番外編

終わりの後の物語

 美食が出てくると楽しみにしていた、王宮のパーティーというものは予想以上に面倒くさいものだった。

 王への謁見以来、数日ぶりに袖を通す王宮魔法使いの正装を纏い、お偉方からの興味のない賞賛にひたすら頷き、すっかりくたびれた。

 視界の端で主張している輝かんばかりの食事には手を伸ばせず、久々に話せると思っていた研究所の仲間たちとは距離があり、近づくことすらできやしない。

 人の波が引けた一瞬をつき、ニルレンは右手を軽く握った。


「これでよし、と」


 魔法の制限がされている空間だが、彼女には関係はなかった。

 周りから自分が注視されなくなったのを確認した後、ニルレンは小走りでテーブルに近づき、皿を手に取った。


「肉! 高い肉!」


 この空間に入ったその瞬間から、あの大きな肉の塊が切り分けられているのがずっとずっと気になっていた。ステーキには、見ただけで甘さを感じる脂が赤身の間に差し込まれている。


「沢山食べる!」


 一人いくつまでと決まっているのかもしれない。しかし、会話ばかりで食べていない人は見受けられるし、何よりも自分はこの世界を救った。その功績を鑑みるに、少しくらいのズルは許されるはずだ。

 何枚かの皿をまとめて手に取り、離れようとした時、慣れた気配がこちらにやってきた。


「すまんな。やっと動けるようになった」

「ほんと、感謝してよねー」


 先ほど、ニルレンだけでなく、トリオにも姿が気が付かれなくなる魔法をかけた。

 離れた場所で綺麗な女性と話していたことが主な理由だが、幸いなことにトリオには好評なようだった。

 焼きもちを妬かれていたことに気づく様子のない彼は、現実離れした美貌とは実に似合わない表情でおっとりとのんきに微笑んでいる。


「ありがとう。他に食べたいもんはあるんか? 取ってくるわ」

「肉とケーキ!」

「分かった。好きそうなの持ってくるから、そこで待っちょってくれ」


 ニルレンは、その厚意をありがたく受け取ることにした。


 広間からそのまま出ることが出来る庭園にはひと気は全く無いようだった。


「社交パーティーだと、ここで話し込んでるもんもおるんじゃけどな。今日は祝勝会じゃしな、しばらくは来んかもな」


 旅に出る前、いわゆる騎士団の仕事とは縁のない部署に所属していたトリオだったが、年に何回か警備の手伝いに駆り出されると言っていた気はする。

 ニルレンとは違い、土地勘は多少はあるらしい。


「まだ魔法解いてないから、来ても見咎められないわよ」

「そうか。じゃあ、しばらく二人で楽しむか」


 広間に入る前は高い位置にいた日はすっかり落ち、外は暗い。涼しい風が自身の周りを駆け抜ける心地よさを感じる。

 庭園の端に並んだベンチに料理を挟んで腰掛け、拝借したワインをグラスに入れた。


「じゃあ、始めるか。祝勝会」

「うん! カンパーイ!」


 二人でグラスを打ち合わせた。

 飲み慣れないワインの味に首を捻らせていると、トリオがジュースの瓶を渡してきた。


「こっちにするか?」

「やだ。大人だもん、わたし。ワイン飲む」


 ぷいと反対を向くと、トリオは苦笑している。何となく気恥ずかしくなり、ニルレンは別のことを話題にする。


「タマとベンも来れたら良かったのに。一緒にお祝いしたい」

「残念じゃよな。でも、研究所で面倒見てもらっとるんじゃろ?」

「うん。寮母さんが見てくれているわよ。お金渡しておいたから、おいしいもの食べさせてくれると思う」


 旅の仲間だと主張はしたが、王宮の広間は動物が禁止と言われ、泣く泣く二人だけで参加した。宿屋では何でか問題にされなかったので、想定外ではあった。

 しょうがないため、騎士団よりは融通がきく、ニルレンの古巣の研究所に頼ることにした。


「まあ、そういうたら、アイラもここまで来るべきじゃろ。あいつ、気が付いたらのうなって」

「アイラはちょっと忙しそうだったものね」


 彼女がいなくなった理由は知っているが、それをいうことができないニルレンは、曖昧に返すことにした。トリオにはそれは不服だったらしい。


「じゃからって、何でワシには言わんのじゃ。あいつ、ワシの扱いいつも軽すぎんかったか?」

「気のせいじゃない? またいつか会えるわよ」


 それしか言えず、ニルレンは空いたトリオのグラスにワインを注いだ。

 二人っきりになったのは案外久しぶりだ。タマとベンが仲間になってからはどちらかが面倒を見ていたし、ここ一年はアイラも一緒だった。

 騒々しく暑苦しい屋内から、この庭園に連れ出してくれた相手をニルレンは見つめた。

 彼はいつでも手を差し伸べてくれる。何も知らなかった自分の心をすくい上げて、世界を教えてくれた。今の自分の全てを作ってくれた。

 そんな彼は海鮮のトマト煮を口に入れている。好みの味だったらしい。食べ物と料理には多少うるさい、甘い顔立ちの持ち主は、まったりと幸せそうな表情とは不釣り合いに実に見目麗しく輝いている。

 さらりとした薄い色の金髪は、風にそよぐ。

 騎士団の正装らしい、いつもよりも煌びやかな衣装を身につけている彼は、物語で出てくるような現実離れした美貌をさらには増していたが、髪の色についてはいつもと変わらないものだった。

 出会った時から、ずっと彼に恋をしている。初めてあった時の淡々とした態度も、今の柔らかい表情も、とにかく全てが愛しくて仕方がない。

 わたしは、この人を失いたくない。

 その一心で決めたことがある。やるべきことがある。

 そのためには、一度研究室に戻ろう。そこで研究を進めた方が効率的なはずだ。ニルレンはそう考えていた。

 だから、持ってきた料理を食べ終え、トリオが「これからのことについて考えていて」と言い出した時も、そう返そうと思っていた。

 しかし、彼の次の言葉で頬を膨らませることになる。


「旅が終わったら、もうこれで、ニルレンと一緒におる理由ものうなったじゃろ」

「何よそれ。旅する前だって、わたしたち、予定がなければいつも会ってたじゃない。何で前と同じようにはダメなのよ」


 旅に出る前、情報部として遠方に調査に出かけていることも多いトリオだったため、ワシスにいる時は、ニルレンは出来る限り会うようにしていた。

 大体、勉強はちゃんとしているか、友達はできたか、仕事はつらくないか、体調は大丈夫かと確認され、おやつと本を買ってもらって解散だったが。


「そりゃあ、昔ここに連れてきた時と違うて、ニルレンも今は大人の女性じゃし」


 ニルレンは口を尖らせ、じろりとトリオを睨む。


「都合の良いこと言わないでよ。ずーっと、わたしのこと子供扱いしてた!」


 成人になってからニルレンはもう大人だと主張しても、トリオはいつも困ったような表情をしていた。トリオは、もっと幼い見た目で「永遠の十六歳」と主張するアイラのことはさほど子供扱いしていなかったというのに。


「そういうところじゃろ」

「やっぱり子供扱いじゃない」


 ふてくされるニルレンに対し、トリオは息を一つ吐いた。


「……悪い。ただの人間が、勇者をどうこうするなんて、おこがましいじゃろ。よう分からんくて、態度を変えられんかった」


 本当は勇者だったはずの男はそう言いながら、頬をかく。

 ニルレンは強く言う。


「わたし、ずっと変わらないもん。理由なく一緒にいたっていいじゃない」

「周りはそうは思わんじゃろ。勇者様」

「だって、わたし、トリオと一緒にいたいもん」


 下を向いて吐き捨てた。

 こういうことを言っても、どうせ今回も苦笑され、幼子のようにあしらわれるだろう。しょうがない。勝負は全てが終わった後だ。そう思って前を見たが、相手の表情と続く言葉は予想とは全く違っていた。


「ワシもじゃ」


 こちらにまっすぐに届く予想外の言葉に、ニルレンは目をぱちくりとさせた。

 トリオはニルレンの手を取った。

 その体温で、ニルレンは、近頃気になっていたことを思い出した。

 いつの頃からか、トリオはこちらに触れなくなってきた。危険な旅をしていたこともあり、全くというわけではないが、緊急時の触れざるを得ないような場面以外で彼の手の感触を感じた記憶がついぞない。

 出会った頃は、故郷や仲間を失って泣くニルレンの頭を撫でたり、甘えようとするニルレンの背中を軽く叩いて宥めていたのに。

 ニルレンが求めるものではなく、幼子に対しての優しい年長の人間としての態度であるのは分かっていたが、それでもそれは非常に心地良いものだったのだ。

 そんな、久しぶりのその手の温かさでも楽しもうかと思っていたが、トリオには続く言葉があった。


「ニルレンと一緒におらんのはワシが耐えられなさそうなんじゃ。じゃから、理由がなくても一緒におりたいと思っていて……」

「……どういうこと?」


 いつもと様子の違うトリオを、訝しげな表情でニルレンは見つめた。

 明かりはついていても、屋内よりは薄暗いこの場所でみるトリオのきめ細かい肌は、よくよく見ると染まっていた。大き目の緑色の瞳も潤んでいるような気がする。

 六年も一緒にいるためすっかり見慣れたけど、やっぱりこの人、尋常じゃないくらいきれいな顔だ。

 そう思った。

 しかし。


「つまり……」


 その次に続いた言葉は実に想定外なもので、ニルレンは口をぽかんと開けてしまった。

 その反応に彼の瞳が不安げに瞬いて言い直す。その意味がすとんと入ってきたので抱きつき、力強く頷いた。それを拒まなかった相手のふうと息を吐く音が、耳元でする。

 そうして抱きしめられ、出会った時からずっと恋をしていた相手が耳元で囁いた問いについては、目を閉じて顔を上げることで応えた。


 え、何これ。めちゃくちゃ幸せ


 ずっと夢見ていた舞台に、今自分が立っている。

 今まで人よりも苦労をしてきた気がする人生だったが、そんなものが消え去るくらい、全身が幸せに包まれ、ニルレンはトリオに伝えようと思っていた今後の予定を、消し去ることに決めた。


☆☆☆


ニルレンは恋する若い女の子なので、マチルダよりはだいぶキャピってます。


今更ですが、ニルレンの名前はアーサー王の魔法使いMerlinの逆さ読みです。

厶は何かゴロが悪いからンにしました。


後編もあります。

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