第24話 つかの間の休息

 暗闇の中から笑い声が響きます。

 心底楽しそうな笑い声。

 その声を聴いて、私もおかしくなって笑みがこぼれてしまいます。


「フフ……あなたはいい人なんですね?」

「人?」

「ええ。私実は空中都市にいたんですよ。そこから地上に降りてきて。一人で何でもできると思っていたんですけど、それは思い上がりで。地上の人は全然親切じゃなくて、それどころか怖い人ばっかりで……私、目的があってここに来たんですけど。もう、諦めて家に帰りたくて……」

「空中都市にいたのか?」

「はい……あっ」


 空中都市にいたことは、地球からの移民の子供であることは言ってはいけないことかもしれないと口を慌てて塞ぎます。

 地上の人間は火星黎明期からの開拓民の末裔。火星が居住に適応し始めてから汚染された地球を捨ててこちらに来た、いわゆる地球人と呼ばれるここ百年以内の移民に対して良い顔はしない。

妬みや恨みを持っているものだと誰からか聞きました。

 そんな地上人に対してあまりにも無神経な発言。

 本来隠して置かなければいけない言葉だと思っていましたがキバさんは、


「可哀そうに。攫われてきたのかい?」

「え、あ、はい……」


 私ではなく、ちゃんというと姉が……なのですが。


「空中都市と違って火星の地上は無法地帯だ。誰かが統制しないといけないがその資格を持とうと各国が争っている戦国時代。おかげでガイウスのような俗物に権力を与えてやりたい放題やらせる。そんな世界だ。人さらいに人買い、奴隷も平気でいる。モラルがあるものはそれに反対するが、それよりも人間は最優先事項に自らの欲を置いている者が多い。そんな声は多数の愚か者の声にかき消され、君のような被害者が出る。無情なことだ」

「……あの、キバさんはどうしてここに? キバさんは地上の何処出身なんですか?」


 私と同じように何処からか連れてこられた人なんでしょうか?

 どこかの村や町から連れてこられたのでしょうか?


「第103坑道」

「え?」


 番号に、坑道……。

 予想もしていない地名でした。


「ここと似たような劣悪な環境の坑道だ。そこの作業員の女の人から生まれたらしい。そこでその坑道の看守に作業を教えられて、炭鉱掘りの作業を十五年ずっと続けてきた。三年前にこの大穴ができて、作業員が足りないと言うことで連れてこられた。そんな、つまらない経歴の男だよ」

「…………ッ」


 凄まじい経歴の人でした。

 この人は……この暗闇の中に今いる人は、私が今いるこの空間の中の中に十五年、いや十八年も閉じ込められて過ごしていた人でした。そして、それはいつか解放されるものではなく、このさき二十年、三十年と同じ日々を繰り返し、死んでいく。

 私とは全然違います。

 私は毎日の新カマクラ市での日常をつまらないものだと思っていました。

 変わらない風景に、変わらない朝食。同じような友達と同じような遊びをして日々過ぎていく。

 外に出ようにも、空中都市の外は危ないから出てはいけない。あの新カマクラ市の中だけで一生が終わる普通の人間なんだ。

 自分のことをそう思っていました。

 ですが、彼は次元が違います。

 外に出るとか広い世界を見るとかそういった次元すら考えることすら許されない人間。

 そんな人がこの世にいるんだと知り、愕然となりました。


「あの、キバさん……これ、お返しします」


 私は無性に彼に対して優しくありたいと思うようになりました。


「いい。それは君が使うといい。君は女の子なんだから」

「でも、キバさんも寒いはずです。なら、二人で一つのものを使いましょう?」


 タオルケットを持ってキバさんに近寄っていきます。


「よせ。来るんじゃない。君は僕が怖くないのか?」

「怖くありません。もう、優しい人だって知りましたから」


 キバさんにはあのガイウスのような行為をされないと確信できました。

 彼はあの人とは違う。 

 それにもし、万が一彼が私を油断させるために、今まで嘘の話をしていたとしても。

 近づいたとたんに本性を現して、私にひどいことをしたとしても。

 彼にならそれをされてもいいとさえ、その時の私は思っていたのでした。


「よせ。来るんじゃない。僕は君に姿を見られたくないんだ」

「見られたくない?」

「そう僕の姿は醜いから……」


 キバさんとの距離はもう一メートル弱。

 暗闇の中でもぼんやりと彼の姿が見えてきました。


「————」


 一瞬息を飲みかけました。

 彼の姿は明らかに普通の男の人とはかけ離れていたからです。

 毛深い全身を覆う体毛。突き出た口に端からはみ出る牙。ピンと天井へ向かって伸びる耳に赤く瞳孔の開いた瞳。

 犬の顔でした。

 人間の身体に犬の頭を被せたような、そんな姿をしていました。

 それが———キバさんでした。


「…………ッ!」


 怖い。

 でも、その感情がキバさんに伝わってしまえば、彼をどんなに傷つけるか。

 私は勇気を振り絞って彼の身体にタオルケットをかけて、その隣に座り肩を寄せました。

 暖かい……。


「君、俺が怖くないのか?」

「もう、怖い思いはここにくるまでにしきりましたから」


 見知らぬ男の子に襲われて、ロボットと戦うことになったり、空飛ぶ海賊船に誘拐され、半魚人たちに囲まれて、そこから飛び出てようやく目的を達成できると思ったら、ガイウスという男に裸にされて。

 そんな恐怖に比べたら、犬の男性ミュータントと肩を寄せ合って寝るぐらいわけはありません。


「君は……優しい子なんだな……」

「キバさん程じゃあありません」


 そして、触れているキバさんの肩からふっと力が抜けるのを感じました。私はそれに安心感を覚え、スッと眠りに落ちていきます。

 そのまま、そのまま朝まで、キバさんと寄り添い合って過ごしました。

 外の世界で初めて触れた優しさに胸が満たされます。

 同時に鼻孔の奥に独特の獣臭も、満ちていました……。

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