度の魔力となる。父は七つのうち六つを解放した到達者だった。
成人したら教えてもらうはずだったチャクラの解放も、エリスが成人する前に父が死に、
「……自己強化術……」
父が見せてくれていた特殊な自己強化術を思い出す。
「エリス、自己強化は真っ直ぐに立って力を抜くことから始める。これが自然体」
エリスは思い出の中の父の言葉の通りに動きを写し取っていく。
「真っ直ぐ立って、力を抜く」
エリスの正中線が真っ直ぐに走る。下腹部に魔力溜まりを感じながらエリスは続ける。
「次に呼吸を整える。鼻から吸い込んだ空気を肺いっぱいに溜め込み、ゆっくりと吐き出しながら呼吸を整えていく。肺に溜まった空気は全身に行き渡る。身体の魔力溜まりを通過していく時に、空気が魔力を拾って全身に行き渡ることを意識する。実際には魔力回路という道を通るんだが、イメージの中では殆ど変わらないから行き渡る感覚を感じるように意識するんだ」
父の呼吸を思い出す。静かに取り入れた空気をゆっくりと肺に溜め、ゆっくりと吐き出す時に特殊な音が発せられていた。
「鼻からゆっくり。肺に溜めて、ゆっくり吐く。溜まった空気が魔力を運ぶ」
エリスが吐き出す呼気に、コオォォォォォという特殊な音が混ざり始める。
冬の朝に吐く息のように、やや白く
お父さん……、わたしお父さんに届くかな……、真っ直ぐに立って呼吸を整えながら、エリスは思い出の中で父を追いかける。
記憶の中の父の姿がエリスの姿と重なっていく。
「流れる魔力が狭くて通りにくい場所が、正中線に七箇所ある。それがチャクラだ。取り入れた呼気を一気に通してこじ開ける。ドラゴノイドの子供が死なない為にわざと作られた安全装置だ。大丈夫、怖くない。元々ドラゴノイドの大人であれば膨大な魔力を通す太い管が体内に用意されている」
全身に細く行き渡らせた魔力を太くしていき、滞る場所を探っていく。
魔力の流れが滞る場所がはっきりと分かり、エリスは半眼になる。
お願いお父さん、力を貸して、心の中で父に
記憶の中の父の姿がエリスの姿と重なり合う。
「取り入れた呼気に魔力を乗せて……、一気に通して……。こじ開ける!」
その瞬間、エリスの中で何かが砕けた。陶器やガラスが砕け散るような響きに合わせて、全身を太い龍が駆け巡るような魔力の
突然、爆発するように増した存在感に司祭も助祭も、魔物までもがエリスを振り返り硬直した。
「し……司祭様!わ……私に祝祷を下さい!」
周りの司祭達が皆慌ててエリスの為に神に祈りを捧げ始める。そして、エリス自身も跪き、両手を組んで自らの為に祈り始めた。
「神様、どうか私に力をお貸し下さい。貴女の子らが恐怖に晒され、悪意に汚され、その身を傷付けられぬように、その心が護られるように。私が貴女の剣となって、貴女の子らを護ります。私は正義に」
司祭から贈られる祝福の光と、自らの頭上に降り注ぐ光がエリスを緩やかに包み込んでいく。
「背きません」
身体の中を駆け巡る魔力の流れが祝福の加護と溶け合い、溢れ出る力が全身に留まり満ちていく。
修道服のスカート部分の横を破ってスリットを作り、脚の自由を確保する。ゆっくりと立ち上がったエリスが自然体で真っ直ぐに立って、静かに呼気を整え、そして構える。
半歩前に踏み出す左足が、床につくと同時にタイルが砕ける。ゆっくりと腰を落とし、グラディエーターであった父の動きを追いかけていく。
飛び掛かるゴブリンが振り下ろす棍棒を半歩横に避け、左手での
撃ち抜かれたゴブリンの頭は、ひしゃげて原型を留めていなかった。
エリスの中で再びガラスが割れる音がする。刹那、身体がそれまでの重さを失う。
空を飛べそうなほどの万能感が全身を包み、エリスのスピードのギアを一段階引き上げた。
落とした腰を戻し、軽いステップを踏んだ後、頭を振りながら的を絞らせないように近付き、エリスは次々にゴブリンを殴り殺していく。
全身を巡る魔力がインパクトの瞬間に拳に流れ込み、敵に当たると同時に炸裂する。
身体を背中側に回転させて放つ、相手の脇腹に突き刺さる回し蹴りは、当たった瞬間、逆の脇腹が裂けるほどの破壊力を見せていた。
エリスに秘められていた格闘の才能が開花する。エリスの父がエリスに見せた戦技は打撃だけではなく、その殆どを体現できる自分にエリス自身が驚いていた。
ハイキックがヒットした瞬間、絡めとるように両足で首に巻き付き、脳天から地面に叩きつける投げ。
両足で巻き付いた後、身体を一回転させて両肩へ上がり、腿で頭を挟んで首を
気が付くと、爆発的な瞬発力と暴力的な魔力でゴブリンとグレイウルフは全て床に横たわる骸となっていた。
全ての神敵を打ち倒したエリスが跪き、失われた魂に祈りを捧げる。誰も傷付けさせないことを神に誓い、解放された溢れる魔力で怪我人の治療を行い、また戦い続けた。
司祭達が神聖文字による結界を描き直す中でエリスは闘い、魔物の群れを退ける。
司祭達が神域を復活させ、安全が確保された頃には神敵の骸は100を数える程に増えていた。
この事件を機に、彼女は助祭の地位から司祭の地位へと昇職する。後の世に
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