第25話 たった一つの価値のある失敗

「ンぅ……」


 私は学校近くの公園で眼が覚めました。

 昔遊んだブランコや鉄棒がある馴染みの場所。

 みーんみーんと遠くでセミが鳴いています。


「おきなよ。ノア」


 ふと目線を上げるとそこにはお姉ちゃん、言凪イヴがいました。


「……起きたくない」


 これは、夢ですね。


「も~、ノアったら……」


 それが分かった今、もう、起きたくない。

 現実は辛すぎるから。


「お姉ちゃん」

「何? ノア?」

「お姉ちゃんはサイさんのことが好きだったの?」


 ずっと気になっている疑問を夢の中のお姉ちゃんに問いかけてみました。


「急に何?」

「答えて……じゃないと私、お姉ちゃん助けたくなくなっちゃうよ……」


 私はうつむき、腰を大きく曲げて顔を覆います。


「ノア……」

「つらいよ。きついよ。どうしてこんな目に合わなきゃいけないの……」


 吐露……というんでしょうか。 

 想いが全て吐き出されてしまいます。


「こんな目に合うんなら、お姉ちゃんなんか追わなきゃよかった。助けになんか行かなきゃよかった。大人の言っていることは正しかったんだって。家に閉じこもっていればよかった。どうして私はお姉ちゃんを助けたいと思ってしまったの……お姉ちゃんを助けても、サイさんを取られるだけなのに……どうして……、」


 あぁ————私は言ってはいけないことを言っています。


「どうして私はこんな何にもならないことのために頑張っているの! お姉ちゃんなんて、家族なんてどうでもいいのに!」


 お父さんやお母さんと一緒に、お姉ちゃんは死んだものだと、助けるなんてできない手遅れの存在だと思い込めばよかった。

 そう自分に言い聞かせればよかった。

 こんなに辛い思いをするのなら。

 こんなに取り返しがつかなくなるのなら。

 夢の中で、私はお姉ちゃんにぶつけます。


「そうだね……」


 お姉ちゃんは悲しそうでもなく、ただ当たり前のように言葉を受け止めました。


「あ、ごめ……! お姉ちゃん……」


 言い過ぎた自分を悔やみ、顔を上げてお姉ちゃんを見ます。


「あ———」


 お姉ちゃんは優しく微笑んでいました。


「自分を捨ててまで、家族を大事にする必要はないと思うよ。ノア。あなたはここまで自分を傷つけ過ぎた」

「違う……私そんなんじゃ……」

「じゃあノア。どうして私を助けたいと思ったの? どうしてこんな穴の中まで来てくれたの? どうして海賊船に乗った時に船長さんの言葉に従わずに、MGマルチギアを盗んできたの? どうして、お父さんやお母さんの言葉に反発して、サイと一緒にいる日常を捨てて街を飛び出したの?」

「…………」

「私が家族だから?」

「…………」

「それだけ?」

「…………」

「本当に、それだけなんでしょう? ノア。あなたは私を助けても何のメリットもない。デメリットしかない。私は貴重な人間ではない、何処にでもいる人間だし、あなたに対して利益を生み出すような存在でもない。あなたを一生養って楽して生きて行けるようにはさせてあげられないし、あなたの食欲も性欲も満たすことはできない。例えあなたの本懐が遂げられたとしても、私をこの大穴から助け出して家に帰すことができたとしても、私はただそこにいるだけ。逆に邪魔になるかもしれない。そんな利益にもならないことなのにどうしてあなたは私を助けようとするの?」

「そんな……お姉ちゃん。そんな、人を物みたいに考えられないです。考えてはいけないことです……私は、私は……」

「うん、そうだね。ノア。本当にノアは私を家族だから助けたい、と。生きている可能性があるのなら助けたいって思っている。ただそれだけなんだよね」

「…………ずっと胸の中のモヤモヤが消えないんです」


 私は、言葉とは裏腹に自分の中にあった考えが、感情が整理されていく感覚がしました。


「私はサイさんのことが好きです。顔が良くて、優しくて、ときどきバカみたいな冗談を言ってほほ笑んでくれるあの顔が好きです……あの人とずっと一緒にいたいです。だけど、どうしてもよぎってしまうんです。もしもお姉ちゃんがここにいたら祝福してくれるのかって……お姉ちゃんがいたら、私なんか……お姉ちゃんがいないのにサイさんに告白するのはズルなんじゃないかって、どうしても思ってしまうんです……だから、そうするのが正しいんだって。家族を失ったのなら取り戻すのが当たり前だから。当たり前のことはしなきゃいけないから……私は……私は……!」

「本当にノアはいい子だね」

「…………!」


 そうなのです。 

 私は、いい子なのです。

 皆から褒められる、いい子でありたいのです。

 家族がさらわれて助けにも行かない————それが本当にいい子なのでしょうか?

 周りがどんなに『助けにいくな』と言ったとしても助けに行く。それが本当のいい子なんじゃないでしょうか?


「そうだよ。お姉ちゃん。私は、みんなから褒められたい……認められたいんだよ……!」

「…………うん」


 これから私は醜くなります。

 醜い感情を、夢の中の姉に吐露します。

 それを彼女は理解してくれているのか、それともこの『私の夢の中』という空間が私に都合よくできているからなのか、ただ優しい顔で頷いてくれます。


「私はお姉ちゃんと違って何もない。だけど、それをコンプレックスにして何かをやろうなんて勇気もない。だから、人から何か言われないように。お姉ちゃんの妹であることを誇りに持ってそれが自分だって思えるように。大人しくいい子でいるように。そう居られたら言凪ノアとして生きて行っていいんだって。居場所があってもいいんだって、周りに思ってもらえると思っていた。いい子でいることこそが私の個性で、アイデンティティだったんだよ」

「うん」

「だから、私は『いい子』としてお姉ちゃんを助けに行かないといけない……そうでないと私は私でいられないから……『いい妹』だったら、姉が攫われたら何をおいても助けに行かないといけないから……それだけで……」

「うん」

「私は、私は……周りからそう思われたいだけで、何も考えていなかった……お姉ちゃんを助けたからなんだっていうの……恋敵を助けて……何だっていうの……」

「そうだね」

「もう、帰ってもいいかな? 諦めちゃってもいいかな?」


 目が覚めたら、辛い現実が待っています。

 どうせ、お姉ちゃんを助けられないし、それどころか私をズタズタに引き裂くようなそんな辛い試練が待っています。

 今からでも空中都市に、新カマクラ市に何が何でも帰ってしまった方がいいのかもしれません。


「諦めてもいい、と思うよ」

「あ————」


 人にそうやって言葉にされると、なぜか反発したくなります。

 ダメだ、違う———って。

 ですが、そのポップアップする気持ちはそれ以上強く輝かせることはできず、「諦めて楽になれ」という堕落の気持ちがすぐに塗りつぶして、ずんっと肩を沈めさせます。

 私は「ハァ」とため息を吐いて、


「そうだね。お姉ちゃん。諦めた方がいいよね」

「だけど、それを決めるのはノア自身だよ」

「え?」

「諦めるのも、諦めないのもノアが決めなきゃ。ノアしか決められないよ」

「じゃあ……諦めます。諦めて家に、帰ります……」


 私の心は完全に折れていました。


「そう。だけど、心残りのある諦め方をしちゃダメだよ」

「え?」

「例えば、今すぐノアが家に帰ったとして、ワープかなにかを使えて家に帰ることができたとして、もう二度と助けにはいかない。都市の外に出ることなんてこりごりだ、って思って、その後平穏に日常を過ごせるようになったとして。後悔はない? ないのなら。今すぐにでも諦めてもいいと思う」

「……それは」

「だけど、あそこでああすりゃよかったなって思って、枕を抱えて涙を流すようならまだ諦めない方がいいと思う。できることがあるのなら」

「……………」

「今、ノアに必要なのは、諦めきることじゃないかな? 何かに躓いて倒れそうになったら、踏ん張ることが大事なんじゃないかな。踏ん張って踏ん張り切ってそれでもダメで、もう思いつく手もないってなったら、倒れていいんじゃないかな」

「…………」

「人間ってそう上手くはできていないんだよ。だから、何度も失敗する。道も踏み外す。当たり前だけど成功を重ねる道の方が、一度失敗した道よりずっと難しい。でも、きっと積み重ねた成功よりもそのたった一個の失敗の方が価値があるものなんだよ。少なくとも私は綺麗で傷一つない大理石の道よりも、乱暴に何度も何度も踏みつけられた砂利道の方が好きだな」

「あ———、」


 私はふと、美術の教科書で読んだ。古代の芸術品———『ミロのビーナス』と『サモトラケのニケ』を思い出しました。

 ミロのビーナスは美しい裸の女性の彫刻ですが、腕がありません。

 サモトラケのニケは雄大な天使の像ですが、頭がありません。

 長い年月を経たせいで腕と首が破損し、紛失し、どんな形だったかわからなくなってしまったのです。

 それでも、二つの芸術品は高い評価を得ています。

 どんなに綺麗で傷一つない完全な彫刻よりも、今を生きている人々の胸を打ち、心の奥底に残り続けています。


「うん、そうだね。ありがとうお姉ちゃん」


 私、やりきります。

 この衝動は、

 この挑戦は、

 私が『いい子』であろうとしたから、家族を助けなければいけないっていう常識的な義務感から起こした行動だったけど、

 姉に対する後ろめたさから起こした行動だったけど、

 それが間違いだったのなら、最後まで間違え切らなきゃダメだよね。

 間違いだってちゃんとわかるまで。


「まだ———私にはできることが、ある」


 そう言ってお姉ちゃんの顔を見上げたとき、お姉ちゃんは変わらず微笑んでいました。


「うん、ノア。待ってる———」

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