第2話 第一の殺人事件
「このナイフはいつ、どこで、誰の血を吸ったのだろう?」
と考えてしまう。
見てしまうと、今度は無意識に身体が震えだして、
「このまま、時間が経てば経つほど、情緒を保つことができない」
と感じることであろう。
手足が震えてくるのを感じた。
自分が今、どういう立場にいるのかということを考えると、本当に震えが止まらなくなる。
これから警察への連絡。警察からの事情聴取。ここまでは間違いない。
そして、
「限りなく間違いない」
ということとして、
「重要参考人」
になることに間違いはないが、犯人が別に捕まらない限りは、自分が、そのまま、
「重要容疑者」
として、取り調べを受けるだろう。
もちろん、
「このナイフが誰の血をどこで吸い、その人がどうなったのか?」
ということに決まってくるのだろうが、少なくとも、これだけの血が滲んでいるのだから、相当に大変なことになっているということは想像がつく。
しかも、問題は、
「その人物が、すでにどうなったのかということを警察が掴んでいるか?」
ということである。
ひょっとすると、まだ事件は明るみに出ていることではないかも知れない。
あるいは、どこかで誰かが行方不明になっていて、捜索願が出ているところなのかも知れない。
あるいは、実際に殺されていて、後はその凶器を警察が探しているということなのかも知れない。
とにかく、凶器と思われるものが、誰が放り込んだのか、自分の集合ポストにいれられていた。
もちろん、放り込んだのは犯人だという可能性が、限りなく高い。
そうなると、
「なぜ、犯人がこの自分のところに放り込んだというのか?」
ということであるが、
「犯人は、自分の知り合いで、何か自分に恨みのようなものがあるか何かして、自分と関係のある人なのか?」
ということになれば、
「このナイフは自分を陥れようという意図があってのことになるだろう」
と言える。
しかし、まったく関係のない人が、自分のポストに放り込んだ」
ということになるのだろうが、すると、犯行現場はどこかこのすぐ近くということになるだろう。
とはいえ、このまま、放っておくわけにはいかない。
少なくとも、
「警察に連絡しなければ」
ということは当たり前のことで、この場をなるべく離れず、110番するしかなかった。
刑事はほどなくやってきて、その凶器を見て、
「これだけの出血だったら、絶命していてもおかしくないな」
という刑事同士の話が聞えてきた。
第一発見者が、そう感じても無理もないことで、
「とにかく、鑑識に回すしかないだろうな」
というと、鑑識に凶器と思しき血染めのナイフは委ねられることになったのだ。
「ところで、この集合ポストを開けた時、初めて気づいたというのだね?」
と口調は柔らかかったが、その目には疑いがこもっているように思えてならなかった。
「ええ、そうです。ただ、扉を開ける前から何か湿気のようなものを感じたので、何か円だとは思ったんですけど」
というと、刑事の目はまたしても、怪訝そうになった。
「そんな個人の感想なんかいらないんだよ」
と言わんばかりのようで、
「さすが、警察というのは、人を疑うことが商売なんだな」
と思い知らされたのだった。
「あなたは、この部屋番号からすうと、305号室ということですね?」
と聞かれたので、
「ええ、そうです」
と答えると、
「あなたの隣人とかはどんな方なんですか?」
と聞かれたので、
「両隣とも、今は空室になっています。たぶんですが、今は半分くらいが空室なんじゃないですかね?」
というので、
「どうしてですか?」
と刑事が聴くと、
「ちょうど、引っ越しシーズンということもあり、引っ越して言った人も結構いるようですし、元々、そんなに入居で最初から埋まっていたというわけえはないんですよ」
と彼がいうと。
「そうだったんですね? 立地はいいはずなのに、家賃が高いんですかね?」
と刑事に聞かれたが、
「そこまで高いとは私は思っていませんでした。どちらかというと、便利がよすぎるのが逆に少ない理由ではないかと思ってですね」
というと、
「ほう、それはまたどうして?」
と刑事が聴く。
「これは私一人の意見ですが、あまりにも駅に近いので、コンビニやスーパーが近くにないんですよ。ご存じの通り、最寄りの駅からは反対側になるので、賑やかな表に比べて裏は、昔からのマンションが多いので、スーパーなどの喧騒としたものがないという閑静なところなんですよ。かくいう私もそういうところがよかったので、ここに決めたというわけなんですけどね」
と発見者は言った。
「なるほど、確かに、コンビニとかがありそうな雰囲気じゃないな。でも、こういうところであれば、入居者がもっといてもいいと思うですけどね」
と刑事がいうと、
「最近は車の人も多いですから、仕方ないですよ、駐車場も、土地の価格に比例して高くなるので。車を主に使っているひとには、向いていないですよ」
というのだった。
「なるほど、ということは、間違ってあなたのところに凶器を入れたというのも考えにくいですね」
と刑事がいうと。
「そうかも知れません。でもそれだと、まるで何かの犯罪を私に擦り付けようとしているように思えてならないですね」
というと、今度は刑事が、
「待ってました」
とばかりに、
「あなたは、自分に罪を擦り付けようとしている人間に、心当たりがあるんですか?」
と言われ、
「墓穴を掘ってしまった」
と感じたが、後の祭りだった。
「お前が絡んでいることに間違いはないな」
ということで、刑事は睨みを利かせた。
「あっ、まずかったか?」
と思ったが、刑事の目はごまかせなかったのだ。
しかし、それは、彼の被害妄想だったようで、そおことに言及されることはなかった。
「ところで、あなたは、一体どういう人なんですか?」
と刑事に聞かれた。
刑事も部屋だけは、集合ポストの部屋番で分かったはずだが、名前はさすがに分かるはずもない、
昔ならいざ知らず、今であれば、
「個人情報の観点」
から、誰も郵便受けのところに名前を書いている人はいない。手慣れた郵便配達員であれば、別にいいのだろうが、年賀状配達のアルバイトなどであれば、
「こんな厄介なことはない」
と思うに違いないだろう。
実際に、脇坂も今から15年くらい前であるが、アルバイトで年賀状配達をした。その頃には、個人情報の話もそろそろ厳しくなってきた頃であったので、本当に郵便受けに名前が書いてあるなど、普通なら、ありえないと思うような時代だった。
しかも、それからしばらくしてのことだったのだが、年賀状配達をしていて、
「年賀状をどこかに捨てた」
ということで、問題になったアルバイト員がいた。
結局罪に問われたのだが、結果どうなったのかまでは知らなかったが、少し気になるところではあった。
といっても、高校時代のその時は、
「どうせアルバイトだから」
という意識しかなく、それだけに、
「意識はしても、その後のことなど、意識はなかった」
というのも、
「無理に意識しないようにしていたのかも知れない」
と感じた。
というのも、
「俺だって、何度捨ててしまおうと思ったか」
と後から思えば感じたことか。
確かに、そんなやつか、結構いた。郵便局の食堂で、皆愚痴をこぼすように、
「ありゃあ一体どういうことなんだよ、配達員に対する嫌がらせか? そりゃあ、いつもの配達員だったら、間違えることもないだろうけど、俺たちバイトにとっては、表札やネームプレートが命のようなものなんだから、その命がないって、どういうことなんだって感じだよな」
といっていた。
「そりゃあ、そうさ。だけどお前はどうしてないか分かって言っているのか?」
と一人が聞くと、
「いいや、理由が分からないから、悔しいんじゃないか」
と、怒りに任せて言っているだけだったので、皆思わず、ずっこけた様子になっていたのだが、それでも、
「あれは、個人情報保護の観点からだよ。お前だって、個人情報保護法くらい分かるだろう?」
と言われた彼は。
「バカにするんじゃない。それくらいは分かっているさ。だからと言って、悔しいじゃないか」
と言っているのは、
「分かって言っている」
ということである。
ある意味、確信犯ということであるが、それ以上に、彼の感覚としては、あくまでも、
「自分中心主義だ」
ということであろう。
「個人中心主義であっても、それでもいいんじゃないか?」
と思っていたので、
「どちらの言い分も分かる気がするな」
と感じたのだ。
ただ、愚痴をこぼしているやつも、本当は、
「こんことを言っていても、どうなるものでもない」
ということは分かっていることだろう。
分かっていても、どうしてもそうなるのは、性格的に、ある意味での、
「完全好悪なのかも知れない」
と思っていた。
彼も、方向性は違うようだが、どちらかというと、同じ、
「勧善懲悪」
ということもあり、同調するところはあったのだ。
愚痴をこぼしているやつは、理屈では分かっていても、どうしても、個人情報保護というものに納得がいかない。
というのも、あの法律が後ろ向きのものだからだ。
なぜかというと、
「個人情報というものを悪用しようとするやつがいるから、こんな法律を作らなければならなかったわけだ」
ということだからである。
そんな悪がいなければ、こんなことにはならない。
いわゆる、
「詐欺」
ということなのだろうが、
「この詐欺という犯罪は、いくら警察や当局がその対策を考えたとしても、相手も、もっと卑劣で巧妙な手口を考えてくる」
つまりは、
「いたちごっこ」
になるということだ。
しかも、巧妙になってくるにしたがって卑劣になるということは、犯人側が、
「卑劣を先に考えれば、それが巧妙につながる」
ということを分かっていることで、さらに卑劣な犯罪を考えているということになるのかも知れない。
それは、実に憤りを感じさせることであり、特に、
「勧善懲悪」
をモットーに考えている人間にとって、この詐欺の手口や考え方は、
「完全に敵である」
ということでの、お互いに、
「宣戦布告をした」
と思ってもいいかも知れない。
特に宣戦布告だというのは、こっちの勝手な思い込みであるが、その思いを、
「警察が受け継いでくれている」
と思えば、少しは留飲も下がるというものだが、実際にそんなこともないようだ。
「警察というところほど、横の連携ができていないところはない。あくまでも、縄張り意識を持っていて、しかも、縦割り社会。さらには、いかにも公務員というような、指示がなければ動けないというそんな集団なんだ」
と言われても仕方がないだろう。
というのも、
「警察は何かが起こらなければ動かない」
とよく言われる。
知り合いの人が行方不明になった時もそうだった。結果として、最悪の結果を見ずに見つかったからよかったものの、
「もう少し遅れていたら、自殺をするところだった」
ということだったようだ。
「警察というところは、本当に何もしてくれていないよ。捜索願を出したんだけど、まったく探そうとしてくれていなかったようで、こっちが見つかったことを報告に行っても、事務的に、それはよかったですねって言われただけさ。後で人に聞くと、警察は、捜索願を出しても、普通は動かないらしい。何かの事件に関わっているとか、自殺をしようと遺書を残しているとかいうことでないと、まったく探そうともしてくれないらしい。暇なくせに、そんな暇はないというだけなんだよ」
と家族の人は、吐き捨てるように言った。
「だから、もう警察なんか信用しない。信用すれば裏切られるというのは、警察のためにある言葉なんだろうな」
というと、もう一人がいうには、
「それは、自治体の相談員なんかでもそのようですね。特に最近いろいろ言われている、DVだったり、親による、児童虐待だったりというのが、問題になっているけど、いつも、何かあった後にいろいろ言われているじゃないですか。学校側や警察からは、児童相談所の方に、忠告しているのに、相談員が動いてくれないなんてのも、最近はよくあるから、結局、犯罪が起こってから、相談員が何もしなかったということが言われるようになったんですよね」
というと、
「確かにそうですね。でも、相談員に捜査権があるわけではないので、疑わしいというだけで、子供を保護するわけにもいかない。親の方も巧妙に、そして陰湿なことをするようになったことと、自動相談員が何もできないと思うことで、被害者を助けることなどできないということが分かってきたんだろうな」
ということを言われるようになったのだ。
そんなことを考えていると、世の中の、
「理不尽さ」
が分かってきた。
しかも、それは、
「守ることを仕事としている人たち」
が、
「動こうといない」
あるいは、
「動くことができない」
という世の中だから仕方がないということでいいのだろうか?
少なくとも、警察は動くことができるはずだ。
捜査権もあり、機動力もある。本来なら、全国に広がっているネットワークを使えば、行方不明者の捜索くらいはできて当たり前だろう。
それをしないということは、
「怠慢」
と言われても仕方のないことであり、どうして、
「その怠慢体質ができてしまったのか?」
と考えると、その上である、
「政府がそれに輪をかけて、グダグダなのだから、しょうがない」
ということであろうか。
そもそも、政府は、警察よりもたちが悪い。
露骨に与野党の争いなどを見せられると、
「国会なんて、本当に茶番だな」
としか思えないではないか。
「臨時国会の開催だって開く開かないは、結局与党の都合、本来開かなければいけない応対でも開かなかったり、別に今開く必要もない時に開いたり、国民の目から見ておかしく見えることがあれば、それは皆、自分たちの津道でしかないんだ」
ということなのだろう。
しかも、その、
「自分たちの目で見ておかしい」
ということだらけではないか?
一つとして、理屈の通ることはない。しかし、それも、政治家の都合という面から見れば、まったく理屈に合っているのだ。
つまり、政府や政治家というのは、
「見ている目線がまったく違う」
というのが、
「政府は何を考えているのか分からない」
ということの現れであろう。
それを考えると、
「国家というものを信じられない」
というのも、当たり前というもので、その、
「手先」
ともいえる。警察や自動相談員などが、いい加減なことをして、結局自分たちが責められるという、
「自業自得」
なことをしても、結局、
「失ったものが戻ってくるわけはない」
ということになるのである。
それを思うと、
「今の世の中何を信じればいいというのか?」
という中で起こったのが、
「アルバイト員による、郵便物を捨ててしまった」
という事件であった。
昔にもあったが、次第に減ってはいたのだが、今の場合は、
「郵便受けに名前がないので分からない」
というのが理由だったようだ。
しかも、その人は中途半端に頭のいい人で、
「これを理由にしておけば、世間が少しは味方になってくれる」
と思ったようだ、
しかし、それを理由にするのであれば、電光石火でそれを認めさせるのであれば、何とかなるのだろうが、ちょっとでも、ダラダラすると、皆が我に返ってしまって、言い訳が通じなくなるということで、難しいことになってしまうのではないだろうか。
それを思うと、
「中途半端な犯罪ほど、厄介なものはない」
と言えるだろう。
中途半端な場合は、どこかにひずみが出てきて、厄介なことになるのだろうが、そのひずみはどこに出るのかが分からないようだ。
というのも、本人は、まわりが、
「表札がないのなら仕方がない」
と思ってくれるだろうと思って計画しているつもりが、確かに最初の方は、
「確かにその通りだ」
と一定数の人が納得してくれるということを表に出してくれるから。集団意識のある人が味方になってくれると、かなりの味方になることだろう。
しかし、それが時間が経ってくると、必ず。
「待てよ。なんか、理屈が違うんじゃないか?」
ということになると、
「そんなの言い訳であって、そんなことを理由付けているだけじゃあ、しょうがないんじゃないか?」
と言われるのではないだろうか?
それを思うと、
「やっぱり、郵便物を捨てるようなやつに同情なんかできない」
という人が出てくる。
それが、今度は、
「勧善懲悪」
というモットーがハッキリした人の登場で、最初の、ただの同意だけの人が、
「勢いだけだった」
ということに気づいてしまうと、一定数の勧善懲悪の人間が強くなるに違いない。
それを考えると、勧善懲悪の人間が、強くなってくると、逆らえなくなる。すると、
「悪いのは、捨てた人間」
ということで凝り固まってくるのだ。
しかし。今度は逆に、そういう個人情報が悪いという発想も、
「勧善懲悪から来ている」
と言えるのではないだろうか。
そもそも、詐欺であったり、情報を不正に使うという犯罪者と言ってもいいような人間がいるから、こんなことになるのではないか。
それを思うと、
「やつらは撲滅しないとダメだ」
という勧善懲悪から、個人情報保護を名目に、自分たちを過剰防衛しようとしていて、それをしかも、自分の隠れ蓑として利用しようという輩がいるということを考えると、
「そもそもの、この体制を根本的に変えなければいけない」
という風に考えている人が出てくることは当たり前のことではないだろうか?
そう考えると、今度は、
「どっちに転ぶか分からない」
という意味での、まるで、
「諸刃の剣」
といってもいいのではないだろうか?
ただ、そうなった時、どちらにも動けるようにしておくべきで、できていないのであれば、動くべきではない。
と言えるのではないだろうか?
だから、この時の実際にこの少年がどのような判決になったのか、想像がつかない。
「有罪のはずだが、無罪であってほしいと思う自分が、本当に勧善懲悪なのか?」
と思うのは、いかなるものかと思うのだった。
そんなことを冠が敢えていたが、
「脇坂さん、とりあえず、警察まで御同行願いましょうか?」
と言われ、
「ここでじたばたしても仕方がない」
ということで、
「御同行しますが、一度部屋まで行ってきていいですか?」
といって、警察を伴う形で、自分の部屋の305室まで、刑事を伴って帰ることになった。
「まさかこんなことになるとは」
と思いながら、脇坂は、部屋に帰っていったことだろう。
エレベーターで3階までやってくると、もう、完全に真っ暗になっていた。先ほどまでは、夕方だと思っていたのに、日が暮れて真っ暗になっていたのだった。
エレベーターが開くと、ちょうど、正面からが、通路になっていて、脇坂の部屋まで、4部屋。もちろん、マンションなので、304号室というのはなく、303号室の次が305号室になっていた。目指すその部屋は、この通路の広さから言って、
「ちょうど半分くらいなんだろうな」
とついてきた刑事は分かっているようで、それこそ。
「刑事の勘」
ということであろうか。
急いでいるわけではない。ただ、刑事の方も、この事件を自分なりに考えていたのだった。
「これは不思議な事件だよな」
というのが、まず第一印象であった。
「普通であれば、何か死体であったり、重症の人間が見つかって、そこで、これは事件だということになるのだろうが、まず、凶器と思しきものが見つかるという事件。今までにまったくなかったわけではないが、何か、こうなってしまったのが、偶然なのか、犯人の意図したことなのかということが問題だよな」
ということを考えた。
しかし、一番最初にしなければいけないのは、
「この凶器についている血糊が、どこの誰を殺傷させたものなのか、そして、その被害者と思しき人物画どこにいるというのか?」
ということが先決である。
何といっても、
「死体や被害者が見つからなければ、警察は動きようがない。確かに血糊のナイフが見つかったということだけでも、由々しきことなのだろうが、それだけでは、事件とも事故とも判断できず、捜査本部も、どうすればいいのか分からない」
ということになるような気がしていた。
前にも、同じような事件があった時は、
「たまたま、先に死体が見つかった」
というだけで、死体発見が遅れたことに、犯人の意図するものはなかったようだ。担当刑事は、
「今回もそうなのかも知れないな」
と思った、
というのも、今回の血染めのナイフが見つかったという、脇坂という男が、警察に電話をしてくるタイミングも、話をしていての挙動であったり、受け答えも、ソワソワしている様子はなく、怪しいと思うところはなかった。
当然のことながら、刑事という職業は、どうしても、
「相手を疑う」
という職業だ。
まだ事件なのか事故なのかが分からないという状態であるが、それでも、刑事は絶えず、最悪のことを考えて見ているからである。
今回のこの状態を、
「事件」
だと思うかどうか、
これを、
「事件とは言いにくいかな?」
と刑事は、そちらの方に気持ちが傾いているのは、この脇坂という男の様子が落ち着いているからであった。
ただ、
「血染めのナイフ」
が自分の集合ポストから見つかったということで、警察に通報してきた相手とすれば、
「落ち着きすぎている」
というのも、言えることであった。
本来なら、もう少し慌てていてもいいのに、この落ち着きは、
「まるで最初から、血染めのナイフが見つかることが分かっていたかのようだ」
という思いがあるはずだ。
そうなると、こんなにも落ち着いているというのもおかしいというもので、疑おうと思えば、十分に疑うことができる。
しかし、人によっては、驚きは一瞬だけのもので、後は落ち着いているという人だっているだろう。だから、一概に態度だけで判断するのは難しいというものだ。
刑事というものは、とにかく人を疑って、新犯人を見つけ出そうとするはずである。だから、当然、
「すべての人間を疑ってみる」
ということにだってなるはずである。
しかし、そこまで考えないのは、普段から、自分の、
「刑事としての目を、養っているからであろう」
ということであった。
いくら、
「すべての人間を疑え」
と言って、疑っていたとしても、必ず、どこかで、犯人を絞り出し、一人に定めて、そこから、真相を掴むということをしなければいけないわけだ。
「刑事という仕事は、犯人を裁くという仕事ではない。それは、検事に任せるものであり、我々は、真実を見つけ出すのが、商売なんだ」
と日ごろから思っていることであった。
そのためには、
「自分なりの推理を立てたり、それを、捜査会議にもたらされた証拠や、捜査によって得た事実関係から、会議の中で話し合ううちに、真実に少しでも近づこうとして、その捜査方針も決まっていくのだ。しかも、その捜査方針は、よほどの裏付けがない限り、他のことをすることは許されない。管理官であっても、捜査本部の決定に逆らうということは許されない。そういう意味で、警察の捜査というのは、それだけ重要なことだといえるのではないか?」
と刑事は考えていた。
この刑事は、K警察署の刑事課でも、ベテラン刑事と言ってもいい人で、今まで何度もいろいろな事件を解決に導いてきたということで、K県警でも、一目置かれている、
「桜井」
という刑事であった。
最近では、相棒として、
「迫田刑事」
という若手の刑事がついている。
ここしばらくは、この二人のコンビが事件解決に一役を買っていて、
「安定のコンビ」
と言われているようだった。
今日も二人は一緒に行動していて、迫田刑事の方は、ナイフを鑑識に回したり、鑑識に付近の捜査をしてもらうために、集合ポストのところにいたのだった。
迫田刑事は勘がいい刑事で、最初に、
「おや?」
と感じたのが第一発見者が、腕に包帯を巻いていることだった。バンテージのようにも見えるが、明らかに包帯でしかないというのが、迫田の見え方で、そのことが引っかかるようになっていたのだった。
桜井刑事だけが、上に上がってきて、脇坂に従っていた。今のところ、何ともいえない事件の進行に、迫田刑事の方は、苛立ちを隠せないようだったが、桜井刑事はさすがベテラン、余計な意識はしていないようだった。
「刑事さん、ちょっと待っていてください」
と言って、脇坂が、部屋に入ると、桜井刑事は、何の気なしに、この階の通路を見渡していたが、
「おや?」
と、ちょっと隣の部屋の扉が開いているのが見えた。
先ほどまで、つまり、脇坂が部屋に姿を消すまでは、まったく開いていないかった部屋の扉が半開きになっているのだった。
「ひょっとして、自分たちが上がってきたことで、隣の住民が何か気になって覗いたのかな?」
と思ったが、それおおかしなことだった。
その人が、これがm殺人事件であるということが分かったのであれば、怪しむのあ分かる。
しかし、警察は覆面パトカーで来ていて、そんな、事件であるかのような大げさなことをしているわけではないではないか、
それなのに、上の階の人が気にすることなどないというもの、
「とすると、血染めのナイフが見つかったということを、最初から分かっていたということなのかな?」
と、刑事の勘が、それを教えた。
桜井刑事は、305号室に入っていった脇坂のことよりも、その先の部屋である、306号室の方が気になって仕方がなかったのだ。
そこで、脇坂が出てくるのを待っている間、306号室に近づいた。
いくら警察とはいえ、覗き行為になるようなことはしてはいけない。それなりに、ちゃんと気を遣うようにして、ゆっくりと近づき、隣の部屋を覗き込んだ。
扉は半開き状態になっていて、中を覗き込んでも、半分くらいしか見えないであろう。
そう思って、扉から中を見ると。どうも、人の気配が感じられない。それどころか、部屋の中には家具が一切ない、
「空き家」
だということが分かったのだ。
「ここは、空き室なのか?」
と思って、さらに大胆に覗き込んだ。
もちろん、刑事としての意識から、手袋は嵌めているので、指紋の付着は気にすることはなかった。
「誰もいないのか?」
と思わず声を掛けたが、もちろん、声がするわけもなかった。
そんなことをしていると、
「お待たせしました」
と言って、305号室から、脇坂がおもむろに出てきたのだが、脇坂はそこにいるはずの刑事がいないことを不審に思うと、まわりをキョロキョロしていると、隣の306号室の扉が開いていることに気づいたのか、
「桜井刑事?」
と言って声をかけるように、306号室んい近づいた。
すると、そこでは、桜井刑事が、中腰で中を覗き込んでいるのが分かったので、もう一度、
「桜井刑事?」
と声をかけると、桜井刑事も、脇坂の存在に気づいて、そしてその彼が部屋に入ってきそうになっているのに気が付いて、一言、
「余計なところには、触らないでください」
と声を掛けたのだった。
少し強めにかけた声だったが、叱るというわけでもなく、促すという程度だったので、却って余計に脇坂には緊張が走ったのだ。
このあたりの声掛けも、
「さすが刑事」
ということで、桜井刑事ならではだったに違いない。
「脇坂さん。この部屋は、空き室なんですか?」
と言われ、
「ええ、そうだと思います。この間までは、確かに誰かが住んでいたと思っていたんですが、最近では急に静かになりました」
というのを聴いて、
「最近のマンションというのは、近所づきあいというのは、まったくであり、却って近所を気にするのは、個人情報もあるので、関係を気まずくすることになるんだろうな」
ということを理解しているつもりだったので、脇坂の証言にたいして、何ら不思議な気持ちを持たなかった桜井刑事だった。
それよりも、
「それはいつからですか?」
という方が気になり。
「2週間ほどくらい前ですかね?」
と、ある程度確定的な答えがすぐに返ってきたことが、桜井刑事の中では、少し気持ち悪い気がしたのだった。
「2週間というと、つい最近ですね?」
と桜井刑事が言ったが、ある意味2週間というのは、微妙な時期でもあった。
最近というものの境界線でもあるようで、そういう意味では、2週間というのは、
「曖昧な時に答えるには、ちょうどいいくらいなのではないだろうか?」
と感じたのだった。
桜井刑事は、ゆっくりと部屋の中を、注意深く物色している。その様子は、
「何があるか分からない」
という感覚と、
「誰が飛び出してくるか分からない」
という感覚で物色をしている。
「脇坂さん、あなたはなるべく触らないように」
と注意を促している。
手袋をしていない脇坂に対しては、当然の注意であり、危険を考えると、少々きつめの注意喚起も、当然のことであった。
ただ、このゆっくりは、
「何か証拠になるものを見逃さない」
という思いが強いからであろうか。この何もない部屋への意識は以上にも感じられた。
「ここまでしなくても」
と思うほどなので、この注意の仕方は裏を返せば、
「何かが落ちているに違いない」
ということであり、完全に、事件だと思っていることの証拠ではあるまいか。
そう思えてくると、二人の間の緊張感は、沸騰してきた。
脇坂も、本当であれば、部屋の外にいればいいのだろうが、それができないのは、
「彼も一人でいるのが怖いからだろう」
と、桜井刑事が感じたからであって、脇坂を部屋から出そうとはしなかったのは、そういうことだったのだ。
桜井刑事は、一通り部屋を巡っていたが、今度は、サニタR―の入ってみた。洗濯機を置く場所に、何もないと広く感じられるもので、真っ暗になった風呂場を懐中電灯をつけてみると、そこには、何か物体があって、それが圧迫感を感じさせているのが分かったのだった。
桜井刑事は、その物体を照らすと、水が入っていない浴槽に、一人の男性がまるで、窮屈そうに折れ曲がって入っているではないか。
吐きそうな血の臭いと、当たりの悪臭がいまさらのように漂ってきた、やはり、そこにあるのが死体だということは、疑うまでもなくなったのであった。
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