第14話 姉と別れた日

 回想—————。


 三年前の私がまだユイハマ小学校に居た時のことです。


「学校に行くよ。ノア」


 短く切りそろえたヘアースタイルとモデルのように細い体が特徴的な、カッコイイ女の人。それが私のお姉ちゃん、言凪イヴでした。


「え~……今日は休みたい……お腹痛い……」


 私はわざとらしくお腹をさすりながらもランドセルを背負います。


「ほら、そんなこと言っていないで一緒に行ってあげるから」


 そう言いながらお姉ちゃんは手を伸ばします。

 私はお姉ちゃんの手を握るのが好きでした。

 カッコ良くて、美人で、頭も良くて、運動もできる。そんな自慢の姉に触れる権利が妹の私にはあるのだと、それだけで周りの人よりも優れているような気分になっていました。


「……も~、しょうがないなぁ」


 口では不満を。ですけど、顔には隠しきれない笑みを。

 私はお姉ちゃんの手を取って学校への道を歩き始めました。


 ▼   ▼   ▼


「おはよう、イヴ」

「おはよう、イヴちゃん!」

「おはよう! 今日も美人だね、イヴちゃん!」


 学校までの道のり、お姉ちゃんの高校と私の小学校がある方角には昔ながらの商店街がありました。そこでは昔ながらの店を経営している気のいいおじさんおばさんがいて、お姉ちゃんを見ると笑って声をかけてきます。


「おはよう! 田中のおじさん、工藤のおばちゃん! 今日も桜が綺麗だね!」


 話しかけてきた一人、クドウ文具を経営している工藤さんは歩道に落ちた桜の花びらを掃いている最中でした。


「もうすぐ散るけれどもね」

「そうだね。もうすぐ手伝いに行くよ」

「待ってるよ。あら、ノアちゃん。おはよう」

「…………おはようございます」


 お姉ちゃんは知らない人とも気軽に話しかけられますが、人見知りの私にはそれは難しい事でした。

 工藤さんに話しかけられても、私はお姉ちゃんの陰に隠れてしまいます。

 そんな自分が私は嫌いでした。

 だけどお姉ちゃんは慰めるようにポンポンと私の背中を叩きます。


「も~しょうがないなぁ、ノアは」

「……私はお姉ちゃんと違うんです」


 いつも姉の陰に隠れる私。情けない私。

 でも、その時の私は姉の視線と心を独り占めできるのでした。

 それは、嬉しい事でもありました。


「あ」


 そんな温かさを噛みしめていた時でした。

 姉が何かに気が付いたように顔を上げます。


「サイ!」


 駆け出します。

 その先にいたのは———、


「あ、イヴ。おはよう」


 柔らかな微笑みを称えた澄花サイさんです。


「おはよう! 今日もなんだか眠そうね」

「そうかな? 今朝は結構早く起きたんだけど」

「寝ぐせ。ついてるよ」

「え?」


 お姉ちゃんはサイさんの頭にポンポンと手を乗せて、はねているのかいないのかよくわからない側頭部当たりの髪の毛を押さえます。

 そうやって触れられているサイさんの顔はどこか安心しているように心地よさげで、お姉ちゃんの目はキラキラと輝いていました。

 そんな二人を見るのは、イヤでした。


「あぁ、ノアちゃん〝も〟。おはよう」


 サイさんがついでのように私に挨拶をします。


「……おはようございます」


 何だか嫌な気持ちになり、私はついとそっぽを向いて二人の横を通り過ぎていきます。


「ちょ、ノア。何その態度。何怒ってんのよ」


 お姉ちゃんがへらへらと笑いながら私の肩を掴んで引きとめようとしますが私はその手を振り払い、


「お姉ちゃんなんか嫌い!」


 心にもないことをいって、二人から逃げるように走り去ってしまいました。


「どうしたの?」

「さぁ?」


 わずかに困惑気味のお姉ちゃんとサイさんの声が背中越しに聞こえます。

 私のことなんか、なにもわかっていない二人の声が。

 どうしてなんでしょう。

 どうして私はこんなにもお姉ちゃんが大好きで、大嫌いなんでしょう。

 それは今思えばわかります。

 私はお姉ちゃんが大好きで、サイさんも大好きだったからです。

 私は、この時にいった言葉を後悔します。

 何故ならこれが、お姉ちゃん言った最後の言葉になったからです。


 ▼   ▼   ▼


 お姉ちゃんがいなくなってから一年がたったある日。

 警察からお姉ちゃんは地上に攫われてしまったんだろうと言われて何か月かたった頃。

 私はお父さんとお母さんに呼ばれて一階に降りて行きました。


「何ですか……?」


 この頃の私は引きこもりがちで、いつも部屋の中で布団にくるまってゲームをしていました。ネットゲームをして、優しいお姉ちゃんのようなキャラクターを演じながら言凪ノアという人間を知らない人と話すことが、壊れそうな心の唯一の拠り所となっていたのです。

 そんな不健康な毎日を送る私はやせ細り、顔色も悪く、いつも猫背でした。 

 リビングのテーブルに座るお父さんお母さんの対面に、二人の顔を見ずに不機嫌そうな表情を張り付けて座ります。


「ノア。お姉ちゃんのことはもう忘れなさい」

「……は?」

「イヴは死んだのよ」


 お父さんとお母さんの突然の残酷な言葉に私の頭は真っ白になります。


「な、何を言っているんですか⁉ お父さん、お母さん、お姉ちゃんはさらわれただけでまだ生きているんですよ! 地上に降りて探しに行けば!」

「そんなこと誰ができるというんだ」


 静かですが、はっきりとした父の言葉に私は身を竦ませてしまいます。


「空中都市に住んでいる我々には縁遠い世界だが、地上では常に人々が争い合っている。格差社会。人種問題。食糧危機。そういった問題が山積みなんだ。我々空中都市に住んでいる人間は火星のテラフォーミングが済んでから地球から移り住んだいわば貴族。まだ火星が赤色の星だったころ。人間が住むにふさわしくない環境だったころから半ば追い出されるようにして火星に住み着いた開拓民の末裔である地上人とは価値観が違う。彼らは野蛮だ。彼らは長く苦しい時代の中で心を病み、未だに争い合っている。一部の知恵者とは話ができ、彼らと交渉して我々都市民は火星石油を受け取り、反重力ジェネレータを動かす動力とすることができるが、多くは人を人とも思っていない獣のような人間だ。そんな人間たちの中にイヴは放り込まれてしまったのだ。残念だけど、この世にはいないと思った方がいい」

「そんな……残酷すぎます! そんな考え方! お姉ちゃんは、カッコよくて頭が良くていつもクラスの中心になるような人なんですよ……! そんな中でも地上の人たちと仲良くやっていて、私たち家族が助けに来るのを待っているかもしれないじゃないですか!」

「馬鹿みたいな幻想を持つのはやめなさい!」


 バンッ!


 お母さんが机を叩きました。

 私は、お母さんが声を荒げたところも、何かを叩くところも初めて見ました。

こんなに怒りの感情をあらわにする母を前にするのは初めてで、私の心はビクビクと委縮してしまいます。


「現実って言うのはそんなに甘くないの、辛いの、厳しいの。イヴが、あの子がどんなに優秀でも、地上何て地獄に連れて行かれた日には……もう、あの子は………ウゥ……ウゥ……」


 泣き出してしまいます。

 そんなお母さんをお父さんは優しく肩を抱きます。


「でも、でも……」

「失ったものにすがるのはやめなさい」

「失ったって……」

「イヴはもう死んだんだ。そう思うことにしよう。そう思わないと、私たちだって引きずられてしまう。地上と言う地獄に……」

「でも、でも……!」

「地上に行って帰って来た者なんて一人もいない。だからこそ、我々都市民はこの空中都市と地球でしか暮らせない。暮らさない。それで充分なんだ」

「…………」


 私は何を言っても無駄だと悟りました。


「言凪の墓石にイヴの名前を刻む。お前もあの子のことを思うのなら、お墓の前で手を合わせなさい。そして、天国で安らかにいるように祈りなさい」

「……はい」


 私は、ここでは普通に生きよう。 

 普通の振りをして生きて行こうと、そう決めました。

 私には、ただの子供である私にはどうすることもできないと思ったからです。

 話しは終わりました。

 私は立ち上がり、お母さんを慰めるお父さんを置いてリビングを出て二階へと向かいます。


「地上の人間なんて、皆死んでしまえばいいのに……!」


 涙ながらのお母さんの声を背中越しに聞きながら私は階段を上がっていきました。

 いつか、地上に降りようと心の奥底で決意をしながら。

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