第20話 行商人ピアージオ

 僕を乗せたピアージオさんの馬車は順調に内陸部への道を進んでいた。

 このまま街道かいどうを進むと、最悪、軍に捕捉ほそくされる可能性が高い。なので、少し遠回りする、と、ピアージオさんは森の中へと進路を変更する。

 街道かられた森の道は、ほとんど手入れされておらず、わだちがかろうじて見える程度だった。

 さらに、折り悪く、森の中に入ってからしばらくして、雷鳴らいめいと共に激しい雨が降り出してくる。


「ちっ、こんな天気になるなら街道を進んでも良かったぜ」


 視野をさえぎる雨のカーテンに、読み違いを悔やむピアージオさん。

 さらに、追い打ちをかけるように、後方から獣たちの遠吠とおぼえが聞こえてきた。


「こんな時間に魔物まものだとぉ!? 魔物なら魔物らしく昼間は眠ってろてんだ!」


 憎まれ口を叩きつつ、馬にむちを入れて速度を上げる。

 だが、魔物たち──大きな黒い狼は急速に距離を詰めてくる。


 ──ヒィィィィンッ!!


 前を走る馬の悲鳴とともに、荷馬車が大きく揺れた。

 反射的に近くの荷物にしがみつこうとする僕の身体を、ピアージオさんが無理矢理抱きかかえて、後方から馬車の外へと身をおどらせた。

 馬の悲痛ひつうないななきが響き、荷馬車ごと沢へと転がり落ちていく。

 外へと飛び出した僕たちも同じように転がって荷馬車の後を追う。


「キョウヤ殿! 無事ですかい!?」


 頭上からかけられる必死な声に、遠ざかりかけた僕の意識が引き戻された。

 状況を思い出して身体を起こした僕の視界に、荷馬車の下敷きになって動けなくなった馬と、それに群がる黒い狼──魔物たちの姿が入った。


「無事で良かった、とりあえずここから逃げ、くっ──」


 ピアージオさんの表情が苦痛に歪んだ。

 額が割れて出血しているのと、片足を痛めてしまっているようだった。


「ピアージオさん、しっかり捕まって」

「いけねぇ……キョウヤ殿だけでも──」


 だが、魔物たちは僕たちを見逃してはくれなかった。

 逃げようとしているのを察したのか、馬をむさぼるのを中断して、僕たちへと襲いかかってくる。


「逃げてくだせぇ! ここはおれが時間を稼ぎます!」


 僕を突き飛ばし、魔物の前に素手で立ちはだかるピアージオさん。

 襲いかかってくる魔物の口へと右腕を突っ込み、そのまま力一杯地面へと叩きつけ、続く二匹目の牙を躱し、両手を組んで勢いよく胴体へと打ち下ろす。


「子供たちを、おれの大事なトビアとビアンカのこと頼みまさぁ……キョウヤっ!!」


 そう叫んで、一瞬、気恥ずかしそうな笑みを見せたが、すぐに魔物たちに向き直り、転がっていた枯れ木を持ち上げて魔物たちを威嚇いかくする。


「でも、ピアージオさんを見捨てることは……」


 その時、不意に《むこうの世界》で自分が戒理かいりを助けようとしたときの光景がフラッシュバックした。その時、戒理もまた、僕を助けようと暴漢ぼうかんへと飛びかかったことも。


「くっ!」


 僕は意を決して立ち上がった。

 近くにあった木の枝を手に取り、ピアージオさんに加勢しようと足を踏み出した──刹那せつな


 ──ギャオオオオーッ!


 魔物たちは複数の方向に分かれて、肩で息をしているピアージオさんへと飛びかかった。


「うあああっっ!」


 意味をなさないわめき声を放ちながら、僕は手にした枝を振るって最初の二匹を払いのけた。

 だが、残りの魔獣のうちの一匹が斜め上からピアージオさんへと飛びかかり、首に鋭い牙を突き立てる。


「うぐっ……ぐぶぁっ」


 首筋から血が噴き出し、鈍い悲鳴を上げて膝をつくピアージオさん。


「ピアージオさんっ──!?」


 僕が悲痛な声をあげた──その時、崩壊した荷馬車の一部から青銀色せいぎんいろの光があふれ出し、音を立てて瓦礫がれきを吹き飛ばした。そして、その中から現れた一振りの剣が宙に浮き上がったかと思うと、勢いよく、僕の前へと飛んできた。


「これ、《星霊銀ミスリルつるぎ》……」


 《星霊銀の剣》は、僕の目の前で刃を上に向けて直立すると、《魔皇まおう》と対峙たいじしたときと同じように、青く輝く障壁で僕と倒れたピアージオさんを包みこんだ。


 ──グ、グルルルル……


 魔物たちは目に見えて脅えていた。襲いかかろうと身構えてはいるのだが、光の障壁を遠巻きにしながら、次第に距離を開け始め、剣の光が一瞬強まったのをきっかけに、森の茂みの中へと次々と姿を消していく。


「助かった……のか」


 呆然と魔物たちを見送る僕の足もとに、剣が音をたてて落ちた。

 かがみ込んで《星霊銀の剣》を拾い上げたとき、僕は、はっと我に返ってピアージオさんの元へと駆け寄る。

 顔面蒼白がんめんそうはくになったピアージオさんが、弱々しく僕の手を握ってくる。


「……さす、が、は《聖戦士せいせんし》様。魔物たちもビビって逃げていきやがった」

「ダメです、喋らないで」


 僕はすべもなく、ただただ血が流れ出す傷口を押さえることしかできなかった。


「すまない、キョウヤ……おれの子供たち、トビアとビアンカを……妻の、イヴォモーアの家へ……」


 そこまで声を絞り出したところで、ピアージオさんの手から力が失われる。

 僕は空に向けて声を張り上げた。


「だれか、助けてください……っ、僕が《ほし聖戦士せいせんし》っていうなら、誰でもいい、なんでもいいっ! 力を貸してくださいっ!!」


 急速に体温が失われていくピアージオの手を握って、無意味だとわかっていながらも、叫び声を上げずにはいられなかった。


 その時だった。

 不意に不思議な感覚が脳裏をよぎる。

 上手く説明できないが、遠くの場所で光の球が、僕の声に反応して動いたように感じた。


 ──わかった、俺が行ったる。


 そんな関西弁っぽい口調の少年の声が聞こえたような気がした。

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