第8話 手切れ金
「この大金は受け取れない」
俺は茶封筒を落合に返した。
「受け取れない? どうして?」
「簡単な話だ。僕は君と付き合うつもりがないからだ」
「これだけの誠意を見せてもダメってことか。確かに小高くんにとってメリットがないよね。でも安心して。私と交際することで大きなメリットがあるよ」
「どういうことだ?」
「私、意外とお金持ちなんだよね」
「漫画喫茶の店員として働いているのに?」
「正確に言うと私じゃなくて私の親がね。とある企業の社長でね。お金の心配はさせないよ。婿養子として親の会社に貢献してもらうことになるけど、悪い話じゃない。将来は取締役になれるよ。良い話でしょ?」
「落合さんがお金持ちの家の子だと言うことはよく分かったよ。そのお金も親からもらったものか」
「えぇ、そうよ。もっとほしいなら親に掛け合ってみるけど」
「必要ないよ。僕は付き合う気はない」
「メリットが少ないから?」
「僕はメリットとかデメリットとかで人と付き合うことはない」
「そうかな? 交際とか結婚って相手にとってメリットがあるかじゃない? 小高くんは普通のサラリーマンだよね? しかもサボリーマン。いつクビを切られるか分からないなら私と交際した方が将来安心じゃない?」
「メリット言うけどさ、落合さんにとって僕と付き合うメリットってなに? 俺は平凡で才能があるわけじゃない。それこそメリットがないと思うけど」
「メリットか。それならあるよ。小高くんと付き合うことで私は失敗した自分を改めて再スタートを切ることができる。それに色々寄り道はしたけど、やっぱりあの時の思いはいつまでたっても忘れない。私の宝物だったんだよ。それは損得では表せないくらい大切な思い出」
落合の気持ちは乗っていた。真実は分からないけど、今でも僕のことが忘れられないと言うのは本当なのかもしれない。
「ごめん。君の気持ちには応えられない」
僕の気持ちもまた変わらない。
時間が経ち過ぎた。今となって再スタートを切ろうなんてやはり出来ない。
「そう。その選択は後悔しない?」
「しないよ」
そう言うと落合は茶封筒を僕の方にスライドさせた。
「分かった。じゃ、これは契約としてではなくて迷惑料として受け取ってくれるかな?」
「迷惑料?」
「私が小高くんを精神的に傷つけてしまった迷惑料。それなら受け取ってくれるよね?」
迷惑料。僕は茶封筒を凝視する。
確かに精神的な苦痛を与えられたのは間違いない。だからと言ってこの大金を簡単に受け取ってしまうのも如何なものだろうか。
だが、貰えるものは受け取りたいのが正直なところ。
変なプライドが邪魔をして受け取るに受け取れない。
「どうしたの? 欲しいならスッと受け取ってよ。別に恥ずかしいことじゃないよ。付き合えたらラッキーとは思っていたけど、どのみちそのお金は小高くんに渡すつもりで持ってきたの。だから受け取って。これまでの迷惑をこれでチャラにしてほしいだけだから」
「どうしてそこまで……?」
「私、知らないところで恨まれていると思うとなんか嫌なんだよね。だからササッとしまって下さいな」
しまうどころか触れることすらできない僕を見た落合は僕のポケットに無理やり茶封筒をねじ込んだ。
「これで嫌な気持ちはチャラってことで。もしチャンス作ってくれるならまた会わない?」
「悪いけど、俺の気持ちは変わらないよ」
「はぁ、小高くんは頑固だね。分かった。じゃ、もういいや。この話は無し。帰るね。もう二度と会うことはないかもしれないけど、再会できて嬉しかった。またね。小高くん」
落合は席を立ち、そのまま店を後にした。
僕のポケットには大金が詰め込まれたままだ。おまけに会計はされていない。
ジッと考え込んだ僕はハッとなり、急いで落合を追っていた。
「落合! 落合!」
既に彼女の姿はどこにもない。
「なんだったんだよ。一体……」
落合の行動の意図が全く分からない。
どうして寄りを戻そうとした? どうして手切れ金として大金を渡した?
そしてどうして素直に身を引いた? メリットデメリットって何だ?
全ては謎のままで落合の姿を見失った。
落合の言葉を否定することしか頭になかった僕は落合の意図を汲み取れなった。彼女は何か隠している。それが何だったのか。既に時遅し。
「どうするんだよ。この大金」
僕は茶封筒を握りしめて闘志を燃やした。
きっとこの金を素直に受け取ったらダメになる。
「この金は絶対に返すからな。落合」
僕はそう決心したのである。
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