第8話 名をよんで……

「俺の名前はアギ・レンブラント。海賊だ」


 男の子はサングラスを外すと、その下にある金色の瞳が晒されます。


「かい……ぞく……」


 その目は何処かどう猛な肉食獣を連想させて、私に恐怖の感情を抱かせました。その怯えが全身を伝い、肩を丸まらせて両手を胸の前に持って行って無意識に体を守る体制を取ります。


「ああ。俺達はお前を攫いにきた悪党だよ。言凪ノア。創世の巫女さんよぉ」


 男の子は歯をむき出しにする怖い笑顔を見せつけます。


「そうせいの……みこ……ってなんなんです? さっきも言われましたけど、私そんなんじゃありません。私普通の女の子なんです!」

「さっき?」

「はい! 鏡の中のお姉ちゃんに!」


 私は教室の後ろにある大鏡を指さします。


「鏡の中? 何言ってんだお前?」

「し、信じられないでしょうけど、そこにお姉ちゃんがいたんです! そのお姉ちゃんが私のことを創世の巫女って呼んで手を伸ばしてきて……」

「お前、本当に何言ってんだ? 頭大丈夫か?」

「私も信じられませんけど……火星歴451年にもなって、そんなオカルトありえないってことはわかっているんですけど、でも見たんです!」


 私は必死に主張しますが、男の子は訝し気に眉を潜めるだけです。

 そして、言います。


「だから———何言ってんだって、鏡なんてねぇじゃねぇか」

「え————」


 教室の後ろ――—そこには何もありませんでした。

 あるのはただ、壁と棚と掃除用具入れだけ。

 私は自分が指を指している方向に、何もないことにようやく気が付きます。


「そんな……確かに……あ」


 私の手の中に何かが握られていました。

 それは私の携帯。

 鏡の中に吸い込まれていたはずの私のスマートスティックです。


「何が……起きて……」

「始まりだよ」

「え?」

「お前がこの世界を、この星を変えるんだ。創世の巫女、言凪ノア」


 男の子が手を伸ばしてきます。


「俺と一緒に来い。共に地上に降りて楽園へ向かい、ゼオンを使って世界を変えるんだ」

「………………」


 ラクエン……ゼオン……。


「?????」


「………何だその顔は? 全然わかっていない顔だな」

「わかりませんよ! そんな、専門用語……ですか? そんなことをいきなり言われてもちんぷんかんぷんで……何度も言いますけど、私普通の女の子で!」

「お前は普通の人間なんかじゃない」

「え————?」


 ドオン! 窓の外でまた爆発が起きました。

 今度は結構近く、街の中で起きたようで男の子の後ろで爆炎が吹き上がりました。


「キャ……ッ!」

「迎えはすぐそこまで来ている。いいから俺と共に来い、言凪ノア。ゼオンが待っている」

「ゼオンって誰ですか⁉」

「人じゃねぇ。お前のからだだ」

「意味がわかりません! お断りします!」

「何っ⁉」

「さっきからあなたは何を言っているんですか⁉ 爆発も起きていて、異常事態で……こんなの生きていて初めてで……!」


 再びドオンという爆発音が聴こえました。

 遠くの空を見ると何か飛行機のような物が海へ向かって飛んでいきます。

 それが私には戦闘機のように見えました。


「戦争……?」

「戦争なもんか、本当の戦争はこんなもんじゃねぇ。襲撃を受けているだけだ。俺達が襲っている。お前を攫うためにな」

「襲……撃……攫う、私を……?」


 段々と頭の中で男の子が言っていることが整理されていき、やがてそれはとんでもない結論として頭の中にポンと落ちます。


「これ全部……私のせい……?」

「そうだ。お前をこの都市から連れ出すために全部俺たちが仕組んだことだ」

「どうしてそんなことを……」

「理由は簡単だ。この空中都市と違って火星の地表は危機に瀕している。それをお前に救って欲しいのさ。俺達は」

「私に……そんな力あるわけがありません」

「あるんだよ。創世の巫女。原初の生命。火星のイヴであるお前にはな」

「イヴ……⁉」


 男の子はたまたま、何の意図もなくその言葉を発したのかもしれません。 

 ですが、その音は私には運命的に聞こえました。


「私には世界を救う力があるんですか?」

「ああ」

「それは、お姉ちゃんを……見つけられる力ですか?」

「あ?」


 私が抱いた疑念は妄想です。

 だけど、男の子がその言葉を出したことに運命的な何かを感じていました。


「私のお姉ちゃん、言凪イヴは三年前に地上の人たちに攫われたんです! 私はお姉ちゃんをずっと探しに行きたかったんです! あなたは、あなたたちはそれができるんですか?」

「それは知らん。が、全てはお前次第だ」


 男の子の後ろの窓の風景が、突如として揺らめきました。

 まるで蜃気楼のように景色が歪み、やがてその揺らめきの中から実体をもったあるものが現出します。

 それは巨大な人型ロボットでした。

 旧校舎ほどの背丈を持つ巨人。頭からすっぽりとマントを被っていて、どんな姿かたちをしているのかはっきりとはわかりませんが、その下にあるものは鉄の機械で出来たものだということはわかります。だって、私に向けて伸ばす掌が金属の鉄板と大きな関節ジョイントがつけられた機械の手でしたから。


「あれは……?」

「アレに乗るんだ。言凪ノア。俺のMGマルチギア、トワイライトプット。時間がねぇ、これ以上被害を増やしたくないだろ? のんびりしていると街にもっと被害が出る」

「街に、被害が……」


 私のせいで……。

 そんなことを思っていると、男の子は旧校舎の廊下側の窓を開けます。

 外の空気がばあっと教室の中に入り、少し焼け焦げたような匂いが鼻につきます。


「さあ———早く来い、言凪ノア」


 そして私に向かって伸ばされるその手に、吸い込まれるように手を伸ばし……。


 ———ダメだよ、ノア。自分で考えないと。


「————ッ!」


 頭の中で声が響きました。


「どうした? 早く来い」

「……………」


 私の中で何かが警告します。

 この先に行ってはダメだって。

 この男の子の誘いに乗ってはダメだって。


「やっぱりイヤ……です」

「あ?」

「私は地上に攫われたお姉ちゃんを探しに行きたい。お父さんとお母さんがもう忘れなさいって言い聞かせるようになったお姉ちゃんを探しに行きたい。家族を取り戻したい! だけど……こんなのやっぱり間違っています」

「あ? お前、この状況わかって言ってんのか?」

「わかっていってます。確かに私はこの空中都市から出て、火星の地上に行きたいけれども、やりかたってものがあります。ついていく人っていうものがあります。こんな無理やり騒ぎを起こして、人を誘拐しようとしている人についていくなんてことできません……! やっぱり知らない人についていくなんて、できないことです!」


 私は男の子を睨みつけて、きっぱりと断ります。

 ですが、やはりというかなんというかその言葉は男の子の琴線に触れたようで引くりと目の下が引きつります。


「そうか。悪いがかなりテンプレなことを言わせてもらうぞ。創作物で何度も聞いたような典型的なセリフだが許して欲しい。なんせ俺は悪党だからな」


 男の子がサングラスのふちを指でくいっと持ち上げ、雰囲気を邪悪なものへと変えます。


「〝こっちが下手に出てりゃあつけあがりやがって〟」


 静かなトーンでその言葉が発された後、男の子の声に呼応するように巨大ロボットの手から何かが伸びます。


「え————⁉」 


 私の身体はその何かに一瞬で捕らわれてしまいます。


「なにこ……ひっ、ひぎっ、モゴッ⁉」


 それは触手です。

 細長い何十本ものゴムで表面を覆われたホースのような機械の触手。それが蛇のように私の身体を這いまわり、からめとり、空中に固定してしまいます。


「……も、うっ、あぅ……!」


 何をするんですか⁉ と男に抗議をしたいのですがままなりません。

 触手の一本は私の口の中に入り込み、更に深く、深くへ突き進もうとのたうちます。

 あまりの異物感、圧迫感に吐き出したいという衝動に駆られていても、ものすごい力で侵入されます。


「……ぅあ、モゴッ⁉」


 それだけにはとどまりません。

 触手は私の胸の上を這いまわり、膨らんでいる部分を囲うようにして旋回すると、ぐぐつっと締め付けてきます。


「———ぃ⁉」

「悪いがそのまま眠ってもらうぞ。安心しろ。身体に後遺症がないように薬を処方するだけだ。そのままトワイライトの処置に身をまかせろ。次に起きた時には俺たちの元にいる」


 男の子の声が聞こえますが、それどころではありません。

 私は全身を犯されていました。

 乳房をつままれ、締め付けられ、先端に血液がいきわたったところで、そこにむかって針状のものが当てられます。


「むが――—⁉」


 注射器です。

 私の血がいきわたって硬くなった左の胸の先に向かって、触手の方も先端を細く細くとがった注射針に姿を変えて、それを突き刺そうと接近します。


「—————————ッ‼」


 ちくり……。

 入られた。入れられてしまいました。

 痛みはありませんでしたが、体の中に異物が入ったという壮絶な嫌悪感が指の先まで支配します。

 暴れたい。

 今すぐ大暴れして……この拘束から抜け出したい……。

 だけど、できない……。

 頭がだんだんと……ボーっとしてきました。

 ま……すい……麻酔でしょうか……。

 あの男の子は私を攫おうとしています……そして処置すると言っていました。

 ということはこのまま麻酔で眠らされて……。


「もがが……うぅ……」


 触手で滅茶苦茶に拘束されて何がなんだかわからないまま、知らない土地へ連れて行かれてしまうんでしょうか……。

 目から涙が零れ落ちそうになりました。

 その時です———。


 ————ノア‼ このままでいいの⁉ ノア⁉


 誰……やっぱりお姉ちゃん……?


 ———このまま流されるままでいいの⁉ 人に運命をゆだねていいの⁉ これはあなたのことでしょう⁉ あなたの命でしょう⁉


 でも……どうしようも……ない……それにこのままでも、私はお姉ちゃんに会いに行くことができる。できる……かもしれない……。


 ————人に全てをゆだねたままで本当に自分の望みが叶えられると思っているの? それにもしもそれで叶えられたとして、それであなたは満足なの? 人から与えられた施しで、あなたは満足できるの?


 どういう……意味……?


 ———あなたはあなた、世界はあなた自身が作らないと。


 私が、作る?


 ———そう、名を呼んで。私はあなた、あなたは私。本当のあなたの思いが、本当のあなたの力となって———世界を創世する! 今こそ始まりの時!


 あなたの……名前は?


 ———私の名前は、


 ぜ……おん……。


 ぽーん、と音が鳴り響きました。

 ハ長調ラの音。

 世界の始まりの音————。

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