6.(7)

 ふと、胸の中を何か冷たいものが通った気がした。僕はあいてる左手で胸元を押さえた。俯いたので、背中は余計に丸くなる。


 恐ろしい。

 聞こえるはずもないけど、頭の奥で誰かの悲鳴を聞いたような気がした。おじいさんからとても強くて怖いものが滲み出ているような。


 何なんだこれは。


 僕は顔を上げ、このおじいさんを見つめた。額からぬるい汗がつたう。

 穏やかな笑顔だ。アリアと違って全く胡散臭くもない。

 この人自体は悪そうでもなく、優しそうに見える。失礼しちゃいけない気がする。僕はひとまず頷くことにした。


「は、はい。楽しいです」

「それは良かった」


 それから、おじいさんは上から下まで、値踏みするように僕を見た。何だか自分でも分からない部分まで見破られそうな不思議な視線だ。僕は先ほど冷えた背中の後ろがむず痒くなるような気がした。

 おじいさんは何回か軽く頷く。


「ふむ、これはこれは珍しい」

「あ、あの……」


 気付いてくれないのか、返す気がないのか。僕の声に反応しないおじいさんの目が、僕の胸元辺りで止まった。そこにあるのは、アリアがくれた小さな革袋。一回中を見たことはあるんだけど、丸薬みたいなのがいくつか入っているだけだった。


 おじいさんはゆっくりと頷く。


「なるほど。そういうことか。道理で」

「えっと、その……?」


 何がそういうことなのかさっぱり分からない僕は、困っておじいさんを見た。おじいさんはにこにこと笑っている。気配は怖いけど、表情については本当に優しそうだ。

 どうすればいいんだ?

 弱った僕が唾を飲み込んでいると、向かってくる足音がした。彼女は立ち止まる前から、文句を言った。


「ユウー。みんなこっちに動いたんだから、君もいっしょに来てよ。まったく、付き合い悪いな」

「あ、ゴメン。アリア」


 咄嗟に謝ったけど、アリアからの返事がない。不信に思って、アリアの視線を辿ってみると、そこにはおじいさん。

 アリアは大きく目を見開いていた。おじいさんはアリアに微笑んだ。


「お久し振りですね」

「アルバート!」


 彼女は満面の笑みで、アルバートと呼ばれたおじいさんにかけよった。 


「おお、やはりお連れの方でしたか」

「そうなんだ! ユウだよ!」


 いつにもなく、何となく甘えるような幼い口調でアリアは僕を指し示した。言われた僕は軽く頭を下げる。


「祭、やっぱり雰囲気がいいね。アルバートが楽しんでと言う理由が分かったよ」

「そうでしょう? 今後、この村の重要な観光資源にしたいと思っているので、どんどん力を入れていきますよ」

「いいと思う! あと、これ良くない? この衣装」


 アリアは袖口を持ってぴょんぴょん跳ねた。ふわふわした何層もの生地が宙に舞う。アルバートさんは頷く。


「ええ、とてもお似合いですよ」

「やった!」


 アリアは喜んだ後、僕を見た。


「ユウ、来いといった端から大変申し訳ないんだけど、ここでちょっとだけ待っててくれないかな」

「へ?」


 思わず聞き返すと、アリアは静かに言う。


「私はこの人と話がある。大丈夫だいじょうぶ。すぐに戻るから」


 有無を言わさず、アリアはアルバートさんと奥へ行った。

 ふわふわのピンクが遠ざかる様子に少し考えたけど、僕は彼女を追わないことにした。


 アリアは捻くれた話し方をする割に、何だかんだ反応は素直だと思う。少なくとも僕にはその表情は結構分かりやすく思える。

 そんなアリアの表情からは、アルバートさんが害を与えるような存在には決して思えなかった。僕は二人が去っていた後を見てから、今度は舞台へと視線を動かした。


 どうやらマグス役らしい人が出てきた。大きな帽子を被って、びかびかと光る真っ黒なローブという恰好は、かなり悪趣味で、魔王らしいのかというと、よく分からないけど、演技はこの人が一番上手い気もする。

 この劇の重要ポイントらしく曲も激しいものへと変わっていた。


 ニルレン、トリオルース対マグスの対決は、しばらく激しく続いていた。観客もかなり興奮している。


 それから、マグス役はまさに悪という高笑いをしながら、杖を振り上げた。耳に深い効果音が響く。僕は思わず息を飲み込んだ。効果音の後、トリオルース役の人が倒れた。ニルレン役を庇っていたらしい。


「と、トリオルース!」

「ニルレン……。お、俺のかわりに……マグスを倒してく……」


 あ、死んだのか。

 ニルレン役は激しく泣く。いや、本当には泣いてないけど、演技的に。


 たちまち悲しそうな曲。周りを見渡すと泣いている人が多い。ハヅの人は毎年見ているんじゃないのかな。お約束じゃないのかな。

 やがて、ニルレン役は立ち上がった。


「マグス。もう許しません。私の魔法を受けてみなさい!」


 ニルレン役は杖を振りかざした。勇ましい曲に変わる。

 すると、時間の関係からか、その後のマグス役はあっけなかった。苦しそうに両手で顔を包む。がくりと膝の力を抜く。


「くそ……、こんな小娘に……」

「小娘とは失礼ね。私はニルレン。あなたを倒すために神様から力を受け継いだ大魔法使いニルレンです!」


 舞台の上からキラキラとした紙ふぶきが振ってきた。割れんばかりの拍手と歓声が辺りを埋め尽くす。


 何て安心感に優れている舞台なんだ。


 見ると、舞台の上にたくさんのおひねりがばらまかれていた。マグス役とトリオルース役、それに村人役やナレーションも集まり、そろってぺこりとお辞儀した。歓声はますます興奮したものとなる。盛り上がりは最高潮だ。


「よう、旅人の兄ちゃん! 最高だったろ!」


 傍にいたおじさんが僕の肩をばしばしと叩いてきた。かなり痛かったんだけど、僕は必死で愛想笑いをした。


「ええ。それはもう……」

「今年のニルレン役はハヅ一の美人だからなぁ! 兄ちゃんもあんな美人は見たことないだろう!」

「ええ。それはもう……」


 美人だというのはとてもよく分かったけど、あんな美人を見たことがないというと、僕基準では嘘になる。ここ最近は毎日見てるし、さっきもいた。まあ、ここで言うべきことではない。


「でも、トリオルースが死ぬとかちょっと……って、聞いてない」


 僕の言葉を無視して、おじさんは他の人と一緒に互いの肩をばしばしと叩いていた。

 最近気をとめてくれる人がいるせいか、こういう無視のされかたも何か久々だよなぁ。そんなことを思いながら、僕は肩をさすった。


 しかし、トリオの扱いは物凄いぞんざいだった。


 僕が授業で習った史実では、少なくともこのタイミングではトリオルースは死んでいない。ついさっきまで僕の傍に彼はいた訳だし。

 そういえば、トリオルース役の言葉使いは本物とはやっぱり違っていた。

 トリオ、怒っているだろうな。僕は苦笑した。


 話しかけてくる人もいなくなり、僕は戻ってくるはずのアリアを探そうと身体の向きを変えた。

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