第28話 碑文の一節

 私はぼろ布から制服に着替えて大滑穴だいかっけつの指令室へ向かい歩いていきました。兵士二人に挟まれて。ただ、今回は不思議と初めて来たときとは違いのんびり歩いていることを急かされることも、いたずらにお尻を銃で小突かれて怯えるリアクションを見て楽しむようなこともありませんでした。

 うって変わったゲスト扱い。そういった感じでした。


「貴様が創世の巫女だったとはな、言凪ノア」


 指令室の扉を開けた瞬間、ガイウスは小さな小枝状のものを持ってそう言いました。


「私のスマートスティック!」

「全て見させてもらった。どうして空中都市にいるはずの創世の巫女がここにいるのかは知らないが……そこに転がっているボロ雑巾がやはり答えなのかな?」


 ガイウスが顎でしゃくるとそこには横たわっているアギさんの姿がありました。

 ここに来た時と同じ白シャツに黒いパンツ姿でしたが、サングラスは取られ、全身に暴行を受けたような青あざがあります。


「アギさん!」


 私は駆け寄って「大丈夫ですか⁉」と声を掛けました。


「うぅ……いい……俺にかまうな……」

「でも!」

「いいからお前は自分の心配だけしてろ……ここは、ヤバい」

「ヤバい?」

「ああ……だから何が起きてもいいように……覚悟はしておけ」


 睨みつけるような目を向けられます。

 その目につられ、私は気を引き締めました。


「そろそろいいか? 言凪ノア。創世の巫女よ」


 ガイウスが両手を広げ、口角を釣り上げて私に話しかけます。


「貴様がこの火星を救う救世主である創世の巫女であるとは知らずに、とんだ無礼を働いた。まずそのことについて詫びたい」

「……………」


 立ち上がり、私は彼に対して敵意を込めた視線を向けました。

 彼が謝るべきことはそこではありません。もっと、別の……この施設の根幹に関することです。


「………まぁ、いい。言凪ノア。単刀直入に言おう。俺に手を貸せ言凪ノア。火星の地上の劣悪な世界を救いたいという思いは俺も同じだ。俺はこんな大滑穴の管理者なんてものをしているが、この世界に生きているみんなと同じように火星を救いたいという思いは持っている……いや、誰よりも強い。だから、俺に協力しろ」

「火星を……救う? あなたが?」

「ああ、そうだ。この火星は緑の理想郷を再現することを目的にテラフォーミングされた。表面を覆っている氷を溶かし、土を積んで大地を産み、地球の生命を移植し、空気すらも入れ替えた。しかし、現実は厳しかった。今の火星は緑の地球とは程遠い、非常に偏った環境だ。ある場所は雨も降らない砂漠が広がり、ある場所は多量の雨雲が多い一年中嵐となる異常気象。ある土地は火山が常に噴火し続け、ある土地は環境調整に失敗し木々が無限に増殖し人家を食い荒らす有様。人間が住む場所が、住める場所が極端に少ないのだ。この大地に0・5%。五百年もテラフォーミングに時間をかけてそれだけの土地しか人間が住むのに適していない」

「そんな……」


 その事実をしって愕然としましたが、同時に私はそれを彼はどうするつもりなのかと気になりました。

 凄く嫌な予感がしました。


「まぁ狭い土地を食い合うという点では地球にいたころと変わらない。少し地球よりすこし競争が激しい程度だ。人類は変わらない。いつまでも争い続ける。それならそれで満足しろと地球人の貴様は思うだろうが。だからダメなのだ。変わらず格差が存在する人間社会は成長がない。人類はもう何千年も歴史を重ねてきた。人を虐げ、争いを繰り返す歴史を。それを終わらせなければならないんだ。俺がこの手で終わらせる」


 グッとガイウスが拳を握りしめます。


「あなたに、それができるんですか……?」

「俺にしかできん。この世を誰もが笑って暮らせる緑あふれる楽園にすることがこの俺には。そのためにはゼオンを駆る創世の巫女である貴様の力が不可欠なのだ。言凪ノア」

「……そうは、思えませんが」


 私の言葉を無視し、ガイウスは机の上にあったファイルを手に、開き中を読み上げます。


「『巫女はゼオンを駆り世界を創る』———ダイモス遺跡に遺されていた碑文の一つだ。ダイモス碑文と呼ばれるそれは火星の古代歴史をつづったものらしいがな。その中の一節としてあったらしい。なんでも火星には昔……言葉にすると馬鹿馬鹿しいが超古代文明と言うべきものが存在していたらしい。天候を操り、地震をあらかじめ予報できるほどのものだったらしい。信じられんが。今の我々でもできない。それでも、時折〝厄災〟というものは降り注ぎ、その文明社会を危機に陥れた。不作による飢餓。長い争いで焦土と化した星。それを度々救ってきたのが創世の巫女だという」

「創世の……巫女……?」

「『祭壇でゼオンを振るい、楽園の扉を開く。すると世界に生命の息吹が吹き荒れ、荒れた世界が元の潤いのある世界に戻る』……これも碑文の中の一節だ。その祭壇というのは今までこの大滑穴になる前にあった遺跡———ロマリア遺跡だと思われていたが、違った。場所が悪かったのか。連れて行った巫女がいけなかったのか。とにかく失敗した」

「それって……!」

「ああ、お前の姉。言凪イヴだな。碑文には創世の巫女の名を———『イナギ』と記している。そして言凪家は旧日本弥生時代の神官の家系。どういういきさつかは知らんが、火星から地球に来て土着の民と契りを交わしたその末裔。それがお前であるな? 言凪ノア」

「そんなの……」


 知らない。

 自分の先祖が火星人だったなんていきなり言われても信じることができない。

 笑い飛ばしたいとすら思う。

 ですが、ここに自分が今いるこの状況。

 それこそがガイウスの言葉が、碑文から調べた考古学者たちの学説が事実であると証明しています。

 ぱたんとガイウスはファイルを閉じ、


「そういうわけだ。貴様にはこの地上を救う力がある。再テラフォーミングをして作り変えるのだ。そのためには我々はどんな協力もしてやろう」

「協力?」


 ガイウスの目に邪悪な炎が灯りました。


「ああ、貴様は空中都市にいて、地球人の思う通りの教育を受けていずれは地上人の脅しに使われる存在だったはずだ。そうでなければ言凪の人間をいつまでも根絶やしにしない理由がない」


 そんなことはないとは思いますが、ガイウスの中の狭い世界ではそうなってしまっているのでしょう。口をはさんでも無駄です。


「だから貴様はこの地上のことを何も知らない。だから私が教えながら、この地上を改変していく。それでいいのだ」

「それって……あなたの都合のいいようにこの火星を変えていきましょうって話ですか?」

「ああそうだ」


 傲岸不遜にも、ガイウスは肯定します。


「神にでもなるつもりですか?」

「そうとも言える」


 そう言って、ガイウスは不敵に笑いました。


「自分にその資格があると思っているんですか?」

「資格など誰にもない。だが、誰にでもあると言える」

「あなたのような人間が人の上に立ったら、世界は地獄です。この大滑穴がその証明です。ここは地獄です。もしも、もしもあなたの話が本当だとして、私があなたに手を貸すことによってあなたを神様にできるとして、そうしたらこの大滑穴がそのまま広がる世界が待っていることになります。力が全てを支配して、弱者はそれに怯えるだけの世界。そんな世界、私は認めません」

「フンッ! 貴様に何がわかる。お前は空中都市でぬくぬくと育って外の世界を何も知らんだろうが。外の世界が俺が管理する世界よりましだとどうしていえる?」

「それは……」


 確かに私は外の世界というものを。この火星の地上と言うものを知りません。

 それでもこの目の前の男が支配する世界よりはだいぶまともな、人々はもう少し互いを思いやる世界のはずです。


「小娘。世界は残酷なのだ。何千年、何万年、何億年経ってもそれは変わらない。いつまで経っても弱肉強食。優しさなど強者の足を引っ張るわずかな重りに過ぎず、心のない人間が常に支配する。小娘。俺にもあった、貴様のように世界をもっとよりよくしたいという思いがガキのころはな。ヒーローになりたいとすら思っていたさ。誰もが笑い合えるような世界にしたいと。だが、そんなものは幻想だ。優しくしたら弱者はつけあがる。何も持っていない者に何かを与えたところでそいつはまた与えられるまで待つ。怠ける。弱者は救えん。どこまで行っても弱者は弱者だ。そんな奴に構っていても時間の無駄だ。ならば強者である我々はその時間を自分の快楽に使った方が有益だろう?」

「……………」


 弱者はどこまでいっても弱者……。

 その言葉は妙に私の胸に残りました。


「誰が上に立っても世界は弱肉強食! 強いものが弱い者を支配し、虐げることが許される世界になるのだ! 今は地球が支配しているこの火星も、心優しいお前が支配することになったとしても変わらんだろう! もしも、もしもそうなったとしてもだ。貴様は途中で諦める。弱者は救えない。与えられるものはいつまでも与えられるまで待つだけだ。自分から勝ち取ろうとはしない。与えることもない! だから貴様でも上に立てば成る。弱者を虐める者にな。どうせ誰もが虐める者になるのだ。ならば最初から虐めっ子である俺が人の上に立ったとしても構わんだろう? どうせ今立っている人間も虐めっ子なのだ。どうせ変わらんのだ。いつまでたっても。人が生命である限りその弱肉強食の法からは逃れられない。ならば、巡り巡る形で今度は俺に甘い汁を飲ませてもらおう。さぁ、言凪ノア。俺に手を貸せ、俺と共に次の〝祭壇〟へ向かい、ゼオンと共に楽園を開け」


 ガイウスが私に向かって手を伸ばしてきます。


 私はその手を———、


「お断りします」

「……ほぅ?」


 とることはしませんでした。


「確かにあなたの言う通りかもしれません。世界はいつまでたっても変わらない酷いありさまです。人は互いを思いやらずに理解しようともせずにいじめいじめられの繰り返しでいつまでも辛いままです。楽な人生というのがいつくるのかわかりません。もしかしたら、人類は滅びるまで皆、辛い生涯を送る。そんな生き物なのかもしれません」

「だろう。ならば、俺と共に強者と成ろう。楽になろう」


 ずいと手が私に対して伸びます。


「それでも。私は諦めたくありません」

「あ?」

「あなたのように人は所詮こんなものだと諦めるより、人はもしかしたらこうなんじゃないかって可能性を信じて生きていきたいんです。だから、あなたの手は取りません。堕落するのなら一人で堕ちてください。一人きりで諦めた自分を慰め続けてください」


 この人は、理想を持っていたのかもしれません。

 悪い人を憎むいい人だったのかもしれません。

 ですが、あまりにも大きく厳しい現実を前にして諦めた。そして、その大きく厳しい現実と同化してその流れのままに生きることを選んだ。

 ただそれだけの人。


「あなたは神でも、この大滑穴の支配者でもありません。ただの人です。自分の理想を忘れてただ逃げているだけの人。楽なほう楽なほうへと逃げ続けているだけの人です。そんな人好きになれません。好きになれないのなら、協力することもできません! 好きじゃない相手に自分の行く末を決めてもらうほど、自分嫌いではありません!」

「小娘がッ!」


 ガイウスに思いっきり頬を裏拳で殴り飛ばされました。


「キャッ!」

「意味の分からないことをのたまい。人の本質を見抜いたかのような言動。無知な小娘が好き勝手。貴様に俺の何がわかるというのだ」

「何もわかりません……でも……そんなに大したことはないでしょう?」


 私は初めて「フフン」と鼻を鳴らし、相手を馬鹿にする笑みを浮かべました。 

 嘲笑、というやつです。

 人をバカにし、挑発するなんて行為は生まれて初めてしましたが、心の底からそれをしたくなったのです。

 だって、ロコナさんやキバさんのことを知ってしまいましたから。

 あの人たちに比べたら、あの人たちが今受けている痛みに比べれば、この目の前の男が受けた痛みなどちっぽけなものです。


「きさま……!」


 図星、だったのでしょうか? 

 ガイウスは顔を真っ赤にして唇をへの字に曲げて目をぎょろりと飛び出んばかりに見開いています。剣ヶ丘神社に飾ってある不動明王の怒り顔にそっくりの形相でした。


「貴様……覚悟しろ。創世の巫女である貴様を殺すことはできんが、心を砕くことはできる。これから貴様に凌辱の限りを尽くしてやる。膣壁が擦り切れるまで何千人との男と交尾させ、歯を全て折った後に何千人との男と口淫させてやる。便所に縛り付けて何十日と放置し、便器の代わりに男どもが放つ精液と汚物にまみれたこの世で最も汚らしい存在に作り替えてやる!」

「やれるものならやってみればいいじゃないですか!」


 私の胸には、激しい怒りが渦巻いていました。

 ガイウスが私の首を掴もうと手を伸ばします。


「ハッ! やってやるさ。どうせ貴様は力のない子娘だ。この状況を何とすることもできんだろう!」

「…………ッ!」


 スッと意識を集中させます。

 自分の中の奥深くに、心の奥に潜っていくような感覚……。 

 本当に、やりたいこと、やるべきことを見据えて。そのために必要な分だけの力を借り受ける……。

 そうすれば———心と世界が繋がり、どこまでも広がっていく……。


「————ゼオン!」


 ぽーんという音が、頭の中で鳴りました。

 ハ長調ラの音が……。

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