第8話 クラリスの子守唄

 モリアスが帰ると執務室しつむしつは途端に殺風景さっぷうけいになった。

 来る前には何ともなかった室内の空白が、寂寥感せきりょうかんに満ちているように感じる。

 たまれなくなってロランは部屋をでた。少し歩いたのち中庭に出て木陰こかげに腰掛ける。

 建物の窓の向こう側で、侍女達がこちらをうかがいながらひそひそと何かを話している。

 何だろう、言いたいことがあれば言えばいいのに。いつもそう思う。

 あれが戦場に駆ける死神だとでも言っているのだろうか。と、少し悲しくなった。

 木漏こもに心地いい風、すっと意識が遠退き、心地良い睡魔すいまが訪れる。半刻も経った頃、近くに人の気配を感じ眠りが浅くなる。


「お兄ちゃん」


 声に気付いて顔を上げると目の前にはバスケットを持った妹が立っていた。

 輝く銀髪に銀色の瞳。優しく微笑ほほえんでバスケットを手渡してくる。


「はい、お弁当。作ってもらってきたよ。地龍亭のお弁当。ね、お兄ちゃん。今日の召集、もしかして危ないの?」


 どこかで聞いたのか、察知したのか。

 ロランが返答に困っているとクラリスが続けて、やっぱりねと得心とくしんする。


「いや、魔物の討伐はいつもの事だし、危険はいつでもある。お前が心配するような事は……」


「お兄ちゃん」


「可能性として……。いつもより少し危険かもしれない」


「お兄ちゃん」


「いつもより危険です」


「どのくらい?」


「最悪出兵した半数が死ぬかもしれないくらい?」


 その言葉にクラリスは唖然あぜんとした表情を浮かべ、間を置いてそっか…と少し落胆らくたんする。

 あきらめにも似たクラリスの表情にロランの胸がちくりと痛む。

 楽観的らっかんてきな話題を出そうとするがどうしても悲観的ひかんてきな内容しか出てこない。

 こんな時、モリアスならばきっと何か明るい話題を、いや、意味も根拠こんきょもない話であっても場を明るくできるのだろうなと思いながら立ち上がり、妹の頭を優しくでながら胸元へと抱き寄せる。

 優しさをたたえた兄の顔でごめんな、そう言いながらロランは妹から身を離すと騎士の顔へと戻った。


「謝らないで。ちゃんと生きて無事に帰ってこないと許しません。座って。少し休んでちょうだい」


 クラリスはロランに座るように促すと、自らのひざにロランの頭を導き膝枕ひざまくらの体勢をとり、静かに子守唄を歌う。

 戦時における全身の逆立さかだつ神経が急激に撫で付けられそのとげを失う。

 ほんの数秒後、ロランは安らかな寝息を立てていた。子供のような寝顔の兄の頭を撫でながらクラリスは兄の無事を願う。

 廊下の窓からは侍女達がうるわしい光景に触れたという恍惚こうこつとした表情で兄妹を見ていた。

 昔からクラリスが子守唄を歌うと兄はすぐに寝息を立てていた。

 

「大丈夫だよ。お兄ちゃん。きっとわたしが護るから」


 クラリスは静かに眠る兄に語りかける。

 慈愛じあいに満ちた強さをはらんだおだやかな笑顔で。


「エリちゃんのお手伝いに行って夜に備えないと」


 兄の髪を撫でながらそうつぶやいて兄を起こす。


「ん……、落ち着いたよ。ありがとうクラリス」


 起きた兄の鎧についた芝生を払ってクラリスは兵舎の中庭を後にした。まだ少しだけ、自分にも出来ることがあることに思い至っていた。

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