第16話 火星の地上

 牢獄から出て、真っ白な未来的な通路を船長風の女の人の先導で、後ろにはサングラスの男の子アギがゆらゆらと肩を左右に動かしながらついてきます。

 誰もいない。

 誰ともすれ違わずに通路歩いていくと、光が差し込む場所が見えてきます。


「わっ」


 ぶわっと風が吹いて髪を撫でます。


「そと……」


 雲が浮かぶ空とどこまでも広がる黄土色の大地。

 初めて見た、地上の光景でした。

 埃っぽい。

 少し、焦げ臭いにおいが鼻につきます。


「あ、放射線!」


 バッと口元を抑えます。


「何をしている?」とは海賊帽子の女の人。

「地上は宇宙放射線で汚れた空気が満ちているって。人間が生きて行ける環境じゃないって。学校で習いました。だから、必ずマスクをつけるか、ドームの中にいないと駄目だって教えられたんです! 放射線は人間の体の細胞を壊すから……」

「放射線が細胞を壊すのは時間がかかる。長生きしたいのならすればいい」


 海賊帽子の人は長ジャケットを羽織っていました。その内側から前に膨らんだ山型のマスクを取り出し、私に向けてぽいっと投げます。


「しなくても大丈夫だとは思うがね」と付け加えて、

「そんなことはないです……どんなに火星に長く住んだとしても地球人は火星の気候には適応できないって、本来人間は地球でしか暮らせないのに無理やり火星で暮らそうとするから空中都市のような保護された空間や、地下で暮らすか、マスクが必要だって」


 マスクをつけながらもごもごと話します。

 そんな私を見ながら、海賊帽子の女の人は自嘲気味に笑い、


「生き物というものはそんなに弱いものではないよ。そして人間というものもそこまで愚鈍ではないよ」

「でも……」


 確かに、彼女の言葉には一理ある気がします。

 過去、地球上での話です。

 千年前は地球では原子力発電所が世界各地にあり、長い歴史の中で様々な事故が起き、地球上で放射線が垂れ流しになる〝死の土地〟が生まれていきました。

 事故が起きた原子力発電所の周囲は放射線が満ち溢れ、人が二度と戻ることができない土地と化したと聞きました。

 細胞を破壊してしまう放射線が満ちる死の土地。

 ですがそんな土地でも不思議と鹿や鳥のような生命は暮らし続けたそうです。

 放射線が身を砕いているにも関わらずのびのびと、生き続けたそうです。

 生き物は、もしかたら放射線に適応できるのかもしれません。

 痛みという犠牲を払うことができたのなら……。


「人間が火星に暮らし始めて五百年だ。まあるいゆりかごの中で暮らし続けているから、そんな風に思ってしまう。君たち火星で暮らすホモサピエンスの肉体は既に放射線に適応している。そのことに気が付いていないだけ。と、人間ではない私は思うがね」

「人間じゃない?」


 その問いには海賊帽子の女の人は答えずに、ニッと笑って眼帯をコツコツと叩くだけでした。


「……?」

「雲が晴れる。見えてきた。あれが大滑穴だいかっけつだ」


 足元の雲が波紋が広がるように割れていき、直下の地表の光景を映し出します。


「何ですか……コレ……?」


 それは巨大な穴でした。

 山が5、6個その中にすっぽりと収まってしまうほどの大きな、大きな穴。

 火星という星の表面の一点から、真裏の一点まで貫通して繋いでいるのかと思わせるほど、大きく底が見えない孔でした。


「ここの底にお前の姉ともう一体のゼオンがいる」

「え⁉」

「ここで三年前、楽園を開く儀式があった。古代火星文明の遺跡、ロマリア遺跡の祭壇でゼオンを使い、この火星に生命を、樹木を溢れさせるという儀式を。ゼオンは生命を作り出すことができる。それを期待されてお前の姉、言凪イヴは〝創世の巫女〟として担がれ、そして失敗した。彼女は言凪の人間ではあったが、碑文に記されていた〝創世の巫女〟ではなかったんだ。その資格があるのは妹の方、言凪ノア。お前だったんだ」

「お姉ちゃんは、失敗した……」

「ああ、彼女の乗るゼオンを中心とした物質消滅現象はゆっくりと広がり、この大滑穴を作り出した」

「この下に……お姉ちゃんが」

「本来、お前を回収した後にこの穴に潜ってゼオンもサルベージする予定だった。が、必要なくなった。それは幸運だ。よくよく考えればゼオンは一体だけ何て碑文には書いていない。二体三体といてもおかしくなかった。それが空中都市にあったのは何者かの意図が考えられるが、我々にはそんなことは関係ない。我々はただ、サンドリア王国の依頼を達成し、金を貰って私たちを人間にしてもらう。それだけだ」

「……あの、これから何処へ向かうんですか?」


 あの穴の底に姉がいる。

 ならば私はあの穴に向かわなければいけません。

 そのために空中都市から出てきたのですから。


「あそこには行かないんですか?」

「言っただろう。行く必要がなくなった。私たちはサンドリア王国からの依頼で動いている。楽園を解放し、この火星を完全な命溢れる星にする。そのためにな。いまだに水のない砂漠地帯。激しい放射能で草すらも生えない土地。マグマが溢れる溶岩地帯。この星はまだ人が住むには完全ではなさすぎる。それを完全なものにすることがゼオンにはできる。お前にはできる。言凪ノア」

「できません。そんなこと」


 きっぱりと言います。


「何?」

「私は普通の女子中学生です。そんな期待されても困ります。いままで何も知らずに空中都市でのうのうと暮らしていたんです。そんな私に知らない情報を浴びるように浴び去られても信じられません。創世の巫女っていうのも……なんだか結局よくわからないし……私は、ただ姉に会いに来たんです」


 私は大滑穴と呼ばれる穴をびしりと指さし、


「あそこへ向かってください」

「あ? お前、自分の立場が分かってんのか⁉」


 ガッと後ろに立っていた男の子に肩を掴まれます。

 その手つきがあまりにも乱暴で、指先がマスクの紐に触れて外れてしまいました。

 汚染された空気が鼻から肺へと入ります。

 だけど、気にしません。

 私はキッと海賊帽子の女の人を睨みつけて、


「元々あそこに行く予定はあったんですよね? 姉の乗っているゼオンさんを引き上げる予定だったんですよね? ならその予定を実行してください。私は姉に会いにここまで来たんです」

「ほう……」

「やってくれないのなら、あなたたちの命令には従いません」


 交渉のつもりでした。

 この人たちが私にやって欲しい事。それらは全て抽象的すぎて、具体的には何一つわかっていません。自分にできるとも思っていません。 

 ですが、自分の我を通すために必死に虚勢を張ります。

 そうでもしないとここまで来た甲斐が、勇気を振り絞った甲斐がないと思ったからです。


「てめぇ……もう一回ぶっ刺されててえか!」


 男の子が拳を振り上げ、私は思わずギュッと目をつむりますが、直ぐに彼の荒々しい気配は止みます。 

 恐る恐る目を開けてみると、海賊帽子の女の人が彼を手で制していました。


「お前には楽園へ向かい、解放してもらわなければならない。だから、その要求考慮の余地がある」

「じゃあ……」

「だが、やはり危険だ。あの穴の下のゼオンのサルベージもできるだけしたくはなかったことだった。何故なら危険だからだ。イヴの乗るゼオンは機体の周囲を分解し、徐々に徐々に重力に引かれて火星のコアまで落ちていった。その上をマグマが覆っている。ゼオンをサルベージするには、お前が姉に会うには完全耐熱素材でできているウチのMGマルチギア・レッドミカエルでないと不可能だ。いやレッドミカエルでさえできるかどうかわからない。私としてはできればやりたくないことだったんだよ。だから、やはり無理だ」

「そんな! 今考慮するって……」

「考慮しただろう。無理だ。あの大滑穴の上空を通過したのは、あくまでその予定があったから、そして言凪ノア。お前への説明の必要があったと思ったからだ。ここはもう通過する」


 私たちを乗せた空飛ぶ海賊船はそのまま風を切って地上に空いた大穴の上を通り過ぎていきます。


「あっ……!」


 このままでは、やっぱり……いけません!


「わかりました。そっちがその気なら、こっちにも考えがあります!」


 私は胸に手を当てます。


「ばっ、何をする気だ!」とは男の子の動揺する声。


 何するのか? そんなのわかりきっています。


「ここまで運んでくれてありがとうございました! ここから先は私一人で行きます!」

海賊帽子の女の人は私の心を見透かしているようで、ジッと私を見つめ続けていました。

「……ッ!」


 あの時、この男の子に襲われた時、彼女は私の声に、意志に反応してきてくれた。

 あの巨人は————、


「ゼオン!」


 名を呼びました。


「………………あ?」


 ですが、何も起きませんでした。


「そんな……っ」

「ハッ! ビビらせやがって、まだゼオンは使いこなせていないようだな!」

「…………」


 険しく目を細める海賊帽子の女の人を背景に男の子が私に向かって手を伸ばしてきます。


「いいから独房に戻れ! サンドリア王国首都につくまでしばらく大人しくしておけ話し相手ぐらいにはなってやるからよぉ!」

「いや!」


 私を捕まえようとする手をすり抜けます。


「何が嫌、だ! ここは空の上、海賊船ヴァンガード号の中だ! お前に何ができるんだよ?」

「ゼオンさんがダメなら、ここにある飛行機をお借りします! 私はあなたたちに必要なんでしょう⁉ ならちょっとぐらい借りるのは許してください!」


 ぺこりと頭を下げて、私は当てもなく甲板の上を走りました。

 ここから艦橋が見えます。

 戦闘機やロボットが入るとしたらあそこだろうと目星をつけて私は急ぎました。


「おい! そっちはやべえぞ! お前には刺激が!」

「いや、見せてやろう。世間知らずのお嬢ちゃんに現実をわからせてやろう」


 そう、後ろで男の子と海賊帽子の女の人が会話しているのが耳に届きました。

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