第20話 救護室

「せ……聖水の準備終わりました。ご……護符の方手伝いに行きます〜」


 外壁内部の兵士詰め所の一角にある教会の出張所では、怪我人の処置をするための臨時の救護室があつらえられていた。


 白兵戦を行う前線の兵士が怪我をした場合、街中の教会まで運んではいられないため、助祭じょさい以下の聖職者はここに詰めて怪我人の救護にあたる。


 もう一つ、本来の教会を救護所として解放しており、市街地での怪我人はそちらへ運ばれる。


「エリちゃーん。護符よりこっち手伝ってー。重傷者用にベッドを宿直室から持ってくるのー」


 エリスと呼ばれた少女は、おどおどとしながら呼ばれた方に向かう。


 眼鏡をかけた大人しい見た目をしているエリスは昔からよく揶揄やゆの対象となった。


 様々な理由で揶揄からかわれてきたエリスは自分に自信を持てなくなっていた。


「ベッド重すぎて一人じゃ動かせないんだよね」


 そう話すボランティアの女性はエリスがとても力持ちであることを知っていた。

 自分にはないものを持つエリスを少しうらやましく思う。


「ちょ……、ちょっと、は……離れて下さい〜」


 そう言うとエリスはベッドの長辺を持ち、一人でベッドを持ち上げた。


「エリちゃんこっち。救護室の隣の部屋に運んで。待って、ドア開けるから」


 いくつかのベッドを運んで作業を終える。


「お疲れ様。やっぱりエリちゃんはすごいね。私腕力はからっきしだからすごく羨ましいよ」


 銀髪のボランティアの女性にめられてエリスは少し嬉しくなった。

 地竜の火酒亭で働くこの女性はいつもエリスを褒めてくれた。そして一度も揶揄ってこなかった。


「で……、でも、わ……わたし助祭アコライトなのにあんまり回復魔法を使えないから……。す……すぐに魔力切れおこして倒れちゃうし……。だけど、く……クラリスが怪我をしたら、わ……私が治す…から」


 辿々しく話すアコライトにクラリスが微笑ほほえましい気持ちを抱く。


「うん、ありがと。その時はよろしくね。じゃあそろそろ店に戻ってみんなの晩御飯に備えないと。可愛い銀モフが私の帰りを待っているんだ」


 クラリスが少し上気しながらそう話すのを見て、エリスは昼に冒険者ギルドで起きた騒ぎを思い出す。


「あ……、あ……、もしかして銀色の狼さん?祝福の依頼の報告に行ったときに、み……、見ました。弓士さんが連れていた子ですよね?お腹の大きな……」


 エリスの知識に引っかかるものがあった。

 知性の高い銀狼、森の守り神であり強大な魔力を持った魔獣。

 その名前をフェンリル。

 生涯伴侶を変えず、子を一度しか成さないことから数が少なく、群れをなさない。


 悠久ゆうきゅうの時を生き、長く生きただけその体躯たいくを大きく成長させていく。


 古代龍エンシェントドラゴンと戦って引き分けるような個体もいたという伝承もあった。


 そんなフェンリルには変わった伝承もあった。

 子をはらんだフェンリルは、黄金の蜜林檎を食べなければ子を産んだ途端に死んでしまうというものである。


 黄金の蜜林檎は林檎の林に年間通して1〜2個成るかどうかという突然変異である。


 豊穣神ほうじょうしんの恵みであるとされ、あめ状の透明の外皮の中に果汁がちゃぷちゃぷと入っており、その果汁はとても甘く林檎の甘みを極めた味わいであると聞いたことがある。


「た……たぶん、あの子はフェンリルだと思う……。だとしたら黄金の林檎が要るの」


 エリスがフェンリルの伝承でんしょうを話すと、クラリスの表情がみるみる青ざめていく。


「い……、いや、でも、伝承フォークロアだから分からないけど……」


 エリスが付け加えると、クラリスの表情が何かを決意したように引き締まった。


「ありがとう、エリス。知らなかったら大変なことになっていたかもしれない。このお礼は必ずするわ。だから……」


 無事で居てね、と言って救護室を去るクラリスにうまく声をかけられずにエリスは口籠くちごもる。

 一人でも多く怪我人を助ける。そう決意してエリスも救護室を後にした。

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