第26話 純粋な子のにおいがあった。


 あくるんとの読み合わせの日々は、一週間程度続いた。

 

 だいたい文庫本一冊を読み終えるのに、2、3日かかった。目の前に置かれている机には読了した5冊の文庫本が平積みされている。

 太宰の著書はその多くが短編集になっているから、一冊のボリュームも厚くないのが特徴だ。だから、ふたりでもあまり飽きることなく、すらすらと読み合える。


 また、読み合わせている最中、声を生業なりわいとしているあくるんは、いわゆるプロ意識を感じさせる口調でほとんど噛まなかった。

 けど一方で俺は、何度もつまずいては苦戦を強いられた。崇高する作品とはいえ、心の中で読むのと実際に声に出すのとでは、けっこう違ってくるんですよ。あとね。推しが前にいたら、単純に口が回らなくなる。そのせい。ご理解いただけます?


「もうかれこれ一週間かぁ」


 あくるんが、んーっと天井に向かって思いっきり伸びをしながら言った。


「だね」

 俺はカレンダーを見ながら答える。


「早かったような、あっという間だったような」


「いや、それ、どっちも一緒」


「おっ。いいツッコミ。田島君も私の冗談に次第についていけるようになってるね。いやぁ、感心感心。見た目もすっかり、ことだし」


 読み合わせ以外にも俺たちは、この期間を通じて服装を変えた。仮想現実ではどんな服を選ぶのも自由。買う必要がないから実質タダなのである。『こんな感じの服が着たい』と頭の中でイメージを浮かべれば、仮想現実内に極めて高度なシステムが作動し、自動的に服が切り替わってくれる。素晴らしい技術。


 で、俺はどんな服を選んだかというと——やっぱりここも、太宰に畏敬の念を込めて黒を基調とした着物にした。おかげですっかり大正浪漫さながらの気分だ。

 着物を着ている太宰の写真をしょっちゅう見ていたから、ちょっと憧れめいたものがなかったといえば嘘になる。あと、自分でもわりと気に入っていたりする。


「そっちも似合ってるよ」


「そう?実はちょっとまだ体に馴染んでない感じはするけどね」


 俺と同様に、あくるんも太宰が生きていた当時の文化に興味があったのか、着物を選択していた。白と水色のコントラストが特徴的なデザインで、落ち着いた雰囲気を感じさせてくれる。


「いつもはステージ上で、ピンクとか黄色の、目立つ系の服が多いからさ。だから仮想現実ではこういう、シックなやつにしようってあらかじめ決めてたの」


 言いながらあくるんはその場で、体を反転させて一回転してみせる。ひらりと裾がなびいた。


 どこぞの貴族のご令嬢ですかっての。


 あくるんの表情がそこにはあった。

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